第46話「ピンチ」



「……」


 体育館から一番近い男子トイレの前の廊下にたたずみ、私は星君が出てくるのを待つ。しかし、彼は一向に現れない。用を足すのに時間がかかり過ぎている気がする。やっぱり、何か思い悩んでるんだ。


 星君の助けになりたいな……。




「あっ」

「真理亜……」


 そこへ、トイレにやって来た真理亜と会った。彼女はクラスTシャツを着ている。どうやら彼女のクラスのメイド喫茶は営業を終了したようだ。まさかこんなところで遭遇してしまうとは。


「お店終わったの?」

「えぇ、それが何?」

「あ、いや、今体育館で私のクラスの演劇やってるんだ。よかったら見に来て」

「ふーん」


 勇気を出して勧誘してみたけど、別に興味ないという反応だ。相変わらず、私のような気に入らない女子生徒にだけ態度が厳しい。多分星君を奪い返されたことも根に持っているんだろう。二人きりは非常に気まずい。


「ていうか、あんたここにいていいの?」

「私の出番はもうクライマックスだけだから。ねぇ、最後の場面だけでも見に来てくれない?」

「見るか見ないかは私の勝手でしょ」


 そう言って、彼女は女子トイレへと入っていった。やはり真理亜とは友達と呼べるほどの関係は望めないのかもしれない。私はうつ向いて黙り込む。自分に対してだけ堅物になる彼女に、何も返すことができない。




「……でも」


 すると、真理亜は足を止め、背を向けながら呟いた。


「最初の場面のあんたの演劇、結構よかった」

「え?」


 真理亜は個室へと逃げるように飛び込んでいった。扉を閉めるバタンという音が、それ以上の私の介入を拒む。




「……真理亜、見に来てくれてたの?」


 最初の場面は2組のメイド喫茶と時間が被っており、見に行くことはできなかったはずだ。それでも、真理亜は自然と感想を口にした。観客席には彼女らしき姿は見当たらなかったと思うけど、こっそり見に来ていたのだろうか。

 いや、彼女のことだ。きっと星君目当てに抜け出してきたのだろう。


 でも……


「ありがとう、真理亜」


 彼女と仲良くなれる自信が、ようやく湧いてきた。




「あ、そうだ! 星君!」


 心を開き始めた真理亜に気を取られ、完全に目的を忘れていた。星君の様子を見に行かなくては。流石に男子トイレには入れないため、できることは廊下で待つことだけだけど。


「星君……」


 舞台袖を出ていく星君が漂わせていた不穏な空気。私だけが気付いていた。何か深刻な悩みがあるんだと思う。どうにか力になってあげたい。


 でも、私に彼を助けることができるのかな。私はもう以前までの自信家ではない。力も知識もない凡人だ。胸を張って彼に手を差し伸べる自信がない。

 KANAEの存在があったおかげで、多少は胸を張れるようになったかもしれない。それでも能力を使えるのはあと1回だけ。それを使い終えた後の未来が真っ白で何も見えない。


「……」


 恐らく星君は自分に恋心を抱いている。それは嬉しいことだけど、自惚れることができるほど、今の私は私を好きではない。本当に星君にふさわしい相手なのだろうかと、今でも迷う。


 やはり真理亜のように多くの人に好かれていて、容姿も優れた者の方がふさわしいのではないか。自分を惨めに思う度に、彼が他の女の子と結ばれるという考えたくもないことを考えてしまう。


「星君……///」




 しかし、それでも私は星君のことが……






 ガシッ


「んん!?」


 すると、背後から突然何者かが手を回し、ハンカチで私の口を塞いだ。


「んんー! んんん!!!」


 口を塞がれているため、絞り出す声は言葉にならない。誰かが近付いてくる気配を感じなかった。全く気付けなかった。

 私は凄まじい力で押さえ付けられ、身動きが取れなくなる。必死の抵抗も敵わず、私の暴れる足音だけが廊下に響き渡る。周りには誰もいない。私が襲われていることに気付く者は一人もいない。


「んん! んぅ……う……」


 私はだんだん眠気に囚われ、抵抗する力が弱まっていく。意識が遠退いていき、脱力して床に倒れる。私を眠らせた何者かは、私を抱き上げて歩き出す。


 嫌……誰か……


 助けて……




 星君……




   * * * * * * *




「おい待て! 七瀬をどこに連れてく気だ!」


 廊下の曲がり角からスターが飛び出してきた。スターはどこかへ消えたプリシラの後を追い、七瀬のクラスの演劇の最中も校舎内を探し回っていたのだ。

 そして、偶然にも七瀬が眠らされて連れ去られる一部始終を目撃してしまった。七瀬を抱えた何者かは、猛スピードでその場を去る。


「待てって!」


 スターはその背中を追いかけるが、すぐに見失ってしまった。天使ならではの羽を使った低空飛行でも追い付けなかった。


「クソ……」




「スター!」


 騒ぎを聞き付けた星が、トイレの個室から飛び出てきた。大急ぎでスターの元へ駆け寄る。


「何があったの? 七ちゃんがどうのこうのって聞こえたけど」

「七瀬が……さらわれた」

「え!?」






 事情はすぐさま1組の生徒達へと伝えられた。クラスメイトは動揺に包まれた。


「七瀬ちゃんが拐われた!?」

「それ本当に!?」

「誰に!?」


 生徒は一斉にスターに尋ねる。この際彼の不自然な天使姿を一切気にすることなく、七瀬の安否だけを心配に思って問い詰める。


「みんな、しっ!」


 凛奈が人差し指を立て、舞台袖を静めさせる。自分達の演劇の真っ最中なのだ。今はミッドナイトの連中が自分達のアジトで、どこの国を襲おうか作戦会議をしている場面だ。


「七ちゃんは……誰に連れ去られたの?」


 星が改めてスターに尋ねる。


「……プリシラだ」

「プリシラ? プリシラって確か、前に言ってた君の同期の天使?」

「あぁ、でもあいつはそんなことする奴じゃない。この頃様子もおかしかったし、きっと誰かに操られてるんだ」


 スターの話では、プリシラはスターと同じく七海町に人間の欲求傾向の調査に来た女の天使だ。女子トイレの前で七瀬を眠らせて連れ去るプリシラを、スターは確かに目撃した。

 しかし、それは彼女の故意で行ったわけではないという。スター曰く、普段のプリシラはそのような無粋な真似はせず、正義感の強い真面目な天使らしい。悪意があるとすれば、彼女を操っている黒幕だ。


「その誰かって、この学校にいるっていうもう一人のKANAEの能力の持ち主のこと?」


 今は出番ではない恵美が、壁にもたれながら尋ねる。彼女の鋭い視線は、どこかに潜んでいるであろう黒幕を睨み付けていた。


「あぁ、間違いない」


 七瀬とは別にいるKANAEの能力の持ち主。プリシラが研究の実験材料に選び、願いを叶える能力を使って星達を邪魔してきた人物だ。その人物がプリシラに命令したのだと、スターは言う。


「プリシラはそいつに洗脳されたんだろう。願いの能力でどんな命令にも従えとか何とか言われてな。あいつ、ご主人様がどうのこうの言ってたから」


 もしもスターの憶測が事実であれば、KANAEの能力が人間によって悪用されたことになる。天使達が恐れていた事態が起きてしまった。


「恵美ちゃん、そろそろ出番だよ……」


 美妃が申し訳なさそうに恵美に声をかける。次はラルカが登場する場面だ。緊急事態ではあるが、1組は演劇を中断することができなかった。

 いや、中断したくなかったと言う方が正しいだろう。せっかくここまで積み上げてきた一大舞台を壊したくない。


「先生……」

「大丈夫よ、みんな落ち着いて。先生方に連絡して捜索します。スター君、プリシラって子の特徴を教えて」


 凛奈は腕を捲り、メモを取り出してスターにプリシラの容姿を尋ねる。大事な生徒の一大事に慌てることなく、冷静沈着に行動する。スターも落ち着いてプリシラの特徴を伝える。




 しかし、この場で誰よりも動揺を抑えられない者が一人いた。


「七ちゃん……ごめん……。僕のせいだ。僕がトイレなんて行くから、七ちゃんが……」

「星、落ち着け」


 和仁が星の肩に手を乗せる。だが、七瀬が連れ去られるという緊急事態に、人一倍彼女を気にかける星が落ち着いていられるわけがなかった。


「七瀬ちゃん、見つかるかな……」


 美妃はステージに立つ恵美を眺める。七瀬の失踪という事実が頭の片隅にありながらも、恵美は落ち着いて台本通り役割をこなしている。

 彼女の強さに感化され、クラスメイト達もお互い励まし合いながら、少しずつ冷静さを取り戻していく。


「でも、早く見つけないとヤベェよな……」


 そう、問題はもう一つ存在する。このまま七瀬が戻ってこないと、クライマックスのウィルとラルカの再会シーンができないことだ。しばらくは変身後の姿役である恵美と和仁がステージ上で演じる。

 しかし、クライマックスで二人は元の姿に戻るため、その時は変身前の姿役である星と七瀬が揃っていなければいけない。


「あぁ、どうなっちまうんだよこの劇……」


 和仁が頭を抱えて悩む。果たしてクライマックスの場面までに七瀬を見つけ出すことができるのだろうか。




「ああっ!」


 すると、ステージ上で演技をしていた恵美が、床にグラスを落とす。今はラルカがウィルのレストランに食事に来た場面だ。落ちたグラスが舞台袖まで転がっていき、和仁の足元で止まる。


「ラルカ、何やってるんだよ~」

「ごめんなさい、こういうお店には慣れてないもので、つい緊張してしまって……」


 グラスを落とすとは、恵美にしては考えられないミスだ。やはり彼女も七瀬が失踪した事実に動揺しているのだろうか。彼女は何とかアドリブでやり過ごし、劇は続いていく。


 しかし、和仁は何か彼女からのメッセージのようなものを感じ取り、転がってきたグラスを拾う。


「おい、メモが入ってる!」


 グラスの中には四つに畳まれた一枚のメモ用紙が入っていた。この用紙は、食事を終えたラルカがテーブルにメモを残す場面のために、懐にしまっていたものだ。

 恵美は自然に舞台袖の和仁達にメモを届けられるよう、わざとグラスを落としたのだ。やはり彼女は冷静だった。


「で、なんて?」


 和仁はメモを開いた。中には『2組の子から話を聞いて』と書かれてあった。


「真理亜達のクラスに話を聞けってことか……」


 恵美の意図は読めないが、とりあえず彼女の指示に従うことにした。


「星、お前に任せた。俺はこの後出番があるし、恵美も当分ここを離れられない。悪いが行ってきてくれ」

「あ、うん……」




「私も行く!」


 突然美妃が立ち上がり、星達の元へ駆け寄る。


「美妃ちゃんはナレーションあるだろ?」

「私のスマフォ使って。最初から最後まで全部のナレーションの音声入ってるから。練習の時に後で聞き直す用に録音したやつ」


 美妃がスマフォの画面をタップすると、淡々とナレーションを語る美妃の声が流れた。

 ナレーションは舞台袖から語るため、観客に姿を見せる必要はない。彼女の音声をマイクに向けて再生し、あたかも彼女がリアルタイムで語っているように観客に聞かせるという作戦だ。


「でも、そこまでして行かなくても……」

「お願い、行かせて。私、どうしても許せないの。七瀬ちゃんを酷い目に遭わせた人のこと。七瀬ちゃんは私にとって初めての友達だから、私も助ける手伝いがしたい」


 美妃の視線は真剣そのものだった。以前の彼女は人前に出て積極的に行動するようなことが苦手だった。故に人と関わることに難を覚え、友人もあまりできなかった。

 そんな中、彼女に手を差し伸べてくれた七瀬に、心から感謝しているのだ。次は自分が彼女を助ける番だと、勇気を出して大胆な行動に出た。


「美妃ちゃん……分かった、ありがとう。他に動けそうな奴も聞き込みに行ってくれ。必ず七瀬ちゃんを助けるんだ。いいな?」

「うん!」

「あぁ!」


 元気よく返事をする1組一同。和仁の合図で散開した。


「星君、行くよ!」

「あ、うん……」


 しかし、星はいつまでも下を向いていた。美妃に肩を叩かれ、我に返って走り出す。




「頼むぞ……星……」



 和仁は捜索に向かったクラスメイト達の背中を眺めながら、演劇が無事に完遂されることを祈った。


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