第8話 接近②※ヒーロー視点
政治学の教授との意見交換会を終えたヴィクターは、レクトルと約束をしていた西の学園庭へと歩いていた。
彼は「はぁ」と短いため息を付きながら、目頭を指で揉んだ。最近、よく図書館で見かけるある男子生徒が、ユーフェミアに見えてしまうことが目下の悩みで、若干寝付きが悪いのだ。目が霞んで、男子生徒がより愛しい婚約者に見えてくるという悪循環に陥っていた。
(他人の空似だとしても似すぎている……ユーフェミアが男装しているようにしか見えないが、彼女は今レプトンの貴族学校に通っている。ここにいるはずがない)
ロックウェル公爵家から届いた手紙では、今年の留学生のリストにユーフェミアの名前は確かに載っていなかった。
目の前に見える事実と、持っている情報の食い違いに頭が痛む。
「ユーフェミア……」
彼は限界だった。会わないと色々とおかしくなりそうだった。
いつも放課後は別れて行動するレクトルと会う約束をしていたのも、この件について相談するためだ。
教授の研究棟から西の庭に面した渡り廊下に出る。約束のベンチにはレクトルがすでにいた。
そしてヴィクターは目を見開いた。
「どうして……」
レクトルの交友関係はとても広く、特に立場や容姿のせいもあって女性から絶大な人気を誇る。ちやほやされることを彼は楽しんでいる節もあったが、特定の女性とふたりきりになることは避けていた。
だというのに今はどうか。女子生徒とふたりきりでベンチに座り、指さきを顔に近づけるほどの親密さだ。
しかも相手は新入生のパーティーで愛しい婚約者と見間違えた女子生徒。
(いや、間違いなんかじゃない。髪型も違うし、眼鏡はしているけれどユーフェミアだ!)
渡り廊下の窓から飛び出し、ベンチへと一直線に向かう。けれど彼女は慌てた様子で先にベンチから離れてしまった。
追いかけなければ――とつま先をユーフェミアの方へと向けようとしたが、レクトルが立ちはだかった。
「ヴィクター、どこに行くんだい? 君から私を呼び出したんだろう?」
「……レクトル殿下、ユーフェミアが何故ここにいるか説明してくださいませんか?」
「彼女、君の婚約者に似ていたのか」
「とぼけないでください。似ているどころか、ユーフェミア本人です。どのような姿をしていても、僕の目は勝手に彼女を追いかけるようにできているので、間違いありません」
ヴィクターの顔に笑みはない。人を威圧する美貌の無表情だ。
(他人の空似なんかじゃない。やはり男子生徒もユーフェミアだ。幻覚じゃない……彼女がそばにいる。僕に内緒で……どうして……!)
彼の剣幕に、レクトルは明らかに「参ったな」というような表情で肩をすくめた。
「ここじゃなくサロンに行かないかい?」
今すぐユーフェミアを腕の中に収めたいが、すでに彼女は目の届かないところまで行ってしまった。
ヴィクターは渋々レクトルに従うことにした。
そうして話を聞いて、再び頭を抱えた。
「僕をサプライズで喜ばそうと追いかけてきたものの、僕がユーフェミアと一緒にいるときよりも楽しそうな姿を見て、邪魔になるからと言い出せなくなった……と?」
「私もロックウェル公爵からベネット嬢を見守るよう言われてて黙ってたんだ。まさか変装までしてるとは思わなかったが」
「はい。男子生徒の格好をしてまで僕の様子を見ていたようですから」
「なんだ。ユーリ君に気付いてたのか」
「ユーリと言うんですか」
自分よりもレクトルの方がユーフェミアのことを知っていたことが悔しい。
本人は隠しているつもりなのだろうが、ユーリからはいつも視線を感じていた。
これまではユーフェミアに見える男子生徒からの視線を居心地悪く感じていたが、彼女と分かれば喜びに変わる。
(僕にこんなにも関心を向けてくれるなんて)
喜びを伝えたい――と早く安心させてあげるためにも、留学している件を知っていると告げようかと思ったが、レクトルが止める。
「ベネット嬢がヴィクターのために勇気を出して、勉強も頑張って留学してきたんだよ? 君から告げたら、君を驚かせたいという彼女の気持ちはどうなる。ここは知らないふりをして乙女心を守るべきじゃないかい?」
「――っ」
「話した感触として、ラブレターの成果は出ているようだが、まだ彼女はヴィクターに惚れきっていない。そこで提案だ」
レクトルは人差し指を立てて、顔の前に出した。
「ユーリ君と仲良くなって、訓練した笑顔を振りまき、直接惚れさせれば良いんだ。落としてしまえば彼女も我慢できずに、ヴィクターの胸に飛び込んでくるはずだ」
ヴィクターはぐっと唸った。
レクトルの提案に乗ればヴィクターは大好きな婚約者とたくさん一緒に過ごせるし、気持ちをアピールできる。
ユーフェミアの思惑は守られるし、カミングアウトできる機会が増える。
これはお互いに利点が多いように思えた。
なんだか上手くのせられたようにも思えるが、恋愛下手の自分ではこれより良い考えは思いつかない。
「そうすることにします」と、ヴィクターは知らないふりを決め込むことにした。
翌朝、ヴィクターは起きてすぐに鏡を見た。我ながら無表情だなと、苦笑しようとするが口角はピクリとも動かない。
縦横と大きく口を動かし、目も大きく開いたり強く瞑ったりを繰り返して顔の運動をする。さらに両手で顔全体にマッサージを施して、ようやく口角をあげることができた。
ユーフェミアが自然な微笑みと思っていたものは、ヴィクターの日々の弛まぬ努力あってこそだった。
「よし」
彼はいつもより念入りに笑顔のチェックをしてから寮をでた。
落ち着かない気持ちを押さえ、授業が早く終わることを願いながら日中を過ごす。こうして放課後を向かえたヴィクターは、すぐに図書館へと足を運んで周囲を見渡した。
(まだ居ない。そうか、男装するから遅れてくるのは当たり前か)
少し落胆した気持ちでいつもの席に座わって、ユーフェミアが現れるのを待つ。
そうしてカタリと音を立て、斜め前の椅子に誰かが座る影が視界に入った。そっと顔を上げ、ヴィクターは相手をじっくりと見て息を呑んだ。
髪はカツラだろう。短く切り揃えた茶髪の髪は、知っている亜麻色ではない。
けれどもピンクダイヤモンドのように輝く薄紅色の瞳、その瞳に影を作る長いまつげは亜麻色で、ヴィクターが知っている愛しい婚約者のものと一寸も
制服に着られているような華奢な肩付きに、本を捲る指はほっそりと白く、爪は整えられ丸く滑らか。
(あぁっ! 本物だ! ユーフェミアは男装していても可愛い)
疲れ目が一気に潤い、感動の涙が出てきそうだ。残念ながら、表情筋と同じく涙腺も死んでいるため流れるほど出てこないが。
すると彼の視線に気付いたユーフェミアが顔を上げたことで、パチっと視線がぶつかった。
バレてるとは気づいていない彼女は、困ったような笑みを浮かべて「どうかしましたか?」と聞いてきた。
記憶の中よりも低い声。けれども間違いなく、ユーフェミアの声。
ヴィクターはゆっくりと口角をあげて微笑んだ。
「君、いつも本を読んでいるよね? 次に何を読もうか悩んでいたんだけど、僕におすすめの本があれば教えてくれないかな?」
声をかけられたユーフェミアは驚いた様子で、うっすらと頬を染めた。
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