第93話

「……それは、どういうことなんでしょうか?」


 澪が確認するために恐る恐る質問しました。


「ですから、彩音『さん』や彩音『ちゃん』でお呼びいただければ問題ありませんよ。……あっ、親しい間柄でしたら彩音と呼び捨ての方が良いでしょうか?」


 みんなが困惑した顔で彩音の提案を聞いていました。他の人の顔をみて、言葉にならない状況になっています。これまで落ち着いて話し合えていた室内に不穏な空気が流れ始めました。


「あのぅ、幼い頃から『彩音様』で馴染んでしまっておりますので、突然に呼び方を変えることは難しいのですが……。」


「そうですわよね。出会ってから10年ほど経っておりますが、最初から『彩音様』とお呼びしておりますわ。」


「早く慣れてくださいね。」


 澪や悠花が考えを変えるように話をしても、彩音からはピシャリと遮断されてしまいます。

 もっと大切な話をしていたはずですが、このテーマが彩音以外には一番重くのしかかっていました。この状況に楓も困惑するしかありません。


「……いや、ただ呼び方を変えるだけだろ?そもそも同い年の友達を『様』で呼ぶ方が不自然なんだ。」


「楓さんの言う通りです。これから他の学校に進もうとしているのですから、自然な関係を作って行かないといけません。」


 楓は、彩音以外の全員から睨みつけられてしまいした。その目には『余計なことを言うな』の意味が込められています。

 無意味に敵を増やしてしまった感覚になった楓は黙ることにしました。


「とにかく、『様』は禁止です。よろしいですね?」


 誰も彩音と目を合わすことなく、渋々『はい。』と返事をしました。もしかすると、誰も今まで話した内容を覚えていないかもしれません。



□□□□□□□□



「渉美さんの地区予選ですか?」


「はい。千和さんにお聞きしたのですが、陸上部の地区予選が今週末にあるらしいんです。」


「渉美さんが出場するので、渉美さんには内緒で応援に行きませんか?とお誘いを受けました。沙織さんも行かれるみたいです。」


 彩音が学園に到着すると、澪と悠花が声をかけてきました。

 今まで誰かを応援に行ったりすることもなかったので、こんな誘いは大歓迎でした。


「ええ、もちろん伺いますわ。」


 彩音は、そこで思いついたことがありました。

 以前から考えていた事ではありますが、土曜日の休日に行われるとなれば好都合です。


「……あのぅ、電車に乗って行ってみませんか?」


「えっ!?……電車……、ですか?」


 彩音の提案に二人の表情は強張りましたが、これからのことを考えると必要な経験となります。

 三人は、飛行機・新幹線以外の公共交通機関を利用したことがありませんでした。在来線や路線バスを利用した経験は皆無であり、全く未知の領域となります。


「……そ、そうですね。やはり慣れておかないといけませんね。」


「ですが、私たちだけで大丈夫でしょうか?」


 澪と悠花も不安はあるようでした。


「楓さんも、お誘いしておきます。」


 彩音は、浩太郎が『相談相手』になってほしいと楓にお願いしたことを最大限に活用することにしました。楓が浩太郎からの提案を断っていることは気になっていましたが、浩太郎が完全に諦めているとも思えません。


「……そうですわね。」


「せっかくですから、紅葉さんもご一緒で。」


 澪と悠花も、楓を巻き込んでしまうことに躊躇いがなくなっているようでした。

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