第2話 チキンな純情少年は早口でスパイスを語る。

 料理好きの人間の周りには、料理好きが自然と集ってくる。

 それはカレー好きの右近にも当てはまることで、彼は教室で毎日のように食べることや料理することが好きな男女から話しかけられていた。

「ねぇねぇ、浅黄君! こないだ黒多(くろだ)君と料理の話してるの聞こえてきたんだけどね……」

 高校一年の四月にしてすでに「浅黄右近はなんかよく分からないけど、とにかく変わった香辛料を色々知ってる料理好きな男子」という目でクラスメイトからは見られているらしい。

 ちなみにスパイス料理のレシピこそいくつか引き出しはあるが、料理が「得意」だとは右近自身全く思っていない。

 だが、目をキラキラさせながら話かけてきた女子の集団相手に今さら「いや、俺料理はちょっと……」と言い出すことも気が引けて、右近は引きつった笑みを浮かべつつも話しかけてきた三人組の女子たちに向かい合っていた。

「えっと、浅黄君が詳しいスパイスってね。お菓子作りにも使えるの?」

「実はあたしたち、料理はできないけどお菓子は結構作っててね!」

「そうそう、まあ仲間内で交換してるだけなんだけどね~。浅黄君がよく話してるスパイスも使えたらカッコいいねってなってさ!」

 本来は右近も積極的に女子の輪に入って話をするタイプではない。

 だが、そこはオタクの悲しい性。

 自分の大好きなものの話になると相手が誰だろうと、目を輝かせ早口になってしまう。

 もちろんカレーオタクの右近の場合もそれは同じである。

 彼の場合「カレー」や「スパイス」という単語が、常にスイッチとなってしまうのだった。

「ああ、スパイスを使ったお菓子作りは面白いぞ! たとえばクッキー一つにひとつにしても使うスパイスの種類で全くの別物になる訳だからな! いわばスパイスは料理全般において無限大の可能性だ!」

「あはは、浅黄君むっちゃ熱弁になるじゃん!」

「でも料理どころかお菓子まで作れる男子ってなんかいいよねー」

「浅黄君はお菓子もよく作ってるの?」

「気分転換に余ったスパイス使って作るんだけどよ。それでかえってカレー用のスパイスまで使っちまうから困るんだよな……」

「何それむっちゃお菓子大量生産じゃん! スイパラみたいな?」

「あー、でもお菓子とは言ってもスパイスを使った少し変わったインドとかタイとかベトナムの甘味だったり、カレーに合わせるために作ったヨーグルトだったり、みんなが知ってるスイーツとは少し違うかもしれないけどさ」

「そうなの? あー、でも確かにスパイスって辛そうだし、そんなんでケーキとか作ったら確かにやばいかー」

「ははっ普通はそう思うよな。でもそれが全然やばくないんだよなあ! そもそも、スパイス=辛いと思ってる人は多いだろうけど、実際に辛いスパイスって唐辛子系のスパイスとか一部だけでさ。たとえばケーキとか紅茶とかに時々入ってるシナモン。あれだって立派なスパイスの一種なんだぜ?」

「え? 嘘? ってかシナモンなら私の家にもあるし!」

「お、そうか。じゃあ今度シナモン使ったスイーツのレシピ、まとめて来ようか?」

「えー、本当に? じゃあお願いしよっかな!」「あ、私も私も!」「私もお願い!」

「お、おう……あ、けど……」

「あれ、浅黄君どうしたの……?」

「あー、いや。なんというかさ……。料理は好みだからな。スパイスに限らず。作るかどうかはレシピ見てから決めてほしいっていうか……」

 右近が普段話さない女子相手でも、一たび彼がスパイスについて語り出すといつの間にか盛り上がってしまう。

 だけど人だかりを作ってしまったことに気付いてから、いつも通り右近は急に及び腰になり始めた。

 カレーとスパイスのことばかり考え続けてきた浅黄右近十五歳、スイーツへの情熱を燃やす女子集団と素面で話すにはまだまだ苦労しそうであった。

「……やあ、スパイスの君は朝からモテモテじゃないか。羨ましい限りだな」

 そんな彼の元へようやく救世主が現れた。

 先ほどまでの勢いはどこへやら。

 挙動不審なコミュ障男子高校生と化した右近の肩を労わるように軽くポン、ポンと叩く存在に右近がすがるように振り返る。

 立っていたのは予想通り、身長一七六センチの右近よりさらに少し背の高い、眼鏡をかけたやせ型の少年。

 右近の親友であり鉄板焼き屋の息子でもあるクラスメイトの黒多誠司(せいじ)だった。

長身に黒ぶち眼鏡をかけた「落ち着いた美青年」という印象の誠司が割って入ると、さすがに女子の集団も大人しくなる。

 右近は小さな声で「さんきゅ」と誠司に礼を言って、廊下の方へと避難し始めた。

「しかし、俺は鉄板焼き屋のせがれだからお好み焼きや焼きそば、よく頑張ってステーキや野菜炒めくらいまでしか知識が及ばんが、浅黄のはかなり守備範囲が広いようだな。あのスイーツ脳たちまで食いつかせるなんてこのプレイボーイめ」

「やめてくれよ。それに俺もスパイスとカレーのこと以外はからっきしだよ」

 誠司は鉄板焼き屋の息子というだけあって、料理や食事に関する知識もそこらの男子高校生と比べるまでもなく多い。

 だから、右近にとって誠司と香風学園に入って知り合えたのは幸運であった。

「しかし、鉄板屋の息子にしろカレー屋の卵にしろ、それだけの知識ではやっていけないのが難しいところだな。浅黄もそう思って色々勉強している口ではないのか?」

 席に腰掛けながら、誠司が後ろの席の右近に問いかける。

 誠司は明言こそしないが、親の店を継ぐつもりでいるのだろう。

 そんなプロを見据えた彼との会話は右近にとって貴重な時間であった。

「んー……けど俺はやっぱカレーだな。俺はまずカレーを極めてから、他を見ていきたいと思うんだよな。そうしなきゃ……俺は目的を見失ってしまいそうだからな」

 答えながらも右近の視線は誠司のさらに先……一番前の列で静かに座っている少女の方へと向いている。

 長いストレートヘアーに、日焼けの後すらない雪のように白い肌。

 そのほっそりとしたシルエットは右近にとってもっとも大切な存在だ。

 青山玖明。

 右近の現在進行形の初恋の人であり、彼のカレーを作る動機となった幼馴染であり……料理部の幽霊部員でもある。

「ふむ……。浅黄は一本気な男だな」

 ふと振り返った誠司は右近の視線の先の玖明をすぐに視界に捉えたようだった。

 だがそれも一瞬のこと。すぐに視線を右近に戻し、真剣な表情で続ける。

「それがお前の美徳でもあるが……時には回り道して遊んでいくのも良いと思うが……」

「何やら迫真の表情……。きゅふ、これはもしや『成立』してしまっているのでは……?」

 そんなシリアスな雰囲気をぶち壊す気味の悪い笑い声が二人の間に割って入った。

 まるでもぐらたたきのもぐらのように右近の机の横から「にゅっ」という擬音が聞こえそうな動きだ。

「はぁ……」

二人の間に顔を出した眼鏡の少女に、誠司が言葉を止め、ため息とともに頭を抱えた。

「……桂妃(けいひ)。俺は浅黄と盛り上がってるんだ。邪魔をするならあっちに行ってくれ」

「きゅふ、誠司君が冷たい。ま、まあ、盛(サカ)ってるところに湧いて出たわたしはお邪魔虫だからね、しょうがないね……」

 少女、栗原桂妃はしょんぼりとした仕草を見せつつも、気味の悪い笑みを漏らし続けている。

 小柄な体躯にいつも寝不足なのか目つきが悪く見える。

 右近は入学間もない頃に桂妃と誠司が付き合っているのかと尋ねたが、双方にノータイムで否定された。なんでも二人は幼稚園以来の腐れ縁で幼馴染らしい。

「ところで、その、浅黄君は……『プラス同士の掛け算』は好き?」

「プラス同士……?」

 突然話を振られた右近は何の話だと首を傾げながらも答える。

「まあ、プラス×プラスはプラスになるんだから、プラスとマイナスの掛け算よりは分かりやすくて好きかな」

「そ、そうなんだよ! プラスとマイナスの掛け算はマイナス! つまりプラスとプラスの掛け算こそ嗜好! きゅふ、浅黄君、分かってる……。さすがは、誠司君専用の肉べん……」

「いい加減にしろ、桂妃」

「……ごめん」

 何やら不穏な単語を口走りかけた桂妃を、誠司が一喝し、桂妃もしゅんとする。

「すまんな、浅黄。こいつ、頭の中が腐ってるから発言もごみなんだ。忘れてやってくれ」

「ひどい言い草だなあ相変わらず栗原には。まあ、でも栗原の言う通り、掛け算は大切なんだよな。スパイス同士の相性、スパイスとスープのベースの相性。それらを掛け合わせることで、カレーには無限の可能性があるからよ」

「確かにロマンのある食べ物だよな。カレーって」

 右近のフォローに少し表情を和らげた誠司に、右近は「そうだろ?」と屈託のない笑みを浮かべる。

 カレーのことを考えるのが楽しくて仕方ない。右近のそんな想いが十分すぎるほど伝わってくる笑顔だった。

 だから。

「……バカみたい」

 いつの間にか近づいてきていた右近の大切な存在に、彼はその時まで気付いていなかった。

「おう、玖明。おはよう、朝は何食ったんだ?」

 ようやく玖明の存在に気付いた右近は何事もなかったかのように玖明に笑みを向ける。どうやら彼には玖明の言葉が聞こえなかったようだが、彼女の先ほどの言葉が聞こえたらしい誠司の表情は強張っている。

「……気安く教室で名前を呼ばないでくれるかしら、浅黄君」

「お、おう……」

 絶対零度というような温度感で言葉を返され、さすがの右近も言葉に詰まってしまう。

 右近が言葉を探す間もなく、結局玖明は教室から出て行ってしまった。

「……まったく、難儀な幼馴染を持ったものだな」

 やがて、誠司がとりなすように口を開いた。

「まあ、そういう俺も人のことは言えんか。それにしても、青山女史は今日一段と不機嫌な様子だったが。まあ、俺が割って入っただけまだマシだとは思ったのだがな……」

「? 誠司は関係ないだろ。まあ、玖明は昔から意外に短気だしな。今のだって大方トイレに行きそこなって不安だとかそんなんだと思うぜ」

「浅黄も浅黄だ。なんというカレー馬鹿か……」

 大げさにため息を吐き出して「まあ、それ故に浅黄は面白い男なんだがな」と微妙な顔をするが、右近はそんな友人の反応の意味が理解できず首を傾げるばかりである。

「何にせよ俺は応援している。カレー屋のことも、青山女史とのことも。うまくいくといいよな、全てが」

「カレー屋はともかく、玖明とのことはお前になんか言ったっけ?」

 最後までちんぷんかんぷんな右近に、誠司は最後まで苦笑していた。

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