エピローグ番外編 自宅にて天使は彼女から相談を受ける。

(吏`・ω・´) 相楽くんのことを、あだ名で呼びたいの!

 ジリジリ、みんみんと鳴く蝉の歌。

 からん、と動いた麦茶の氷。

 低く静かに唸るクーラー。


 夏休み三日目。


 私二俣吏依奈ふたまたりいなは、神殿くるりの部屋にやって来た。


 見た目は普通の三階建て一軒家だけど、立って一畳寝て半畳、くるりがいればそこは聖域っていうじゃない。


 だからというわけじゃないが、私は彼女の部屋で、正座で向き合っていた。


「くるり、今日はひとつ相談があるの」

「ふむ。聞くよ聞くよ!」


 くるりは、人の役に立つことが大好きだ。今日も相談だと聞いて張り切ってくれている。


 ……あ、ごめんちょっと泣く。


 いけないな。また三日前にできた彼氏くんから「お前の情緒ギアガッタガタな」とか言われそう。いや、「ギアフワッフワだな」の方が彼らしいか。まだ完全なものまねはできない。


「はいティッシュ。言っとくけど持ち帰り禁止だよ? ちゃんとそこのゴミ箱に捨ててね」

「うん……」


 前科一犯の身の上が辛くてさらに泣いてる。ぐすん。


「で? 相談だっけ」

「そうなのっ! まぁ、とっても下らない話で、ここだけの話にしたいのだけど」

「相談に下らないも何もないよぉ。大丈夫、内緒にするから」

「じゃあ、言うわね」


 私とくるりは真剣な表情で額を擦り合わせるくらいの距離にいた。


「実はね―――」


 その距離でしか聞こえない、囁くような声で言った。


「相楽くんのことを、あだ名で呼びたいの」

「……うん」

「うん」

「いや、それが相談」

「そうよ」

「そっかぁ」


 くるりは立ち上がり、部屋のベッドに腰掛けた。


「……むむむ」


 小さく整った丸顔を困ったようにむんにゃりと歪めてから、口を開いた。


「吏依奈、わたし一旦キャラ忘れていいかな」

「キャラ? 何のことか分からないけど別にいいわよ」

「そう。じゃあ言うね」


 くるりは短く息を吸うと、同じく短くこう言った。


「マジでどうでもいい。勝手に呼べば?」

「はぅ!?」


 あの終業式の日に見せた私を叱咤激励する顔とはまた違う。


 本当に彼女のキャラにない、心底どうでもよさそうな顔だった。


「だから下らない事だって言ったじゃない~!」

「そのフリでほんとに下らないってことあんま無いじゃん!」


 Tシャツワンピースに綿パンツという部屋着姿のくるりがぷんぷん怒りながらベッドに寝そべる。自宅ということで多少わんぱくな言動ではあるが、この子はどうしてこんなに怒る姿が怖くないんだろうか。


「そんなの、カズくんに言えばいいじゃんか」

「それよ!」

「どれ?」

「その“カズくん”ってあだ名はどう決まったの?」


 くるりは「ん~?」と、仰向けでLED照明の天井を見上げしばし考えていたが。


「まぁ、なんか、流れで?」

「羨ましいぃぃぃぃ!!」

「少し前までのカズくんの気持ちが分かってきたよぉ」


 くるりがどっこいしょっと起き上がり、ぼさぼさショートボブのジト目で言う。


「んで、一緒にカズくんのニックネームを考えればいいの?」

「そうよ。お願い」

「ちっ―――可愛い親友の頼みだもんね」

「今舌打ちしなかった?」


 くるりは無視して話を進める。


「わたしがカズくんだから、吏依奈はヒデくんにすれば?」

「それは考えたんだけど、なんか嫌なのよ」

「なんで?」

「ほら、あのご近所のお姉さんが、相楽くんのこと“ヒーくん”って呼んでたでしょ?」

「あー、そうだったっけ?」

「ヒデくんだと、ヒーくんに負けてる気がしない?」

「……否定しようと思ったけど、不覚にも同意しちゃったよ。うん、負けてるかも」

「でしょ? だから、それ以外でいきたいの」

「あれ? これもしかして意外と難問じゃないかな? めんどくささマックスじゃないかな?」


 くるりが何だか「話が違う」みたいな顔をしているけど、何を言っているのか分からなかったのでスルーして話を進める。


「そもそもさ」

「なぁに?」

「吏依奈ってカズくんのことどうやって呼んでたっけ?」

「相楽くん」

「その前は?」

「相楽」

「最初は何だっけ?」

「相楽秀和」

「よく付き合えたね」

「どういう意味!?」


 くるりの理路が分からない。


「ごめんね。わたしジャンプ脳だから男の子向けのラブコメ基準で考えちゃうんだ」

「……そのでんでいくと初手フルネーム呼びのケンカ腰女子は―――」

「いいとこサブヒロインだよね。一部の読者からちょっとだけ人気が出て人気投票では健闘するよ」

「一位には?」

「ならない」


 にべもない。


「まぁ、最初がそんなハンデいっぱいのスタートだったからさ」

「うん?」

「今さら呼び方をどうこうする必要ないんじゃないかなぁ?」


 そうかな。


「……くるり、ひょっとしてだけど、もうこの話題飽きてる?」

「アキテナイヨ」


 ベッドわきに置いてあるぬいぐるみを抱き、腹話術のように喋らせる。


「……」

「……」

「不安なのよ」

「ふあん?」

「落ち着かないのよ。三日前からずーっとフワフワしてて。たぶん幸せなんだと思う。でもなんだか空回りしてるんじゃないかって不安が大きいの。だから、何かを重石おもしにしたいっていうか。浮かれ続けちゃう自分をどうにかしたいのよ」


 自分で言っていてもなかなか支離滅裂だと思う。


 要するに、彼との関係を“完成”させたいのだ。


 これは私の家庭環境も影響しているのだろうか。


「ンだよこの恋愛クソザコ女はよぉ」

「くるりさっきからキャラ忘れ過ぎじゃない!!?」


 で、親友からは一刀両断に処されましたとさ。


「うじうじ言ってるけど、これからデートなんでしょ?」

「デート……っていうか、図書館で課題やりに行くんだけど」

「そのばっちり可愛いコーデで図書館行くの?」


 今着ているのはオフショルダーのハイウエストなミニワンピースだった。色は白で少し透け感があり、腰のところにはリボンが付いていて甘い装い。今は裸足だが、背の高いパンプスを履いてきた。それもこれも昨日慌てて買ってきた。


「……何か、変だったかしら?」


 くるりは慈母のように目を細め、言った。


「吏依奈は可愛いねぇ」

「うっ!」


 六月あたりから、くるりの攻撃力が上がった気がするっ!


 雑な応対が増えた代わりに、たまにこんな聖母の表情が出るっ!


 そのたび私の脳はコーヒーを飲んだようにぐるぐる回ってしまう!!


「はぁ、はぁ、くりゅりぃ、きゃわいいにゃんて、しょんなぁ……」

「吏依奈、女の子―――いや尊厳ある人間がしちゃいけない顔してる」


 ジェンダーを超えた部分でダメ出しをされた私は、なんとか頭をシャキッとさせるため麦茶を一気飲みした。


「はい、吏依奈おいで」

「へ?」


 しかし、私の脳はまたもスムージーミキサーにかけられたように激しくかき乱されるのだった。


「膝枕をしてあげよう」

「いけないわくるり、私が私でいられなくなる」

「わたしにも失礼だからねそのいいざま。いいから来なさいなっ」


 ベッドの上で正座して、その眩しく輝く太陽のような太ももをぽんぽんと叩く。私はさながらイカロスか。翼を焼かれ、地表に墜落する憐れな人間。


「……失礼するわね」

「いらっしゃいませぇ」


 まぁこうしてあっさり堕ちてしまうわけだけど。そーっと……頭を載せて……うわっ、やっちゃった!? 柔らかっ! 暖かっ!


 気持ち悪く興奮する私に声が降ってくる。


「服、シワにならないように注意しなよ」

「大丈夫よ。薄手の生地だから、そんなに―――ふぅ」

「落ち着いた?」

「ええ」

「うん。吏依奈は、まぁ頑張り屋さんだからね。方向性はどうあれ」


 あれ? くるりもしかして私を説教するために膝枕したの?


「男の子と付き合うの、初めてなんだよね」

「そうね。やっぱり遅いかしら」

「分かんない。わたしの周りの人、あんまり恋バナしてくれないし」

「……くるりは、彼氏いたことあるの?」

「ないよ。だってわたしレズだもん」

「はい!?」

「うっそ~! うふふっ」


 心臓が額の頭蓋を突き破って出てくるかと思った。


「ま、そこらへんのくるりちゃんはみんなの天使さんってことでひとつ~」


 私の親友は強い。


「吏依奈」


 呼びかけられると共に、頭を小さくて細い指が撫でる。くるりの手は赤ちゃんみたいに柔らかく、指が短いのだ。


「カズくんは、良いひとだよ」

「うん」

「わたしが今まであった男の子で、あんな人いないよ」

「私もよ」

「大丈夫だよ。また悩むことがあったら、また来なよ」

「……はい、私の天使様」

「よろしいっ」


 そこで膝枕サービスは終了した。


「張り切っていってらっしゃい!」

「くるり」

「ん?」

「相楽くんの家まで付いてきてくれない?」

「―――ちょっと着替える時間くれるかな?」


 舌打ちも、怒るのも、キャラを忘れることもしないでくれたくるりには感謝しかありません。私はそう思いながら誠心誠意土下座していた。


【まさかの続く】

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