涙と花言葉

家に帰ると、直ぐにシャワーを浴びた。この時期は何もしなくても汗臭くなるから嫌だ。なんとなくだけど、汗臭いままで梓と会いたくない。

 押し入れから、袴を引っ張り出す。久しぶりに着た袴はなんだかスースーして落ち着かない。スマホで時刻を確認すると六時十三分。梓から六時半くらいに家に来ると連絡があった。僕が迎えに行ったり、別の場所で待ち合わせても良かったのだが、梓曰く

「多分私は準備が遅いからさ。晴人を待たせるのもなんか悪いから家で待ってて」

とのこと。

 財布の中身や身だしなみを何度も確認しながら六時半になるのを待った。だけど、梓は来なかった。

 三十五分くらいに、ごめん!! 今家出た!! との連絡。

梓の家から僕の家までバスで十五分ほど。

了解とだけ打ってスマホをポケットに入れる。隙間時間にいつもやるゲームも今だけはやる気が出ない。

 

「ごめん!!」

 結局、梓と会った時には七時を回っていた。

「家で待ってて正解だった」

「なんか奢るから許して!」

「じゃあ。……りんご飴」

「アンタ昔からそれ好きだよね」

「悪いかよ」

「悪くないです。さっ、行こ」

 遅れてきた人間が何を言うか。と思いながら浴衣姿の梓の後に着いていく。

 

「そういえばさ、遅れてきた人が言うのもあれだけど。なんかないの?」

「何が?」

 祭り会場の河川敷が見えると、さっきまでの無言の空間を斬り裂くように梓が口を開いた。

「だから、浴衣とか化粧とか。綺麗だねの一言も無いのかい」

「あー。そういえばそうだったな。綺麗だねー」

「なにその言わされ感。全然キュンと来ないんですけど」

 実際は綺麗だとは思ってる。しかし、これでも僕も思春期男士の端くれだ。女子に向かって軽く「綺麗」とか「可愛い」とか言えるわけない。

「全く。そんな一言も言えないで、良くデートに誘ったね」

 本当にそうだなと心の中で強く頷いた。

 

 会場に着くと、早速りんご飴を奢ってもらった。別に今じゃ無くて良いと言っているのに、

「忘れちゃいそうだから」

 と言われ半ば強引に奢ってもらった。

 

 人混みが予想以上に凄く、普段の僕なら人の多さで酔っていただろう。でも今日は僕が誘った手前、簡単に酔うわけにはいかなかった。下唇を噛んで意識が飛びそうになるのを抑えた。

 

 わたあめ、焼きそば、射的、唐揚げ、的当て、トロピカルジュース、かき氷、と圧倒的な割合で食べ物屋を巡る梓。それに着いていく僕の腹はどんどん膨れるのに対して、梓はまだまだ行けるぞとの感じであった。

 

 この女、いつまで食うつもりだ。

 お好み焼き屋の前でウキウキ並んでいる梓を、もはや感心な目で見つめる。

「あれ、久保じゃん」

「えっ? 隣に居るの彼女?」

「ってあれ飯田さんじゃね」

 マジか!? と普段全く話さないクラスの男子たちに絡まれる。これだから、こういう所はあんまり好きになれない。

「晴人、注目浴びてるね」

 口元に青のりをつけた大食い女に何故か心配されている僕。誰のせいで注目浴びてると思ってんだか、

「梓じゃん」

 そうだよ。梓だよって。ん?

 声のする方へ顔を向けると華やかな着物を着た女子高生たちがいた。

「あっ、みんな」

「えっ? うちらと来れない理由って彼氏がいたってこと!?」

「違う違う。晴人は彼氏じゃなくて」

「うわ!! 下の名前で呼んでる!!」

 女子特有のキャッキャしている空間に取り残されながら梓の顔色を見る。

 さっき、「みんな」と言う声が何処か弱々しく感じた。なんか気まずいことでもあったのだろうか。

 チラチラと話しながらある一定の方向に顔を向ける梓。その目線が向ける先には下を向いたままのピンク色の浴衣を着た一人の女子。

 確か、梓と同じクラスの……。名前は知らない。でも良く二人で居た気がする。


『花火大会。間も無く開催されます。皆様。河川敷の方へお集まり下さい……。花火大会。間も無く開催されます……』

「あっ、花火上がるって。じゃあお二人さん楽しんでぇー」

 そう言いながら僕たちから離れていく女子たち。

「なんか、元気な人達だったな」

「うん…」

 虚ろげな表情の梓をこの時の僕は、特に気に止めてはいなかった。

 

 花火会場に僕らが着いた頃には人混みが物凄く。流石の梓も、少し離れた所で見ようと言うほどだった。

 結局、少し離れた場所に行こうとも、人が多すぎて身動きが取れないせいで結局立った状態のまま、花火打ち上がり合図のハイポップな音楽が流れ始めた。

 

 夜空に大輪の華が咲き誇って、まずは見た目で魅了し、遅れて聞こえる独特の音で使って完全に人々を感動の渦に飲み込む。

 中学生になった頃からは行くのが面倒くさくなって、家で音だけを聞いて過ごしていた今までの僕を叱りたい。これだけでも見るべきだった。どう足掻いても年に一度しか見ることが出来ないこの絶景を。

「……晴人」

「ん?」

 きっと、綺麗だねとか言うんだろう。

「死にたいって本気で思ったことある?」

 真夏の夜に打ち上がる花火の音で、周囲の音が打ち消えていく中、彼女の言葉だけがしっかりと僕の中で響き渡る。

 何かの聞き間違いでは無いかと、戸惑う僕を押さえつけるかのような強い意志を持った鋭い彼女の眼差し。そして、その目から花火の光を反射する虹色の雫がホロりと静かに流れ落ちていった。

「えっ?」

「私はね。実は結構あるんだ。なんなら今も思ってる」

「ど、どうして」

 どんなに落ち着こうと頭で思っても、口が上手く回らない。

「黄色い百合の花の花言葉の話覚えてる?」

「……うん」

「花言葉は『偽り』」

「…………『偽り』」

 美しい花火に連られて溢れ出た涙と一緒に出てきた花言葉の真相。

「うん、私と一緒。私は同性愛者を隠して偽って私で過ごしてる」

 火花が暗闇に散っていく幻想的な空間のせいで、現実味が湧かない。

「……いつから」

「自分がそうなんだって知ったのは中二の秋から。でも周りとは違うって思ったのは小さい頃から」

「そ、そうなんだ」

 きっと僕と会った頃から、そうだったんだ。梓はずっとその頃から今この瞬間まで、これを抱えていたって言うのか。

「ちょ、大丈夫?」

 気づいてあげられなかったショックといきなりの事実にクラっと足がすくむ。血が流れていないような冷たい感覚になる。

「ご、ごめん。気づいて、あげられなくて。ずっと。近くにいたはずなのに」

「違うって。それは……わた……晴人の……」

 ワァーと一気に盛り上がる歓声で梓の声が掻き消されていく。

 ダメだ。ここじゃない場所で。ちゃんと話さないと。梓をちゃんと知らないと。

「梓。ここじゃない。もっと別の場所で」

「私は普通の人じゃない」

 梓の苦痛を抑えた精一杯の自分自身の否定と花壇に咲いていた黄色い百合の花のような笑顔が、パラパラと散る花びらと一緒に一夏の幻想世界に余韻を与えた。

 

 梓の手を無理矢理に引っ張って人混みの中を通り抜ける。夜の蒸し暑さと人混みの多さが僕と梓を行く道を阻む。

 どこか別の場所。ここじゃない、どこか。どこか……どこか……どこか……、どこ?

「きゃっ、」

 微かな悲鳴とともに、梓の左手が僕の手からすり抜けて行った。梓は止まれるのに、僕だけは人混みに押されていく。

 ……止まらない。梓は止まれるのになんで。梓の周りだけ人が避けているような。そんな感じ。

「はっ!!」

『私は普通の人じゃない』

 ふざけんな、勝手に振り回すなよ!!

「くっそ! どけよ!!」

 通りすがる人を薙ぎ払いながら彼女の手を再び強く握り直す。

「なんで来ないんだよ!!」

「ごめん。下駄の鼻緒が切れちゃって」

 そんなベタな展開要らないって!!]

「じゃあ乗って」

「いや、でも」

「いいから!!」

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