第49話「負けない」



 昇はプリシラが掲げた時計を確認する。時刻は午後3時49分。1組の劇の閉幕まで、残り11分。


「そろそろ気付かれる頃か? よし……」


 昇は立ち上がり、手を組んで祈りを捧げる。そろそろ星達がこちらの居場所を突き止め、向かってくる頃だろう。たどり着く前に、先手を打つことにした。


 昇はそっと呟いた。




「学校中がお化け屋敷になりますように……」


 その瞬間、北の空に流れ星が輝き、葉野高校の校舎は黒い霧に覆われた。




   * * * * * * *




 僕は美妃さんとスター、真理亜と一緒に、二つの校舎を繋ぐ渡り廊下を走り、北校舎から南校舎へ向かうところだ。涼太君の変態行為に使う機械が思わぬ形で役に立った。七ちゃんが監禁されているであろう倉庫へ急ぐ。


 待っててね、七ちゃん。今行くから!




「おい、あれ見ろ!」


 すると、並走するスターが窓を指差して叫ぶ。


「え、うわっ!」


 窓の外には空中を漂う半透明の不気味な顔をした幽霊が漂い、生徒達を追いかけ回していた。突如現れた得体の知れない生物を前に、生徒達は恐れおののいている。


「あっちにも!」


 美妃さんが指差す先には、ゾンビのような皮膚が爛れた人型の怪物がうろついていた。体液とも血液とも知れない汚ならしい液体を撒き散らし、中庭を徘徊する。校舎内にも何体か蠢いていて、学校中がパニックになっている。


「どうなってるの?」

「わからない。もしかしたら昇が能力で何かしたのかも」


 いつの間にか学校の敷地内は黒い霧で覆われ、不気味な怪物達が生徒達を襲っている。廊下や教室の壁、床もひび割れていて非常に物々しい。昇君の能力のせいだろうか。学校全体がお化け屋敷のようになってしまった。


「とにかく急ごう! って、星君?」


 美妃さんが再び走り出そうとした時、廊下の中央で座り込み、頭を抱えて震える僕に気付いた。


「あ……あぁ……」

「どうしたの? 星君、行くよ!」

「む、無理だよ……怖い……」


 そう、僕はお化けが大の苦手だ。いや、苦手というよりも、お化けという存在がトラウマになっていて、身近に感じると痙攣が止まらなくなる。僕が唯一克服できていない恐怖だ。


「星君、怖がってる場合じゃないよ! 行かないと!」

「無理……お化けだけは本当にダメなんだ……怖くて進めない……」


 僕がお化けに対して抱いている恐怖は、誰もが持っている通常の感情のそれではない。

 小学生の頃に与えられたお化けへの言い知れぬ恐怖が、今も細胞レベルにまとわりついて離れない。トラウマとはそういうものだ。人間に危害を加える怪物等を前にすると、身体的症状を伴って怯えてしまう。


「星君立って! あれは本物じゃないよ! 怖くないよ!」

「嫌だ! 無理! 怖いよ!!!」


 今までの勇ましい姿とは遠く離れ、幼稚園児が乗り移ったように僕は萎縮してしまう。一般的な高校生が怖がる姿ではない。歩みを進めれば死んでしまうと思わせるような、想像を絶する恐怖を感じている。


「星君!」

「無理!!!」


 美妃さんには申し訳ないと思っている。でも本当に無理なんだ。お化けだけはどうしても恐怖を克服できない。ものすごく怖い。もう足が動かない。


 あぁ……やっぱり僕はダメな奴だ。男のくせにお化けなんか怖がって……情けない。本当に情けない。こんな一大事に怖じ気付いているなんて、僕は世界一のダメ人間だ。




「七瀬ちゃんがどうなってもいいの!?」


 ……え?




「私、先に行くよ!」


 美妃さんはそう言って、スターや真理亜と共に、薄暗い廊下の奥へと走り去っていく。僕は心が挫たまま、廊下の中央にぽつんと取り残される。




「七……ちゃん……」


 そうだ、七ちゃんが倉庫に監禁されている。もう一人のKANAEの能力の保持者に囚われている。

 今、僕はがこうしてうずくまっている間に、彼女はどんな恐ろしい目に遭うだろうか。いつまでもぐちぐちと弱音を吐いていたら、七ちゃんが汚されてしまう。


 僕なんかより、七ちゃんの方がもっと怖い思いをしてるんだ。


「行か……なきゃ……」


 僕はゆっくりと立ち上り、中腰で前に進む。足は確かに少しずつ進んではいるけど、まだ恐怖に囚われて小刻みに震えている。


「ウァァ……」


 すると、廊下の奥から二体の幽霊がぞろぞろと飛び出てきて、僕の周りを徘徊する。


「うわぁ! 嫌……やめて! 嫌だ! 嫌だ!!!」


 再び僕は床に座り込んで泣き叫ぶ。幽霊はこちらに危害を加える様子はない。だだ周りを浮遊し、驚かせてくるだけだ。

 しかし、それだけでも僕は目も当てられないほどの恐怖に襲われる。無理だ。この調子では前に進めない。


 怖い……怖い……怖い……


「む、無理だよ……」


 そのまま僕は縮こまってしまう。お化けの存在を認知するだけでも、体が拒否反応を起こし、正常に働かなくなる。

 小さい頃からお化けだけはどうしても克服はできなかった。小学生の時に散々行った特訓も虚しく、恐怖を抱えたまま高校生の時を迎えた。情けないけど、どうしようもない。


「助けて……七ちゃん……」


 小学生に戻ったように、僕は七ちゃんに助けを請う。小学生の頃の勇敢な七ちゃんがいれば、僕の手はすぐにでも引かれただろう。


“星君……”


 頭に浮かぶ幻覚の中に、七ちゃんが見えたような気がした。僅かな希望に賭けて、僕は歩み寄る。どこまでも強く、たくましく、勇敢に胸を張る少女、の姿を期待した。


「七ちゃん!」


 視界が彼女を捉えた。




「え……」


 しかし、そこにいたのは小学生ではなく、高校生の七ちゃんだった。僕がたどり着いたのは、理想ではなく現実だった。


 そうだ、七ちゃんは女の子なんだ。


「……」


 かつては大岩を持ち上げたり、蛇や蛙などの生き物に果敢に近付いたり、恐ろしい山犬から守ってくれたりした。

 そんな彼女も時の流れには逆らえず、髪は長くてサラサラで、手足は細くてしなやか、小さな背に気迫の足りない風格、見違えるほどの女らしい人間になってしまった。


 僕は男で、七ちゃんは女。その事実を、弱々しくなっていく彼女を見て思い知らされた。


 そして今、僕はかつての七ちゃんよりも格段に強くなった。凄まじいスピードで走ることも、重い物を持ち上げることもできる。一部を除いて、巨大な困難に立ち向かう勇気も手に入れた。男として成長できたのだ。


 では、それは誰のおかげだろうか。




「……七ちゃん」


 そうだ、七ちゃんだ。全て七ちゃんがくれたものだろ。彼女が気弱で泣き虫な男だった僕に手を差し伸べ、成長するための特訓をしてくれた。恐怖と戦う勇気をくれた。


「七ちゃん!」


 現実に意識が戻った僕は、幽霊を振り切ってゆっくりと歩みを進める。足の震えはまだ収まらない。それでも、着々と前へと足を運ぶ。


 僕が強くなれたのは、七ちゃんのおかげなんだ。どれだけ恐怖にうちひしがれようもも、僕は七ちゃんへの恋心だけは捨ててはいない。

 彼女への思いがあれば、どんな困難だって乗り越えられるはずだ。改めて心の土台を固め、恐怖と戦う。


「グァァァァ」

「ううっ!」


 廊下の曲がり角から、フランケンシュタインが飛び出してきた。僕は怯み、萎縮する。襲われてしまうかもしれないという恐怖が、勇気で動く両足を床に縛り付ける。


「怖くない……怖くない……怖くない!」


 何度も自分に言い聞かせて、僕は再び歩き出す。もちろんこんなことで怖くなくなるわけではないけど、ひたすら足を前に突き出し、決して座り込むことなく進み続ける。


「七ちゃんを……助けるんだ……」


 僕は心の底から七ちゃんに助けられたことを感謝している。そんな七ちゃんがピンチに見舞われている。今度は僕が助けるんだ。強く成長できた恩返しをするために。


「ウォアァァァァ」

「ひぃっ!?」


 今度は床が盛り上がり、ゾンビが顔を出した。一瞬悲鳴を上げるが、僕はすぐさま体勢を整えて歩き出した。大丈夫、怖くない……こんなの……へっちゃらだ……。


「七ちゃん……七ちゃん……」


 絶対に七ちゃんを傷付けさせてはいけない。彼女を傷付けるものがあるとすれば、この世界から一つ残らず取っ払ってやりたい。彼女が笑顔を絶やさないような、幸せな世界を作ってあげたい。


「七ちゃんは……僕が……守るんだ……」


 今、男として七ちゃんを守る。僕は周りの化け物達に阻まれながらも、勇気を振り絞って彼女のいる場所を目指した。


「絶対に……守るんだ!!!」








「着いた! ここだよ!」

「おい! いるか!」

「七瀬! 返事して!」


 私はハッとして窓に目を向けた。入り口の窓にうっすらと人の影が見える。誰かが扉の向こうで叫んでいる。この声は美妃とスター、あと……真理亜? なんで彼女がここに……。


「そんな……鍵が掛かってる……」

「くそっ、ぶち破れねぇのか?」

「無理よ……」


 とにかく、みんなが助けに来てくれた。でも、分厚い扉は固く施錠されていて開かない。室内は真っ暗だから、きっと窓の外からこちらの様子を観察することもできないだろう。


「お、もう来たのか。意外と早いな。でも開けらんないよ。その窓も頑丈だからね」


 昇君はまだ余裕の表情を浮かべる。倉庫の窓は硬質ガラスでできていて、簡単には破壊できない。鍵を開けることでしか入れないわけだけど、当然今は昇君が所持している。立ちはだかるのは非情な現実ばかりだ。


 そんな……せっかく助かると思ったのに。


「ん! んんー! んんんー!!!」


 私は回復した喉を振り絞り、声を張る。ガムテープで口を塞がれようと、必死に言葉にならない声で叫ぶ。しかし助けを求める勇気は、覆い被さる昇の巨大な体に遮られる。


「ん!?」

「時間ないからさっさとヤるよ。抵抗しないでね」


 昇君は私の着ているクラスTシャツの裾をめくり上げ、無理やり脱がそうとする。スカートの中にも手を突っ込み、乱暴にいじくり回す。彼のおぞましい手つきが、私の体を震え上がらせる。


「ん! んんー! んんんー!」

「おぉ、可愛いブラしてんじゃん。パンツも素敵だねぇ。あぁいい匂い……七瀬ちゃん可愛い……ハァ……ハァ……」

「んー! んん! んんんー!」


 昇君は私の腕や脚、胸をベタベタ触り、ぐっと顔を近付けた。嫌だ……怖い……気持ち悪い……やめて……


「さぁ、お楽しみの始まりだよ、七瀬ちゃぁん♪」


 嫌だ嫌だ嫌だ! 誰かぁ……!


「んんー!」


 助けて……


 助けて……




 助けて……星君!











「みんな、どいて!!!」


 その時、廊下の奥から叫び声が聞こえた。




「スーパーウルトラダイナマイトスマァァァァァァァァァァッシュ!!!」


 バリンッ!

 窓ガラスが割れる凄まじい音が、廊下や倉庫内に響き渡る。誰かが助走を付けて窓を殴り、木っ端微塵に破壊したのだ。


「なっ!?」

「七ちゃん!」


 破壊された窓の穴から、星君が顔を出した。私の瞳に輝きが戻る。

 星君が窓を破壊する際に放ったパンチ。あれは小学生の私がいじめられていた星君を助けた時に使った技だ。先日話題に上がって、恥ずかしいからやめてと言ってしまったけど。


 その技を使って、今度は星君が私を助けに来てくれた。


「七ちゃん、遅れてごめん……」


 窓の強化ガラスを力業で木っ端微塵に破壊したのだ。彼の右手からはポタポタと赤い血が垂れ落ちる。想像を絶する激痛に襲われているであろうに、星君は私に爽やかな笑顔を向ける。


 星君、ありがとう……。


「んんん……」


 やっぱり彼は、強くて優しい最高の男の子だ。


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