開戦

 二月、シルバーライトはSⅠデネブ賞の前哨戦となるSⅢのメラク杯に出走。後半の追い上げから力強い伸びのある走りを見せたシルバーライトは、二着に二馬身の差をつけての快勝。デネブ賞への挑戦権を勝ち取るとともに、重賞初勝利を飾った。

 デネブ賞が近づくにつれ、トレーニング場に集まるマスコミの数も増えていった。去年は栗毛のエクレールが圧倒的強さで三冠を獲ったが、今年の三歳馬は戦力が拮抗しているというのが大方の予想だった。どの馬が勝つかわからない。どの馬にも、勝つチャンスがある。

 その中でもシルバーライトは珍しい葦毛であり、鞍上がカズマ騎手ということもあって注目を集めていた。

 そしてそのライバルとされている馬の中に、去年シルバーライトに土をつけた(おまけに泥もかけた)テンペスタの名があった。

 おそらくシルバーライトはテンペスタのことを根に持っている。今度のレースでも必ず意識することになるだろう。それが良いほうに転んでくれることを祈るばかりだ。

 そして四月。デネブ賞当日の朝が来た。



 昨日の夜中まで降り続いていた雨は上がったものの、空気の湿った少し肌寒い朝。自宅で目を覚ましたカズマは、目を開けたままベッドの上に仰向けになって動かない。

 シルバーライトで走る、今日のデネブ賞。昨日から頭の中で何度もレースのシミュレーションを繰り返した。しかしレース当日になっても正解のイメージは導かれなかった。

 デネブ賞は、アステリズム三冠の中で最も距離の短い2000m。「最も速い馬が勝つ」と言われるレースだ。その距離や最終直線の短いコース設定から、スピーディーな展開が求められる。

 シルバーライトはスロースターターの競走馬だ。そして、スピードよりも持久力を持ち味にしている。三冠のレースの中では、このデネブ賞に勝つことが一番難しい。

 馬の良さを活かすのは、騎手の役目だ。馬場のコンディション、レース展開、馬との折り合い、その中で最良の道を見つけなくては。

 あと何時間か後には、全ての結果が出ている。カズマはそのことを不思議に思った。現時点では何一つわからないのに、その時には全てが帰結しているのだ。

 数時間後の自分は笑っているだろうか? 悔しさに歯を噛みしめているだろうか?

 体の中に流れる自分の血が、静かにその時を待っている。



 空はどんよりとした曇り空。

 ミドリはシルバーライトを引き連れ、デネブ賞のパドックに出た。

 レース場に漂う熱量が、これまでとまったく異なる。SⅠ、それも今年のアステリズム一戦目となるデネブ賞。詰めかけた大勢の観客。

 けれど、そこで緊張に体を震わせるミドリはもういなかった。まだ半年ほどではあるが、このシルバーライトと濃密な時間を過ごしてきた自負がある。この馬は、ミドリの誇りだ。自分のことはどうだっていい。だけどこの馬を馬鹿にはさせない。

 パドックで周回するシルバーライトは、これまでにないほど落ち着いていた。ライバルのテンペスタを見つけても突っかかるようなことはしない。スタートの時をじっと待つように、闘志はその内に秘めていた。

 騎乗号令があり、騎手たちが馬のもとへ向かってきた。赤と白の勝負服に身を包んだカズマがやってくる。

 集中した真剣な眼差し。普段は大らかな彼も、やはり勝負に生きる人間だ。鋭い気迫を感じる。

 カズマがシルバーライトの背中に跨った。彼らは今、同じ目的を持って戦いへと向かう。ミドリはその姿を雄々しく感じた。



 シルバーライトに乗ったカズマは本馬場に出て、返し馬を行った。馬を小気味よく走らせる。

 やはりまだ、馬場が重たい。とくに内のラチ際はかなりぬかるんでいる。昨日降った雨の影響だ。コース取りがとても重要になる。

 スタンドでは多くの観客がひしめき合っている。みんなお花見に来たわけではない。眼前で繰り広げられる競技を観に来ている。

 この日シルバーライトは四番人気だった。穴馬ではないが、本命と呼ぶには少し物足りない。そんな位置だ。

 だけどレースが始まればそんなものは関係ない。全ての馬が、一着を目指して走る。

 ゲート前に着き、生演奏のパドックが鳴った。それを合図に馬たちが次々とゲートへ収まっていく。スタンドからは大きな歓声が上がった。

 ミドリが前で手綱を引き、シルバーライトをゲートへ導いた。係員が後ろでゲートを閉じる。

「頑張って」

 ミドリがシルバーライトに小声で囁いた。そして彼女はゲートから出ていく。

 他の馬も全てゲートに収まった。

 カズマはシルバーライトと呼吸を合わせた。シルバーライトもカズマの合図を待っている。これまでにない一体感を感じた。

 そして、ゲートが開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る