(-_-メ)和) ちょっと何を言っているのか分からない。
七月。夕方。学期末。
鈍重な唸り声を上げてバスが街を行く。
窓に日中の雨の水滴が残っている。
うっすらと自分の顔が映る。
梅雨はもう少し続く。
クーラーの匂い。
旅行の広告。
エンジン。
振動。
目。
「……ふぅ~~~」
マウスガードの中で二酸化炭素が溜まって渦を巻き、すぐに消えていく。
「
運転手の声。
席を立ち、初めて自分以外乗客がいないことに気付いた。
珍しいこともあるものだ。
バス前方の料金箱にICカードを通し、やや急なステップを降りる。
「ありがとうございました~」
背中に声がかかる。
「……っ。はい、どうも」
運転手から礼を言われるのは初めてな気がする。
「永作瑠璃様にもよろしくお伝えください」
ん?
「頑張ってくださいね~」
「おいちょっと待て」
慌てて振り返るが、そこにバスはもう無かった。
「……あれ?」
そういえば。
俺は何をしに
テストは終わった。家庭教師も役目を終えている。
バスは暴力的なエンジン音もなく、
―――というか。
俺はいつからバスに乗っていた?
授業が終わり、家に帰ったことまでは覚えている。
そこからなんで隣町行きのバスに乗り込んだのか、記憶が曖昧だ。
そして、先ほどの怪しげな運転手の言葉と、消えた赤いバスはなんだ?
『よろしくお伝えください』
ナガサの名前を出していた。
知り合いか?
この世のものでもなさそうなバスの運転手と?
さもありなん。
あいつだったら、お化けとも友情を築けそうだ。
ということは。
間接的にナガサが俺をここに送り込んだことに。
―――いかん。
頭おかしくなりそうだ。
「どうする……」
気を長くした太陽が、空をようやく薄紫にする。
暮れていく空に、星はまだひとつも輝かない。
どこかにあるはずの月も浮かび上がらない。
道標は、灯台は、たったひとつしかない。
風が微かなカレーの匂いを運んできた。
「―――っ」
歩き出す。
「あ……」
が、そこでまたしても重大なことに気付く。否、思い出す。
「……何しに行くんだよ」
先週までは、家庭教師という大義名分があった。
何故か先方の台所事情まで把握してスーパーに行き「今晩のおかずは何にしようかしら」などと考えていた。
今回は何もない。
玄関先で用を訊かれても、何も答えられない。
「う~ん……」
―――人ン
「ふふっ」
口角の上がった顔を、左右に振る。
そういえば、学期終わりだからみんなで打ち上げでも、と話していた。
あれは明日の話か。
常識で考えればそうだが。
俺は普通の学生の常識を知らん。
もし、家に誰もいないならばまだいい。
最悪なのは、姉だけが在宅な時だ。
などと考えている間に、マンションの前まで来てしまった。
「どうする……」
何しに来たのか、ここまで理由がないのも珍しい。
マンションの周りをふらふら、ぐるぐると歩き続ける。
と、帰宅してきた住人に怪訝な表情を向けられる。
近くのコンビニまで逃げ、しばらくしてから戻ってくる。
まずい。
これでは本当に不審者でしかない。
歩く。
止まる。
歩く。
歩く。
逃げる。
歩く。
止まる。
歩く。
20分、いや30分は経ってしまっただろうか。
「はぁ……」
俺は何度目か分からん溜息をついた後、
「あはは……」
棒読みの笑い声を漏らした。
「……」
立ち止まった。マウスガードを外した。空を見上げた。目を閉じた。素顔で湿気の多い空気を吸った。吐きながら
透き通る青と透明な赤が、昼と夜に隙間を作っていた。
いや。
滲んでいるのは―――。
また目を閉じた。
鼻を啜った。
「……よし」
怪物は、自分の望みが果たされないことを分かっていて、敢えてフランケンシュタインに難題を押し付けたのではないだろうか。
「もういい」
なんて、ただの小説の解釈問答はあとにしよう。
マンションの自動ドアをくぐる。
エントランスのインターフォンで部屋番号を入力し呼び出しボタンを押す。
身体を一瞬たりとも止めはしない。何も考えないことを意識した。
そして、ピンポーンという間の抜けた音が絶望的に響いた瞬間、気付いた。
どうして俺はこんなにさんざんウジウジもだもだしておいて「もう帰ろう」と思わなかったんだろう。
『はーい』
ふわりと弾む風船のように声が届いた。
「お……」
と、こちらが何か言う前にオートロックの自動ドアが開いた。
「……早いな」
これは予想外だった。
脳内でやってきたシミュレーションは、この時点ですべて台無しになった。
『何してるのよ。早く入りなさいって』
「……うん」
いつも通りの声が俺を導き、背を押した。
歩く。
なんだ。
やけに軽いな。
エレベーターから降り、部屋のインターフォンを慣らすタイミングで、
「ふふん。どう? タイミングバッチリでしょう!」
いつも通りの、何にも考えてなさそうな適当な部屋着。
「
「……ああ」
そうだな。
綺麗な顔してるくせに。
無邪気過ぎるんだよ、いちいち言動が。
「あら、今日はもうマウスガード外してるのね」
「ああ」
「ふぅん。……上がったら?」
「ああ」
「ああ?」
「ああ」
「ふふふ」
笑われた。
だが。
「どうかしたの?」
なおも玄関先に突っ立っている俺に、次第に表情が変化する。
「……いや、もうずっとどうかしてるというか」
「うん? ……よく分かんない」
「
「ふふっ。なにそれクイズ? 私あなたほど頭良くないから正解できないわよ」
不自然な沈黙がやってきた。
「……なんでって、そりゃあ―――遊びに来たんでしょ?」
「ふっ」
「え、なんで笑ったの!? 違うの!?」
「いや、そうじゃなくて」
彼女の言ったことは間違いだ。俺は頭良くなんてない。バカだ。本当に。
「そりゃそうだと思ったんだ。二俣の家庭教師も、もう終わってるしな」
「う、うん」
そんな怯えた表情をするな。
もう厳しく叩き込んだりしないから。
できないから。
「今日は食材も、お菓子も持ってきてないし」
「うん」
なにが好みなのかは、だいたい分かった。俺のレパートリーも増えた。
「あし……違う、9月からも、弁当、たまには……待って―――ッ……!」
喉がせぐり上がるとでもいうのか、ヒック、という音がして声がひっくり返ってしまった。
慌てて口元を押さえる。
ああいやだ。
嫌いなんだよ。自分の顔を触るの。
「……んん゛ん」
タンを切って喉を落ち着ける。だが頭はすでにしてグシャグシャだ。足元までフワフワしてきた。遅れてきたバス酔いか?
「……ぁさってから、夏休み、だな」
前後も脈絡もなさ過ぎる発言をしてしまう。
また笑われるなと思ったら、彼女は真顔だった。
真顔のまま、言った。
「それを言いに来たの?」
人ん
そのおかげで、
「いや、違う」
俺も冷静になれた。
そうだ。
もう夏休みだ。
つまり、今ここで気まずいことを言っても、一ヶ月半は会わずに済む。登校日は―――仕方ない、家庭の事情とか適当こいてサボるしかない。
天使(と呼ばれるただの女子)が仕向けた(かもしれない)、お化け(仮)運転手にもエールを送られたしな。
言うだけ言ったら、回れ右して帰ってしまえ。
「二俣―――ゲフン……二俣、吏依奈―――さん」
なにこれ喉でぇら渇いとるがね。水欲しい。あとでもらお。
「好きです。付き合ってください」
「はい」
「……じゃあ、俺はこれで―――」
―――ん?
「は? ちょっと待って」
そのまま帰ろうとした俺の手を、吏依奈が掴んだ。
「どこへ行こうとしてるの? あと反応薄くない?」
「……そうだ。水くれない? なんか軽い脱水おきとって」
「それは大変だけど! その前によ!!」
「ああ、うん」
なんだっけ?
なんか「はい」って言ったな。
付き合ってくれませんかって言ったら「はい」って答えたな。
―――ほぉか。
「ちょっと何を言っているのか分からない」
「なんでよ!!?」
近所迷惑な大声。
そうそうこれこれ。
いつものペースになってきた。
「あの、二俣―――」
「吏依奈」
「―――吏依奈、自分が学校の連中からなんて言われてるか知ってるか?」
「言ってごらんなさいよ」
「……いや、いい」
「でしょ? どうでもいいのよ、そんなこと」
「せやかて」
「……割と余裕ね。さっきまで今にも死にそうな顔してたくせに」
「そう、それ! 顔!」
「顔? あなた、私のこと顔で好きになったの?」
「……そういうところも、ある」
「へぇ~」
うん違った。
いつもとは違う。
なんか握られている。
流れがこっちに来ない。
「そうね。簡単なお返事だけじゃ、フェアじゃないわね―――えいっ」
と、俺の両頬をパチンと叩き、そのままムギュッと潰す吏依奈。
「あなたが好きだって言ってくれる私の顔もね、いつかはシミだらけでシワだらけで、まぁとにかく見るも無残な状態になるのよ。きっとね」
「―――むぐぐ」
反論ができない。こいつ……力で……!
「身体と同じに、心だって変わるわ。
吏依奈は自嘲気味に笑う。
「でもね」
ゆっくり頬に掛かっていた荷重が解かれていく。
「期待しちゃったんだ。あなたと、その、一緒に……ね」
俺は手で、吏依奈は自分の言葉で、完全に赤くなった顔で、お互いに向き合っていた。
「相楽秀和くん。
……えっとね。いっぱい悩んで、たくさん勇気を出して言ってくれて、すごく嬉しかったよ。
―――うん。
私も、あなたが好きです」
顔は開放されたのに、声は出なかった。
「あ、そうだ水! 今取ってくるっていうか中に入って―――ってええ!? 大丈夫!!?」
もう、立っていられなかった。
もう、泣き声を我慢できなかった。
もう。
もう、ひとりぼっちでは生きていけなくなった。
【最終話に続く】
キャラプチ紹介
☆今まで彼氏(彼女)っていたことある?
(-_-メ)和)(吏`・ω・´) 今できた。
(@*'▽') 秘密。
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