第6話「二人の日常」



「七ちゃん、おはよ!」

「おはよう……」


 二人の朝は七瀬家の門前で始まる。眠気を引きずりながらも家を出た七瀬を、制服姿の星が迎える。登校は二人一緒に。小学生の頃からずっと続いている習慣だ。


「英単語の小テスト全然覚えられなくて寝不足だわ」

「そうなの? 大丈夫?」

「いちいち心配しなくていいってば」

「ダメだよ! 健康のために睡眠は大切なんだから! 七ちゃんの美貌を保つためにも、十分な睡眠を欠かさないようにしなくちゃ!」

「あのねぇ……」


 実に下らなく、他愛もない会話を繰り広げながら登校路を歩く。近所の住民は花への水やりや草木の手入れをしながら、聞こえてくる会話を頼りに、微笑ましい登校風景を想像する。


 昨日クレープを食べた駅前広場に差し掛かる。クレープカートは朝から営業しており、休日となったであろう子供連れの親子が楽しんでいる様子が見られる。


「昨日のクレープ美味しかったね~」

「そうね」

「また近いうちに行こうね!」

「だから忘れたの? 私今ダイエット中なんだって」

「そんなことしなくても、七ちゃんは十分綺麗d……」

「あぁもう!」


 口を開く度に自分のことを褒めてくる星に対し、半ば嫌気が指す七瀬。朝っぱらから嬉しさで心を乱されたくはない。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。




 約30分程で学校に到着した。二人の通う七海町立葉野高等学校だ。緑葉を付けた桜の木々が、正門を潜る生徒達を温かく出迎える。

 季節は初夏。生徒達は半袖のカッターシャツを身にまとい、きらびやかとした肌を輝かせる。


 ガラッ

 星と七瀬は自分達の教室、2年1組の扉を開け、入室する。


恵美めぐみ~、おはよ~」

「ん、おはよ」


 七瀬は星と一旦分かれ、クラスメイトの女子生徒の席へ向かった。彼女は深田恵美ふかだ めぐみ。黒髪ミディアムのサバサバとした女の子だ。恵美は彼女と目を合わせず、最低限度の挨拶を交わした。


「昨日から引き続き星君がベタ褒めしまくるから大変で大変で……」

「私は今12回目の『惚気話はやめて』を言いたくてたまらないのだけれど」

「だから惚気話じゃないっつーの!」


 恵美は七瀬の日々の愚痴や世間話に付き合っている。本を読みながらであるため、目が合うことはあまりない。しかし、しっかりと聞く耳を立て、的確なアドバイス等の返答は行っている。何気に聞き上手だ。


 彼女は七瀬にとって非常に信頼できる一番の親友だ。


「宮原君のことは置いといて、今日の3限目の化学自習になったってさ」

「そうなんだ」

「なんか桐谷きりたに先生が道端で転んで頭打って、病院に運ばれたからだって」

「いつも思うんだけど、あんたどうやってそういう情報入手してんの?」


 七瀬は常に気になっていた。恵美はやたらと学校に関する情報を熟知している。この間は担任の先生が結婚したことを、本人が明かす前に教えてくれた。恐ろしいと思いながらも、結婚式に参加させてもらった記憶が新しい。


 他にも全校生徒及び教師の友交関係や、家庭事情に至るまでのあらゆる個人情報、購買や食堂の商品の入荷情報などの生徒が気になるであろう情報を、当たり前のように知っている。怖い。


「常日頃から観察を怠らないようにする。それだけよ」

「いやいや、無理があるでしょ」

「あと、情報収集が得意な師匠がいて、その人に技術を教わってるの。今度紹介するね」

「いや、遠慮しとく……」


 情報を提供する際の恵美は、心なしか不気味な微笑みを浮かべているように見える。情報収集を得意とする者とは誰だろう。想像するだけで体が震える。恵美で既に鳥肌レベルであるが。


 しかし、人のことをよく見ているのはいいことだ。だからこそ的確なアドバイスができるのだろうと納得した七瀬。




「……」


 七瀬と恵美が会話する様子を、星は離れた席から眺める。


「恵美が人間観察なら、星は七瀬ちゃん観察か~」

「わっ!」


 突然星に話しかけたこの茶髪の男子生徒は、クラスメイトの赤羽和仁あかばね かずひとだ。陽気な口調で星に歩み寄る。


「和仁君……」

「だってお前、いつも七瀬ちゃんを眺めてんだろ」

「そりゃそうだよ。七ちゃんはすごく可愛いもの……」

「星、七瀬ちゃんのこととなるといつもそんな感じだよな……」


 恥ずかしさのあまりごまかすのかと思いきや、堂々と眺めていたことを宣言する星。クラスメイトの前でも振る舞いは変わらないようだ。


「そういう和仁君も恵美さんのことが好きなんでしょ?」

「おう!」


 和仁も堂々と恵美への恋心を公言していた。好きな人への思いを堂々と口にできるという共通点から、二人は気の合う親友のようだ。


「でも告白する勇気だけはないんだよなぁ……」

「だよねぇ……」


 そして、その思いを本人に直接伝えることに難を覚えている点も同じらしい。




 ガラッ


「みなさんおはようございます。席に着いてください。朝のホームルームを始めますよ~」


 最後に教室に入ってきたのは、担任の浅野凛奈あさの りんな先生。一つ結いの黄色髪をサイドに垂らし、メガネをかけた社会の女教師だ。性格も穏やかで優しいため、学校中の人気者である。


 生徒達は友人との会話を断ち、ぞろぞろと自分の席へと戻っていく。


「星、今日も凛奈先生は可愛いなぁ。相変わらずおっぱいデケェ」

「うん、七ちゃんといい勝負だ……」


 普段は健全な男子も、彼女を前にすると意識してしまうようだ。彼女の魅力に惹かれつつも、我に返って急いで席へと戻る星達。どことなく七瀬からの怒りの視線を感じる。


「私も凛奈先生みたいにスタイルが良かったらなぁ」

「七瀬、あんた今全校の貧乳女子を敵に回したわよ。私含めてね」

「なんでよ! ていうか、なんで胸なのよ!」


 当然である。なぜなら先程星が「七ちゃんといい勝負だ」と言ったように、七瀬の胸も巨乳の部類に含めることが可能なほど十分大きいからだ。恵美の耳には、自分が恵まれた体でいながらの当て付けにしか聞こえなかった。


 恐らくEカップ程度は余裕にある。


「え~っと、沖縄修学旅行まで残り一ヶ月半を切りました。まだ班のメンバーを決めていない方は、速やかに決めてください。全員の班が決まりましたら、二日目の班別行動の場所決めに入ります」


 多くの生徒が待ち焦がれている修学旅行の話題だ。葉野高校の二年生は三泊四日の修学旅行で沖縄に行くことが決まっている。二日目の班別行動で、班ごとに好きな観光地を選び、巡り方を計画することになっている。


「あ、まだ決めてなかった」

「僕も決めなきゃ……」


 星と七瀬はまだ班が決まっていないようだ。






 授業や昼休みなどの風景は、描写するのが面倒なので割愛することにする。


「作者さん……正直ね」

「あ~、学校おわったぁ。テストだるかった……」


 授業やテストの重荷から解放された七瀬は、あくびを垂らしながら大きく伸びをする。浅野先生に負けない程の大きな胸が、自らその存在を主張する。恵美は本人に聞こえない程度の舌打ちをする。


「七瀬、あんた班別行動のメンバー決まってないんじゃなかったっけ?」


 胸から自分の意識を反らすためにも、修学旅行の話題を振った。七瀬が伸びをしたまま返事をしようとするので、怒りのあまり真面目に聞こうか真剣に悩んでしまう恵美。


「まぁね。恵美一緒の班になってくれるの?」

「私はいいけど。あんた宮原君とか誘わないの?」

「ほ、星君!?」


 他人から星のことを言及されると、七瀬はあからさまに動揺してしまう。七瀬が星を異性として意識していることが明白だ。


「いや~、彼の方から言ってきたら、一緒の班に入れてあげないこともないかなぁ……なんて……」

「なるほど、誘うのが恥ずかしいのね」

「秒で私の心読まないでくれる!?」


 七瀬の頬が急速に赤く染まっていく。恵美でなくとも、七瀬の様子から一目瞭然だ。異性として意識するあまり、班別行動のメンバーへの勧誘すら恥ずかしく感じてしまうらしい。


「だって、わざわざ誘うなんて……まるで私が彼のこと好きって言ってるみたいで……」

「実際好きなんでしょ?」

「は、はぁ!? べ、別にすす好きとかそういうのじゃないわよ! 何て言うか……その……」


 典型的なツンデレの反応を前にして、喉が痛むほどため息を溢したくなった恵美。


「七ちゃん」

「うわぁ!?」

「え、どうしたの? 早く帰ろ」

「あ、そ、そうね……帰りましょう。恵美、また明日」

「えぇ」


 突然の本人の登場に、思わず声を上げてしまう。慌てて教科書やノートを鞄に突っ込み、星と共に教室を出ていく。二人の同伴の登校と下校は、1組のクラスメイトにも周知となっているらしい。




「いい加減とっとと告って付き合えばいいのに……」


 独特の距離感を保つ二人の日常を眺めながら、恵美は教室で今まで我慢していたため息を溢すのだった。


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