(吏`・ω・´)(-_-メ)和)(@*’▽’) ある朝のトライアングル

(-_-メ)和)


 電話が掛かってきた。


 海外から。


여보세요ヨボセヨ?」

『ちゃ~るちねぇ~~~! おっぱぁ!!』

「誰が兄さんオッパーだ。あとなんで現地人なのにそんなに韓国語が下手なんだ」

『ヒデカズにいは発音いいよなぁ』


 韓国留学時代の、ホームステイ一家の子供からだった。俺より一つ下で、恐らくは初めての友達と呼べる存在だ。


『今日はちょっと報告』


 相手が日本語に切り替える。だからなんで外国語だと途端に流暢になるのだ。


『プサンのあの子、結局お母さんオモニのところで暮らすことになったって』

「……いろいろとありがとうな」

『いいってことよ』


 修学旅行迷子事件のときに頼った『面倒ごとの処理が上手い知り合い』とはこいつのことだった。


『ヒデカズ兄の頼みだからな』


 とはいえ、見返りは要求されたが。


『いつでも顔見せろよな』

「ああ、でも、まだしばらくそっちには行けそうもない」

『そっかぁ……ところでさ』

「なんだ」

『声がこもってるけど、まだ付けてんだ? 

「お前との共同制作品だからな。大事に使ってる」

『ははは! んで、そっちの高校は楽しいか?』

「……っ」


 声に詰まってしまった。


『ヒデカズ兄? どうした? なんかあったのか!?』


 そのせいで相手に余計な心配をかけてしまう。


「いや……なんというか、思った以上に楽しいし、ヘンテコな学生生活になってる」

『なにそれ!? ラノベみたいじゃん!』


 日本こっちのアニメで日本語の基礎を固めた者らしい反応だ。


『寂しくて毎日泣いとーせんかて思っとったがね』


 そして俺のレクチャーで訛りが移った。


「お前は?」

『……もうちょっと泣かずに頑張ってみるでね』

「うん」


 電話口の向こうは恥ずかしくなったのか『じゃあな! ヒデカズ兄!』と慌てたように言って通話を切った。


 あ。


 彼女ができたって言うのを忘れた。


※※


 家の玄関は、夏に通じる扉だった。

 昨日の雨を蒸発させる7月の太陽。

 海との境目を無くしそうな空。

 遠くで不安定に渦巻く雲。

 蝉たちの懸命な歌声。

 蒸れた草木の匂い。

 バスが停まる。

 高校の校舎。

 白い校門。

 生徒ら。

 教師。

 人。

 鳥。

 虫。

 風。


「ヒーくん……? どうしたの?」

「おはようございます。なにがです?」


 珍しく朝起きていたお隣さんに声をかけられる。


「なんか、目ぇバッキバキじゃね?」

「はい、寝てないんで」


 寝てないのに眠くない。


「世界がギラギラして見えます」


 ドーパミンとアドレナリンが際限なく生産され続けているのか、むしろ身体が軽い。


病院ウチの先生がたら眠剤出すと思うで?」


 昨日があったらそりゃそうなるかとも思うが、おそらく昼にはぶっ倒れるであろうと確信に満ちた予感も持っていた。


「ヒーくん、今日もゴミ出しありがとね」

「いいえ、ついでですから」

「お礼に帰ったらお姉さんが添い寝したげよっか?」

「ははは」

「失笑だよ。テンションブチ上がってんのにそこは冷静かよ」


 お隣さんの小粋なジョークに笑って、さていつも通りバス停で二人を待つか、と歩き出す。


 と。


「あ」

「……おはよ」


 目の前にいた。


 吏依奈りいなが立っていた。


 昨日、奇跡が起きて俺の彼女になった人だ。


 と、思っていたが。


 なんだ。


 やけに長かったが、これは夢か。


 でぇらねみぃ(すごく眠い)けど。


 もう覚めてもいいぞ。十分だ。


 しかし。


「……相楽くん」


 その直後、俺はこの夢が本当に夢のような現実だと思い知らされることになる。






(吏`・ω・´)


 寝なきゃ寝なきゃと思っていると眠れないよね。


 昨日のことがあって、彼は姉が帰宅する前に帰ったけど、そのあとはご飯もほとんど喉を通らずベッドで顔を覆ってのたうち回る時間を過ごした。


 それが終わってから、くるりに電話した。約4時間。彼女との通話最長記録を更新するほど喋りまくった。沈黙は2分くらい。


 結局二人とも徹夜で朝を迎え、せっかくだからと普段より一本早いバスに乗ってグリ高前に到着していた。


「ご、ごめんね、くるり」


 バス停で私は謝る。


「ううん~、いいよ~、楽しいよ~、吏依奈とカズくんが幸せでわたしも幸せだよ~。ふわぁぁぁ」


 天使が吹くラッパのようなあくびに私は泣いた。


「うれしい、かわいい、だいすき」

「ふふふ~、わたしにそんなこと言っちゃっていいのかなぁ? りいにゃん」


 りいにゃん!?


「カズぴっぴが拗ねちゃうよ?」


 カズぴっぴ!?


「……だいぶじょいよ」

「そんな噛み方してなにが大丈夫じょい?」


 くそぅ、いじってくるときもいちいち可愛いなこの女。


「ま、いいや。カズくんまで行こうよ」

「……はいはい」


 といっても、すぐ目の前なんだけ―――


、今日もゴミ出しありがとね」

「いいえ、ついでですから」

「お礼に帰ったらお姉さんが添い寝したげよっか?」

「ははは」


 ―――ど。


「……」

「……吏依奈」


 あの女性は、近所の人かな。

 年齢は姉と同じくらいか。

 口調はサバけている。


 けど!


 明らかに、近所に住む年下の男子高校生に向ける以上の感情がある。


 目を見れば分かる。


 ああ、嫌だな。

 私、いま嫌な子だ。


 胸にかかるもやが嫉妬を伝える。

 私より先に彼を見つけたあの人に嫉妬してる。

 彼を見つけたのが私だけじゃないことに嫉妬してる。


 バカだな、私は。


 分かってたことじゃないか。


 彼の心の優しさ、内面の美しさに気付く人はこれまでもいたはず。


 そして、これからも次々と現れるかもしれない。


 私が好きになった人が、私だけに愛されてくれるはずがないのだ。


「……」


 足が動かない。

 自分の醜さに怯えて、身体が動かなかった。


「りーいなっ!」


 どん。


「いたっ!? なにするのくる―――」


 腰にタックルしてきた親友に抗議しようとしたが。


「おい、恋愛クソザコ女」


 恋愛クソザコ女!?


「……!!」

「うふふっ」


 この子は。


「吏依奈はできる子でしょ?」


 口の端を曲げてニヤリと笑うこの女の子は。


「……ふふ」


 使


「そんなこと、に言われなくても分かってるわよ。ていうかダシになんてしてないから」

「ほぉかね」


 ありがとう、くるり。


 弱弱しい背中を蹴っ飛ばしてくれて。


 私は、遠くて近い距離をズンズン歩き出した。


「……相楽くん」

「お、吏依奈にナガサ、今日は早かったな」

「うん。早く起きちゃって」


 私は言うと、彼と女性の間に割り込むように立つ。


 じっと彼女の目を見る。


「おや、ひょっとしてお姉さん威嚇いかくされてる?」


 やや引き攣った笑みで言う女性に、私は意を決して言った。


「私が先なんで―――」

「え?」

「相楽くんは今日、ッ!!」


 …………。


 聞こえるのは、蝉の声だけ。


「……あれ?」


 ひょっとして、私また何かやっちゃいました?


「ねぇくる―――り!?」


 振り向くと、くるりが膝をついて倒れているっ!


 と、次の瞬間。


「ブハハハハハハハハハ!!!!!!」


 女性の爆笑で沈黙が破れた。


 すぱーん!


「あ痛ぁ!?」

「何言ってんの吏依奈っ!!」


 くるりに頭を叩かれて、ようやく自分でも恥ずかしくなってきた。


「ああああああ!! どうしようくるり! ねぇどうしよう!!」

「知らないよ! 見なさい! すっごい見られてるよ!」


 そう、ここは我らが母校の目の前なのだ。


 夏休みを迎え浮足立つ同級生、先輩、後輩、先生たちが何事かとこちらをじっと見つめていた。


 これはもう、彼ら彼女らの民度に賭けるしかない。


「あの……」

「ひぃひぃ、こんな笑ったの何年ぶりだろ―――なぁにヒーくん?」

「どう考えてもドつかにゃならん類の発言なのに、あの子―――吏依奈が可愛くてしょうがないです。恋愛って、難しい感情ですね」

「……っ!!」


 今度は女性が倒れたっ!?


「お姉さんは……しんどさと尊さと心強さでノックアウトだ。今日は千年ぶりに有給獲る。つーかしばらく横になるわ」

「ほぉですか」






(@*’▽’)


 ほんとまじで。


 いやまじで。


 人がせっかくキャラ捨ててまでハッパかけたのに。


 まじで何なのかなぁ。


「あわわわわわわわ」


 黙ってれば美人なのになぁ。


 なんで最後はこうなっちゃうの。


「ナガサ、おはようさん」

「カズくんおはよう」


 とりあえず、こうなった吏依奈は自分で落ち着くまで放っておくしかないので、わたしたちは勝手に話を進める。


「まぁ……なんというか、そういうことになった」

「うん」


 マウスガードに阻まれた表情の全貌はうかがい知れないけれど。


「良かったね」

「うん」


 その返事で十分だとわたしは思った。


 それにしても、決めるときは電光石火だったなぁ。


 ひょっとして。


 昨日、が当たったのだろうか。


 わたしの友達二人が結ばれますようにって。


永作ながさく様のお願いであれば無下にはできません』みたいな運転手さんの声が聞こえた気がしたけど、まぁ、気付かなかったことにしましょう。わたしボーっとしてますし。幻聴―――怪奇げんしょ……やめよう。


「あ、そうだ」

「ん?」

「はい、カズくん。これ忘れないうちに返しておくね」

「……あ、そうか」


 わたしは彼に借りていた本を返す。『フランケンシュタイン』の文庫本。


「あの新幹線の中で、ナガサに貸してたんだったな」

「え、忘れてたの? だって大事な本なんでしょう?」

「そうなんだけど―――」


 カズくんは恥ずかしそうに言った。


「“いろいろ”ありすぎてな」


 “いろいろ”か。


 そうだ。


 わたしたちには“いろいろ”ある。


「でも、ナガサがこの本を持っていてくれて、良かったと思う」

「……ほぉかね?」

「ほぉだよ」

「私、もうおうち帰る……」

「お、吏依奈が復活したぞナガサ」

「復活かなぁ……?」


 わたしの素朴な疑問に、カズくんが言った。


「ナガサのなかの“くるり”を補充すればなんとでもなるさ」


 そうきたか。


 そう言われれば。


「―――よしっ!」


 天使になるしかないじゃないのっ。


「それじゃあ、行こっかっ!」

「うん」

「おう」


 わたしは右手で吏依奈、左手でカズくんの手を引っ張って学校に向かう。


 え? 「付き合いたてのカップルの間に挟まるな」って?


 それは聞けないなぁ。


 グリ高の“天使”永作瑠璃るりちゃんは欲張りだから。


 繋いだ絆は、大切に堅結びするタイプだから。


 今日の夕方から、また雨が降るらしい。


 それが上がったら、梅雨が明ける。


 わたしたちの夏が、始まった。


【完】






「……まさか私のベッドで電池切れとはね」

「やっぱり打ち上げは明日にしとけばよかったね」

「……」

「……りいにゃん」

「その呼び方はできればやめて」

「吏依奈、カズくん寝てるよね?」

「寝てるけど?」

「一緒に寝てみるとか」

「無理」

「ヘタレ」

「うっさい!」


【エピローグ番外編に 続く】

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