最終章「七つ星ロマンティック」

第52話「星の綺麗な夜に」



 七瀬達のクラスの演劇を最後に、葉野高校文化祭は幕を閉じた。屋台用のテントや校舎内の装飾を片付けが進む中、七瀬は一人他の生徒とは逆方向に足を進める。昇が犯した性的暴行の件だ。


「それじゃあ乗って。必要なことを聞いたらすぐ終わるから。ごめんね」

「いえ……」


 正門付近にはパトカーが1台停車していた。昇は星達が取り押さえた時点で、先に警察に連行されている。彼が学校に復帰できる可能性は定かではないが、今の七瀬には心底どうでもいい。


「七瀬さん、本当にごめんなさい」


 七瀬の肩に手を乗せ、申し訳なさそうにうつ向く凛奈。幸い七瀬は頬に軽い傷を負った程度で、重症には至らなかった。しかし、大事な生徒に恐ろしい思いをさせてしまったことを深く懺悔する。


「先生のせいじゃないですよ。私は大丈夫ですから」

「そうだ」


 陽真は凛奈の頭を撫で、七瀬を自分のパトカーの中へと案内した。これから警察署で事情聴取を受けに行く。七瀬達を乗せたパトカーは、一日の終わりを連れてくる夕焼けの明かりの中へと消えていった。






「夜遅くまでごめんな、土屋さん。さっきも言った通り、高校周辺の巡回は強化しておくから。登下校中は気を付けて」

「はい、ありがとうございます」


 事情聴取は一通り終了し、七瀬は解放された。気が付くと辺りはすっかり暗くなっており、付近の草むらで鈴虫が鳴いていた。


「あっ」


 警察署の出入口に向かうと、心配そうにこちらを見つめる星がいた。背後にも和仁や恵美、美妃、凛奈が立っている。


「星君」

「七ちゃん!」


 星は七瀬の姿を捉えると、急ぎ足で彼女の元へ駆けていく。彼女が無事であることを確認するため、強く優しく手を握る。

 七瀬のことを心配して、わざわざ警察署まで無理を言って出向いたようだ。七瀬に纏っていた危機が全て振り払われ、深く安堵する。


「よかった……」

「大げさよ」


 星の放ったため息の大きさに、七瀬は呆れる。まるで七瀬がいなければ自分の人生が終了してしまうと思っているかのようだ。いや、事実そう思っている。


「星君、丁度よかった。彼女を家まで送り届けてあげてくれないか?」


 陽真が部屋の奥から姿を現す。自分達警察官よりも彼女の警護に長けているであろう星に、緊急任務を依頼する。


「はい、もちろんです!」


 当然星は引き受ける。星は背をシャキッと伸ばし、華麗に敬礼を決める。七瀬は相変わらずの彼の子供らしさに、先程の彼に負けないほどの大きなため息を溢す。


「ありがとう」

「すっかり暗くなって危ないですから、気を付けて帰ってくださいね!」


 凛奈が遅れて署の入り口から走ってくる。星はようやく全ての問題事が解決したことを確信し、肩の力を抜く。


「よく守ったな、星。お前は男の中の男だ!」

「宮原君、これからも七瀬のこと任せたわよ」

「七瀬ちゃんと星君いいなぁ。すごく仲良しさんって感じ♪」


 和仁と恵美、美妃が調子に乗って星をからかう。和仁の腕に絞められながら、星は頬をほんのりと赤く染めながら、改めて七瀬を救出できたという事実に安心する。




「……」


 すると、再び入り口から七瀬達の元に歩み寄る人物が現れた。


「ま、真理亜……」


 真理亜だ。彼女は真剣な表情を浮かべながら、ゆっくりと七瀬に歩み寄る。

 七瀬の救出に協力したり、彼女がステージで緊張した際に誰よりも早く背中を押したりなど、普段の真理亜らしからぬ姿を見せていたが、果たして……。




「七瀬、ごめん」


 真理亜は七瀬の前に立つや否や、彼女に向かって頭を下げて謝罪した。星には既に謝ったが、一番頭を下げるべき相手を忘れており、彼女もわざわざ警察署に出向いたようだ。


「私、あんたに散々迷惑かけたよね。星君に付きまとったり、能力で星君を奪ったり、盗聴器仕掛けて弱味を握ろうとしたり……数えきれないくらい酷いことした。星君も、改めてごめん」

「うん」

「謝っても許されないって分かってる。でも、本当に申し訳ないと思ってる。ごめんなさい……」


 頭を下げたまま、真理亜は七瀬の返事を待つ。彼女の垂れたオレンジ髪の影から、一粒のぬるい雫が垂れる。七瀬にとって、十分誠心誠意の証明はできている。返事は既に決まっていた。


「……いいよ」

「いいの? 私、ほんとにいじめるようなことたくさんしたのに……」

「だからいいって言ってるでしょ。馬鹿ね」


 真理亜が頭を上げ、七瀬の顔をまじまじと見つめる。七瀬はよかれと思って手を伸ばし、真理亜の瞳に浮かぶ涙の雫を拭う。


 人は諦めない限り分かり合える。相手がどれだけの悪人だとしても、仲良くする努力を怠るまでは可能性は残されている。ここから改めて友情を深め合うことを決心し、七瀬は今までの真理亜の罪を水に流すことにした。


「そうだ、来週1組のみんなで文化祭の打ち上げに行こうと思うんだけど、2組の子達も一緒にどう?」

「七瀬……あんた……」

「これで私達はもう友達。今後も仲良くしましょ。ね?」

「ありがとう……本当にごめん……ごめんなさい……」


 真理亜は床に崩れ、先程以上に泣きじゃくった。七瀬や星は真理亜の肩に手を乗せ、彼女の気が済むまで涙を流させ、よしよしと背中を擦った。


「ふふっ」


 七瀬は星をはじめ、多くの温かく優しい仲間に恵まれている現実に感謝した。これからも人間の深い闇に飲まれ、息苦しくなる時が訪れるかもしれない。

 しかし、信頼できる仲間と助け合っていけば乗り越えられる。仲間の存在だけで不思議と心強くなり、芽生える不安も一瞬にして腐り散る。


 警察署にて、生徒達の微笑ましく賑やかな声が、どこまでも明るく響いていたのだった。






「もう大丈夫そうだな、あいつらは」

「ごめん、スター。私、人間に捕まってる間に色々問題事を起こしてたみたいで……」

「仕方ねぇよ。世界は広いんだ。昇みてぇな野蛮な人間だっているさ」


 道路を挟んだ警察署の向かい側の歩道で、スターとプリシラが七瀬達の様子を眺める。プリシラは昇に洗脳されており、事態を把握できていなかった。今までの経緯をスターから聞き、何度も深く頭を下げる。


「でも、自己中心的な人間ばかりってわけでもないぜ。あいつらみたいにな」

「フフッ、そうみたいね」


 スターとプリシラは、異様に距離が近い七瀬と星の様子を見て微笑む。人間は己の欲求を満たすために、時として手段を選ばない。

 しかし、自分ではない他の誰かを思いやり、その人に少しでも幸せを分け与えてやりたいという純粋な願いを持つ人間もいる。


 スターは七瀬達との交流を通して、更に深く人間の感情を理解することができた。




「そういえば、七瀬のやつ『星が自分のことを好きになってくれますように』って願ったらしいんだが、叶わなかったみたいなんだ。なんでだ?」


 七瀬は一度真理亜から奪われたKANAEの能力を取り戻し、星の恋心を自分に向けさせようとして願った。

 しかし、願いが叶った証である流れ星は流れず、星の様子が変わることもなかった。スターにも理由は分からないみたいだ。


「多分、その願いは叶わなかったんじゃなくて、能力を使う前に『もう既に叶っていた』からでしょうね」

「……あぁ」


 優秀な天使のプリシラは見抜いていた。互いに愛しの思い人を見つめ合う星と七瀬を見て、スターも納得した。これから自分が見守らずとも、二人なら大丈夫だ。不思議な自信が胸の底から湧いてきた。


 やはり人間は面白い。研究のし甲斐がある。スターは満面の笑みを浮かべていた。




「じゃあ、お別れだな」


 スターとプリシラは空高く飛び上がり、上空から七海町全体に黄色い粉を振り掛けた。天界アイテム「オブリビオン」だ。

 この粉を浴びた者は、天界に関わる記憶が全て消去される。よって、七瀬達は人知れずスター達やKANAEの存在を忘れていく。


 スターとプリシラは七瀬達が叶えた願い事をしっかり記録し、現世での任務を終えた。死後の世界……セブンに戻る時が来たのだ。


「さてと、任務完了。戻りますか」

「スター、ユリア様にどう報告するつもり?」


 粉を撒き終えたスターとプリシラ。二人は様々なトラブルに見舞われたが、無事任務を完遂できた達成感を抱く。

 そんな中、プリシラは浮かない顔だ。二人が実験材料として選んだ人間が願ったことは、どれも結果としては望ましくないものばかりのように思える。


 しかし、スターの顔から笑みが消えることはない。


「さぁな。でも、面白いレポートが書けそうな気がする」


 決して全て完璧にとは断言できないが、スターは七瀬と星の互いを思いやる関係を見て、人間の複雑な心を理解した。まるで誰も見つけたことのない宝箱の在処を知ったような、好奇心溢れる輝かしい目で町を見つめた。


「じゃあな、人間。いいものを見させてくれてありがとう」


 スターとプリシラは町に手を振りながら、美しい愛の溢れる世界を後にした。七瀬や星、天使の存在を認知した七海町で暮らす人々から、彼らの記憶がひっそりと消されていった。


 そして人間達の眼下に広がるのは、どこまでも美しく輝く星空だけだった。








「みなさん、気を付けて帰ってくださいね」


 警察署の入り口で凛奈は星や七瀬と分かれる。最後まで彼女は担任として生徒達のことを思いやる真摯な姿を見せている。陽真も隣に立ち、優しげに見送る。


「はい。先生、ありがとうございました」

「先生も気を付けて」

「来週は打ち上げっすよ! 忘れないでくださいね~!」

「また学校で」

「さようなら~」


 遠ざかる生徒達に向けて、陽真と凛奈は手を振る。彼らの姿が朧気になったところで、二人は感傷に浸る。


「なんか、昔の私達を見てるみたいだね」

「あぁ、そうだな」


 星と七瀬が身を寄せる様は、陽真と凛奈の心に染みる。幼少期からの幼なじみという関係は、この二人も同じだ。今やかけがえのない夫婦という間柄である


「いいなぁ……青春って感じで初々しいね」

「俺達も負けてられないな」


 陽真は凛奈の小さな手を握った。


「え?」

「凛奈、今夜は早く帰れそうなんだ。いつも仕事ばっかで、家で一人にさせてごめん。久しぶりにお前の温もりを感じさせてくれ。その……また明日も頑張れるようにな……///」


 凛奈もまた、陽真の大きな手を握り返した。


「うん。帰ろう、あなた……///」


 二人の薬指には、夜空の星に負けない程の美しい指輪が光り輝いていた。











「うーん……なんかすごく大事なことを忘れてるような……」

「何? 打ち上げの日程忘れないでよね」

「それは覚えてるから大丈夫!」


 星や七瀬は駅前のイルミネーションを見に行くらしく、和仁と恵美は二人で先に帰路に着く。わずかに空中に漂う粉を鼻で吸った和仁は、天使や天界アイテムの存在を無意識に記憶の彼方へと放り捨てる。


 しかし、彼にはどうしても忘れられない事実があった。




「……」


 視線が意識せずとも恵美の口元に移動する。そう、和仁は恵美と一度キスをしている。演技のためとはいえ、思いを寄せる相手と唇を重ねる経験をしてしまった。演劇では完遂させることで頭が満たされ、恥じらいなくやってみせた。


 しかし、今思うと心底恥ずかしい。




「……なぁ」


 勇気を出して、和仁は指摘してみることにした。


「俺達、その……キスしたよな?」

「……」


 恵美は何も話さない。和仁と目を合わせることもせず、ただ黙り込んでいる。彼女が動揺した姿を見せることは滅多にない。彼女も恋愛経験は皆無のため、歳近の異性とキスしたこも一度もないだろう。

 しかし、ファーストキスの相手が和仁であることに、どう思っているだろうか。真っ先に心の底から嫌がっている可能性が浮上する。


「今更だけど、よかったのか? 俺なんかと……」




「馬鹿ね」


 恵美は和仁の手をぎゅっと握った。彼女が初めて見せる女らしい仕草だった。


「嫌だったら、最初から断ってるっての」

「え、なっ……あ……」


 てっきり嫌がられていると思い込んでいた和仁は、あからさまに動揺する。無理もない。彼女の普段の性格から考えて、和仁とキスをするという行為に何の嫌みも感じないことなどあり得ない。


「あんたが普段から宮原君を支えてくれてるの知ってるから。それは一周回って、七瀬のためにやってるのと同じようなもんでしょ? 私は十分知ってる。あんたが本当に仲間思いのいい奴だって。だから、私はあんたとなら平気……いや、あんただからこそ……」

「恵美……」


 彼女はようやく目線を和仁に向けてくれた。そして爽やかな笑顔を浮かべる。それは彼女の言葉が嘘偽りのない真実であることの証明だった。




 そして、和仁は思い出した。先程星からLINEで送られてきた『今から七ちゃんに告白する』というメッセージを。



「……」


 親友として、負けたくない。


「恵美」




 和仁は恵美の肩に手を乗せ、ゆっくりと自分の唇を彼女の唇と重ねた。恵美も何の抵抗も見せず、ただ和仁に身も心も全てを委ねた。


「恵美、ありがとう。俺、お前のこと好きだ。俺と付き合ってほしい」

「まぁ、あんたの馬鹿さ加減に耐えられる女なんて、私くらいだものね。しょうがないから付き合ってあげる」


 相変わらずの毒舌に頭を抱える和仁。しかし、そんな肝の据わった彼女だからこそ、自分は心惹かれたのだと納得し、思わず笑みが溢れる。


「はいはい。仕方ないから俺も付き合ってやりますよーだ」

「告ってきた方が言うと不自然なんだけど。ていうか、それが好きな女の子に対する態度からしら、クズ仁」

「お前はもう少し毒舌を加減してくれよ!」

「はいはい……」


 恵美は和仁に身を寄せる。


「私のこと大事にしてよね、ウィル……いや、和仁///」

「お、おう……任せとけ!///」


 時たま見せる恵美の乙女の姿に、思わず理性を揺さぶられる和仁。いじって、いじられて、愛して、愛されて……。そんな行ったり来たりの日々をいとおしく感じる二人だった。


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