第3話 先輩キャラ、顕現。

「ちょっと待ちなさい、伊波いなみさん」


 そう言って、由奈ゆいなが俺の腕を引っ張って、意気揚々と和室を後にしようとするのを止めたのは、長身に由奈ゆいなの対極に位置する大きな果実を二つ抱えた、目鼻立ちの整ったきれいな高校生から見れば大人っぽい女子生徒だった。


「なんですか。部長の鶴岡香織つるおかかおる先輩」


 由奈ゆいなが不機嫌なのを隠そうとしない口調で尋ねる。

 由奈ゆいなの言う通り彼女は、将棋部、唯一の三年生にして部長。将棋部のイメージ通りの学力と棋力、将棋部のイメージとは、正反対の容姿とプロポーションを兼ね備えた鶴岡香織つるおかかおる先輩。

 実は、かなりのオタクだが交友関係の狭さボッチからその事実を知る人は少ないという。


「分かりやすい、人物紹介ありがとう。

 貧乳、低身長、ペドに愛されていそうな伊波由奈いなみゆいなさん」

「……ッ、誰が貧乳よ!このボッチ!」

「……ええ、確かに私はボッチかもしれない。でもそれは、私が望んでしていることであって、その気になればいつでも周囲の人と仲良くなれるのよ。それに比べてあなたの胸は、永遠に貧乏、いえ貧困なままかもしれない。

くっ!私の胸を少し分けることができれば、解決できる問題なのに……」


 香織かおる先輩は悲しげに顔を伏せ、余りある胸をたぷたぷ揺らした。完全に煽っている。

 よく見たら、肩も小刻みに震えていた。

 腕に伝わる振動を感じて見ると、由奈ゆいなの肩も別の理由で震えていた。

 なんで、この二人って限りなく対極に位置してるんだろう…………。


 ◇◇◇


「ちょっと、悠人ゆうと。この問題どうやって解くのよ」


 そう言って問題へのイライラをぶつけてくるのは、俺の向かい側に座っているテンプレ幼なじみこと伊波由奈いなみゆいな


「ちょっと、悠人ゆうと君。私が教えてるんだから集中しなさい」


 そう言ってシャーペンの先で俺の手をつついてくるのは、俺の横に色々と密着した状態で座っている鶴岡香織つるおかかおる先輩。

 距離が近いせいで、良い匂いがしてきたり、体が触れ合ったりして、体温は上がりっぱなしで、まったく勉強に集中できない状態になっている。


 なぜこんな状況になっているのか。それは、香織かおる先輩と由奈ゆいなの喧嘩が終わった後に、〝ゲーム合宿〟と意気込んでいた由奈ゆいな香織かおる先輩が〝テスト勉強しろ〟とねじ伏せた。       

 代わりの妥協案として俺が勉強会を提案すると採用されたんだが、てっきり、部室でもある和室でやると思っていたのがなぜか俺の家ということになっていて、そのまま学校から家へ移動した。


 由奈ゆいなは俺の家に毎日のように来ているが、香織かおる先輩が来るのは初めてだ。

 勉強会は、折り畳み式のローテーブルを使って開催された。

 勉強会と言っても、課題は今日のうちに提出してしまっているから、ということで各自苦手な教科の復習となった。俺は英語、由奈ゆいなは数学、香織かおる先輩は国語。


悠人ゆうと君そこ分からないの?』


 そう聞いてきたのは、横に座っていた香織かおる先輩。


『そうなんですよね……』

『教えてあげるわよ』

 

 成績は優秀な、香織かおる先輩に教えてもらえるのは、正直大助かりだ。

(……ん!?)

 ただ、それは香織かおる先輩が向かい側に座っていたらの話だった。香織かおる先輩が教えると言った時には、俺との間隔をゼロ距離まで縮めていたのだ。体温が一気に上昇するのがわかる。


『ちょ……ッ!鶴岡つるおか先輩、悠人ゆうととの距離近くないですか』


 一問目の問題にずっとうなっていた由奈ゆいなが吠えるが……


『言いたいことがあるなら、まずその問題を解きなさい』

『……はい』


 香織かおる先輩の言葉に一蹴された。

 ちなみに由奈ゆいなが悩んでいる問題は、高一の終わりがけに習った数Ⅱの範囲。〝30度を弧度法で表せ〟という条件反射的に答えられないといけない問題だったりする。

 それで大丈夫なのかと心配になったから、香織かおる先輩も突き放すような言葉を使ったんだろう。

 だから、決して俺だけに優しい訳じゃない。変な勘違いをすると、〝あれ、香織かおる先輩俺のこと好きなんじゃね〟とか思い込んでしまうから要注意だ。


 ◇◇◇


 11時前に始まった勉強会は、昼ご飯休憩になった。

 午後も勉強会は続けるらしい。

 結局あの後、由奈ゆいなの数学が危機的状況にあることを知った香織かおる先輩が由奈ゆいなに指導してくれたおかげで俺も落ち着いて勉強することができた。ただ時々、嘆きが聞こえた気がしたが、必死にスルーした。


「お兄ちゃん、ピザが届きましたよ」

「ありがとう羽衣うい


 羽衣ういからの知らせで、休憩といいながらも勉強を続けていた由奈ゆいなと指導していた香織かおる先輩が同時に脱力した。


「やっと終わった~」

「いや、まだ〝図形と方程式〟の範囲しか終わってないだろ」


 清々しく達成感に浸っている由奈ゆいなだか、まだテスト範囲の半分の復習も終わっていない。大丈夫なんだろうか……。


「……お疲れ、香織かおる先輩」

「馬鹿だと思うことはあったけれど、あそこまで重症だったなんて……」


 香織かおる先輩は、机に突っ伏した状態でそう言った。

 初めは、ノリノリで指導し煽っていた香織かおる先輩だったが、由奈ゆいなの理解力の低さ加減に徐々にストレスが溜まっていき今のゲッソリした状態になってしまった。


「ちょっと、鶴岡つるおか先輩それどういう意味よ!」

「そのままの意味だけれど。だいだいあなたね、あの程度の勉強量でよくゲーム合宿とか言ってられたわね」


 由奈ゆいなと喋っていると香織かおる先輩が少し回復した。

 香織かおる先輩にとって三度の飯より由奈ゆいなを煽ることの方が活力になるらしい。



「いただきまーす」


 リビングに移動した俺たちは、羽衣ういといつの間にか帰ってきていた美空みそらと、一緒にピザを食べる。


「まさか、悠人ゆうと君に妹さんが二人もいたなんて」

「あれ、言ってませんでしったけ?」

「ええ、……悠人ゆうと君に女が居たなんて知らなっかったわ」

「ただの妹だからね!変な言い方やめてよ香織かおる先輩」


 香織かおる先輩がいつもの調子で放言ほうげんするせいで、羽衣ういなんて対応に困って苦笑いしちゃってるじゃんか。

 俺はただ単に忘れていたのと、何とも言えない空気を払拭するために、妹たちの紹介をすることにした。

 

「こっちが、長女の美空みそらで、こっちが、次女の羽衣ういです」

「初めまして」

「はっ、はじめまして。妹の羽衣ういです!」


 俺は、美空みそらと若干緊張した様子の羽衣ういのあいさつを聞いていて違和感を覚えた。

 その原因は美空みそらの無骨な自己紹介のせいだろう。

 美空みそらは、学校では性格をいつわっている。だから、てっきり香織かおる先輩には

『初めまして、悠人ゆうとの妹の美空みそらです。先輩と同じ丸校に通っているので、兄共々よろしくお願いします』

 と言って、お手本のような笑みを浮かべると思っていたのに……。


「初めまして。悠人ゆうと君の初体験の相手の鶴岡香織つるおかかおるよ。気軽にお義姉さんって呼んでいいから」

「初体験って将棋のだよね!あと、お姉さんって言葉に含みを持たせるのもやめてよ!」

「大丈夫よ悠人ゆうと君そんなに焦らなくても。あの時のことは二人だけの秘密だから」

「あの時、清也せいやも居たから!二人だけじゃないから!」

「…………2人でもなのに、3人でなんて不純です!見損ないました、お兄ちゃん!」

「ひッ!!」


 言葉のした方を見ると、今までに見たことのないような表情をした羽衣ういが、ゴミを見る目でこっちを見ていた。恐怖で息が詰まった。


 このあと、何とか誤解を解いた俺は、香織かおる先輩がよく冗談を言う人だと言い聞かせた。

 それにしても、羽衣ういが性知識を持っているなんて意外だった。

 俺の中では、羽衣ういは『赤ちゃんはコウノトリが運んでくるんです!』とか言うと思っていたのに……。


「でも、お兄ちゃん。今のはわたしの勘違いだったけど、そういうことは結婚式まではしちゃだめなんだからね」


 結婚式まで駄目とは、なかなかうちの妹は、学級委員長的なルールを厳守するタイプの子らしい。


「ねえ、羽衣ういちゃん」

「なんですか?香織かおるお姉ちゃん」

「お姉ちゃんじゃなくて香織かおるさんな」


 お姉ちゃんと言われた瞬間の香織かおる先輩の表情を見て、俺はすぐ訂正した。その時の表情はとろけるような形容しがたいものだった。


「……なんですか?香織かおるさん」

「お姉ちゃんで良かったのに……。

 羽衣ういちゃん、私たちが何をやっていたと思ったの?」

「…………き、」

「き?」

「きッ、キスですよね?」


 羽衣ういが顔を赤らめながら言ったのは〝S〟から始まる言葉ではなかった。


「ぷっ、ふふっ。悠人ゆうと君あなたの妹は、まだ純粋なままみたいね」

「へ?」


 羽衣ういが間抜けな声を出した。

 まあ、恥ずかしい言葉を言ったのに笑われたらこうもなるだろう。


「確かにそうみたいですね」

「えっと、お兄ちゃん、香織かおるさん何の話をしてるんですか?」


 俺は、羽衣ういがいる時はそういうシーンのあるアニメはリビングで見ないようにしようと静かに誓った。

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