第4話 Necessary Evil

翌日は曇天ながら雲の隙間から陽の光が差し込む、それがやけに眩しい一日だった。この街の陰の何処かに死の運び手と化したハーゼルが潜んでいる。


「僕だ、支部が襲撃されたんだってね」


一人称で僕とは言ったが、その鈴のように清涼な声は紛れもなく女性のもの。耳が長く尖っておりその肌は陶器のように白い。


「ああ、すぐ行くよ」


冒険者ギルドのマスターを務めるメイヴァーチルは、陽の光を浴びて輝く長髪をまとめて席を立つ。彼女は、服も肌も何一つ穢れを知らぬかのように真白だった。なのにその微笑みには残虐なものを湛えている。



「高度な死霊魔法だが、かなり粗い。術者への負担もまるで無視して破壊力だけに特化しているね」


メイヴァーチルは下半身だけになって横たわる支部長の死体から魔力の残滓を調べていた。


「貴方の"元お友達"のアイリーンでは?」


連れ添った部下の男はそう言った。

この世で死霊魔法を使えるのは、ダークエルフになってからのアイリーンただ一人の筈。

少なくとも現行の冒険者ギルドの名簿には死霊魔法使いは存在していない。


「似てるけど少し違う、アイリーンは体が弱い。こんな無茶な魔法を使えば彼女のミンチもここに転がっている筈」


「はは、その体の弱いお友達に悪魔との契約破棄の呪いを擦り付けたのか。どっちが悪魔だか分かったもんじゃねェな」


「そう言うな、照れる」


「……アンタを殺したい奴はごまんと居るだろうが、ここまで直接的な"メッセージ"は初めてだな。いったい何をやらかしたんだ?」


「"虫"を使ってね……"彼"の家族を魔物に変えた」


事も無げなメイヴァーチル。

残虐な行いを語る声音は至極平静、どころか悪戯を仲間に自慢する子供ように照れ隠しの笑みなどを浮かべている。


「……」


「それから彼の両手足を切り落として一生ペットにしようと思った、でも逃げられたんだ……」


メイヴァーチルは艶かしく舌なめずりをした。女の色香に溢れ蠱惑的ながらも、その仕草は何故だか獲物を探す毒蛇を彷彿とさせる。


「……チンピラも裸足で逃げ出そうってもんだ。あんたみたいなのが冒険者ギルドのマスターとは世も末だぜ」


「僕はね、君より遥かに長く人間を見て来た。"恐怖"は人を最も強く縛る、そして"罪悪感"は人を弱くすると思って"いた"……」


「……いた?」


「彼は仲間や家族を助けられなかった罪悪感にも、両手を切り落とされた苦痛や恐怖にも打ち勝って戻って来たんだ」


「彼の精神こそ、まさに不撓不屈。僕は初めて人間に恋をした」


メイヴァーチルは頬を赤らめ、うっとりとして言った。


「………」


部下の男はかなり困惑した様子だった。

何言ってんだこいつ、と顔に書いてある。


彼女のルックスは美しさだけで言えば何時間でも見惚れて居られる程だ。しかし種族柄なのか、それとも荒廃した世界を長生きし過ぎたせいか倫理観を始めとした"頭のネジがブッ飛んで"いる。


冒険者ギルドのマスター、メイヴァーチルは普段こそ凛としたエルフの女だ。彼女はクレリックの道を極め、人々に癒しをそして冒険者ギルドを運営することで人類社会に秩序をもたらしている。それは結果として、エルフ族の地位向上に繋がった。


一方、裏では人間の死や苦痛を甘露の如く好み、冒険者やその家族を弄び搾取を繰り返してきたというマフィア顔負けの悪党の顔がある。むしろ、そちらこそ本性なのだろう。


メイヴァーチルがいつから冒険者ギルドに所属しているのか、どうやってマスターの座に登り詰めたのか、何故エルフが人間社会で強大な権力を握っているのかを詳しく知るものは少ない。


"知り過ぎた"者は必ず彼女の手で闇に葬られて来たからだ。


「そして、彼はこんなにも強く僕を求めている……」


現場に転がっている下半身だけになった部下を見下ろしながら、メイヴァーチルはまたそんな事を言った。


「……奴の狙いはあんたの命だと思うが?」


部下の男は、遠慮なく苦言を呈する。

メイヴァーチルは興味の無い対象に対して感情を動かすことはない。少々無礼な口を叩いても問題はないと知っているのだ。


彼女はまるで女神のように白く透き通った美貌を持ちながら、その精神は獲物を貪り喰う肉食の昆虫、はたまた食虫植物などと大差無い。


「愛と憎しみは表裏一体と言うだろ?」


メイヴァーチルのその表情はどこまでも純粋に悪意だけを孕んでいた。ニンゲンの苦痛が楽しみで仕方がない、無くしたと思っていたお気に入りのオモチャが見つかって、嬉しくて仕方がないと言わんばかりだ。


それは紛れもなく魔性のもの、しかし人ならぬその美しさは見た者の心を恐怖あるいは憧憬にて掴んで放さない。



かつてメイヴァーチルは人を魔物に変える虫、魔蝕虫を魔族と取引し、唯一の同胞を悪魔に売り飛ばし、ダークエルフに変えた。後日魔族にくれてやった"居住区"に対して、あろうことか最強クラスの冒険者達を召集し"魔物討伐"に派遣した。そうして邪魔者を排除し金儲けの道具を増やしたのだ。


このエルフの邪悪さと来たらダークどころではないだろう。


部下の者達は彼女に従うばかりだ。

冒険者ギルド運営側の大抵の者はメイヴァーチルの命令に従い、機嫌さえ損ねなければそう悪くない給料を貰える。美味しいポジションに居られるのだから、多少の蛮行には目を瞑るか、共犯者となることを選ぶ。


だがハーゼルは違った。彼は元々冒険者ギルドに所属する凄腕のウォリアーだった、その優れた戦闘能力から、冒険者の教導役として運営側に抜擢された。

その後に彼女の極悪非道から目を瞑らず彼女を糾弾し、冒険者ギルドの悪行を白日の下に晒そうともした。


裏切り者への報復は苛烈を極めた。

目の前で家族を魔物に変えられ、両手を切り落とされ、一頻り絶望の慟哭を上げたハーゼルも、"頭のネジがブッ飛んだ"のだろう。奴は家族と自分の血にまみれながらずっとメイヴァーチルを睨み殺そうと視線を投げ掛けていた。


実際にハーゼルの最後のタガが外れたのはつい先日の事だが、男にそれを知る由はない。


馬鹿な男だ。所詮はウォリアー、脳みそまで筋肉の戦闘バカなのだろう。そして哀れだとも思った。

メイヴァーチルのような"化け物"のお眼鏡に叶ってしまった事については同情を禁じ得ない。


また黒い雲が太陽を覆いつつある。

一雨降りそうだった。

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