第5話 潜入③
(どうしてよりによって私の正面なのよ。一番近いテーブルかつ、女子生徒から離れるには丁度いい場所なのは分かるけれども)
ここで自分が急に席を移動するのも怪しいので、慌てて本に齧りつくふりをして顔を隠す。
ヴィクターに心の中で文句を言いつつも、彼女たちに靡く姿を見ずに済んで安堵もする。
浮気現場を早く見つけて婚約破棄したい狙いと、その現場を見たくないという矛盾した気持ちがせめぎ合う。
本の影に隠れ、時折本のページを捲りながら紙が擦れる音に耳をすます。
けれどもどれだけ心境は複雑でも面食いの性には逆らえず、そっとヴィクターの顔を盗み見てしまう。
久々に間近で見る彼の顔はやはり極上だ。本に視線を落とすことで軽く伏し目がちになった瞼から伸びるまつ毛の長さは際立ち、ヘーゼルの瞳に影を作っている。
眺めているだけで、感嘆のため息が出そうだ。
留学前も一緒に本を読むときは、ユーフェミアは一方的にヴィクターの顔を見て目を潤していた。婚約破棄になれば、もうこんな近くで彼を見ることはできない。
いつ見納めになるか――そんなことを考えていたせいか、気付けば熱い視線を送ってしまっていた。
「何か?」
「――っ」
ヴィクターは本に視線を留めたままで、顔を上げることなくそう言った。
幸いにも今回は目は合っていない。
「な、なんでもないです」
声を低くして謝罪し、顔を俯かせたまま逃げるように席を離れた。
「逃げてきちゃった。これじゃあ逆に怪しかったわよね」
ユーフェミアはまっすぐ戻ってきた寮の部屋でひとり反省会をしていた。
鏡で見直すが、髪の長さも色も違うし、化粧もしていない顔に淑女らしい華やかさはない。将来の公爵夫人、社交界の花の一輪として振る舞っていた面影は微塵も感じられないはずだ。
目線はあってないのだから堂々としていれば良かった――と何度目かのため息をついた。
「それにしても、すごく女子生徒に人気があるのね」
レプトン王国にいた頃のヴィクターは、無表情のせいか冷たい印象が強かった。顔も良くて地位もあるが、それ以上に畏怖のオーラが濃くて誰も気軽に声をかける人はいなかった。
人望が無いわけではない。むしろ頼られ、崇められていた。
それが今はどうか。女子生徒に丸わかりの好意を向けられても、卒なく躱していた。慣れてる男の対応だった。
「これだけ誘惑されてたら、どこかで浮気のひとつもしようって思っちゃうわよね……ましてや婚約者の目も耳もない国外。嫌になっちゃうわ」
がっくり肩を落として、机に突っ伏した。
まるで失恋した乙女ではないか。
「いやいやいや、この婚約に愛はないの。凹んでる暇なんてないわ! その浮気の証拠を私は集めなきゃならないのよ」
本来の目的を思い出し、ユーフェミアは立ち上がった。
翌日、めげることなく彼女は図書館に足を運んでいた。もちろん今日も男装だ。コソコソしてるほうが目立つし、怪しいという反省を活かし、すまし顔で堂々と闊歩する。
逆に昨日よりも視線――特に女子生徒がこちらを見ているような気がするが知らぬふりをする。
昨日と同じテーブルを見るがヴィクターの姿はない。
(毎日同じ席とは限らないし、休みなのかもしれないわね。面白い本がないか探しながら時間を潰そうかしら。席は他にもあるし、これから来るのかもしれないしね)
せっかくレプトン王国でも読めない本がたくさんある図書館に来ているのだ。本好きのユーフェミアとしては楽園とも呼べる。
(素敵な本があれば留学中に数冊買って、読書会の皆様に贈り物をするのも良いかもしれないわね、ふふふ)
歴史書に宗教経典、植物図鑑に星読みの指南書など数多あるが、やはり読者会の課題書に選ばれることの多い小説が望ましい。
顔を緩ませながら書架のジャンルを確認していく。次第に中心部から離れ、奥へと進んでいく。人もまばらだ。
(あったわ!)
ようやく目的の書架を見つけ、ユーフェミアは心躍る。どれも読んだことのないタイトルばかりだ。
気になるタイトルを見つけて初項に目を通して、本を戻していく。
本探しに夢中になったユーフェミアはさらに奥へと進んでいき、聞こえてきた人の声にハッと我に返る。
そろそろヴィクターの姿を確認しなければいけないことを思い出した。今度ゆっくり選ぶことにして、小説コーナーを出ようとして足を止めた。
「あん、ジョン」
「マリア……ッ」
書架と書架の間で熱い接吻をかわすカップルに遭遇してしまったのだ。
ユーフェミアにキスの経験はない。ヴィクターはエスコート以外で彼女に触れることはないくらい、冷めた関係。
小説を読んで妄想を膨らませたことはあっても、本物を見たのは初めて。しかも実物は妄想よりも大人な世界で、ユーフェミアは一気にのぼせた。
ふたりは自分たちの世界に浸っていて彼女に気付いていない。いた堪れない世界から脱出すべく、別の通路から忍び足で後退り、書架の角で急いで踵を翻した。
「――いっ!?」
けれども進行方向を確認していなかったせいで、ユーフェミアが男子生徒の胸に頭突きをする形で強くぶつかってしまった。数冊の本が落ちる音がした。
「すみません。よく見てな――」
慌てて拾い上げた本を差し、相手の顔を見て言葉を失った。
軽く目を見開き、ユーフェミアの顔を凝視するヴィクターがそこにいたのだ。
確実にバレた。終わった――と思った。
婚約破棄計画のための浮気調査は入学3日で終了、そんなアナウンスが彼女の頭の中で流れる。
見つめ合ったまま数秒、先に動いたのは彼の方だった。
「僕こそすまない。ありがとう」
ヴィクターは大衆に向けるのと変わりない微笑みを浮かべ本を受け取ると、なんと何もなかったように彼女とすれ違い奥へと向かってしまった。
「あ、あれ? バレてない……?」
助かった、と肩の力が抜ける。
(それもそうよね。私が入学したことも知らなければ、男装してるなんて思ってもいないわよね。他人の空似に思ってくれたに違いないわ)
男装して正解だったと自分を褒める。
変装が完璧だと知ったユーフェミアは、次からはこそこそ隠れず、堂々と偵察することにした。
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