第2話 疑惑②

 

 読書会はこの国レプトンの末姫が主催しているものだ。王家の親類や高位貴族の令嬢ばかり集まる中で、明らかに子爵家のユーフェミアの地位は低い。

 しかし将来の公爵夫人で宰相の妻になるからか、皆優しく穏やかな時間を過ごしていた。


「そういえば、ユーフェミア様は来年から学園でしたわね」

「はい。とても楽しみにしております。皆様と入れ違いでご一緒できないのは寂しいですけれど」


 レプトン王国の貴族の子息子女は十八歳を迎える年に、二年間だけ国立の学園に通うことになっている。

 親元を離れて自分の力で交友関係を広げ、社交界で独り立ちするための最終準備をするのだ。ちょうど読書会のメンバーは今年で卒業してしまうので、頼る人がいなくなるのは心細い。

 ユーフェミアが憂いの微笑みを浮かべると、王女たちは揃って感極まった表情になった。



「それは、わたくしたちもよ。可愛いユーフェミア様の制服が見られないなんて……」

「このように学園がお休みの日には読書会をいたしましょう? あなたのためなら、私達はすぐに集まるわ」

「もし誰かに嫌がらせを受けていたら、そのとき私達に相談するのよ。不在のロックウェル様に代わって、守ってあげるわ」



 社交界のお姉様方は殊更ユーフェミアを可愛がってくれる。美しくて、可愛くて、それでいて優しいお姉様たち。

 お世辞だと分かっていても褒められることが嬉しくて、ユーフェミアの顔が緩んでしまうのは仕方ないだろう。



(これから高位貴族の仲間入りをするのに、顔を緩ませるような笑顔はいけないわ……戻って! 私のほっぺ!)



 緩んだ顔から、すぐに見本のような微笑みに切り替える。

 しかし頑張りは王女たちにはバレバレで、愛されポイントを稼ぎまくっていることはユーフェミア本人は知らない。

 みんなで「うふふ」と笑い合っていると、辺境伯の令嬢が手を上げた。



「実は私、彼と婚約を解消することになりましたの。というより、我が家からの破棄に等しいですわね」

「え!?」



 ユーフェミアは驚きの声を上げた。

 辺境伯令嬢には幼い頃からの婚約者がいた。相手は隣国の王子で現在レプトン王国の学園に留学中。辺境伯令嬢と共に同じ学園に通っていた。


 国防の要である辺境伯と同盟国の王子が婚約。両国関係を密にするという思惑が絡んでいる、典型的な政略な婚約。はじめから愛は期待できない婚約だったということも聞いていた。


 しかし数か月前から王子は急に優しくなり、贈り物も増えたことから、「政略結婚に愛は求めていなかったけど、少し希望が持てた」と令嬢が嬉しそうに語っていたのは、つい数週間前の話だった。

 そんな話を聞いてそれほど時間も経たずして、婚約解消するなど予想にもしなかった。


 ユーフェミア以外の読書会メンバーは納得顔で頷いていることから、知らぬはユーフェミアだけ。

 そっと機嫌を探るように伺った。



「何がありましたの?」

「浮気ですわ。春に入学してきた新興の男爵家の可愛らしい娘に熱をあげていましたの」

「そんな……だって婚約者の態度が改善されたと言っていたではありませんか。どうして優しくなった方が、浮気なんかを」

「まさに、それが狙いでしたのよ。優しくすれば疑われないと踏んで、浮気を隠すためのカモフラージュで演技をしていたのですわ」



 結局は学園で決定的な浮気現場に遭遇し、嘘だと発覚したらしい。

 王位継承権の剥奪の危機に面した相手の王子は誤魔化そうとし、辺境伯令嬢が悪事に手を染めていたなどでっち上げたが、両国の国王は辺境伯側の話を全面的に認め、数日で婚約解消が成立したのだという。



「そうでしたの……王子は隣国の王族で、格上の相手。見逃せと圧力をかけられることなく、よくすんなり解消されましたね」

「ふふふ、バラまかれては困るふしだらで、決定的な現場を写真に収めてありましたから。隣国の国王も庇いきれない証拠はこちらの手の中に……格下には格下の戦いがありましてよ」



 そうニッコリ微笑む辺境伯令嬢は美しかった。

 王女や他の令嬢たちも鈴を転がしたように声を弾ませ、辺境伯令嬢の立ち回りを称賛した。


 今や「火遊びは男の嗜み」という令息を婚約者に持つ令嬢たちの希望の星として、絶大な支持を得ているのだという。

 社交界で影響力を持つ令嬢を妻に欲しい令息は多い。婚約解消という不名誉な経歴など関係なく、辺境伯令嬢は新しい良縁を見つけられるはずだ。



「ふふふ、たいしたことではございませんわ。殿方が急に優しくなったときは、皆様もお気を付けて。特に贈り物の内容に変化があったときなどは……ね?」



 辺境伯令嬢の助言に一同が頷いている中、ユーフェミアは背中に一筋の汗が流れるのを感じた。

 手元にある本の上に載せられた銀のブックマークに視線を落とし、ゴクリと唾を飲んだ。



(急な態度の変化……しかも優しくなる。贈り物の趣味まで変わるって、全部ヴィクター様にも当てはまるんですけど!?)



 さて、ヴィクターの留学先はどんな国だったか、と思い出して更に胸のざわめきは強くなる。

 彼が留学先に選んだ国はノワール共和国。学園都市を中心として栄える学問の国。各国から優秀な学生が集まり、様々な文化交流も盛んなところ。

 そう、様々な文化交流の中には『恋愛』も含まれており――



「ユーフェミア様?」

「えっと、その……」

「遠距離恋愛をして、寂しいあなたの前で話すべき内容ではなかったわね。でも、あのヴィクター様なら大丈夫よ。安心しなさいな」

「あ、ありがとうございます」



 ニッコリと笑みを返して、動揺を押し隠す。

 完全な政略結婚であるし、遠距離恋愛と言えるほど親密ではない。そしてヴィクターは大丈夫ではないのだ。


(まだ浮気してるって断定するのは尚早よね? もう少し様子を見てみましょう)



 そう思って二ヶ月。

 前より具体的な求愛の言葉が羅列された手紙が届いた。



「君が淹れてくれる紅茶が懐かしい。喉も心も乾いて仕方ない……?」



 何度も淹れたことはあるが、褒められた試しがないというのにどうしたことか。



「刺繍入りのハンカチを君と思って肌身はなさず持っているんだ……?」



 何枚もお手製のハンカチを贈ったことはあるが、使っているところを見た記憶はない。


 そして今回の贈り物は小説の本だった。本が送られてくるのは初めてのことで、「面白かったので良かったら君も読んでみて」と手紙には書かれていた。経済学や数学の本ばかり読んでいたヴィクターが、ユーフェミアの好きな恋愛小説の本を選んであえて送ってきた。

 

 どう考えても黒だ。


 今更ご機嫌を取ろうとしているようにしか思えない内容だ。

 小説の内容と同じく真実の愛に目覚めてしまったと、遠回しに浮気を認めてほしいというメッセージなのかもしれない。

 腹の底から熱いものが湧いてくる。



「ヴィクター様の望み通りに振る舞っていたのに。彼がきちんと義理を通すから私だって頑張っていたのに浮気するなんて、この仕打ち許しませんことよ」



 思わず手紙を握りつぶす。

 贈り物をすれば誤魔化せると。または浮気をしてバレても「本命は君だ」と言えば許してもらえると。見下し、馬鹿にしているようにしか思えない。

 そんな野郎は一度浮気したら、結婚後もするに決まっている。そう思ったユーフェミアとしては、お金も権力もいらないから、どうにかして結婚を回避したいところだ。


 けれども相手は国の中枢にいる重鎮の跡継ぎ。辺境伯令嬢のように円滑にすすめるためには確固たる証拠が必要。

 そして相手は現在遠方にいるときた。



「こうなったら乗り込みよ。浮気の証拠を掴んだら婚約破棄してやるんですから。待ってなさい……ヴィクター・ロックウェル!」



 ドンと重低音を鳴らし、机の上に分厚い教科書を積み上げた。


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