第21話「水族館」
修学旅行三日目。朝食を済ませた七瀬達はホテルを出る準備をする。後半の一泊は前半の二泊と違うホテルに泊まるため、再度荷物をまとめる必要がある。
翌日は見事な快晴が生徒達の朝を迎えた。
「今朝のニュースで、沖縄梅雨明けしたそうよ」
「一応傘は持って行こうかな」
七瀬はスーツケースに入れていた折り畳み傘をリュックに移す。これ以上星の前で恥ずかしい思いはしたくない。
「七ちゃん……えっと、準備できた?」
「え、えぇ……」
廊下で合流する星と七瀬。昨晩のダイニングホールでの一件もあり、二人の間に気まずい空気が流れる。ひとまずホテルを出て、バスの前に整列する。
号令を終えた後にバスへ向かい、午前の目的地である
バスの中で談笑を繰り広げる。
「沖縄に来たらやっぱ美ら海は欠かせないよなぁ」
「ジンベイザメで有名なところだよね」
「楽しみ~」
そして、生徒達の期待を遥かに上回るほど、水族館には神秘に満ちた沖縄の生き物たちの雄大な世界が広がっていた。
「デッケー!」
「魚いっぱいだぁ」
「旨そう……」
世界最大の魚ジンベエザメや、世界初の繁殖に成功したナンヨウマンタが観察できる大迫力の巨大水槽『黒潮の海』に、数多の客は目を奪われた。
「七ちゃん七ちゃん! ジンベイザメだよ! でっかい! すごくでっかいよ!」
「はいはい、そうね」
先程の気まずい空気が嘘のように、星は水槽を指差してはしゃぎ回る。七瀬が無邪気な我が子を眺める母親のように付き添う。
「マンタもいる! あ、マグロも! お魚さんいっぱいだね!」
「こらこら、慌てても仕方ないでしょ。時間は十分あるんだから」
幼い子供に退行してしまったように、星は目の前に広がる幻想的な海洋生物の群れに興奮する。
「ふふっ」
七瀬は小学校で星との交友関係に慣れてきた頃を思い出す。泣いてばかりだった彼は、少しずつ笑顔を取り戻して明るくなっていった。水族館や動物園、遊園地、映画館など多くの娯楽施設を彼と訪れた。
今の彼は昔と同じ顔をしている。
“きっと私、彼の笑った顔が見たかったんだろうなぁ……”
七瀬は彼の楽しんでいる顔を眺めるのが好きだ。
「あの二人、あんなことがあったのにもう元に戻ってるよ」
「何か……よくわかんねぇな、あの二人の独特の距離感は」
「だからさっさと付き合えっての」
和仁、恵美、美妃の三人は、二人の目まぐるしく変わる様子に戸惑う。互いを異性として意識し出したと思えば、普段の幼なじみとしての付かず離れずの仲良し二人組へと戻る。
「でも、しばらくは見守る必要はなさそうね」
「だな、俺達も自由に楽しもうぜ」
「うん!」
三人は散会し、各々鑑賞を楽しむことにした。和仁と恵美はたまたま同じ水槽にたどり着く。
「すげぇ、チンアナゴ初めて見た」
「えぇ、可愛いわね」
水槽内ではチンアナゴが水中の地面から顔を出していた。二人はにょきにょきと地面から芽のように生える様子を眺める。
「ほんとにチ○コみたいだ」
「最低ね」
「星君、どこ……」
一方、真理亜は水族館内を歩き回り、愛しの星を探していた。ホテルでの朝食中も、バスでの乗下車の際も、三神の監視に阻まれて身動きがとれなかった。七瀬の隣で仲良さげにしている様子を遠くから眺め、何度も舌打ちをした。
「星くぅん……真理亜とお魚見よ……」
真理亜は自分の班員を放置し、あちこち探し回った。水族館内は大久の客と修学旅行生で溢れており、星一人を探るのは容易ではない。水族館自体の広大さが更に困難にさせる。
恐らく星は七瀬と共にいるだろう。早く彼を見つけ出し、七瀬を引き剥がさなくてはいけない。
「あっ!」
お土産ショップの客の群れの中に、星の灰色髪を見つけた。既に全水槽を見終えており、お土産を選んでいるようだ。
「なぁぁっ!?」
お土産ショップへと駆け出すと、案の定星のそばには七瀬がいた。星にベタベタ寄り付く害虫だ(真理亜にとって)。
「七ちゃん、ジンベイザメのストラップだって! お揃いで買わない?」
「えぇ、高校生にもなってお揃いって……」
「高校生だからこそだよ! 大切な思い出!」
「もう……仕方ないわね」
二人の距離はいつにも増して近い。星がやけに七瀬に積極的なアプローチを仕掛けている。真理亜の正常(かどうかは危ういが、とりあえず正常ということにしておく)な思考が、星の笑顔が明るくなる度に狂っていく。
「ほ、星君!!!」
自分にしてほしいことを、全く別の女性に向けていることに耐えられない。班別行動でも同じように、近距離でベタベタしながら楽しんでいたのだろうか。真理亜の背後にメラメラと憎しみの業火が燃え盛る。
「ぐっ……土屋七瀬ぇぇぇ……」
怒りの矛先は当然七瀬だ。彼女は真理亜にとって自分の大切な宝物を奪い、純愛溢れる乙女の心を傷付け踏みにじる魔女その者だった。
今すぐ彼女を始末しなければ。
「許さないわよ!!! 土屋七s……」
「あ、真理亜ちゃ~ん♪」
「ふぇ?」
駆け出そうとした途端、背後から肩を掴まれた。振り返ると、同じ班の2組の男子生徒が立っていた。
「こんなところにいたんだ! 真理亜ちゃんはもう水族館回っちゃった?」
「えっと、まだだよぉ」
取り乱した心を抑え、普段のぶりっ子モードに切り替える。水族館内ではほとんど星の捜索をしていたため、まともに魚を見ていなかった。
「そうなんだ! よかったら一緒に水族館回らない?」
「ほんとぉ? 真理亜嬉しい~♪」
「何言ってんだ! 真理亜ちゃんは俺と行くんだよ!」
「何だお前! 俺が先に誘ったんだぞ!」
「いや、オイラが行くんだ!」
「ちゃうちゃう! ワイや!」
次々と真理亜のファンが押し寄せてきた。彼女が一人でいる様子を見て、誘いに乗り出した。あまりにも大勢集まったため、自分こそが彼女をエスコートするのだと醜い争いを始めた。
「みんなぁ、真理亜のために喧嘩しないでぇ……」
「ぶひぃぃぃぃぃ! ごめんなさい!!!」
「泣かせるようなことしてごめん!!!」
「大丈夫だよぉ~、仲良くするから!」
得意技の一つである『涙目』を繰り出し、争いを静めた。男子生徒達は彼女の愛くるしさに興奮し、家畜のように気持ち悪く鳴いた。彼女の表情次第で、愚かな男子共は手のひらでコロコロと転がされ、操られる。
「みんなで一緒に仲良く回ろ♪ 真理亜との、お・や・く・そ・く💕」
『ハイ!!!』
仕草の一つ一つが魅力的で、男子生徒達は完全に虜になってしまう。周りの女子生徒は呆れたような目付きで異様な光景を眺める。
“ぷぷっ、コイツらほんとにチョロいわぁ。見てて馬鹿みたい♪”
「さぁみんな、行こっか♪」
『ハーイ!』
まるで女子児童一人に、中年男性多数名が付き添っているような、異様な集団が水族館内を歩き回る。男子生徒は餌に群がる小魚のように、小さくて可愛らしい真理亜に鼻の下を伸ばしながら付いていく。
“あっ、しまった! こんなことしてる場合じゃなかった!”
男子生徒を手玉にとる快感に溺れ、星のことをすっかり忘れていた。遠ざかるお土産ショップを振り返ると、星はおろか七瀬も姿を消していた。外に出てしまったのだろうか。
“あぁ……星くぅん……”
しかし、自分に群がる馬鹿な小魚共を放っておくわけにもいかない。不覚ではあるが、今は彼らの相手をしよう。それはそうと、七瀬は絶対に許さない。のうのうと星とイチャつく様が不快で仕方がない。
「……」
決めた。昨晩思い付いた嫌がらせを、この後すぐに決行しよう。幸い必要な道具は既に手配してある。自分にかしづく優秀な小魚に用意させたのだ。今こそ七瀬に一矢報いてやる。
“待ってなさい、土屋七瀬。すぐに吠え面かかせてやるわ”
真理亜は周りの小魚共には無邪気な笑顔を向けつつ、心の中で不敵な笑みを浮かべた。彼女の腹黒い心に気付く者は誰もいなかった。
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