第22話「嫌がらせ?」



「いやぁ、楽しかったぁ~。恵美、めっちゃ可愛かったな、チンアナゴ。チン、アナゴ」

「いい加減にして」


 恵美の脳に下ネタを想起させる和仁。いや、クズ仁。恵美は少々キレ気味でうんざりしている。その様子を星は苦笑いで眺める。


「もうすぐでホテル シーサイドマリーナに到着しますからね~。着いたらスーツケースを持って、部屋に行ってください。すぐに昼食の時間にしますので、準備しておいてくださいね」


 凛奈が座席から顔を乗り出しながら、バス内の1組の生徒に伝える。生徒達が窓の外を眺めると、ホテルの純白の外壁が姿を現した。奥には真っ青な海が広がっていた。


「お昼の後はマリンスポーツだよね? 楽しみだなぁ♪」

「そうね。ダイビングなんて一生に一度経験するかしないかのものだし」


 七瀬達は昼食の後、ホテルの前に広がった海に出てダイビングを体験する予定だ。その他の生徒もバナナボートやシュノーケリングなど、多くのマリンスポーツ体験を楽しむことになっている。


「大金払って申し込んだんだし、大海原で思いっきり楽しむぜ!」

「そのまま溺れちゃえばいいのに」

「おい!!!」

「相変わらずだね……深田さん」


 マリンスポーツは沖縄修学旅行のメインイベントと言っても過言ではない。山に囲まれた内陸県で暮らしてきた生徒達にとって、青く広大な海に出ていく体験は新鮮だ。ほとんどの生徒が、この時をまだかまだかと待ちわびていた。


「でも、まずは昼食だね」

「それも楽しみね」


 1組の生徒を乗せたバスが、駐車場で停まった。




「旨ぁぁぁ!!!」

「和仁、食べ過ぎじゃない? この後ダイビングするんでしょ」


 ホテルでの昼食はバイキング形式だった。和仁は用意された極上の食材をこれでもかと皿に盛り、ガツガツと食い荒した。


「だってバイキングだぜ? しっかり元を取らねぇとな」

「何よその謎の貧乏魂……」


 そんな様子を眺めながら、星と七瀬は落ち着いて昼食を楽しんでいた。


「やっぱりあの二人は仲が良いね」

「恵美、さっきまではカズ君の下ネタにうんざりしてたのに、いつの間にかケロッとしてるし」


 険悪のラインをギリギリで越えずにつるんでいる二人の距離感も、何だかんだで眺めていて飽きないものだ。




「……よし」


 そして、星と七瀬の二人を眺めている者が密かにいた。誰あろう、真理亜だ。彼女は近くの席に座っていたクラスメイトに、目線で合図を送った。その生徒は手を上げて呟いた。


「三神先生~、入り口らへんに浅野先生のものらしきパンツが落ちてます」

「何!? 教えてくれてありがとう」


 三神先生は凄まじいスピードで反応し、ダイニングホールの入り口へと駆けていく。そこには本当に誰かの下着がこれ見よがしに落ちていた。


“今だよ、真理亜ちゃん!”


“ありがとう!”


 三神の監視が外れた。真理亜は隙を見て星達の席へ向かった。




「星く~ん!」


 ガッ

 真理亜は机に肘を乗せ、星に駆け寄った。わざとらしく彼と七瀬の間に割り込むように乱入してきた。


「真理亜さん、また来たの……」

「そんな顔しないでよぉ~。本当は嬉しいくせに♪」


 真理亜は星の頬を指でつんつんとつつく。上目遣いや涙目よりかは低レベルではあるものの、相手を魅了する技の一つだ。


「うぉっ、真理亜ちゃんじゃん! いらっしゃ~い♪」

「赤羽君、こんにちわ♪」


 真理亜は和仁にもあざといポーズを向ける。星以外にも自分の味方になりそうな男子生徒は、手当たり次第虜にしていく。


「え、俺のこと覚えててくれたんだ!」

「もちろん♪ 赤羽君みたいなカッコいい男の子、真理亜だ~い好き💕」

「うひょぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 真理亜の甘ったるいに和仁は興奮する。彼は他の男子生徒と同様に、彼女の腹黒い本性に気付いていない。星に言い寄り、七瀬が嫉妬するという可能性に意識が回らない。完全に尻尾を振る犬だ。


「でも私は、星君がいっちば~ん♪」

「えっと……」

「真理亜さん、星君が迷惑してるでしょ。あなたの席はあっち」


 これ以上見てられなくなり、七瀬が冷静に真理亜に注意する。星をたぶらかす様には相変わらず心を乱されるが、毎度毎度動揺してしまっていたら相手の思う壺だ。


「ふぇぇ……七瀬さん酷い。真理亜のこと突き放すの?」

「えっ、そ、そういうわけじゃ……とにかく自分の席に……」

「うわぁぁぁぁぁん、七瀬さんが私を苛めるよぉ……」


 あからさまな嘘泣きを始める真理亜。冷静である星や七瀬、他の女子生徒には見え透いた態度は通じない。しかし、真理亜を純粋な美少女だと思い込む男子生徒は、七瀬に不審な目を向ける。


「何だ何だ?」

「真理亜ちゃんが泣いてるぞ」

「あの子が苛めたのか?」

「マジか、酷ぇな」


 七瀬の周りの席の生徒達がざわつき始める。七瀬にとって不利な状況へと変わっていく。弁解しようにも、上手い言葉が思い浮かばない。星も何と言えば良いか分からない様子だ。




「何だよ……あのパンツ俺のじゃねぇかよ……」


 その時、三神が自分の席に戻ってきた。


「あ、こら真理亜! お前また!」

「げっ……」


 真理亜は慌てて自分の席へと逃げ帰っていく。騒ぎの根元である真理亜がいなくなり、無事に鎮静した。


「星君、ごめんね」

「七ちゃんは何も悪くないよ。さぁ、食べよ」


 星と七瀬はサラダを摘まんで口に運んだ。しかし、高級なドレッシングを散りばめたはずなのに、二人の口内はとても味気なかった。






「さぁ~、ダイビングに行くぞ!」

「和仁君、先行ってて。僕トイレ行ってくるよ」


 個室でマリンスポーツの準備をしていた星と和仁。星は一旦トイレに向かうために廊下に出る。


「ん?」


 廊下を出ると、七瀬が恵美に肩を借りながら歩いていた。七瀬は顔中汗だくで、何やら苦しそうだ。星は慌てて駆け寄る。


「七ちゃん!? どうしたの!?」

「宮原君、近付かない方がいいよ。風邪かもしれないから」


 恵美が真剣に訴える。七瀬はハァハァと息を切らしながら、お腹を抑えて立っている。苦しむ様は星の目には見るに耐えない。


「昼食の後から……なんかお腹が痛くて……吐き気も止まらないの……残念だけど…ダイビングは見学するわ……」

「七ちゃん……」

「心配無用よ……大丈夫……だから……」


 七瀬は恵美に導かれ、医務室へと向かった。苦しそうな表情から放たれる「大丈夫」は、説得力の欠片もない。七瀬とのダイビングを楽しみにしていた星だが、取り替え忘れられた蛍光灯のようにぽつんと寂しく廊下に取り残された。


「七瀬ちゃん、大丈夫か……?」


 途中から様子を見に来た和仁も、心配そうに七瀬の後ろ姿を眺める。


「……和仁君」

「何だ?」

「浅野先生に伝えておいてほしいことがあるんだ」






 七瀬がお腹を押さえて医務室へ入る光景を、真理亜は柱の影からこっそりと眺める。


「へぇ~、この薬って本当に効くんだ~」


 真理亜はポケットにしまっていた瓶を取り出し、中に半分ほど残った白い粉を揺らす。自分の下部である男子生徒に用意させた強力な下剤だ。星と七瀬の席に乱入した際、二人の隙を見て七瀬の皿に盛ったのだ。


 過剰に効果が現れるため、腹痛や吐き気だけでなく、熱や倦怠感などの更なる副作用が見られるらしい。


「ふふっ、いつまでも星君に寄り付くからよ♪ しばらく寝てろ、バーカ」


 目的は単純に七瀬への嫌がらせだ。彼女がそばにいるだけで、星は自分に意識を向けてくれない。七瀬が星の愛を完全に独占してしまっている。それが許せず、腹いせに苦しめたくなったのだ。


「七瀬はこのまま見学するわよね。となると、私は星君と仲良くマリンスポーツ……きゃ~♪ 楽しみだわ♪」


 これで邪魔者が一人いなくなり、星に近付きやすくなる。星も完全に自分のことを嫌っているわけではない。今のところこちらの本性に気が付いている様子もない。

 このままアプローチを続けていけば、いつかは思いが傾いてくるはずだ。想像するだけで頬が緩む。


「ふふふ……星君、だ~い好き💕」


 真理亜は水着を入れたバッグを抱え、スキップしながら集合場所へと向かっていった。


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