第1章「男と女」

第3話「強くたくましく」



 小学校の運動場で土煙が激しく舞い散る。小学生といえど、大勢人数があつまればとてつもない力だ。男女混合のチームが一つのボールを奪い合う。


「こっちこっち! パス!」

「ほいっ!」


 どうやら昼休みにクラス全員でサッカーを楽しんでいるようだ。クラスの代表格の男子が、数名の友人に的確な指示を出しながら、相手チームのゴールへとボールを運んでいく。


「くっ……」


 しかし、相手チームもなかなかの防御力だ。数人がかりのディフェンスで行く手を阻む。


「あっ! 宮原みやはら! 攻めろ!」


 ボールを死守していた男子は、相手陣地の片隅でとある人物を見つけた。同じチームメイトの宮原星みやはら ほしだ。彼が誰にもマークされていないことに気が付くと、彼目掛けて高くボールを蹴り上げた。


「はわわっ」


 突然ボールが飛んできて、あたふたする星。運動が苦手でも足手まといにはなるまいと、仲間と共に相手陣地まで攻めていた。しかし、自分にボールが回ってくることは想定外だったようだ。


「あっ!」


 慌てながら右足を伸ばすも、ボールは彼をすり抜けて後方へと転がっていく。受け止め損ねてしまった。すかさず相手チームの男子が、こぼれたボールを拾って攻めに向かう。


「おい何やってんだよ!」

「くっ、みんな戻れ!」


 せっかくのチャンスが吹いになり、ディフェンスに戻るチームメイト。星は罪悪感に浸り、その場で動けなくなってしまった。もう誰も星を見ていないはずなのに、怒りに満ちた視線を感じる。


“うぅぅ……また僕のせいで……”




「も~らい♪」

「あっ!」


 しかし、一人の女子がすぐさまボールを奪い返し、相手陣地に向けて走り出す。


「よくやった土屋つちや!」

「みんな攻めろ!」


 土屋七瀬つちや ななせ。運動神経抜群のスポーツ少女だ。軽やかな足さばきで、次々と相手チームのタックルをかわしていく。ファサファサと揺れる茶髪がとても綺麗だ。


「この!」

「うおっ!?」


 最後の一人のスライディングに驚く七瀬。しかし、両足でボールを挟んでジャンプし、見事に回避した。


「痛っ!」


 しかし、バランスがとれずに着地に失敗し、勢いよく転倒する。すぐさま立ち上がり、我武者羅にボールを蹴る。

 ボールは鮮やかな軌跡を描き、まるでゴールキーパーを避けるような形でゴールネットに突き刺さった。七瀬は見事にゴールを決めた。


「ゴーーーール!!!」

「よっしゃ~!」

「やったぁぁぁ!」


 七瀬は万歳して喜び、チームメイトも彼女に向かって駆けていく。その直後、試合終了の笛が鳴り、4-0で見事七瀬のチームは勝利を収めた。


「……」


 星は七瀬達が喜ぶ様を、ミスを犯した場所から一歩も動かずに眺めていた。




『昼休みは終わりです。運動場にいる児童のみなさん、速やかに校舎に戻ってください』


 運動場で遊んでいる児童に向けて放送が伝えられる。児童はそそくさと校舎へ駆けていく。ボールを片付けた星と七瀬も、校舎へと向かう。


「手伝ってくれてありがと。今日は勝ててよかったわね!」

「ごめん、七瀬さん。僕、またミスしちゃって……」


 星は既に涙目になっている。星が同じようなミスを犯すのは、今回が初めてではないらしい。チームプレーの競技では、毎回と言っていいほど足手まといになってしまう。


「全く、そんなこと考えても仕方な……痛っ!」

「七瀬さん?」


 七瀬は強く踏み込んだ右足に痛みを感じた。よく見ると、膝から少量の血が滲み出ていた。相手チームのスライディングをかわして転倒した際に、うっかり擦りむいてしまったのだろう。


「た、大変だ! 保健室行かなきゃ!」

「これくらい大したことないよ」

「ダメだよ! 早く行こ!」

「ちょっ、ちょっと!」


 先程まで泣いていたとは思えないような変わり様だった。星は慌てながら七瀬の手を引き、保健室へと駆け出した。






「消毒液はこれでOKね。あとは絆創膏を貼って……」

「先生、はい!」

「あ、ありがとね、宮原君」


 消毒液を塗り終えた養護教諭に、星がすかさず絆創膏を差し出す。彼が持ち歩いているものだ。まるで自分の物以外の絆創膏は使わせないと訴えているかのような目力を感じた。


「はい、これで治療完了」

「痛いの痛いの飛んでけ~」


 すかさず星は七瀬の右膝の絆創膏に手をかざし、祈りを込めておまじないを唱える。七瀬に教えてもらった痛みが和らぐおまじないだ。

 単純な星は、以前絆創膏を貼ってもらった際に、七瀬が冗談混じりで唱えていた『痛いの痛いの飛んでけ』のおまじないを本気で信じていた。七瀬に教えてもらってから、星は毎度毎度恥ずかしげもなく唱えている。


「ふふっ、宮原君は優しいわね」


 養護教諭は小学生の可愛らしいやりとりに微笑む。


「星君、恥ずかしいんだけど……」


 しかし、七瀬は逆に恥ずかしさを感じていた。自分が教えたおまじないとはいえ、そこまで真剣に唱えられると、まるで自分が子供扱いを受けているような気分になるのだ。


「だって、七瀬さんが心配で……」

「そんなに心配してくれなくて結構よ。私は強いから」

「でも……」


 星は尚も彼女に余計な心配を吹っ掛ける。彼女がどんな痛みにも笑って耐えることができると、内心理解はしている。しかし、心のどこかで彼女を傷付けさせたくはない気持ちが引っ掛かっている。


 そして思う。彼女の傷は、できれば自分の手で癒してあげたいと。


「ごめんね、七瀬さん」

「なんで謝るの?」

「僕のせいで七瀬さんが苦しむことになるから……」

「星君のせいじゃないでしょ。それに私は大丈夫だって」


 七瀬は星の気持ちと正反対の方向へ動く。




 それでも……


「それでも、僕は七瀬さんが傷付くのは嫌だ」

「星君……」

「七瀬さん、聞いて」


 星は真っ直ぐ七瀬の瞳を見つめる。


「僕、七瀬さんみたいに頭良くないし、運動も全然ダメだし、ドジで泣き虫で臆病者だけど……それでも頑張って強くなる。絶対に強くなるから」

「え?」


 そして、星は七瀬の手を握った。


「七瀬さんを守れるくらい強くなるから! 約束する!」

「……」


 七瀬は本気にはしなかった。普段の星の弱々しい性格や言動は、『強さ』という言葉からは手も届かない程に遠ざかっている。いくら彼が男といえど、自分より強くなれるとは微塵も思えない。若さ故の無謀な考えだろう。


 しかし、七瀬は笑って答えた。


「ありがとう。楽しみにしてるわ」


 強さに拘らずとも、彼には十分にいいところがある。七瀬は自分の右膝に貼られた絆創膏を撫でた。


「覚えててね! 絶対強くなるから! 七瀬さんをいじめたり悲しませる奴がいたら、僕がぶっ飛ばしちゃうから!」

「まずは自分がいじめられてるのをどうにかできるようにしないとね」

「うっ!? うん……」


 七瀬は内心ほっとした。いつまでも頭を垂れて過ごしていた星が、ようやく笑って生活できるようになっていた。自分の介入があったためとはいえ、こうして誰かを助けることができて感無量だ。


「ふふっ」

「どうしたの?」

「何でもない」


 視界に写る度に暗く沈んでいた星が、目の前で不器用ながらも笑っている。この先も性格がもっと明るくなれば、彼も人とうまく友交関係を紡いでいけるだろう。


“星君が強くなれるとは考えられないけど、もう少し付き合ってあげますかなぁ”


 これからも星を見守り、あわよくば助けてやろう。そんな保護者気分で七瀬は星を眺めた。その後も二人は行動を共にし、隣同士並んで道を歩んでいった。




















 そして月日は流れ、8年後……


「七ちゃん七ちゃん! 見てみて!」


 浮わついた声を上げる男子高校生。教室内で気だるげな女子高生が机に伏して寝ているところへ、起きてしまいそうな勢いで駆け寄る。手にはクレープ屋のチラシが握られている。


「うるさいわね……授業終わりで眠いんだけど……」

「駅前のクレープカート、新しい味が出るんだって! ピスタチオ生クリーム味! 美味しそうじゃない?」

「そうね、おやすみなさい」


 再び彼女は机に伏した。


「ねぇ、今から行こ!」

「えぇ……そんなのいつでも食べられるじゃない。もう疲れたのよ。しばらく寝かせてちょうだい」

「ダメだよ! 一日50食限定なんだよ? 早く行かないと売り切れちゃう!」


 机に伏して動かない彼女の肩を、彼は駄々をこねる子供のようなに揺さぶる。周りの生徒は二人の様子を呆れた目で眺める。どうやら日常的にありふれた光景らしい。


「七ちゃん、行こ」

「ううっ……///」


 突然彼が耳元で囁いた。微かに生暖かい吐息と、低い声が相まって思わずドキッとしてしまった。咄嗟に顔を上げるも、彼の美しい顔立ちが目に飛び込んできて、頬がほんのり赤く染まる。


「わかったわよ! 行けばいいんでしょ!」

「やった!」


 渋々と彼の大きな背中に付いていく二人。彼女は不覚にも彼のカッコ良さにときめき、願いを聞き入れてしまった。彼の広い背中を渋々と追う。




“星君、なんでこんなにイケメンに育ってんのよ!”


 そう、かつては泣き虫でひ弱だった星は、輝かしい笑顔溢れる爽やかイケメン男子に成長してしまったのだ。


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