第9話


暫くして、私は少しずつ梓衣華ちゃんの家庭の事情を知ることになる。

始めこそは日常会話の中で、「私の家、母子家庭なんだ」とか「お母さん、今無職なんだ」とか「お母さん、3回再婚してるんだ」とか、ポツリ、ポツリと話すくらいで。

まぁ、それだけ聞いただけでも家庭環境が普通じゃないことはわかるし、その話をあえて掘り下げようとは思わなかった。

だって、梓衣華ちゃんもそれを望んでいないと思ったから。

誰にでも詮索されたけないことってあるからね?

私達は、そういう距離感がお互いよくわかっていて、それが心地よかったから今までこうして一緒にいたんだと思うし。

けど、そろそろ君のことをもう少し知ってもいい頃だと思った。

その理由は、見過ごせない出来事が起きたからだった。

体育の授業のときのことだった。

その日はサッカーをしていた。

私達は他のチームが試合をしている間、することもないので、皆んなとは少し離れたところで、座って話していた。

「あのさ、流石に無視できないレベルやから聞くけど、その痣どうしたん?」

梓衣華ちゃんの脚の左の膝、内側が青紫色だ。人間の皮膚じゃないみたいだ。

「あー、これ?」

梓衣華ちゃんは靴下を少しずらし、私に見せた。

予想はしていたけれど、靴下の下も酷いことになっていた。左脚の膝から脛の辺り全体が赤や紫、青、黄色が混ざりおかしな色になっていた。

続けて、「自分でやったの」と言う。

いつもの梓衣華ちゃんなら、聞いても上手く交わされてしまうのに、あっさりと答えてくれた。


この言葉を聞いたら、一般的な反応だったら、嘘でしょ?とか、そんなことするなんておかしいんじゃない?とか思うんじゃないだろうか。

けど、私はその話が真実だと思ったし、引いたりもしなかった。

だってもし、どこかに誤ってぶつけてしまったり、誰かに打たれたんだとしたら、内側に痣ができるなんて不自然だ。

自分で意図的に打つけたんだとしたら、梓衣華ちゃんは右利きだから、左脚の内側に痣はできると思った。

「それ、他の人には言っちゃいかんよ?私は理解してあげられるけど、そうやない人もいるからね?」

「わかってるよ。沙梨華ちゃんだから話したんだよ?」

そう言われて私は不謹慎だけど、嬉しいと思ってしまった。

私は、彼女にとって少しでも特別なんだとわかったから。

きゅうっと胸が締めつけられた。

「お母さんとね、喧嘩したの」

嘘だ。と思った。

だって喧嘩で言い合いになったんだとしたら、自傷行為なんてしないでしょ?

自分のその時の激情を相手にぶつけることができたなら、自分に矛先が向くことなんてない。

我慢してしまうから、自分に負の感情が向けられることになるんだ。

「うちもね、そういうことしてまうことあるんやぁ」

私は梓衣華にだけ聞こえる声で言った。

自分の右腕をみる。

まだ誰にも話したことのないこと。

「うちのお母さん、いわゆる毒親で、親としてどうなんだろう?って思うような言葉で私のこと傷つけようとするんやぁ」

「その言葉に反発しようもんなら暴力振われるから我慢したほうがマシ。そう思って我慢するんやけど、本当は、反発したいし、泣きたくてしょうがない。」

私は、乾いた笑いをし、梓衣華ちゃんの顔を見た。

酷い顔をしていた。

眉間に皺を寄せて、こみ上げてくる感情を抑えているようなそんな表情。

私のよく知っている顔だ。

「そういう感情を出す場所がなくて、自分自身を傷つけてまうんやよね」

そう言って、私は右腕のジャージの袖をまくった。

露わになる、痛々しい傷跡。

「小学生のときはそこまで酷いことしんかったんよ。腕を必要以上に引っ掻いたりとか、髪の毛抜いたりとか。やけど、中学に上がったくらいから、徐々にエスカレートしてった。変な知識が増えてきて笑」

「これって火傷の後?」

梓衣華ちゃんが、私の腕に触れた。

「うんそう。タバコわ押し付けた。」

「どうしてタバコなの?」

「タバコを押し付ける、なんて自分でやるなんて思う人いないでしょ?これを虐待だって、思った誰かが、この場所から救ってくれるかなって。」

「けど、現実、そんな勇敢な人ってそうおらんのやん?面倒事には巻き込まれたくないから。」

ただ、傍観しているだけ。

「どうして助けてくれんのや。とかは別に思わんけどね。私も面倒な事嫌いやし。」

「ねぇ、どうしてそんな話してくれるの?」

私は呆れたように笑った。

「それは、梓衣華ちゃんがよくわかってるんやない?」

彼女の身に何が起こったのか詳しいことはわからないけど。

私と同じように感情を抑えつけていた。

その感情をどこにも向けられなかったから、怒りや、悲しみ、憎しみの感情を打つける対象が自分になった。

言わなくても分かる。

「沙梨華ちゃんには嘘ついてもすぐにばれちゃうね。考えてることも隠そうとしてもすぐに知られちゃう。ちょっと怖いくらいに。」

梓衣華ちゃんはへへっと、だらしなく笑った。

「私ね、ずっと誰かに自分のことを深く知られることが嫌だなって思ってたの。目に見えない線を引いて、その線からは誰も超えてこないようにって。」

何かを思い出すように遠くを見つめ、言葉を続ける。

「でも、沙梨華ちゃんと今まで過ごしてきて、言葉にしてないことも伝わっちゃったりとかもしたのに、それが嫌だとは思わなかったの。寧ろ心地良いって思ってた。嫌なはずなのに。」

「どうしてか、わかったの?」

私は、その理由が知りたくて言葉を促した。

「うん、私は元々誰かに自分を曝け出すのが苦手だったの。けど、いつの間にか、誰かに自分のことを知られるのが嫌って嘘の感情に塗り替えられてた。それに気づかせてくれたのはね、沙梨華ちゃんなんだ。私はきっと、沙梨華ちゃんみたいな存在の人を望んでたんだろうな」

「なんか、愛の告白されてるみたいで、照れるんやけど笑」

「私もこんなにも言葉で自分の気持ちを伝えたことないから、恥ずかしいよ!!」

私達は顔を見合わせて笑い合う。

梓衣華ちゃんの顔は真っ赤だった。

顔が熱くなっている私も彼女と同じように赤く染まっているのだろう。


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