第4話 GAME ON

「トオル君、大丈夫?」

「いや、だいぶ吐きそうです」


 エベレアに続いて部屋に入った時点で、トオルは頭がぐらつくような感覚に苛まれていた。脈は上がり、ゲームのBGMもテンポが遅く聞こえる。


「脳が活性化している証拠よ。そうでなくっちゃ」


 なるほど、あの甘ったるいドリンクがなぜ高速道路の名前を冠していたのか、今ならわかる気がする。再び頭をもたげ始めた「帰りたい」という願いを打ち砕くように、壁は閉じられ、部屋は密室と化した。


「さて、はじめましょうか」


 その声に反応したのか、エベレアとトオル、それぞれの正面に四つのコマンドが映し出される。

 「あなたの所属イメージを選択してください」というキャプションと一緒に。


「この競技、サンダーストラックは二対二のダブルスよ。実際には、イメージが同じ相手としかペアを組めないんだけど……」

「はぁ」

「あなた、絶対サンディアでしょ」

「え、なんで」


 数日前に選択したばかりの所属を言い当てられ、トオルは動揺する。


「石を投げればサンディアに当たる、ってね。特別なこだわりがない限り、世界中の大企業が名を連ねるサンディアを選ぶのは当然よ。いろんな場面で割引やサービスを受けられるし、四つのイメージの中で一番『生きやすい』もの」


 最後の一言は少し皮肉っぽかった。


「エベレアさんは……まあ、聞くまでもないですね」


 彼女の胸に光るペンダントも、このカフェの入り口に置いてあった絵画も、明らかにウィンディの紋章である「風車」をモチーフにしている。各イメージのシンボルやテーマカラーを国旗のように身につけ、自らの所属を他人に示す文化は、ここ数年ではやり始めたものだ。


「ご明察。でもこれはゲームだから、とりあえずイメージは無視していいわ」


 それぞれのイメージを選び、画面はモード選択に移る。おおむねエベレアの指示通りに操作していたものの、彼女が「テストプレイ」というコマンドを無視し、そのまま「ランダムマッチ」を選択したのを見て、トオルはさすがに声を上げる。


「え、いきなりオンライン対戦ですか?」


「テストモードで手とり足とり教えてたら日が暮れちゃうでしょ? 安心して、ランダムマッチにレーティングはないから、極端に強い相手に当たる確率は低いわ」

「でも、いきなり実戦なんて……」

「大丈夫よ。試合中でもペア相手とは通話できるし。私の説明を聞きながら、あなたは『のんびり』学んでくれればいいわ」


 まさに「手とり足とり」を期待していただけに、対戦相手とのマッチングが成立した瞬間、トオルの背中に一気に緊張が走る。


「あ、これ着けてくれる?」


 隣の部屋から差し出されたのは、トオルが着けている物にそっくりのヘルメットだった。

 反対側の手に同じ物を持っており、彼女自身もそれを装着するようだ。


「言ったでしょ、並みのスポーツより脳を使うって。内側に電極が入ってるから、しっかり頭にはめてね」

「改造人間にされたりしません?」

「まさか。それならフルフェイスにする必要がないわ」


 ごもっとも。

 自前のヘルメットを外し、見た目が瓜二つのそれを頭にはめる。大量の電極にスペースを圧迫されているのか、着け心地はかなり窮屈だった。


「それじゃ、始めるわよ」


 エベレアの声が頭に響いてくる。目の前に『GAME ON』という文字が浮かび上がったのも束の間、トオルの視界は暗い部屋から一転、広大な更地へと連れていかれる。

 八年ぶりに見る曇天の下、五本のタワーが五角形を描くようにそびえ立つその場所に、見覚えなどあるはずもない。視界に靄がかかるほど猛烈な雨がヘルメットに打ちつけ、横なぐりの風に足がふらつく。


「これは……」

「懐かしいでしょ。こんな不穏な天気、今どきありえないものね」


 長い金髪をヘルメットの中に押し込んだエベレアが、突然、横からライダースーツのような装いで現れたのを見て、トオルも自分の首から下が別の服に変わっていることに気づく。

 フルフェイスと合わせて、いよいよバイク乗り同然の姿だが、指の先からつま先までを隙間なく覆うその素材は、ゴムのような金属のような、何とも不思議な着心地だった。


「ほら、今回の対戦相手がお出ましよ」


 エベレアは遠くの空を指さした。トオルが目を凝らすと、薄墨色の空をバックに、豆粒のような人影が二つ、やたらと長い棒を抱え、車輪のないスケートボードのような板に乗って浮かんでいるのが見える。


「君もこれを持って」


 次に彼女が手渡してきたのは、なんと「槍」だった。

 トオルの身長より高く、彼らが持っている物と同じ形のそれは、金属製で、腰がずっしりと沈むほど重い。


「槍? まさか、これであの人達と突き合えっていうんじゃ……」

「否定はしないわ。でも、これは武器じゃなくて『防具』よ」


 トオルにはその意味が分からなかった。よく見れば確かに、槍の先端は何かに突き刺さるほど尖ってはいない……が、それで一体何を防ぐというのか。


「まあ、見てて」


 トオルが質問するより早く、エベレアは一歩前に躍り出る。ちょうどその時、遠くの空に浮かぶ二人のうち、一人が勢いよく物を投げるような動きをした。直後、一筋の青い光が空気中をほとばしるのを見て、彼女は槍をいちだんと高く構える。


 耳をつんざくような爆音。

 トオル自身、「経験」のわりに、その光の正体が稲妻だと気づくには時間がかかった。何しろそのジグザグとした道筋ときたら、子どもの落書きか、あるいは定規を使って描いたような軌道で、いつか見た自然界の稲妻とは似ても似つかない。


 そんな違和感を満載した電子の川が、高速とはいえ、人間の目でも十分捉えられるようなスピードで、まっすぐエベレアの掲げた槍の先に吸い寄せられる。それだけでも異常な光景だが、コンマ数秒後、槍を通って後ろに流れた大電力は、トオルがよく知る「雷」のイメージ通り、無秩序に枝分かれして空気中に散らばった。


 帯電か、興奮か、トオルは全身の毛が逆立つのを感じた。

 エベレアが振り返る。


「これは『ロッド』よ。雷は尖った金属に落ちやすい性質があるから、うまく構えれば今みたいに受け流すことができるの。昔、ビルやマンションの上についてた『避雷針』を手に持ってる感じかしら」

「でも、さっきの雷は……」

「あなたの記憶にある雷とは、だいぶ違うでしょうね。八年前、私たち人類は天候を操れるようになったけど、要はそれだけじゃ飽き足らなかったってことよ。いまやこのスーツ一着で稲妻を生み出すことも、その軌道を自在に変えることもできるわ。ピッチャーが変化球を投げるのと同じような難易度でね」

「『投げられた』側は、それを槍で受け流すってことですか。失敗したらどうなるんです?」


 ふーっと深く息を吐き、エベレアは再び対戦相手の方を向く。彼らは上空で左右に分かれ、徐々に距離を詰めてきていた。


「少し、離れててね」


 一歩、二歩、念のため三歩まで下がったトオルの前で、エベレアは左脚を高く上げる。

 メジャーリーガーさながらの大胆なフォームから放たれた赤い稲妻は、先ほどと違い、ゆるい弧を描くように大気を割り、左側の敵めがけて突き進んでいった。


 ところが読みやすい軌道だったのか、その一撃は、彼女自身がそうしたように容易く受け流される。それでも相手の槍から大気に伝った大樹のような放電が、彼女が生んだ雷の力強さを物語っていた。


「ごめん、言い忘れてたわ」


 今度は右脚を上げ、左投げの体勢に入るエベレア。雷を発生させるほどのエネルギーを発しているだけに、スーツも高温になっているらしく、彼女は全身に降り注ぐ雨をもくもくとした水蒸気に変えていた。


「軌道の他に、私たちが操れるものがもう一つあるの」


 前足を踏み込んだ彼女の左腕から、再び赤い電気がほとばしる。細い糸のような稲妻が、またしてもカーブを描いて獲物を狙う。


「……速度よ」


 一瞬、それが空気中を伝うスピードが遅くなったのを、トオルは見逃さなかった。

 ボールの速度をあえて落とし、打者のテンポを狂わせるチェンジアップさながらの芸当に、相手はあっさりと引っかかった。巨人が鞭を打ったような「バチン」という音。ロッドを構える時機を見失い、赤い稲妻に撃たれた彼は、身体を大きくのけ反らせ、ボードから真っ逆さまに落下する。


「あぶない!」


 ここがゲームの中であることも忘れ、トオルは叫んだ。

 しかし、すぐにその必要はなかったと知る。空を駆けるボード、稲妻を呼ぶスーツ、その動きに人間の意思を反映させるヘルメット、そんな稲妻を軽々しく受け流すロッド——ここ数十年におよぶ科学的進化を詰め込んだような装備のオンパレードに脱帽していた矢先、トオルの目に飛び込んできたのは、何ともクラシックなパラシュートだった。


「うわぁ……」

「やっぱり、ダサく見えちゃうわよね。今も昔も、あれが上空から無事に帰れる唯一の手段なのに。パラシュートに『敗者』のイメージを植えつけたのは、この競技の大きな罪だと思うわ」


 相手は身体をくの字に折り、背中に巨大な落下傘を咲かせたままゆっくりと降下していく。やがてその身は地面に触れると、 RPG上で倒した敵キャラクターのように消え去り、「撃墜:エベレア」というメッセージ付きのディスプレイだけを後に残した。


「さあ、私たちもそろそろ飛ばないとね」

「飛ぶって……あの人達みたいに飛ぶってことですよね。エベレアさんの『ご活躍』を見るかぎり、無理に高いところに行く必要はないと思うんですけど」

「そうもいかないわ。このゲームの勝利条件が、相手のロッド、あるいは相手自身を地面に触れさせることだもの。向こうにしてみれば、スタートからずっと地面に立っている私たちは、さぞ迷惑なプレイヤーでしょうね」


 ちょうどその時、目の前に「失格まで残り15秒」というメッセージが表示される。


「あ、やばい」

「ワーオ、こんなの久々に見たわ」


 点滅する警告文を懐かしむように見つめてから、エベレアはどこからともなく、例のスケートボードのような板をトオルに寄越した。


「ホバーチタン合金で出来たアクロボードよ。百万ボルト以上の電圧を加えると浮上するの」

「ひゃ、百万ボルト?」

「さっきの私の稲妻で三億ボルトくらいよ、どうってことないわ。足をかけて、そう……力まなくていいから、足の裏に意識を集中してみて」


 そう指導するエベレア自身が足をかけているボードは、すでに地面から数センチ浮いた位置にある。


「いくわよ……さん、に、いち!」


 表示されていたカウントダウンが「0」になる直前、二人は空へ飛んだ。先行するエベレアに手を引かれながらも、足の裏にボードがくっ付いているのを見て、トオルは自分がどうにか「離陸」できたことを知った。


「はい、じゃあ補助輪は卒業ね」

「え?」


 実際の親子なら虐待と言われても仕方ない早さで、エベレアは手を離した。

 それまで背景の一部でしかなかった雨風が、突如、現実的な課題となってトオルの身を揺さぶる。スケボーやサーフボードの経験もない自分が、今、アスファルトや海水よりずっと不安定な「空気」の上を滑っていることを実感しながら、その体は左に大きく煽られた。


「ああああぁぁぁぁ」

「進行方向は体重をかける向きで変えられるわ。失速しちゃうから、ボードは九十度以上傾けないようにね」


 それを先に言ってくれ、という苦情を入れるまもなく、もう一人の相手が片っ端から稲妻を撃ち放ってくる。相方を失って焦っているのか、軌道もスピードもめちゃくちゃなそれらを、エベレアは軽く払いのけていた。


「……さすがプロ」


 トオルが対戦相手に同情の念を抱いたその時、突然、青く輝く光の骨組みが周りに現れる。

 一昔前の地方都市を彷彿とさせる中規模なビル群や、電柱、路肩にわざとらしく停まっているトラックの姿を象った光は、それまで雑草の一本も生えていなかった土地に、眩いばかりの「街」を映し出していた。


「これは……」

「選手全員が地上を離れたら、こうなるわ。サンダーストラックの主旨は、いまや街中では見られなくなった暴風や大雨、雷を観客の前で再現することだもの——ただの更地じゃ味気ないでしょ?」


 その言葉どおり、骨組みだけだった街並みに色や質感が加わり、辺りはあっという間に「リアル」と化した。錆びついたカーブミラー、塗装の剥げた看板など、細部まで忠実に描き出されており、ほとんど現実と区別がつかない——自分たち以外、誰もいないことを除いては。


「でも、このゲーム自体が、実際の競技を元にしたシミュレーションですよね? ゲームだからこんな魔法みたいなことが起こるのも分かるけど、実際はどうなんです?」


 その質問に対する答えは返ってこない。

 さすがに世間話が過ぎたか。そう思った直後、これまでの雷鳴とは比較にならないほど大きな爆発音と、固い空気の壁を押しつけられたような衝撃波が押しよせる。

 それでもヘルメット付属のマイクは優秀らしく、エベレアの「うっ」という声を鮮明に拾っていた。


 数秒後、ビルの屋上に取り付けられた大型看板が焼け落ちるのをかいくぐり、エベレアが隼のように自分の方に向かってくる。

 互いにフルフェイス越しながら、何より知り合ってまだ半日も経っていない仲ながらも、彼女がこれまでになく鬼気迫る表情をその下に浮かべていることは、火を見るよりも明らかだった。

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Thunderstruck!! 赤羅木公国 @akaragikokoku

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