第37話「団対抗リレー」
レーンに並ぶ第一走者達。目に見えない団員約120人の期待が、彼らの背中に託される。
「位置について……よーい……」
パンッ!
そして、ピストルの音が静寂を切り裂き、勝負が始まる。静寂に敷き詰められていた運動場で、団員からの応援の声が飛び交う。その声に背中を押され、両団の走者は汗を撒き散らしながら必死に足を前に運ぶ。
「みんな頑張ってぇぇぇ!」
「絶対に勝ちなさい!」
リレーに出場しない恵美と美妃は、自分が張り出せる精一杯の声量で応援する。若干白団の走者がリードしているかという状況だ。
「うぉぉぉぉ! 頑張れ頑張れ頑張れぇぇぇぇ!!!」
全校生徒に醜態を晒した三神も、その恥ずかしさを力に変えて全力で応援した。
「みなさん頑張ってください!!!」
「特訓の成果を見せつけるんだ!」
凛奈は教師として、陽真は特訓の指導官として生徒達の背中を押した。
早くもコースを一周して近づいてきたため、次の走者はスタート地点に立つ。白団の第二走者は早智だ。昇に異常な愛を抱いている女子生徒である。
パシッ
バトンを受け取り、第二のレースが始まる。早智はバトンを受け取った瞬間、誰もが驚くようなロケットスタートを決め、赤団の走者を置いていった。
「何!?」
「ふへへへへへへへ昇きゅゅゅゅゅゅんんんんんんん見ててねええええええええあははははははははうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
3年生をも凌駕する体力に、赤団の走者一同は感服する。走る間も昇のことを考え、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべながら発狂する。彼女を眺めていると、不覚ながら後を追う気が失せてしまう。
早智は圧倒的なスピードを見せつけ、第三走者にバトンを渡す。第三走者は1年生同士の対決だ。しかし、早智が付けた差は埋まらず、赤団は引き続き遅れを取った。
赤団の第四走者は3年生。対して白団は1年生だ。少し差が縮んだだろうか、3年生が年上の力を見せつけてきた。
「来たな!」
続いて第五レース。赤団の走者は和仁で、対する白団はあの団長の瞳だ。和仁は近づいてくるバトンを待ちながら、団長とはいえ女子には負けまいと熱を上げる。惜しくも瞳が先にバトンを受け取って走り出す。
「行け! 赤羽君!」
その4,5秒後に、和仁も走り出して彼女の背中を追いかけた。瞳はバレーボール部に所属しており、競争にもそれなりの自信があった。男子生徒をも凌駕するほどの体力の持ち主だ。
「負けねぇ! 絶対にみんなで優勝を掴み取ってやる!!!」
「君……やるね!」
しかし、和仁は練習の成果を無駄にしまいと、必死に腕を振り、脚を突き出した。すると、瞳の背中が段々近づいていく。瞳は彼の走力に感服する。
「和仁君……」
第六走者の星は和仁の熱意に驚愕する。和仁はゴールまでには追い越せなかったものの、最後までバトンを託す星のために走りきった。差は先程のレースよりもグッと縮んだ。次の第六レースで追い越せるかもしれない。
「……」
さて、いよいよ星の番だ。相手は恋敵の昇。七瀬への告白の権利を賭けた勝負が始まろうとしている。二人はバトンへと手を伸ばす。
「うっ……」
しかし、星は直前まで勝負に対する不安な気持ちが解消されず、胸を打たれたような痛みを感じる。バトンを受けとる衝撃で意識が現実に戻り、無理矢理脚を動かした。
「ハァ……ハァ……」
昇より少々後方で星は走る。七瀬のことを思いながら。今の自分にできることを探しながら。
「星君……」
七瀬は二人の対決を知らないまま眺める。しかし、どちらが勝ってほしいという意識すらなかった。七瀬は星との恋の可能性に頭が支配されていた。
「……」
星が自分を好きになってほしいと願い、叶わなかった。そのことから、自分の恋が実ることは絶対にない。自分は彼にとって、ただの友達だ。
彼への思いを無駄につのらせる度に、彼は遠ざかっていく。現に彼は自分に対して距離を置いている気がする。嫌気が差したか、もしくは興味が無くなったか。どちらにせよ、星との関係は終わりに近い。
それも当然か。弱くなった自分に価値はない。自分はこれから報われない恋心を抱え続け、外野から星を眺めながら過ごすのだろう。
「はぁ……」
いつしか忘れることができた弱い自分へのコンプレックスが、再び再発した。後ろ向きなことばかり脳裏に浮かんでしまう。
そして、七瀬は下を向いた。
「……ッチ」
“あれ?”
誰かの声が聞こえる。団員達の応声に阻まれてはいるが、微かに聞こえる叫び声がある。
「……ッチ……ッチ……」
まるで何かに苦しむような、痛感のある声。それは次第に大きくなっていく。七瀬の沈んだ意識が段々覚醒し、声を少しずつ拾っていく。
「……ッチ! ……ッチ!」
「え?」
そしてその声に、七瀬は驚くほどに聞き覚えがある。
「熱っち! 熱い熱い熱い! うわぁぁ熱い!!!」
星の声だ。星が叫んでいる。目に見えない何かに悶え苦しみながら、大げさなほどに脚を振り上げて走っている。まるで足の裏を地面に付けまいとするように。
あれは……
「熱々フライパン……走法……」
夏休み前のリレーの特訓で、七瀬が星に伝授した走法だ。自分は熱した巨大なフライパンの上に立っていると思いながら、熱さについ足を離してしまう感覚で地面を蹴る。それを繰り返しながら前に進む。
自分で考えたことではあるが、非常に馬鹿らしい。
それでも……
「熱い熱い熱い! 熱っ! 熱いぃぃぃぃぃ!!!」
星は本気で熱さに悶えるイメージを浮かべながら、気色悪い叫び声を上げてがむしゃらに走っている。
七瀬は信じられなかった。正直なところ、熱々フライパン走法は冗談半分で言ったことだからだ。星も冗談だと理解し、忘れていたと思っていた。七瀬自身も忘れていた。
しかし、星はこの白熱とした土壇場で、仲間の期待を託された大事な勝負の場で、やってみせた。
「星君……覚えててくれたの……?」
もう星の視界に自分はいない。自分の言葉を耳に通すこともない。七瀬はそう思っていた。
しかし、星は七瀬に向かって心の中で叫んだ。
“忘れるわけ……ないだろ!”
星は七瀬からもらう全てを、大事にしていた。たとえそれが冗談でも、非常に馬鹿らしいことでも、七瀬が教えてくれたことであるならば、星にとってはかけがえのない宝物だった。
“いつだって七ちゃんは、僕のためを思って助けてくれた。僕が変われたのは、七ちゃんのおかげなんだ。だから、今度は僕が七ちゃんに恩返しをする!”
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「何!?」
星は前方の昇の背中を捉え、爆速で駆けていく。七瀬が伝授した冗談を、星は現実のものにした。昇が近付いてくる星を認識した頃には、既に星は彼と肩を並べていた。
星は心で叫んだ。自分の全てを七瀬に捧げるのだと。世界で一番彼女のことを理解し、思いやり、愛してやれる強い男になるのだと。その思いを胸に、灼熱のフライパンを勢いよく蹴った。
「七ちゃんを守るのは、僕だぁぁぁ!!!」
星は昇を追い越した。
「すごい! 星君!」
「行け! 宮原!」
「そのままぶっちぎれ! 星!」
星はゴール直前で差を付け、昇に自身の背中を見せつけた。そのままの勢いのまま、次の走者にバトンを渡す。
「よくやった、宮原君!」
第八走者の龍生はバトンを受け取り、勢いよく駆け出した。星の熱い思いが背中を押し、死に物狂いで作ってくれた差を一気に広げる。
三年生同士の対決は凄まじく、差が開いては縮まり、開いては縮まりを繰り返した。高校生活最後の体育大会であるため、走者含め全団員が熱狂している。
最後は絶対に優勝を掴み取りたいだろう。しかし龍生にとっては、それだけではない。
「俺は絶対に勝つんだぁ~!」
彼の頭の片隅にあるのは、当然瞳のことだ。優勝すれば、彼女に告白することができる。彼女への闘心と恋心を燃やす度に、スピードが上がる。
「あぁぁ……」
運動場の熱気は最高潮に達している。七瀬の沈んだ意識も、星が心に刻んだ愛のおかげで、同じ土俵に戻ってきた。いよいよアンカー、七瀬の走順だ。対する白団のアンカーは真理亜。
「絶対に負けないわよ!」
「こっちだって」
真理亜は目にも見えそうな火花を散らし、競争心をたぎらせる。七瀬も勝負に心を踊らせる。星が見せてくれた愛のおかげで、ようやく自分にも火が付いた。
この際はっきりさせてやろうではないか。どちらが星にふさわしい女であるかを。
「行け! 土屋さん!」
先にゴールに着いたのは龍生だった。七瀬はバトンを受け取り、自慢のダッシュを決める。真理亜もすぐに走り始め、最後の第九レースが幕を上げた。
「土屋さん!」
「頑張れ真理亜!」
「七瀬ちゃん、ぶっちぎれ!」
「布施! 行け!」
誰もが運命を決める最後の戦いに目を離せない。掛け声は二人が足を進める度に大きくなり、蹴散らされた土埃が宙を舞う。
「ハァ……ハァ……」
星が自分を選んでくれるわけがないという諦めは、記憶の彼方へと放り捨てられた。星は精一杯の走りで証明してくれた。希望に満ち溢れた可能性を。
きっとこれからも、自分と星は共に走っていける。ずっと一緒にいられるはずだ。今度は自分が証明しなければいけない。それに、仲間達が繋げた思いを無駄にしたくもない。
「……!」
七瀬は真理亜との勝負に、闘争心を最大限に燃やして立ち向かった。
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