第3話 潜入①
若葉が芽吹く季節、宮殿と見紛うほど大きく荘厳な校舎の前では、揃いの制服を着た学生たちで賑わいをみせていた。
ここはノワール共和国の学園都市。様々な分野やレベルの学校がいくつも立ち並ぶ中、目の前の学校――国最高峰の教育機関『ロブス学園』は圧倒的存在感を放っていた。
「ついにこの日を迎えられましたのね」
亜麻色の長い髪は三編みにして後頭部で纏め、薄紅色の瞳を隠すように分厚い伊達メガネをつけ、制服のスカートは他の女子生徒が膝丈なのに対して彼女はやや長くしていた。
オシャレとは無縁のガリ勉スタイルに変装したユーフェミアは、興奮隠せぬ様子で鼻息荒く校門を跨いだ。
在校生に名簿で名前を確認してもらい、式典用の造花が胸元に飾られる。
「あぁ、私……本当に入学できたのね」
花が飾られたところからじんわりと温かくなり、涙が溢れそうになる。
ヴィクターの浮気現場を押さえるためには、彼と同じ学園に入学するのが最善手だった。ロブス学園の入試のレベルはとても高く、国外ということもあって自国の留学推薦枠を勝ち取る必要があった。
その枠なんと4名。
留学を決意してから国内選抜の試験まで三か月を切っており、ユーフェミアは死ぬ気で勉強したのだ。
肌が荒れようがかまわず睡眠時間を削り、大好きな読書会も涙を飲んで断り、家族との旅行も我慢した。
婚約者が寂しがっているようなので、私も学園まで追いかけたい――そう周囲に留学動機を話せば、「なんて健気なの!」と王女の好意で王室付き家庭教師チームが派遣されたほど。
ヴィクター様に知られるのは恥ずかしいから、入学して私から打ち明けられるまで秘密にしてほしいの――とロックウェル家に口止めを頼めば、国中の貴族に緘口令がしかれた。
予定より
(でもこれでヴィクター様に知られず、浮気調査ができるわ。緘口令がしかれていてもバレるのは時間の問題だから、速やかに大胆かつ慎重に進めなければならないわね)
浮かれていた気持ちを引き締め、ユーフェミアは式典の会場へと向かった。
その途中で同郷の留学生三人が集まっているのが見えたが、軽く会釈して、その後は他人の振りをする。
これもヴィクターにバレないための作戦だ。どうしてそんなに協力的なのか分からないが、誰もがユーフェミアを全力で応援してくれている。
だからこそ良心がズキズキと痛むわけで。
(本当に皆様ごめんなさい! 婚約者への愛のためではなく、浮気調査のためなんて絶対に言えないわ)
心の中で平謝りをしつつ、浮気調査をしなくてはならなくなったヴィクターへの怒りを再確認した。
式典では理事長の挨拶、この国ノワール共和国の王太子兼生徒会長の挨拶、寮長による寮のルール説明、教授によるカリキュラムの説明がされた。
この学園の生徒は全員寮に入ることが決まっており、個室が与えられる。
授業の科目は選択制で、単位さえきちんと取れば好きな科目だけが学べる専門性を意識したカリキュラムが組まれている。ユーフェミアは語学や大陸の歴史学といった基本科目を中心に、料理学と栄養学を取ることにした。
婚約破棄後、おそらく貴族の縁談は望めなくなる。平民の嫁入りに備えて、家庭に関係する科目を選んだのだ。
そして式典の後は新入生の懇親会を兼ねて、立食パーティーが始まった。
ユーフェミアは人の輪にすぐに飛び込まず、そのままじっくり周りを観察することにした。
「本当に君は可愛いよね。特に今日の髪型は素敵だ」
「まぁ嬉しいわ。あなたのために頑張ってみたの。なぁんて、そういう言葉は彼女に言いなさいよ」
「彼女にしたい人に言ってるんだけど?」
「あん、彼女にして」
人前で突然成立するカップルに、ロマンチズムを感じたと思えば――
「ねぇ、今夜は私と一緒に語り合わない?」
「前の恋人はどうしたんだよ」
「別れたばかりで、少し温もりが恋しいの」
「ふっ、悪い女だな」
一方で、あまりにも軽く成立するカップルには戦慄した。
けれども周囲は口笛を鳴らして笑うなど、当たり前のように受け入れていた。
母国では貴族間で恋人同士になるということは婚約も同然で、何度も付き合ったり別れたりすることは考えられない。
(こ、これが愛の国ノワール共和国の文化……甘いと思えば、軽い。軽いけれど、どこか情熱的で奔放……すごいわ異文化!)
もちろん全員が恋愛脳ではなく、一部の男女のみだ。けれども偶然立て続けに二組に見せつけられたユーフェミアは、すっかり熱に当てられてしまっていた。
それだけでなくレプトン王国の貴族の紳士淑女は、本心はうまく隠して、表情は常に慎ましくするのが基本。
対して男女ともに積極的な態度で、好意を一切隠そうとしないノワール共和国の国民性にも衝撃を受けた。
完全に雰囲気に飲み込まれてしまったユーフェミアは、ただ立ち尽くして会場を眺めることしかできなかった。
しばらくすると会場が一瞬だけ静まり返り、そのあと黄色い歓声が湧いた。
耳をすませ情報を集めれば、王太子で生徒会長でもあるレクトル・ノワールがパーティー会場に現れたらしい。
太陽のように眩い金色の髪に、燃えるような赤い瞳、笑みは甘い蜜のように人を惹きつけ、まるで愛の禁断の果実リンゴのような人。これが式典の挨拶をするレクトルの姿から感じた、ユーフェミアの第一印象だ。
(遠くから見ても格好いい感じでしたわよね。近くで見たらどうかしら)
彼女は面食いだ。これまでの厳しい淑女教育に耐えられたのも、顔の良い
人の流れに紛れ、レクトルのいるところへと向かう。
群れに揉まれながら耐えること数分、ようやく拝むチャンスが巡ってきた。
「あと少しで見える……っ」
踵を浮かし、背伸びをして、ユーフェミアは固まった。
レクトルの隣には見覚えのある男がいた。
少し癖のある藍色の髪にヘーゼルの瞳を持つ麗しい男――彼女の婚約者ヴィクター・ロックウェルが生徒たちに微笑みを向けていたのだ。
息を呑むような麗しさに息を呑むと同時に、ぐらりと足元がふらつく感覚に襲われる。
ユーフェミアがヴィクターの微笑みを見るのは、生まれて初めてのことだった。
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