第3話 夢伴 水元公園店

 和風な夢伴ゆめはんに入り、穂香ほのか(大)と向かいあわせに席についた。設定通りに、穂香ほのか(大)はわたしのことをイモウトと、わたしは穂香ほのか(大)のことをお姉ちゃんと呼びあう。改めて正面から穂香ほのか(大)を見ると、記憶の中のわたしより、やはり随分と若い。

 

「お姉ちゃんの誕生日の前祝いしなくちゃね」

とわたしは言う。

「そうねぇ」

と、ふたりで、雛まつりセットをオーダーした。


 ふたりでいただきますをしてから、わたし達は雛まつりセットを食べ始める。さすがは中2の身体、ということか。先程に焼きそばを食べてからそんなに時間が経っていないのに、パクパクと食べていける。

 

 はじめのうち、四葉グループ入りが迫る会社の近況なととを話していた穂香ほのか(大)が、

「しかし、イモウトの身体のこと、誰かに相談しなきゃね」

とわたしに言った。

「そうだね」


 髪の毛をつまんで、軽く捻る。わたしの髪の毛の色は、穂香ほのか(大)の髪の毛よりも茶色ががっている。わたし達は、記憶のかなりを共有してはいるようだが、外見に相違点もある。


 わたしは、小さな声で言う。

「なにはともあれ、わたし達のゲノムがどれくらい同じなのかは確かめてもらった方がいいのかな」

「ゲノムとなると、相談先は、やっぱり研究室の二階堂先輩かな」

「うん、それがいいかな」

 わたしは、ニコリと合意する。

 

 わたし達が東都理科大学は生体材料工学科の学部4年生であった時に、博士課程に在学しながら研究室の助手を勤めておられた二階堂先輩。先輩は、わたし達が理科大で卒論を書いた時に事実上の卒論指導教官になってくださった。所属した研究室のボスはもちろん教授の二宮先生なのだけれども、二宮先生は四名いらっしゃったM2(修士2年)の皆さんの修士論文の指導に大忙し。さらに、その年は、准教授の御坂先生がフルブライト基金の支援を受けてシカゴの研究機関へと赴いていた。

 学部生のわたしの初歩的な質問を続けても、嫌な顔せずに答えてくれた二階堂先輩。穂香ほのか(大)は、その先輩にほのかな恋心を先輩に抱いていた。当時のわたし達は彼氏なし歴22年。親切な先輩男子にときめいたのは必然に近い・・・社会人となってからもトキメキを引きずり気味、のはず。


「それから、今のわたしの身体、指紋とか静脈とかのバイオメトリクスはお姉ちゃんと同じだというところ」

「教科書的には、同じゲノムを持つ一卵性双生児であっても、バイオメトリクスは違うはず、なのにね」

 バイオ系学部出身者らしい会話だ。同じゲノムを持つ哺乳類のクローン初期胚を複数用意して定温定圧下で発生させていっても血管系は互いに相違してくる、なんて実験結果が、学部時代の講義に出てきた記憶がある。大スキャンダルとなった黒海武装勢力のクローン兵たちも紛争終結後には、全員のバイオメトリクスが登録され個体識別されているのだとか。


 そんなことを思い起こしつつ、わたしは、雛まつりセットを食べ終えた。すると、まだチラシ寿司とお吸い物に手をつけたばかりの穂香ほのか(大)がタブレットを取り出し、わたしに手渡す。

 

 わたしが、タブレットで二階堂先輩の近況を調べる担当となった。「二階堂昴 大学」ですぐにヒットした。


「なんと、二階堂先輩、京大霊長類研究所の、特任准教授に就任しているらしいよ」

「へぇ~、やっぱすごいねぇ」

 口をもぐもぐさせながら、穂香ほのか(大)は驚いてみせた。


 博士号取得後の先輩は、大学の教員か研究機関の研究員となられたのだろうとは思っていたが、想像通りだ。

(これで、穂香ほのか(大)の先輩へのトキメキ度も再アップかな)

そう思いつつ先輩の准教授就任報告のページを見ていくと、ボノボの森という文字を見つけ、驚いた。


「あのね、先輩の研究室だけどね、金町にあるみたい」


穂香ほのか(大)がキョトンとわたしを見返す。

ほら、とタブレットの画面を穂香ほのか(大)の方に向けてから、

「京都大学理学系研究科霊長類研究所 コンゴ友愛祈念ボノボの森 バイオマテリアル分野 二階堂昴にかいどうすばる特任准教授」

と長い肩書を読み上げた。


 ぽかんとしたままの穂香ほのか(大)にわたしはダメ押しする。

「ボノボの森って、理科大の裏手に新しくできた施設のことよ。

つまりは、二階堂先輩は今も金町にお勤めなわけ」


 先輩とわたし達が通っていた研究室は東都理科大学の金町キャンパスは、今いる夢伴ゆめはんから2kmほどの距離にある。ボノボの森はその裏手に開設された施設だ。霊長類ボノボ達がのんびりと過ごすボノボの森に癒やしを求めに行くことになった三十路のわたしは知っていた。ボノボの森の運営主体が、京大霊長類研究所であることを。


 ☆


 先輩の研究室がご近所さん、というビッくらポンポン情報にテンションを上げたらしい、穂香ほのか(大)。わたしが二階堂研究室を訪問するための衣装を探り始めた。


 どこか楽しげにタブレットをいじっていた彼女が、

「イモウトよ。これ、いいんじゃない?」

と、女子学生用のブレザーやセーラー服などが並ぶ画面をわたしに見せた。


「この制服ね。実在しないものらしいの。東方新社ラボというところがやっている、らしい制服エクスプレスというサービスらしいぞ、イモウトよ」

と笑みを浮かべる。


 脳内年齢31歳なわたしは、実在しようがしまいが、中高年の制服を着ることには抵抗がある。 

 けれども、見た目13歳のわたしが大学に入るのには、中高生の制服姿が無難ではあろうことは認めざるを得ない。一方で、近隣の中高の制服を着ることにはいかないことも。


「わかったよ、お姉ちゃん」

穂香ほのか(大)の提案を観念して受け入れた。

 

 タブレットを受け取ったわたしは、穂香ほのか(大)がマークしたセーラー服やブレザーなどの制服をしばし眺めた。そして、おまかせサービスというリンクを見つけた。中学生の制服にこだわりを見出だせないわたしは、リンク先で好みの色合いは「薄め」に指定し、身長146cmなどと入力して、おまかせ見積もりボタンを押した。

 表示された見積り額は、割と高かった。入社2年目の穂香ほのか(大)の時の月給の、3分の1くらいのお値段だ。

「こんな値段になるらしいけれども、大丈夫かな、お姉ちゃん?」

と、わたしはタブレットを見せながら、妹らしい口調で、穂香ほのか(大)に尋ねた。


 穂香ほのか(大)は、少し芝居ががったふうに、はぁっ、と息を吐くと、

「しょうがないんじゃないの、イモウトよ。まぁ、この夏服のセーラー服も、冬服のブレザーも、けっこう可愛いし」

と注文を許諾してくれた。


 31歳の大人の良心がうずきはじめる。お金のかからない学生生活を送ったおかげで、穂香ほのか(大)の口座には結構な貯金がある。とはいえ、バイオメトリクスが同一でたぶん同一人物と思われるにしても、わたし達は、2時間前に出会ったばかりなのだ。

 

 突然の出費を請け負ってくれた上に、夢伴の会計も済ませてくれている穂香ほのか(大)の背中に向け、

(ほんと、もうしわけないね、穂香ほのか(大)よ。)

と、脳内で謝った。

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