第51話「閉幕」
「学校が元に戻りますように……」
七瀬の呟きと共に、中庭や運動場、廊下で蠢いていたお化け達はみんな泡となって消えていった。昇もとんだ迷惑なことに能力を使ってくれた。
七瀬は最後の願いを叶え終えた。KANAEの能力の使用履歴は以下の通りだ。
7→すき焼きが食べられますように
6→星と修学旅行の判別行動で同じグループになれますように
5→昼食でデザートが食べられますように
4→雨が止みますように
3→星が真理亜を好きになりますように(真理亜)
2→星の真理亜への恋心が消えますように
1→お化け屋敷になった学校が元に戻りますように
よって、七瀬の手首に刻まれた数字はなくなってしまった。7つの願いを全部叶え終えたのだ。最後の一個を何とも微妙なことに使ってしまった。でも、もういい。自分の願いは自分で叶えてこそ嬉しいものだろう。
「最後の一個なのに、こんなことに使ってよかったの?」
「じゃあずっとお化けだらけの学校で勉強する?」
「ひぃぃっ!? それは勘弁……」
消えゆくお化けの泡を怯えながら眺める星。こう見えて、星は七瀬のためなることは一生懸命頑張るとても素敵な人間なのだ。彼と一緒なら、どんな壁も乗り越えていけそうな気がする七瀬だった。
「さぁ、準備はいい?」
「うん、行こう!」
「ウィル……ありがとう……」
体育館のステージでは、恵美が涙を流しながらナポリタンを食べていた。組織の連中との戦いを生き延び、ウィルが作ってくれたナポリタンを食べている場面だ。
“悔しいけど……ここまでね……”
号泣する演技を見せながら、恵美は内心焦っていた。次はいよいよウィルとラルカが再会し、キスで二人の姿が元に戻る場面だ。星と七瀬が登場しなければいけないが、二人は未だに舞台に戻ってこない。
“二人共、ごめん……”
恵美は立ち上がり、舞台袖へと向かう。悔しいが、原作通りウィルとラルカが元の姿に戻らないまま終わるシナリオに変更するしかなかった。場面は次へと移行する。
「ま、待て!」
すると、舞台袖から恵美の道を遮るように、ミッドナイトの魔女役の女子生徒が飛び出してきた。次が最後の場面であるため、組織の連中の出番はこれ以降はないはずだ。
「え、えっと、その……わ、私達が簡単に滅びると思ったら大間違いだ! どれだけ打ちのめされようとも、何度でも復活してやる!」
魔女役の女子生徒は、脚本にはない台詞を振り絞って放つ。つまりアドリブだ。恵美はどう反応すればよいかわからず、しばらく立ちすくんだ。
“もしかして……”
しかし、女子生徒の真っ直ぐな視線を感じ、彼女の意図を察知した。彼女は無理やりでも物語を引き伸ばそうとしているのだ。咄嗟にアドリブを考え、二人が戻ってくるまでの時間を稼いでいる。
“あの二人が戻ってくるまで、何とか持ちこたえるよ!”
“ありがとう!”
「負けない……ウィルの遺した意志は、私が受け継ぐ!」
恵美も彼女のアドリブに乗った。その他の組織の連中役の生徒も、衣装に着替えてステージへと飛び出した。突発的に最後の戦いを挟み、ウィルとラルカが再会する場面を必死に先伸ばしにする。
「みんなごめん!」
「準備できてるよ」
舞台袖に七瀬と星が到着した。既に再会の場面で使う衣装を身に纏っている。
「七瀬ちゃん! 大丈夫だったの!?」
「拐われたって聞いて心配したよ」
七瀬が無事に戻ってくることができて、安心する1組一同。
「よし、これでいける!」
『ラルカ達は果てしない戦いを乗り越えました。そして月日は巡り、復興を成し遂げたインテレシア王国で、再び星夜祭が行われることとなりました。ラルカは亡きウィルのことを思いながら、星空を見上げていました』
七瀬が着ているものと同じドレス姿の恵美が、綺麗な星空ボードを眺める。
「ウィル……綺麗ね」
「あぁ、とても綺麗だ」
草影からウィル役の和仁が歩み寄る。恵美と和仁はお互いに抱き合い、再会できた喜びを分かち合うためにキスをする。それが合図だ。
「今だ! 行くよ!」
「えぇ!」
体育館全体が暗転し、辺り一面暗闇に包まれる。その間に和仁と恵美が立っていた場所に、星と七瀬が舞台袖から駆け出して立つ。変身魔法が解け、元の姿に戻る演出だ。和仁と恵美はすぐさま舞台袖へと戻っていく。
「え……あ、元に戻ってる! やった! 戻れたんだ!」
「あぁ……」
星と七瀬は身を寄せて喜び合う。閉幕までに間に合った達成感はもちろんだが、離ればなれになってしまったウィルとラルカの心情が今の自分達とどこか重なり、心から二人になりきることができる。
「ウィルだ……ずっと会いたかった……ウィルが……目の前にいる……」
七瀬の瞳は星を散りばめた夜空のように輝く。美しい愛が二人の魔法を解いたのだ。
星はズボンのポケットから小さな箱を取り出す。中身はもちろん婚約指輪だ。ここからウィルがラルカにプロポーズする場面が始まる。
「ラルカ、この日をずっと待っていた。もう離ればなれにはさせないよ。僕が君を守るから。これからも、僕のそばにいてくれ」
星が七瀬の右手薬指に指輪をはめる。天井に広がる夜空から借りてきたような、一粒の美しい星の装飾が指の上で光り輝く。二人が何物にも隔たれることがないよう、強く優しく結ぶ約束の証だ。
七瀬は星の瞳を見つめる。
しかし……
「あっ……えっと……」
返事を絞り出そうとするが、なぜか言葉を形成できない。喉に異物がつっかえたように、声になるのは意味を有さない呻きだけだ。
「七瀬! 台詞台詞!」
観客には聞こえない程度の小声で、恵美が小声で訴える。だが、七瀬は電池の切れかけた機械のように、小刻みに震えながら静かに焦り散らすだけだ。ここに来て、七瀬は緊張に体を乗っ取られた。
“ヤバい……早く台詞……言わなきゃ……”
脚本ではラルカはウィルに抱き付き、プロポーズを受け入れる結末となっている。
しかし、大勢の観客の期待の視線、星の口から放たれる真剣なプロポーズの言葉、演技の範疇を超えた本心ともとれる姿に、七瀬の体はつい強ばってしまった。どうしても台詞が口から出てこない。
「え、えぇっと……」
七瀬の焦りに気付き、星も心配そうに見つめ返す。今一番近くにいる自分に、何かできることはないだろうかと思考を巡らせる。七瀬自身も緊張を解こうとするが、心も体もうまく機能しない。
“こんな大事なところで……ごめん……みんな……”
七瀬は己の不甲斐なさに、心の中で赤面した。せっかく数多くの窮地を乗り越え、舞台に立てたというのに。七瀬の瞳には、冷たい意味がこもった雫が輝く。
“ごめん……星君……”
「しっかりしなさい!」
すると、観客席から叫び声が響いた。この調子のいい甲高い声には、舞台にいる誰もが聞き覚えがある。
「いろんなピンチ乗り越えて、ようやく会えたんでしょうが! 複雑なこと考えてないで、あんたの思いをドカンと伝えればいいのよ!」
真理亜だ。後方の席で立ち上がり、ステージにも届くくらい声を張り上げている。両隣には周りの観客に迷惑になることを心配する涼太、早智、その他2組の生徒が座っている。
真理亜は七瀬に向かってお構い無しに叫ぶ。
「あんたの力を、愛を、今ここで見せてみなさいよ! この弱虫女が!!!」
真理亜は指を差しながら言い放つ。ウィルと再会したラルカ、星と同じ舞台に立つ七瀬へ。威勢のいい彼女の声は、七瀬の緊張を軽々と吹っ飛ばす。
“真理亜……”
あれだけ星と距離の近い七瀬に嫉妬していた真理亜が、自分が決して掴めない未来に恵まれた七瀬をひどく憎んでいた彼女が、再び弱腰に戻りかけた七瀬を鼓舞した。
「赤団の英雄ちゃんよ、君の勇姿を再び見せてくれ!」
「そうよ! 頑張ってラルカ!」
真理亜に続けて口を開いたのは、龍生と瞳だ。左端の観客席から応援した。
「七瀬ちゃん! 大丈夫だよ~!」
「僕のカメラでしっかり撮ってあげるから! 精一杯やりきりな!」
早智や涼太も応援の声を上げる。観客席に座る人々は、次々と応援を始める。
「七瀬! へこたれるんじゃないわよ!」
「女を見せてやれ! 七ちゃん!」
「負けないで! 七瀬ちゃん!」
「七瀬さん! 頑張ってください!」
やがて恵美を始め、舞台袖にいる2組のクラスメイトまでもが、七瀬にエールを送る。彼女を励ます気持ちは、体育館全域を包み込んだ。星も愛しの七瀬のことを支える人が多く存在することに気付き、不思議と誇らしく思う。
“みんな……ありがとう……”
勇気も愛も十分に回復した七瀬は、涙を拭って一歩を踏み出した。星は七瀬の体を広い胸で受け止める。七瀬の純白のドレスがふわりと翻る。
「ウィル、ありがとう……私、ウィルのこと大好き! これからもずっと……ずっと一緒だよ!」
脚本通り、七瀬は台詞を言いきってみせた。
『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』
七瀬の言葉を聞き、体育館は無数の沸き立つ歓声で溢れ返る。少年少女の熱き魂の演技は皆の心を一つにし、壮大な愛の物語は皆の心を打った。
舞台袖にいたクラスメイトは仲間同士抱き合ったり、慰め合ったり、泣き合ったりした。無事に劇をやりきった達成感は底知れない。今この場にいる誰もが、心の中に一つのかけがえのない思い出を作った。
「ふぅ……手間かけさせるんじゃないわよ」
真理亜は抱き合う星と七瀬を見て、満更でもない笑みを浮かべる。不思議と嫉妬の念は起こらなかった。
やはり星にふさわしい相手は自分ではない。自分が間に割って入っていいものではない。それが二人の絆、二人の愛だ。
きっと、星も他の誰でもない七瀬を一番に愛している。そう信じることができた。
「七瀬、ちゃんと星君と幸せになりなさいよ……」
「ん~♪ いい表情! 映えてるねぇ~」
「最高の劇だったよ~! 最後しか見てないけど~!」
余韻に浸る真理亜を余所に、熱を上げる2組の生徒達。抱き合う星と七瀬を隠そうと、上から幕が降りていく。
二人は達成感を汗で濡らしながら、拍手を送ってくれる観客をステージから眺める。そして、再びお互いに見つめ合って微笑む。
「いい雰囲気♪ そのままキスしちゃえ~!」
ふと調子に乗って、早智が叫んだ。
「ちょっ、早智!」
「え?」
その時、体育館外に広がる夕焼け空に、一筋の流れ星が見えた。
『……///』
気が付くと、星と七瀬の唇は重なり合っていた。赤面する二人の表情を最後に、幕は降りきった。
「え……///」
「あぁ……///」
頬がリンゴのように真っ赤に染まる二人。唇を離しても尚収まらない。
昇に拉致された七瀬を発見した際、早智は昇とキスをした。キスをしたことにより、KANAEの能力は早智に受け継がれた。叶えられる願いはあと一つ残っている。早智が調子に乗って叫んだ冗談が、星と七瀬の唇を重ねた。
「う、うわぁぁぁ!? ご、ごめん! 七ちゃん!!!///」
「ううん! だ、大丈夫! KANAEの能力のせいだから!///」
お互いに申し訳なさを抱えつつも、なぜか早智に感謝したい気持ちも混じっていた。いや、なぜかと言うと語弊がある。
「……それに、嫌じゃないし」
「え?」
キスという恥ずかしい行為も、七瀬は星となら、星は七瀬とならできる。その理由は既にお互い承知している。
「星君となら、別に嫌じゃない」
「そ、それって……もしかして……」
「うん、私……」
「あんたら、私達がいること忘れてない?」
『え?』
恵美の言葉が耳に飛び込み、二人はようやく我に返る。
気まずそうに見つめる者、二人の愛を祝福する者、この世界に新たなカップルが生まれたことに憎悪を掻き立てる者。1組のクラスメイトの様々な視線が、心身共に突き刺さる。そして再び赤面する。
「薄い本が厚くなるわね」
「爆発しなくていいから爆発してくれ」
「ラ、ラブラブでいいと思うよ……」
咄嗟に離れる星と七瀬。二人はいつまでも赤みが消えない頬に戸惑うのであった。
好き勝手はしゃぐ1組の生徒達を眺め、スターは舞台袖で微笑ましく呟いた。
「やっぱり人間って面白ぇなぁ」
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