第4話 潜入②

 

 お茶会でどれだけ彼女が笑顔でいようとも、面白い話をしようとも、贈り物をしても、ヴィクターは頬を緩ませたことすらなかった。

 それでも面食いの気持ちを満足させられるほどの顔面偏差値を、既に彼は持っていた。

 そんな彼は記憶の中よりも大人っぽく色気を携え成長しており、その笑みを見たユーフェミアの心情は穏やかではない。



(はぁ!? 婚約者である私にはそんな顔見せてくれたことないのに、初対面の新入生には振りまくの? そんな顔知らないんですけれど!? ふざけないでよ……これ以上見た目が良くなるなんておかしいわ、キィィィッ!)



 思わずハンカチを噛んでしまうほど乱心した。

 ヴィクターを見ていると、その麗しい容姿の婚約者を手放すのが惜しくなり、浮気調査への覚悟が揺らぎそうになる。

 気持ちを落ち着かせようと、本来の目的であるレクトルをガン見した。

 彼も実に麗しい。笑顔には華やかさがあって、聞こえてくる声は低く耳に響き、紡がれる言葉は甘く――チャラい。



「今年の新入生はみな可愛らしくて、先輩として喜ばしいね。どうか私と仲良くしてくれると嬉しいな」



 ユーフェミアはすぐに人の垣根から離れ、冷たい水を飲み干した。



(完全に観賞用のお方ですわね。声の聞こえない遠目から見るのが程よい塩梅だわ)



 チラっと横目で、もう一度彼らを見る。

 レクトルが主に女子生徒と会話を弾ませ、ヴィクターは穏やかに微笑みながら一歩後ろに控え、見守り役に徹している感じだ。

 まるで若い国王と宰相のようにも見え、ヴィクターの姿は板についていた。

 なんだか遠い存在に見え、ぼんやりと眺めた。


 けれどそのとき、胸元に造花をつけていない上級生の女生徒がヴィクターに駆け寄ってきた。見るからに大人っぽい艶やかさがある先輩が、彼の耳元で何かを囁く。

 するとヴィクターはほんの少しだけクスリと笑いを零した。


「……え」


 ユーフェミアの胸がチクリと痛んだ。



(どうしてそんな風に笑っているの? そんな親密そうに何を話しているの?)



 作った微笑みだけでも驚いたというのに、それを崩して更に笑うなんて信じられない光景だ。

 他人にとっては気付けない細やかな変化かもしれないが、長年見ていた彼女からすれば、どれほどすごい変化か。



(あの女性の先輩が浮気相手なのかしら? 本当に好きな人にはそんな笑顔が向けられるのね……彼が微笑むことができるようになったのも、彼女のおかげ?)



 浮気調査のために乗り込み、現場を目撃しても冷静に証拠を押さえる覚悟はできていたはずなのに動揺が隠せない。

 まだ女の先輩が浮気相手と確定したわけじゃない。

 けれども微笑まれたことすらないユーフェミアとしては悔しくてたまらない。沈んでいた気持ちは、一気に上昇した。



(笑顔になれないほど、親が決めた政略結婚の相手が私で不満だったのね。でも親に言う勇気はなかったってところかしら。良いわよ。婚約破棄できるように私が証拠を集めて、ご両親に報告して望み通り解放してあげるわ)



 ただでは折れない不屈の精神がユーフェミアの長所だ。

 闘志を燃やしながら睨んでいると、パチっとヴィクターと目が合った。



「――っ」



 ユーフェミアは反射的に視線を逸らし、水のおかわりを取りにいくふりをしてその場を離れる。途中でチラリと振り返るが、ヴィクターは眉間をほぐす仕草をしており、追ってくる様子はない。



(バレたかと思ったわ。変装してるけれど、やっぱり近づくには心許ない格好よね)



 再び目が合ってはいけないと、ユーフェミアは急ぎ足で会場の外へと出た。

 与えられた寮の個室に帰ると、クローゼットを勢いよく開けた。はしたない行動だが、寮に侍女や執事はいないので叱る人もいない。

 数日前に荷解きは終えており、綺麗に並んだハンガーから一着だけ服を出した。



「早速これが出番のようね。すばやく、決定的な証拠を集めるためには接近する必要があるから仕方ないわ。私を本気にさせたわね、ヴィクター様……ふふふ」


 その夜、ユーフェミアは秘密兵器に手を出した。



 翌日、授業を終えて迎えた放課後、ユーフェミアは一度寮に戻って秘密兵器を身に着けた。

 伊達メガネを外し、最後に纏めている髪の上に茶色のかつらを乗せれば完成だ。

 鏡にうつる男子生徒の姿を見て、彼女は満足げに微笑んだ。



「少々幼くなったけれど、つり目のお陰でどこから見ても男の子だわ。マナーに厳格なレプトンの淑女が男装するなんて想像できないでしょうし、ヴィクター様にも気付かれないはずよ」



 一般的な令嬢よりは背が高いものの、男子生徒にしては線が細いため、病弱で勉強ばかりしていた男爵家の四男『ユーリ』という設定だ。普段はこの本校ではなく、学園都市内にある分校に籍を置き、時々図書館に来ているということも追加しておく。


 ここは女子寮。見つからないようにコートを羽織り、人影のいないところで脱いで肩掛けカバンに入れた。

 向かうは知識の宝庫または叡智の聖地と呼ばれる、大陸一の規模を誇る学園の図書館。

 これまでの手紙のやり取りで、ヴィクターは基本的に放課後は図書館で勉強していることは分かっている。



(恋人がいれば、おそらく図書館で一緒に勉強するはずだわ。または放課後デートのために図書館を待ち合わせ場所にしてる可能性がある……現場を張るわよ)



 気合を入れて図書館の中を探していると、すぐに婚約者の姿は見つけられた。

 彼は自習エリアにある、六人ほどが座れそうな大テーブルの窓側でひとり本を読んでいた。

 ユーフェミアは通路を挟んで隣の大テーブルを選び、斜めから見える位置に腰をおろした。テキトーに選んだ本で顔を隠しながら盗み見る。

 しばらく観察してみるが、ヴィクターは誰とも一緒になることなく勉強をしていた。本を読みながら、時々ノートにメモを残し、また読む。



(相変わらず勉強熱心ね)



 幼い頃から頭がよく、彼は神童と呼ばれるほどだった。けれども驕ることなく、飽くこともなくいつも勉学に励む真面目な男だ。

 そこへ一人の女子生徒がヴィクターに声をかけた。



(ついに浮気相手がきた!?)



 ユーフェミアの本を握る手に力が入る。



「ヴィクター様、お隣の席宜しいですか?」



 本を重そうに胸に抱き、柔らかい栗毛のポニーテールの先を揺らし首を傾け、見下ろしながらも上目遣い。

 他にも席は空いているのに、更にいうとユーフェミアのテーブルの席もガラガラなのに、あえて隣を狙うあざとさ。

 とんでもなく可愛いお願いの方法に、ユーフェミアの方が心臓の鼓動が早くなる。

 彼女ではなさそうだが、男ならコロッといきそうだ。

 キュッとユーフェミアは唇に力を入れた。

 さてヴィクターはどうするのか、と息を呑んでいると――



「わたくしも相席をしても?」

「私も宜しいですか?」

「実は私もここで勉強を」

「占いで今日はこの席が良いと出て」

「実はお気に入りの席なんですぅ」



 可愛らしい女の子がぞろぞろ出てくるではないか。椅子取りゲームのごとく、空いている席の争奪戦が始まろうとしていた。

 するとヴィクターは動揺することなく微笑み、立ち上がった。



「ここは日当たりがよい場所ですから、人気だったのですね。知らずに占領しすみません。どうぞレディたちでお使いください。お譲りします」

「えっとヴィクター様も一緒に」

「いえ、僕は席にこだわりはありませんので。では」



 落胆する女生徒たちを残し本を持って移動した先は、なんとユーフェミアの正面の席だった。


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