第53話(終)「七つ星ロマンティック」



「七瀬ちゃん、ありがとう。最高の文化祭になったよ」

「私の方こそありがとう。じゃあ、また打ち上げでね」


 僕と七ちゃんは、美妃さんの家の近くまで彼女に着いていく。美妃さん、本当に明るい女の子になったなぁ。最初は教室の隅で本読んでばかりで、絡みづらい子だと思っていた。

 でも蓋を開けてみれば、ちゃんと自分の気持ちを伝えられて、相手を思いやれる優しくて可愛い女の子だ。


「うん、ばいばい!」

「ばいばい」


 それも、七ちゃんが手を差し伸べたから始まった。彼女の優しさがどんどん世界中へと広がっていく。なんて魅力的な人なんだ。


 そんな彼女が、僕は大好きだ。


「……よし」


 僕はスマフォを手に取り、和仁君にメッセージを送る。やると決めたことは文字に起こして、決心を固めた方がいい。それに、七ちゃんとの恋を一番そばで見守ってくれた彼に、感謝を伝えたいと思った。




『今から七ちゃんに告白する』








「わぁ……」

「すごいね……」


 時刻は午後7時を回る頃かな。事情聴取があったせいで、かなり遅くなってしまった。でもせっかくだからと、私と星君は家に戻る途中の駅前広場に来ている。広場に飾られたイルミネーションを眺めるためだ。

 10月にもう飾り付けを始めるのは珍しいけど、美しい光が文化祭終わりの私達に『お疲れ様』と言ってくれてるみたいで落ち着く。


「寒い時期になるとイルミネーションすごいよね」

「えぇ、今年もすごく綺麗」


 駅前広場を行き交う人々も、脚を止めて無数の装飾が放つ煌めきに目を奪われる。その美しさは文化祭の疲労を忘れさせるほどだった。赤、青、黄、緑、白……色とりどりの輝きが僕達を出迎えているように見えた。


 イルミネーションを飾る季節としてはまだ少し早いかもしれないけど、そろそろ夏の制服だと夜風が冷たく感じる頃にはなってきた。


「……」


 指先と足元にわずかな冷気を感じる。昼間は半袖のクラスTシャツを着ても違和感なく過ごせたのに、夜になると町は秋の終わりと冬の片鱗を見せつける。

 私の小さくて細い指は、痛みを伴って寒さで泣いている。夏用スカートは生地が薄いし、丈が短いので足がかなり冷える。


 夜が更ける度に寒さは増していく。寒がりな人は、もうマフラーや手袋をしなければ辛い時期かもしれない。


「七ちゃん……」


 七ちゃんが両手を合わせて擦っている。女の子の肌は薄いから、この冷たい空気の中はかなり辛いかもしれない。特に七ちゃんは冷え症だもんね。

 彼女の丈の短いスカートが、あの日の傷跡を見せつける。僕が強くなろうと決意した始まりの証だ。寒いだろう。苦しいだろう。僕が何とかしなくちゃ。


 ここは男の見せ所だ。




 ギュッ


「!?」


 すると、星君が突然私の右手を握ってきた。昇君の件で警戒心を働かせていた私は、驚いて思わず振り払ってしまった。な、何? 何なの!?


「あ、ごめん七ちゃん! えっと、手冷たいだろうから、温めてあげようと思って……」


 七ちゃんが戸惑っている。そうだ……いきなり何も言わずに手に触れるなんて、ラブコメじゃないんだからびっくりするに決まってるよ!

 別にやましい気持ちなんてないけど、勘違いされてしまうだろ。あぁもう、なんて恥ずかしいことをしてるんだ、僕は……。


「え、あぁ、そうなの。こっちこそごめん……」


 私もペコリと頭を下げる。それは申し訳ないな。寒がりな私を暖めてあげようとか、星君が考えそうなことだ。でも、やっぱりいきなり触れられると恥ずかしい。




 だって、相手が星君なんだもん。




 私の……好きな人なんだもん……。






「……」


 いつの間にか周りの人通りは少なくなっていて、私と星君の間には代わりに静寂が訪れる。怖いのか、それとも平気なのか、よく分からない。けれど、不思議と心地いい。寒さも気にならなくなってきた。




 せっかく訪れてくれた静寂に感謝し、改めて心を落ち着かせる。僕と七ちゃんの恋路を邪魔するものはもう何もない。言葉を繰り出すために息を吸うほんの一瞬に、僕達が共に過ごしてきた8年間が頭を過る。

 どれもかけがえのないものばかりだ。そして、それら全てが七ちゃんが一緒につくってくれたもの。8年分の感謝の気持ちを返すために、今僕は思いを伝えるんだ。




「……もう、僕は守られるだけじゃないから」


 真剣な声のトーンで、口を開く星君。その表情は前髪で半分隠れていて、うまく読み取れない。でも、心は顔以上に暖かい思いを乗せて私に飛び込んでくる。彼の姿から迷いが一欠片も感じ取れない。


 そうか、ついにこの時が来たんだ。彼はようやく、真の男になった。


「七ちゃん、ずっと言えなかったこと、言ってもいい?」

「……うん」


 どれだけ鈍感な人間でも、これから僕が伝えることはある程度察知することができるだろう。七ちゃんもどうや、受け止める準備はできているようだ。お互い深呼吸をして、高鳴る心臓を落ち着かせる。


 七ちゃん、8年もかかっちゃってごめんね。今、恩返しをするよ。




「七ちゃん、ありがとう。君のおかげで僕は変われた。強い人間になれたよ」


 私達の頭を駆け巡るのは、今まで積み重ねてきた数多の思い出だ。脳だけじゃない。全身の血管から細胞の一つ一つが、全てを覚えている。

 星君が自分に自信を持てずに泣き出したのを、よしよしと慰めてあげたこと。臆病な心を少しでも克服させようと、厳しい特訓を課せた日々。抗えない性差に思い悩み、近づいては離れていった距離。


 そして、KANAEの能力が浮き彫りにした願いの数々。


「七ちゃんがそばにいてくれたおかげで、本当に幸せだった」

「……うん」


 笑って、泣いて、怒って、苦しんで、また笑った。数えきれない思い出を感情と共に積み重ね、今僕達はここにいる。七ちゃんとの出会いが僕の人生を変えて、ここまで世界を美しく彩ってくれた。

 僕は君になりたくて、君を追い求めて、君を好きになった。

  

「本当にありがとね、七ちゃん」

「……うん」


 星君の暖かみのある声が、私の心に優しく浸透する。私だって星君に感謝している。私はずっと女であることをコンプレックスに思っていた。それでもあなたは私の心の光も闇も、真摯に受け止めてくれた。

 私はあなたになりたくて、あなたを追い求めて、あなたを好きになった。


「まぁ、まだまだダメなところばっかりかもしれないけどねぇ。あの時、結局僕が駆け付けるの遅れて、七ちゃんに怪我させちゃったし、ものすごく怖い思いをさせちゃった。僕のせいだ。本当にごめんね」


 私は黙って首を振った。そんなことはない。絶対にそんなことはない。あなたはちゃんと私を助けてくれた。あなたは本当に素敵な人よ。

 こんなにも私を思ってくれる人は、あなた以外にどの世界にも一人だっていやしない。


「……でも、それでも七ちゃんのそばにいたい。まだ頼りないところがたくさんあって、いっぱい迷惑をかけちゃうかもしれない。だけど、時間をかけて強くなれた恩返しをしたい。ずっと七ちゃんのそばにいて、守ってあげたい」


 固く誓った約束も、結局何度も揺らいでしまった。それでも、今目の前にいるいとおしい思い人の姿が勇気をくれる。君の笑顔が喜びをくれて、君の涙が力をくれる。

 なぜ僕が男として生まれたのか。それは七ちゃんを守るためだ。そう信じて、僕は先の人生を駆け抜けたつもりだ。視界に映る度に守ってやりたくなる可憐な彼女を、生涯守ってみせると誓った。強くなると決意した。


「……ほんとに、私なんかでいいの? 星君の思ってるような強い私は、もういないよ。私、ひ弱な女なんだから」


 彼もたくさん悩んで、立ち止まって、苦しんだことだろう。私だってそうだ。今も彼のような素晴らしい人間のパートナーとして、私が選ばれてしまっていいのだろうかという今更な申し訳なさが、しつこく心に割り込んでくる。


「ううん、七ちゃんは強いよ」


 七ちゃんは顔を上げた。僕の誠意を見せつけるために、決意に満ちた顔を見せる。そうだ、七ちゃんは弱くない。君はとても強くて、優しい女の子だ。僕がその証明になってみせる。ならなくちゃいけないんだ。


「だって、今の僕がここにいるから。あの時、七ちゃんが僕の手を引っ張ってくれなかったら、僕を助けてくれなかったら、ここにいなかった。いつまでも泣き虫で弱いままだったんだよ」


 山犬に傷つけられたあの日のことだ。やがて、私達の瞳は涙で潤み始めた。私達の脳裏を駆け巡るたくさんの思い出が、それは悲しみの涙ではないと教えてくれた。


「ありがとう……ありがとう……本当にありがとう……」


 抱えきれない荷物を吐き出すように、僕は何度もありがとうと感謝を述べる。七ちゃんは僕の涙を掬い、共に歩むという選択をしてくれた。偶然か運命か、僕と七ちゃんの交わった道は、一つの感情の元へと僕達を運んだ。


 そう、それは……






「僕、宮原星は……土屋七瀬のことが大好きです」


 僕は満面の笑顔で思いを告げた。七ちゃんがくれた、一番かけがえのない宝物。それは、恋心だ。

 やった……僕はついに告白を成し遂げた。ようやく口にできたことを喜ぶように、我慢できなかった涙が頬をゆっくりとつたう。




「……!」


 僕の涙が地面に落ちる前に、七ちゃんは僕の胸に飛び込んだ。


「こうなること……ずっと待ってたんだよ……すごく遅くって……待ちくたびれちゃったよ」

「ごめん。ずっと自信がつけられなくて……不安にさせちゃった……僕ってやっぱりまだまだダメな奴なのかも」


 お互いに相手の背中に腕を回し、二度と離れることがないように抱き締め合った。何度気持ちが離れていっただろう。何度間に溝が生じてしまっただろう。小さな頃から同じ時間を共に歩んできたのに、どこか一番遠くに感じていた人だ。


 しかし、私達はもう離れまいと、ぎゅっと相手の体を抱き締め、永劫の愛を誓った。


「ダメじゃない……星君は私にとって……最高の男の子だよ。私も、そんな星君のことが大好き。世界で一番……一番カッコよくて、優しい人だよ。私を選んでくれて……ありがとう」

「当たり前だよ。強さと、勇気と、大切な思い出をくれた君だからこそ、僕は好きになったんだから。僕、君のこと、一生守る。ずっとずっと、ずっとそばにいて、守ってみせる」


 僕達はもう一度お互いの顔を見つめ合う。この世界に蔓延る恐怖も、愛しの恋人がそばにいてくれるだけで乗り越えられる。そんな自信が、心の底から湧き水のように溢れ出てくる。




「七ちゃん、七瀬って呼んでもいい?」

「うん、呼んで」


 どこまでも私にとっての理想の男でいたいんだろう。星君は心配そうに尋ねてきた。もちろんいいよ。呼んで。今ここで、ただの幼なじみを超えるために、私の名前を呼んで。




「七瀬、愛してる」


 そして、僕達の唇は淡い明かりが灯る夜の広場の中心で重なり合った。呼べた……ようやく僕達は恋人になれたんだ。喜びが胸から溢れ出して、この体を破ってしまいそうだ。


「ありがとう……本当にありがとう……」


 これから様々な一線を越えていくとしても、私は星君となら、星君は私となら、恥ずかしさを微塵も抱かない。それくらいの自信が私達の心身を満遍なく満たしている。

 不思議と落ち着いた心臓の鼓動がその証拠だ。今しているのは演劇で起きたハプニングの時とは違い、誰よりも深く愛情のこもった口付けである。


「やっぱり、願いは自分で叶えるものだよね」

「私も、小さな頃からずっと願ってたこと、自分の力で叶えられてよかった」


 天使のアイテムが引き起こした一連の騒動。しかし、良くも悪くも願いという一つの概念は、僕達の心と体をぐっと近づけた。

 僕達は温め合うように身を寄せる。肌を突き刺す冷たい夜風も、僕達の一つとなった愛の温もりの前では成す術がない。地球上から他の人間が消えてしまったように、二人だけの世界がそこに広がっていた。




「じゃあ、最後は一緒に願おうか」

「うん」


 私達はお互いの手を繋ぎ合い、目を閉じて静かに祈りを捧げる。これからの人生、決して離ればなれになることがないように。想像もつかないような幸せが降り注ぐように。喧嘩したり困難にぶつかったりしても、乗り越えてまた共に歩んでいけるように。


 挙げ出したらキリがない。


「これから少しずつ、叶えていこう」

「うん、いつまでもよろしくね」


 頭を駆け巡る数多の願いを、これから僕達は二人の手で、KANAEの能力を使わずに叶えていく。不可能だと思う気持ちは全く起こらない。

 なぜなら、目の前にいる思い人が七瀬だからだ。僕達二人だからこそ、実現できるのだ。


「うぅぅ……七瀬、大好きぃ!!!」

「痛っ、星君痛い痛い!」

「あ、ごめんごめん!」


 星君はとてつもなく嬉しさが込み上げ、思わず力一杯抱き締めてきた。すぐさま腕を離し、癒すように撫でてくれる。そして、今度は優しく包み込む。強さが何たるかを理解できたからこそ、加減の程度もお手のものだろう。


 彼の腕の中はとても暖かい。


「……ふふっ」

「ははっ」


 僕達は吹き出して笑った。なんて幸せなのだろう。なんて尊いのだろう。今目の前で一緒に笑ってくれる相手に、出会ってよかったと心の底から思える。奇跡か、運命か。何だとしても、出会えたことを心から感謝したい。


「いつまでも一緒だよ」

「うん。叶えよう、私達の願い」




 夜空には広場のイルミネーションに負けないほどの美しい星々が輝いていた。北の方角に北斗七星が見える。一年を通して光を放っている。終わらない私達の愛を体現するように。

 私と星君はこれから眺めた星の数だけ願い、共に生きながら一つずつ叶えていく。ずっとずっと、一緒に願いを重ねていくのだ。


「七瀬……」

「星君……」

『愛してるよ……』


 二人の愛を、人生を、願いを、夜空の星々は祝福している。とてもロマンチックな光景を眺めながら、僕達はまた笑い合うのだった。




  KMT『七つ星ロマンティック』 完


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