第10話 新疑惑


 あれからユーリとヴィクターの交流は途絶えることなく続いていた。

 場所は決まって放課後の図書館。同じテーブルに座って各々読書をしながら、時折言葉を交わす。

 ここ数日はお互いに本を薦めあって、小声で感想を伝えあうのが定番。


「ヴィクター、ミステリーのトリックで出てくるこの理論って何か分かりますか?」

「あぁ、これはね100年前の物理学者が見つけたもので、こういう仕掛けの実験で証明できるんだ。死体をここにおいて使うと……こうなる」


 ヴィクターはノートの紙を一枚破いてサラサラと絵を描いて、ユーリに見せてくれた。トリックを知ってミステリーがますます面白くなった。

 とてもわかり易く、調べるよりも早い。



「ヴィクターって凄いですよね」

「君に言ってもらえるなんて、嬉しいよ」



 少し照れたようにはにかむ美しい男、100点満点である。

 勉強の途中で聞いても咎めることなく、教えてくれる。しかも優しく丁寧。

 ユーリの顔も緩んでしまう。



「ありがとう」

「ヴィクター?」



 教えてもらったのはユーリだというのに、どうしてか彼からお礼を言われ首を傾けた。



「僕は君とこうやって過ごせて楽しいんだ。一緒に過ごしてくれてありがとう」

「あ、いや……俺も楽しいですし」



 ピュアで恥ずかしがる美しい男、120点。



(これが男の友情を得たヴィクター様の幸せなお顔。本当に親しいお友達が欲しかったのね。可愛いところもあるわ)



 ユーフェミアは婚約破棄のために近づいたはずなのに、この状況を楽しんでいた。素敵な本を知れるし、知識も増え、好みの顔が拝めるという最高の時間。

 本来の目的を忘れつつあった。



 そんなある日、ユーフェミアは選択した授業の調理実習でクッキーを作った。

 学園のあらゆるところでクッキーのプレゼントイベントが発生しており、彼女は「さすが愛の国ね~」なんて呑気に眺めていた。



(もし渡したら、ヴィクター様は受け取ってくれるのかしら……)



 想像してみるが、どうしてかユーリで渡した場合は喜んでもらえても、ユーフェミアで渡すと無表情の彼の顔が思い浮かんでしまう。なんだか気持ちがしょっぱい。



「自分で食べちゃいましょ」



 自分が作ったものは誰にも渡すことがない代物だ。昼休みに人が少ない庭のベンチに座って一枚口に運んでみるが、すぐに眉間に皺を寄せた。

 パサパサで口の水分が奪われ、粉っぽい。以前メリルに貰ったものとは大違い。自分の女子力の低さに愕然とした。



「渡したら無表情どころか、窒息による殺人容疑で訴えられてしまうわ……そして向こうから婚約破棄……はっ!」



 ここでようやく本来の目的を思い出した彼女は、食べかけのクッキーを見つめて打ち震えた。



(危ない……ヴィクター様に絆されて、気が緩んでいたわ。まだ何ひとつ成果は挙げられていないのに)



 強いて言えば、得られたものは友情だ。ユーフェミアではなく、ユーリ相手だけれど。

 またしょっぱい気持ちになる。ユーフェミアとユーリ、何が違うのかと。



「やぁ、面白いことになっているね」



 そういって、声をかけてきたのはレクトルだ。

 今は男装していない。反射でヴィクターの姿を探すが見つからず、ほっと胸をなでおろした。



「レクトル殿下はこれが面白くお見えになりまして?」

「どこから見てもヴィクターとユーリ君は親密に見えるからね。早々に変装した君とあそこまで距離を縮めるとは思わなかったよ」



 そうして当然のように隣りに座ってきた。



「ねぇ、正体をまだ明かさないつもり? 昼間は授業、放課後はずっと君と一緒。どう見ても浮気なんてしていないだろう?」

「うっ」



 そうなのだ。何ひとつ女の影がないのだ。

 デートスポットの本や女性向けの小説を借りていたことも、勉強熱心な彼が純粋に知見を広めるためにしか思えなくなっていた。



「だとしても、打ち明けにくいですわ」

「どうして?」

「ヴィクター様はユーリの時間をとても楽しんでおられます。できた友情を壊すのが申し訳なくて」



 あの高得点の表情を引き出せるのはユーリだからだ。

 打ち明けることで彼を傷つけることに罪悪感が芽生え、かつあの顔が見られなくなるのが寂しい。



(どうして、わたくしはユーリではないのかしら……)



 思わずため息を漏らしてしまう。



「え、友情を育んでいたつもりなのかい? 浮気できないほど、ヴィクターに関心を持ってもらうための作戦かと思っていたのだけど。そのために、あの恋愛本を勧めたんじゃないのか?」

「恋愛本?」

「ベネット嬢が最初にヴィクターに譲った本だよ……もしかしてきちんと読む前に勧めたな? あいつ自分用に新しく買ったから、図書館に返却されてるはずだ。至急読んだほうが良い」

「――へ?」



 その日の放課後、レクトル王子からヴィクターは生徒会の手伝いをさせると知らされた。遭遇する心配がなくなったので、授業が終わったあと変装せずに図書館を訪れた。

 例の本を探せば、きちんと返却されていた。



「もう自分用で買ったと言うし、彼が借りることはないわよね」


 貸出カードに自分の名前が残っても、気付かれることはないだろう。

 ユーフェミアはその一冊だけを借りて、すぐに寮の部屋で読むことにした。



「……どういうこと?」



 ここは愛の国。国も身分差もない開放的な恋愛観を持っている文化。現実でさえそうなのだから、小説内では愛はすべてを凌駕する。

 そう、性別も。



「ま、まさか……男同士の恋愛小説でしたの!?」



 同性愛の物語との初めての遭遇に、ユーフェミアは驚愕した。



「異世界……どうして側に女性がいるのに、あえて困難が待ち受ける同性に? いえ、だからこそ乗り越えるところにロマンと輝きを感じるのですけれど……友情では駄目ですの? え、どういうこと?」



 混乱を極めながら読み進め、読み終えたときには頭を抱えた。



「私ったら、なんていう本をヴィクター様に勧めてしまったの!?」



 勧めたことに対しても頭が痛いというのに、それを読んで受け入れてしまったヴィクターを思い出し、ユーフェミアは目眩がした。


 ヴィクターは本を読んで「参考にする」と確かに言っていた。つまり浮気相手は女だとばかり思っていたが、そうではない可能性が浮上したのだ。事実なら女性関係を探っても、浮気の証拠が出てくるはずがない。

 ユーフェミアに対して冷たく、初対面のユーリに対して優しいのは性別が違うから――と思えばなんとなく腑に落ちる。



「でもはじめは本について戸惑っていたはず……私が勧めたことで背中を押しちゃった!? しかも私も彼の前で憧れてるって言ってしまったから、仲間だと思われてる……だからあんなにも親しくしてくれているってこと?」



 再び頭を抱え、唸った。

 レプトン王国で同性婚という概念は異端とされ、認められていない。もちろん愛に開放的なこのノワール共和国でも、そこまで時代は進んでいない。どう頑張っても、心に秘めて生きていくしかない。

 公爵家の跡取りである彼は後継者問題もあるため、さらに厳しい。



「それに同性だとしたら、ご友人かどうか見分けがつかないから浮気の証拠なんて、元から手に入らないじゃない」



 学園まで追いかけてきたものの、完全に骨折り損のくたびれ儲け。

 なんだか馬鹿らしくなり、机に突っ伏した。



「同性だとしても放課後に一緒に過ごす特定の人がいないということは、やっぱり片思いの可能性が高いってことよね」



 ユーフェミアに送られてきた甘い内容や贈り物は、本当は片思い相手に捧げたかったものかもしれない。いや、ユーフェミアに送ることで「自分は婚約者が好きなのだ」と思い込んで、諦めようとしているのかもしれない。

 彼女は特定の相手に自分がいることを完全に忘れ、嘆いた。



「これからどうすれば良いのよぉぉお」



 レクトル王子の言う通り浮気はしていない。疑われる行動がないことは自分の目で見ている。

 けれども心の浮気の可能性は残っていて、それをどうしていけば良いのかが難しいところ。



「心の浮気相手をまずは調べてみようかしら?」



 ユーフェミアは紙とペンを取り出して、手紙を書くことにした。




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