第5話 チキンな純情少年は、理想と現実の差に迷い続けている。
「ん~……あたしはあたしで好きな中華作ってるし、右近くんは右近くんで好きなカレー作ってるって感じですねー……」
部室のテーブルを会議室風に組み替えた料理部室で、華憧がそう言って顧問の唐子を見る。
顧問の唐子はそれで? と言うように華憧へ視線だけを送り、先を促した。
「確かに右近くんも中学の頃と比べて格段にカレーが上手になりました。あたしも、作れる料理の種類が増えてます。活動自体もちゃんと時間を取って行ってます、が……」
「なるほどな……。とどのつまりは二人じゃ活動や成長に限界がある。そういうことだろ?」
一瞬だけ玖明に目線を送った唐子が、言葉を詰まらせた華憧の言葉を引き継ぐように締めくくった。
覇気のない表情の中年男性。
身長は右近よりも頭一つ分くらい低いくらい。
教師にしてはだらしない印象の無精ひげを中途半端に生やす、いかにも「冴えない中年」にしか見えないが、時折料理の感想などでクリティカルな意見を発する不思議なおっさん。
右近にとって、顧問の唐子はそういう存在だった。
「確かに二人だと食後の感想戦で切り口が凝り固まってくる上に、浅黄も青山の姉ちゃんも、作る料理のジャンルが偏っているからなあ……」
唐子が今度は右近と華憧を交互に見ながらそんなことを言う。それに乗じるように、華憧が手を挙げた。
「あと申し訳ないですけど、あたしもここに出入りできるのは今年が最後です。秋の文化祭で引退しても卒業までなら一応去年の部長たちみたいに出入りできるかもしれませんが……。さすがに右近くんをここで一人料理させ続けるのも気の毒ですし……」
言葉を濁しながら華憧もまた玖明を流し見るが、玖明は小さく首を振った。
「まあ、妹ちゃんは部の存続のために名前貸してくれてるだけだからな。本来料理部は今年の春の時点で廃部になってもおかしくなかった。妹ちゃんが名前を貸してくれたおかげで存続はとりあえずした訳だが、先のことを考えてもやはり新入部員は欲しいとこだな。浅黄はどう思う?」
「俺っすか……?」
唐子に話を振られ、右近は少し考えこむ。
正直、右近がこの料理部に出入りし始めた頃と比べて彼の料理の腕、というかカレーの腕は格段に伸びている。
あの頃は部員の先輩たちみんながすごい師匠に感じられたが、今部員を誰かれ構わずに募集したところで、華憧より優れた部員や、右近の成長につながる人材を連れてこれる確証はない。
とはいえ、中学時代の最後に大けがをして「やりたいこと」をできなくなった華憧が、高校で新しく見つけたのがこの「料理部」なのだ。
華憧画ようやく見つけた「新しい道」であるこの部活を、簡単に潰すのはなんだか申し訳なく感じられた。
「俺は……正直、ハナねぇ……部長が最後まで楽しく活動できるなら、今のままでもいいと思ってますね。新しく人を増やせばそれだけ、面倒ごとが増える可能性もありますし、新しい部員が俺たちの活動にいい内容を与えてくれるとは限らない。俺はあくまで料理がうまくなりたくてここにいるんで」
「右近くん……」
「でも、反面部長や先輩方が守ってきたこの料理部が、来年の春になったら潰れるというのも、寂しい気がします。俺はカレーしか作れないけど、俺のカレーはここでお世話になったから美味しくなった。それだけは確かだし、それだけ恩を感じているっていうか……ははっ、なんか照れくさくていけないっすね」
「いや、その気持ちは大切な感情だ」
鼻を掻き掻き、照れ笑いを浮かべる右近とは対照的に、唐子は珍しく真剣な表情で頷いていた。
「自分の気持ちの通りに動く。それは大切なことだ。特に若い頃はな。人はそれを忘れてしまうことを『成長』と呼ぶが、大体その『成長』は後悔を生むんだよなぁ……」
まるで自分のことのように語る唐子に、部員たち三人が微妙な顔をする。
「そういや妹ちゃんは他に何かやりたいこと、あるのか?」
その雰囲気を察知したかのように、唐子が間髪入れず新たな話題を玖明に振った。
自分に話が振られるとは予想していなかった玖明だが、彼女は顔色を変えることなく「私は元々一つのことに打ち込むタイプではないので」と即答する。
「そっかそっかー。なら部活ってのはしんどいわなあ。あわよくばここの活動に参加してもらおうと思ったんだがなあ……」
唐子の言葉に、右近は昨日の下校時に玖明と交わした会話を思い出す。
もしも、俺がカレー屋への夢や未練を断ち切ることができれば、玖明は俺のことを好きになってくれて、この部室で姉妹二人と三人で仲良く料理する日常が得られるのだろうか。
「ま、新入部員に関しては引き続き募集しよう。誰かアテがある人は紹介してくれよな」
右近がそんなことを考えていると、いつの間にか唐子がミーティングを締めている。
「あ、そういや玖明!」
でも、今日はせっかくの機会なのだ。このまま解散するのはもったいない。
「この部室に来たの、今日が初めてだろ? せっかくだからなんか食べてくか?」
正直、今日はミーティングの日だと聞いていたからあまり乗り気でなかったけど、玖明と同じ時間を部活中に過ごせるというのは嬉しい。
そう思って声をかける右近だったが、
「やめておくわ。姉さん、それより少し買い物につきあってくれない?」
「え、でも右近くんが……」
「浅黄君はいいの。姉さん時間、大丈夫かしら?」
「うーん、あたしは大丈夫だけど……」
右近と玖明を見比べ、華憧は最後に小さく「ごめんね」と右近に謝って玖明と共に教室を出ていく。
「ははっ、夢を追い続ける少年には世知辛い学園生活だな!」
「追う夢があるだけマシっすよ」
「ちがいねぇ」
取り残された右近に絡んできた唐子を軽くあしらう右近だが、その声には元気がない。
……俺はこのまま夢を追い続けても、誰も幸せにできないのではないだろうか。
モヤモヤとする心境の中、まだ仕事が残っているから帰れないとぼやく唐子と別れ、右近は一人帰路につくのだった。
◇◇◇
右近の休日は忙しい。
土日も当たり前のように昼過ぎまで仕事で帰ってこない両親に代わって朝から家事を行い、こうしてカレーを作っているとあっという間に昼過ぎだ。……もっとも、両親の事情に関係なく、部活が休みの土日はほとんどこうして家でカレーを作っている訳だが。
「ん~……あまり煮詰めすぎてもなあ……」
いつものルーティンのため閉じていた瞳を開き、厚手のフライパンの中でグツグツと煮立つ黄色がかった液体の表面を見る。少々長すぎたかもしれない。そう思いつつ、右近は火を止めた。
コンロの上には二つのフライパンが乗っており、内一つのフライパンに入ったカレーはすでに完成している赤みがかったカレーだ。右近得意のトマトベースで作ったチキンカレー。よく炒めた玉ねぎとホールトマト缶に市販の鳥ガラスープのもとで作ったスープを混ぜ、ヨーグルトとスパイスでマリネした鶏もも肉と手羽中を煮込んだカレーである。
「さて、味の方はっと……」
ティースプーンを使って、今しがた火を止めたばかりの新作・グリーングリーンカレーを味見してみる。
濃厚なココナッツミルクの風味に、隠し味のキウイの酸味がいいアクセントだ。刺激的なグリーンチリの辛味も手伝って、パンチの効いた味に仕上がったと思うし、初めて作ったレシピにしては上出来だ。
……あとは塩で少し味を調えてカレーを冷ましてスパイスをルウ全体になじませれば、さらに美味しくなるだろう。
だというのに……。
――彼女にあんな顔をさせている君に、彼女の隣にいる資格はないね。
昨日、別れ際に放たれたあの女の言葉が脳裏にこびりついて離れない。
玖明が時折見せる寂しげな横顔は、クールな外面で取り繕いきれなくなった、彼女の本音だ。
右近は、確かに玖明のためにカレー屋を目指し始めたし、最初は彼女だってその夢を応援してくれていた。
だというのに……。
いつから彼女はカレーを嫌い、拒むようになったのか。
その原因が他ならぬ自分にあることを、さすがの右近も察していた。
もしも、俺がカレー屋になることを諦め、玖明の気持ちを受け入れれば、玖明は幼かった頃のようにまた笑ってくれるだろうか。
あの、初めてカレーを作って食べてもらった時のような笑顔を再び、見せてくれるだろうか。
……分からない。
分からないけど、それはなんか違う気がした。
「お、右近。今日もカレー作ってくれたのか!」
いつの間にか鍋から昇る湯気は消えている。
突如開いた扉から現れたのはスーツ姿の父だった。彼は部屋中に充満したスパイスの香りを味わうように鼻をひくつかせ、満足そうに頷いた。
「最初はこのスパイスの匂い、きっついなって思ってたんだけど、右近も大分カレーの腕を上げたからな。最近はこの匂いを嗅ぐ度に『またうまいカレーが食える!』と口恋しくなるんだよな」
「そりゃ親父がスパイスに慣れただけじゃないのか?」
「いやいや、お前の腕は確実に上がってるよ。これだけ頻繁に食わせてもらってたら分かるさ。そろそろ他の料理も挑戦してもいいんじゃないか? ああ、昼まだだから腹減ったな! 早速食わせてもらおうか。母さんも昼まだだって言ってたし、もうじき帰るよ」
一方的に浮かれた様子で告げて着替えに向かう父を見送り、右近は再び考えた。
本当に、俺は腕を上げているのだろうか……?
父の言葉通り自身の実力が向上しているならば嬉しいが、右近は先ほどの味見の感覚ではそこまで自身の成長を感じられなかった。
二つのフライパンをコンロに乗せ、火にかける。
鍋全体に熱が通ったらすぐに弱火にして、ゴムベラで鍋のふちや底をこすりながら中身をかき混ぜる。なんでも、スパイスの溶け込んだ油や旨味が鍋のふちや底につきやすいらしく、こうすることでその成分がカレー全体に馴染むらしい。
右近が調理していると着替えた父、そして帰宅したばかりの母が部屋に入ってきた。
「あらー。今日もいい匂い。右近がカレー作ってくれるから土日は仕事帰りが気楽でいいわあ」
「確かにこうしてご飯作ってくれてると母さんも助かるよな」
「ええ、だって父さんは何も手伝ってくれないもの」
「俺は食べる専門だから、いつも的確な乾燥言ってるだろ?」
「よく言いますこと。いつもうまい、しか言わないのに」
「嘘偽らざる感想なんだから仕方ないよ」
盛り上がる両親の会話に参加することもなく、右近は皿の盛り付けを完成させていく。
ご飯を皿の真ん中に。それを仕切りにして皿の右にトマトチキンカレーを、皿の左にココナッツミルク仕立てのグリーングリーンカレーを注ぐ。
刺激的な湯気の香りが右近の鼻腔をくすぐった。肉の具材は共にチキン。
このカレーを玖明がもし食べてくれたら、どんな反応をしてくれるだろうか……?
一瞬、そんなことを考えて右近は小さく頭を振った。それはもう、現実的ではない妄想に過ぎない。
「いただきます」
「いただきまーす」「いただきます!」
テンションの高い両親とは対照的に、右近は自身の作ったカレーを食べ始める。トマトチキンカレーは部室で前回作った時と同じレシピだし、ほとんど印象は変わらない。トマトとヨーグルトの酸味に鶏出汁のこってりした風味に鶏もものジューシーな食感。いずれも、玖明がカレーを食べなくなってから右近が得た要素だ。
そして……問題は新作のグリーングリーンカレー。
一口、ダイス状にカットしたナスと共にスープ部分を口に運ぶと、先ほどよりほどよく味がまとまっている印象を受けた。
美味しいか美味しくないかでいうと、間違いなく美味しい。
それは両親も同じなのだろう。実際しきりに「美味しい美味しい」と言いながら勢いよく皿を平らげていってくれているから、このカレーが美味しいのは間違いないのだろう。
だというのに……。
いつから、右近は自分のカレー作りに充実感を抱けなくなってしまったのだろう。
そんな暗い考えに囚われていると、次第に鮮やかな酸味も刺激的なスパイスの香りも口の中で意味を成さない情報へと変わっていく。
ああ、これが俺の今の味、か……。
そんなことを考えると無性に寂しい想いに押し潰されそうになっていく。
「……悪ぃ、片付けはまた夜やっておくから置いといてくれ。少し休むわ」
「ん? 具合が悪いのか?」
「いやいや、ちょっと疲れただけだって」
次に気付いた時には心配する父に手を振り、逃げるように自室へ向かっていた。
人に美味しいと言われるのは幸せなはずなのに。
それを幸せに感じられなくなった自分を見つめるのが怖かったから、右近は乱暴に自室のベッドに身を投げ出し、睡魔に身を任せて思考を停止した。
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