デネブ賞
ゲートが開き、各馬一斉に前へ飛び出た。
集中していたシルバーライトも良いスタートを切った。カズマは可能であれば、初めから先行して前めにつけたかった。しかしやはりここはSⅠの舞台、他の馬たちの加速の切れ味が違う。シルバーライトはあっという間に突き放されて最後方に取り残された。
馬にもっと積極的に指示を出せば、ある程度前へ出ることは可能だろう。だが無理に煽ることで、馬の気分を害することに繋がりかねない。とくにシルバーライトはとてもデリケートな馬だ。女性と接するように優しく振る舞ってやらねば。
先頭の逃げ馬二頭が競い合うようにして馬群をどんどん突き放していく。思った通りのハイペースの展開になりそうだ。湿った馬場の状態を考えて、他も先行していく馬が多い。最後方を行くシルバーライトにはあまり良くない展開だ。デネブ賞の最終直線は短い。のんびり構えていたら一着を捕まえられない。ある程度善戦したところで意味はないのだ。一着を獲って冠を被ってこそ意味がある。
一コーナーから二コーナーへ抜け、全体は逃げ馬二頭が引っ張るようにして縦長の展開になっていく。
厳しい状況だ、とカズマは思った。レースのシミュレーションで上手くいかなかった通りの展開になった。
直線前の最終コーナーは、内のラチ際の馬場がぬかるんでいる。そこを走るとおそらく脚を取られ、最悪スリップして転倒することも考えられる。騎手たちはみなそのことを把握しているため、追い上げる馬たちは外へ外へ回っていくだろう。
最後方から追い上げるシルバーライトは、馬群の真っ只中を突っ切ることは叶わず、内も潰されているため外へ回っていくことになる。外へ外へ膨らんでいく他馬のさらに外へ回ることは、とてつもないロスだ。この直線の短いコースではそうこうしているうちに勝敗が決してしまう。
向こう正面から三コーナーへ向かい、前の馬たちが徐々にピッチを上げていった。シルバーライトも追い上げなければならないが、コース取りが決まらない。どうするべきか。
その時、カズマの脳にピンと天啓のような閃きが奔った。シルバーライトが抜けていくべき道が、銀色のイメージでしっかりと見えた。
他馬は内のぬかるみを避け、みな外側から上がっていく。この馬の道はそんなところにはない。
最内だ。誰も走っていない、状態の悪い荒れた道。そこを抜ければ馬群に揉まれることもなく、距離的に一気に先頭との差を縮められる。その道だけがぽっかりと空いて眼前に見えた。論理を超えた直感が、その道を通るべきだと告げていた。
それは賭けだ。失敗すればレースにならない。普通であれば避けるべき道だ。
しかしカズマは、シルバーライトの力を信じた。これまでこの馬と積み上げてきたものを、信じた。この馬なら、その道を抜けられる。カズマは内に向けて舵を切った。
シルバーライトはその指示に応えた。慎重に進むのではなく、むしろスピードを上げて状態の悪いコーナーをカーブする。
吹き上げる飛沫、泥。シルバーライトは力強くターフを蹴った。カズマはシルバーライトに引っ張られるような感覚を感じた。俺について来い、と言わんばかりの走り。油断をすれば振り落とされそうだ。いいだろう、ついていってやる。
視界が晴れた。
最終直線に出るころには、最後方だったシルバーライトは一気に三番手辺りまで上がっていた。他馬が外へ膨らんでいく中、ただ一頭抜け道を突っ切った。カズマはそこから若干外へ舵を取り、内よりも良い状態の馬場へ馬をのせた。余力充分のシルバーライトはぐんぐんスピードを上げていく。
残り200mのハロン棒を通過。シルバーライトはそこで前を走る先頭の馬を捕らえた。並びかけるのではなく、一気に抜き去った。
もう前にはゴールしか見えない。この馬を遮るものは何もない。
しかしそこで、斜め後方から気配を感じた。視界の端に、不気味な黒い馬体が映った。
テンペスタだ。テンペスタが差しに来た。
さあどうするシルバーライト。またあの馬に負けるのか? あの時の苦渋をもう一度舐めるのか?
それとも、勝利を手にするか?
スピードに乗ったシルバーライトが、さらに加速した。
大振りの、ダイナミックな走り。
食い下がるテンペスタを突き放した。
カズマは馬との一体感を感じた。
まるで、空を飛んでいるような走り。
その走りに、心が震えた。
このまま時が止まればいいとさえ思った。
シルバーライトは先頭でゴール板を通過した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます