(続) イモウト認定

 目を醒ますと、夕方になっていた。


 かなりの空腹感があった。身体が小中学生バージョンになったためだろうか。


 部屋の灯りをつけ、冷蔵庫を覗く。パックの焼きそば麺が目に入る。卵と野菜とソーセージもあるのを確認したわたしは、まだ見ぬ23歳の穂香ほのかに向け、

(ちょっと頂いちゃうね)と心の中で報告しておいた。


 フライパンを取り出し、ふたり分の焼きそばを作った。

 

 ずぞぞっと、フライパンの焼きそばの半分を一気に食べ終えてから、残りは23歳の穂香ほのかの分として冷蔵庫にしまった。お皿とお箸も洗っておいた。


 そして、わたしは、通勤カバンに丸めた状態で入れてあるスレートを取り出した。スレートを平らに展開し、てのひらに乗せる。掌認証により、スレートがわたしモードになり、四葉グループのアイコンがくるくると回転を始める。

 いつものアイコンが回転を終えるまでを見終えたわたしは、スレートをふたたび丸めカバンに戻した。

 

 アイコンが表示されている画面上で認証用の一筆書きをすると、スレートはインターネットにつなぎにいくことになる。

 ただ、わたしにその勇気はない。私用端末へのセキュリティ対策のため、スレートは、まっさきに四葉グループのセキュアな通信網につなぎにいく。勤務先がまだ三井ハイケミカルであるこの時代のネットワークに接続することは、ここに変な端末がありますよ~、とアピールすることになるはず。脳内年齢31歳のわたしにその勇気はない。スレートにはオフラインでも2055年の情報が格納されている。いずれ情報が必要となる時もあるかもしれない。

 

 机の上の時計でまもなく夜7時であることを確認したわたしは、灯りを消した。再び、安楽座スカーサナのポーズベッドの上に座り、目を瞑る。

 

 ☆


 十分ほどの後、玄関の方からカチャリという音がした。パチンという音と共に、玄関と部屋の灯りが点灯する。

 廊下を歩く音がして、部屋の扉が開く。現れたのは、部屋のカレンダー通りに、23歳と思しき凪沙野穂香なぎさのほのか。通勤ウェア置き場を前に立ち止まる。そこには、わたしの通勤スーツ一式がかけてあった。


「よっ。お邪魔しちゃってるわね」

 『凪沙野なぎさの』ジャージ姿のわたしは、落ち着いた声で、今宵に24歳を迎える穂香ほのかに、挨拶した。

 

 振り返った穂香ほのかは、灯りを落とした寝室のベッドの上で安楽座スカーサナのポーズをしているわたしを見つけ、

「ひゃっ?」

と声を上げた。

 それから、おそるおそる、わたしを見ながら、

「もしかして、摘希つむぎ?」

と言った。

 

 わたしは、安楽座スカーサナのポーズを解いて立ち上がる。そして、

「そういえば、隣室の摘希つむぎにジャージ貸したことあったもんね」 

と言いながら、わたしは23歳の穂香ほのかが立ちすくんでいるリビングへと歩みはじめた。

 中1の時の摘希つむぎは、学年でわたしの次に背が低かったし、ショートカットの色白さんだった。まぁ、今のわたしの姿を暗がりにいきなり見つけたら、わたしも、摘希つむぎの姿を思い浮かべるのかもしれない。

 

「でもね、お誕生日の前祝いをしにきたわたしは、凪沙野穂香なぎさのほのか。たぶん中学に入ったばかりの頃の」

といって、23歳の穂香ほのかの前で、凪沙野なぎさのジャージの両袖を軽く広げた。

 そして、

「ビッくらポンポンだよね?わたしも、そうなんだよ」

と、小学校の頃に母がたまに言っていた口癖を出して、笑いかけた。


 そこから10分ほど、わたしは今朝に部屋を出てからのことを、穂香ほのか(大)に話した・・・はじめの数分で、今のわたしよりも背が少し高くお胸も大きい23歳の穂香ほのかのことを、わたしは、穂香ほのか(大)と脳内で呼ぶことにした。

 

 わたしの通勤スーツの脇にかけてあるブラを指差しながら、急に緩んだのでコンビニでブラを外してしまったことを話す。そして、駅の駐輪場でわたしの先代のチャリちゃん、つまりは穂香ほのか(大)のチャリちゃんを見つけて驚いたことを。そして水元公園を通ってマンションに戻ると、エントランスやエレベータの掌認証も、部屋のキーもそのまま使えたことを。

 部屋に入ると、だいたいのものが記憶通りだった。PCを借りて、今が2048年3月2日であることを知った。混乱したので、とりあえず入浴した。


「・・・ということで、この姿に似合いそうな服ということでこのジャージを借りちゃったのね」

と言ったわたしは、通勤バッグから黒色のIDカードを取り出し、穂香ほのか(大)に渡し、どこでもいいから親指を触れさせてと言った。

 黒色のIDカードを初めて手にした穂香ほのか(大)の指紋が認証され、四葉蛋白質工業よつばたんぱくしつこうぎょうの社名とロゴと、凪沙野穂香なぎさのほのかという名が表示される。


 表示を見つめている穂香ほのか(大)に、

「これ、今のわたしが見たまんまの中学生の時のわたしではないという証拠になっちゃうよね」

と微笑んだ。


 そう、穂香ほのか(大)には、既に知っているのだ。会社の合併と社名の変更のアナウンスは今日から2ヶ月後くらいに開催される、親会社の株主総会で行われることになっている。けれども、新年に、三井ハイケミカルの社員には、四葉グループへの株の売買契約が締結され合併により社名が変わりますよ、と社外秘で通知がなされているのだ。


「そうね。ほんと、雛まつり前の大サプライズだけれど、まぁ、納得したよ」

 穂香ほのか(大)はわたしを見つめながら、ゆっくりと言って、初めての笑みを見せた。子供の頃、わたし達の誕生日は、雛まつりを兼ねて家族や友達に祝われていたことを、わたしは思い出した。


 そして、穂香ほのか(大)は

「ねぇ、夢伴ゆめはんに行こ? おなかすいちゃった」

とわたしに言った。

 わたしは、「そうね」と同意した。夢伴ゆめはんは、わたし達のおひとり様の伴侶とも言えよう、ご近所の和風ファミレスだ。


「ところで、わたしの外見年齢って何歳だと思う?」と聞いてみた。

中高生を卒業して久しいわたしの目には、たぶん中学生は入るか入らないかくらいだろうとしかわからなかった。


「そんなの、身長測れば、分かるじゃないの」

穂香ほのか(大)は言って、メジャーを取り出してきた。


 なるほど、と納得したわたしは、柱のところに立って背を伸ばした。穂香ほのか(大)が測定をして、わたしの身長は146.5cmと判明する。そして、冒頭で述べた計算式で、13歳と推定されたというわけ。わたしは3月生まれなので、外見年齢はほぼ中学2年生と確定された。


 メジャーを手にしたまま、穂香ほのか(大)は、わたしの頭をポンポンと叩いて、

「よし、あなたのことを、夢伴ゆめはんでは、イモウトと呼ぶことにするね。」

と、わたしを妹分認定して笑った。


 わたしは、

「わかった。」

とコクリとうなずいて、設定に同意を示すと、

「それで、お姉ちゃんよ、わたしはどの服を着ていけばいいかな?」

と尋ねた。


「う~ん、イモウトは、私の服はほぼほぼ似合わそうよね」

「そうだよね、お姉ちゃん」


 そう、穂香ほのか(大)の部屋には、今のわたしの見た目にふさわしい服はない。研究室で落ちこぼれ気味だったわたしは、なんとか決まった就職先で頑張ろうとインターンを始めることになった時に、社会人らしいスーツや、それらしい服をいつくも買い込んだ。そして、卒業後に、大学生の時の服の大体を古着屋さんにまとめて売ってしまっていた。

 

 寝室へと向かった穂香ほのか(大)は、スカジャンを手にして戻ってきた。

「これ、どうかな?」

 袖のところがコーデュロイな薄ピンクなスカジャン。

「あぁ、初鹿野はつかのさんの!」

とわたしは、目を見開いた。


 初鹿野はつかのさんは、研究室でのわたし達のひとつ後輩だった。卒業まで、大学のそば、すなわち、私の部屋から数キロメートルくらいのところに住んでいた。就職先の関係で小田急線の千歳なんとかというところに引っ越すことになった時、わたしが荷物詰めの応援に御宅訪問をした。手伝いのお礼のひとつに、と、初鹿野はつかのさんはこの可愛らしいスカジャンをわたしに手渡したのだった。

 身長152cmの初鹿野はつかのさんは、わたしと研究室のミクロちゃん仲間だった。このスカジャンは、清楚な雰囲気の初鹿野はつかのさんに若やいだ華を与えてくれていた。

 「似合ってるのに」

と言ったわたしに、初鹿野はつかのさんは

「これ着て元カレと歩いてたとき、多かったからね」、と弱く微笑んだ。

 あぁ、引越し先に持っていきたくないんだな、と納得したわたしは、きれいに焼かれた美味しいクッキーやなんかと共に、スカジャンを持ち帰った。

 

 中高生の頃に(願わずも)スパルタな生活を送ったわたしには、ちょっと、こここスカジャンは可愛らしすぎるように思えた。以来、スカジャンはクリーニングされたままの状態で、押入れに入ったままだった。

 

(存在を忘れていたなぁ)

と思いながら、わたしは、穂香ほのか(大)からスカジャンを受け取り、凪沙野なぎさのジャージの上に羽織った。


「おお、イモウトよ。さすが13歳。似合ってるよ」

穂香ほのか(大)に褒められた。


 わたしの31歳脳のどこかが、ちょい派手可愛い系のスカジャンを着ることに抵抗を感じてはいたが、他に外出の選択肢は思い浮かばない。慣れるしかないだろう。

 下も替えた方がいい、穂香ほのか(大)に言われ、わたしは緑のジャージを脱いだ。スカート含め穂香ほのか(大)のボトムスを何着か試着の末、濃いめグレーのレギンスパンツが選ばれた。ウェストサイズはベルトで調整だ。

 

 「よしっ、行こう」

と、穂香ほのか(大)は、わたしの手を取って玄関に引っ張っていく。少女系スカジャンを着たわたしを、完全にイモウト認定したらしい。

 

 エントランスを出て駐輪場に入り、わたし達はそれぞれのチャリちゃんにまたがった。

「チャリちゃん、買い替えたんだ?」

「そうだね」


夜で車通りも少ないので、わたし達は並んでチャリちゃんを走らせた。


「ねぇ、イモウトよ。それで昨日までは何歳だったの?」

そう聞かれたわたしは、反射的に

「26歳」

と答えた。


「・・・そうなんだぁ。半分の年齢になっちゃったわけね」

 これからの7年分の記憶があると言ってしまうのはマズいかも、との咄嗟の判断で、わたしの脳内年齢は26歳ということになった。

 薄ピンクな少女系スカジャンを着てるけど、もう三十路なんだよ、ということが恥ずかしかったわけではない。たぶん。

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