(吏`・ω・´) どっちかでいいから……おさまって。
行きは完全に別の路線だが、帰りは途中までくるりと一緒のバスに乗れる。
留年してからは、それをずっと楽しみにしていたところさえもあった。
しかしこれも先々週から、バラバラになる日もできた。
くるりは、言えば待ってくれるだろう。
でも私が自立せねばならない。
そう、思っていたから。
「
校門で、私が一人になるところを待ち構えていた連中に気付けなかった。
いや、別にそんな悪い人たちじゃないんだけど。
だからこそ、厄介というか。
「久しぶりだね。覚えてる?」
「ふふっ。そう言われて、どう返したらいいの?」
さすがにそこまで薄情ではないという意味を込めて言ったら、笑ってくれた。ひとまず、安堵する。
「何かご用ですか、先輩?」
同い年の三年生。
元クラスメイトたち。
「ふふ。ちょっと、時間あるかな」
「バスが来るまでなら」
いまわしいことに、さっき出たばかりなのでまだ10分もあった。
「私たち、これから勉強会やるんだけど」
「今日は高2の復習やる日なんだよね」
「よければ、二俣さんもどうかなって」
やや苦しい誘い文句に、文字通り彼女たちの苦心が察せられる。
要するに、勉強で苦労している私を心配してくれているのだな。
……困ったな。
なんなら、もっとずけずけ言ってもらいたい。
「同い年の先輩たちが勉強教えてやる。ありがたく思え!」くらい。
そうしたら、私だって断りやすいのに。
と。
そんな風に考えてしまう自分に腹が立つ。
「……そうね。えっと―――」
ああ、分かってるとも。
この人たちはぜんぜん悪くない。
それが分かっているからこそ辛く感じる。
そう感じてしまう自分を嫌悪して、また辛い。
劣等感は嫌悪感を呼び、自分を劣っていると感じる。
“自家中毒”って、こういうことなんだろうなと学習する。
「……」
何も言葉が出てこない。
「あの、二俣さ―――」
「おい」
そんな私を案じる声に、違う声が被さってきた。
「なにやってるんだ吏依奈」
「……へ?」
なんで……?
なぜか相楽がいる。
どういうわけか素顔で。
灰色の服に黒いジーンズのラフな格好で。
「……どなたですか?」
一人が代表して質問した。
そうか。
素顔の相楽ってほとんど誰も知らないから。
それに、いつもより顔の傷が目立っている印象だ。
化粧、してないんだ。
「俺は―――」
相楽はさらりと言った。
「こいつの家庭教師です」
いや無理がないその設定!?
「どうして、家庭教師の人がここに?」
「何かと真っ直ぐ家に帰らずサボろうとするから、車で迎えに来たんだ」
人を勝手にサボり癖な生徒にするのやめてもらえないかなと思ったが、この場をやり過ごすために飲み込む。
「なるほど」
おい納得するな元クラスメイトA。
「本当なの二俣さん?」
「ええ!? ……えっと、その」
「何とか言えよ、年増の高2」
「ダブりは一年だけよ!」
つい叫んでしまった。
でもこれは相楽が悪い。
「事情知ってるっぽい」
「そういう雰囲気あるね」
「二俣さんとも仲良さそうだし」
何故か受け入れられている。
「あの、先生? は、どこかに登録している方ですか?」
「いや、こいつの姉に頼まれてやってるただの院生だよ」
「なるほど」
彼女たちは、私の家庭の事情もある程度分かっている。“親”ではなく“姉”ということで納得したようだ。大学院生というのも、何だかそれっぽい。
「何の教科を教えられているんですか」
「ぜんぶだよ。今日は九九の七の段」
「そんなわけないでしょ!!」
条件反射で叫んでしまった。
「ふふっ」
「なんか珍しい」
「二俣さん、そんな大声出すんだ?」
また、場の空気が弛緩した。
相楽も「それでいい」という表情。
なんか腹立つな。
……あ。
そこで私は気付いてしまった。
空気に反比例して、彼の顔が徐々に青ざめていた。
「はぁ、過保護な先生を持つと苦労するわね」
「……っ!?」
私は相楽の腕を持つと、足早にそれを引っ張っていく。
「車はどこに置いてあるの?」
「向こうの、角だ」
「そう。じゃあ、そういうことだから私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「は!? あ、うん。分かった、よ」
「勉強、頑張ってね……」
「大胆……じゃなくて! うん、またねっ!」
何やら困惑している元クラスメイトたちに首を傾げながら、私たちは二人で歩き去っていく。
「二俣」
「なによ」
「もう腕を離してくれてもいいぞ」
「……あ」
私は、ずっと相楽の腕にギュッと抱き着いた状態のままだった。
「あ……あ……」
「おいおいまさか」
これじゃあまるで男女のカッ…………―――
「~~~!!!!」
耳が、顔が、身体全体が熱くなっていく。
「あわわわわわわ」
感情が、臨界点を突破した。
「あぎゃあああああうぷっ!?」
「閑静な住宅街で叫ぶといよいよだからマジでやめろ」
手で口を塞がれる。
大きな手だった。
顔が近い。
「にゅうううううう……」
「にゅ?」
大噴火は免れたが、私はぷしゅ~、と恥ずかしさに萎んでいった。
※※
パンクしてから復帰するまでの記憶がない。
気がついたら学校の外をぐるっと回ってまたバス停に戻ってきていた。元同級生たちはもういなかった。
バスが来るまで、あと一分。
「こんなに早く借りが返せるとは思わなかった」
「借り……?」
「俺の自己満足だから、気にしなくていい」
「……うん」
私はそれよりも訊きたいことがあったが、質問を先回りするように相楽が言った。
「そこから二俣たちが見えてな」
指差した先は、正門がある大通りを挟んで反対側の、一軒家の二階の窓だった。
「あそこが俺の部屋」
「近いわね。羨ましいわ」
その立地とそこに住む男子に助けられたというわけか。
「今日は、どうしてお休みしていたの?」
「まぁ、“いろいろ”だ」
「“いろいろ”、ね」
バスが来た。
「明日は来られる?」
「多分な」
「そう。じゃあ、また学校で」
後ろのドアから乗り込む。
「ねぇ」
ステップをひとつ上ったところで、振り向く。
「借りが何なのか知らないけど、お礼は言っておく。ありがとう」
私は、彼の顔から目を逸らさないように言った。
「その顔に助けられたわ」
言い終えると背を向け、足早にバスの中へ駆け込む。
マウスガードを外してきたのは、芝居をするためだろう。
でも、いくら近いといっても、私が困っていることを察してから家を飛び出して駆け付けるまでに、化粧をする余裕なんてない。
彼は、優先してくれた。
―――言葉が足りない。
―――何を優先?
―――誰を優先?
「…………」
私は一番後ろの座席に座る。
バスが発車する。
「おちついて……おちついて……」
私は、両手で口を押さえた状態のまま動けない。
「おねがい……」
もごもごと呟くのが精一杯。
「どっちかでいいから……おさまって……」
強い西日が私の顔色を誤魔化してくれていたのが、唯一の救いだった。
【続く】
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