第1-5話 現代の飛脚(前編)

 

 ぼうっ……世界に朧げな光が生まれ、その光はひとりの男性の姿を取る。


「…………はるか、父さんはね、今進めている研究で、日本中の困っている人たちを助けたいんだ」

「今は世の中が大変な事になっているけど……絶対に昔みたいに、豊かで笑顔があふれる世の中にしてみせる」


 あたしと同じ、少し茶色がかった癖っ毛に優しげな瞳……あたしの大好きな父さんだ。

 そう認識した瞬間、これが夢だとわかってしまう。


 なにしろ、あたしの視線は現在よりずっと低く……この夢は10年位前の思い出。


「父さんの作ったこの靴を、履いてみてくれないかな?」


 父さんはそういうと、ほのかに光るソールを持った赤いスニーカーを差し出す。

 大好きな明太子に似た姿に、興味をひかれたあたしは、靴下を脱ぐと、そっと素足をスニーカーに差し入れる。


 ぱあああっ!


「!!!!」


 その瞬間、ソールが赤く光り、ふわりと足の裏を押される感覚に驚いてしまう。


 両脚にムズムズするような、どこまでも飛んで行けそうな力がみなぎり……嬉しくなったあたしは思いっきり走り出すのだ。


 楽しい!

 どこまでも走っていきたい……!


「凄いな! はるかは日本で一番速く走る女の子になれるかもしれないね」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるあたしの姿を見て、父さんが嬉しそうな声を上げる。


「うんっ! パパっ! あたし、誰よりも速くなるっ!」


 その声に押され、さらに加速するあたし。

 目の前に音速の壁が迫り……。



 ***  ***


「ふぎゅヴえっ!?」


 顔面全体を覆った、ひんやりとした圧迫感に華の女子高生とは思えないうめき声を上げるあたし。


「……何度も目覚ましが鳴ってるんだから、早く起きなよ、姉さん」


 顔にIH対応の、のっぺりとしたフライパンを押し付けられ一瞬で覚醒したあたしに、冷ややかな声が掛けられる……この起き抜けの耳に心地よく響く絶対零度の声色は、聞き間違えるはずがない!


「おっはよぉ~! 純くん! さっそくおはようのキスをっ……!」


 一瞬で覚醒したあたしは、鍛えた背筋を使いベッドから飛び起き、朝のコミュニケーションを取ろうと試みるが……。


「……その足りない脳みそに栄養補給してあげる」


「むぎゅうっ!?」


 尖らせたあたしの唇を押し開き、黄色い塊が侵入してくる。

 ほのかな塩気と甘み……表面はパリッと、中はしっとり……絶品の卵焼きである。


「もぐもぐ……おはよう純くん」


「……おはよう姉さん」


 カロリーの固まりに冷静になったあたしは、目の前の美少年に朝の挨拶を投げかける。

 絶対零度の視線とともに放たれたおはようの言葉……こうしてあたしの一日は始まるのだ。



 ***  ***


「まったく……毎朝毎朝、口に何かぶち込まれないと起きれないの? 姉さん」


 ブツブツと文句を言いながら、大盛りのごはんと、あたしの大好きなジャガイモのお味噌汁をよそってくれる純くん。


 肩まである艶やかな黒髪に、切れ長の瞳……クールな印象を与えるこの美少年は、あたしの最愛の弟、敷島 純しきしま じゅんである。

 研究に没頭する母さんはほとんど家にいないので、あたしと純くんはこのマンションでふたり暮らしをしている。


 なんやかんやと毎朝起こしてくれ、美味しいご飯を作ってくれるこの環境……控えめに言って天国と言えよう!!


「はうっ……その見下すような視線……お姉ちゃんゾクゾクしちゃうよ!」

「……はっ!? 毎朝あたしの口に放り込む卵焼きを焼くのは大変だろうから、もっと雑に踏んづけて頂いても……」


「……やれやれ、恵さんの言う通り、姉さんはひとり遊びを覚えた方がいいね」

「ああ、敷島家の未来は僕がつなぐから安心して。 姉さんはどっかの空き部屋で飼ってあげるから」


「おおぉ……なんて魅惑の響き……」


 絶対零度を超越した声色で放たれる純くんの申し出に、喜びで身体を撃ち震わせるあたし。


「……冗談はこれくらいにして、さっさと食べて」

「学校に行く前に洗濯と洗い物を済ませたいんだから」


「……もぐもぐ……はいっ」


 いつものやり取りを終えた女子力皆無なあたしは、家事万能な弟に頼り切ることにしたのだった。



 ***  ***


「まったく……電車の時間ギリギリになったじゃないか……先に行くね、姉さん」


 ランドセルを背負った純くんは、ぷくっ、と口をとがらせると駅に向かって走り出す。

 純くんは大企業が出資する大阪の小中高一貫校に通っており、来年から高校に飛び級するスーパー小学生だ。


 両親の頭脳の上澄みは、無事に弟である純くんに受け継がれているらしい。


 我が敷島家の未来は安泰だな……うんうんと頷くあたしの視線の先に、純くんと朝の挨拶をかわす大きな背中が見える。


 おっ……あれは!


 いつものルーチンをこなそうと、あたしは彼の背中に向かって駆け出す。

 ”地脈”の力は使っていないけれど、鍛えぬいたあたしの脚は勢いよく地面を蹴り……じゃりっ、というローファーが地面とこすれる音を残して、あたしの身体が加速される。


「おっはよ~! 海くん!」

「今日も相変わらずでっかい背中だね~!」


 だきっ!


「うわっ!? って、遥かよ」


 トップスピードの勢いのまま、ぴょんっと背中に抱きついたあたしに、驚きの声を上げる海くん。

 2メートル近い長身に、がっしりとした体格。


 短く切りそろえた黒髪に、青みがかった優しそうな瞳……あたしたちのマンションの近くに住んでいて、恵と同じあたしの幼馴染の竹原 海たけはら かいだ。


 抱きつく、というか飛びつくような体制になったあたしは、彼の背中に胸を押し付け、感触を堪能する。

 なんでだろ……こうするとすごく落ち着くんだよねっ。


「ううっ……ったく……相変わらず朝っぱらから元気だよな、お前は」


 海くんは首根っこに飛びつく格好になっているあたしの手を取ると、クルリと正面に移動させ、抱きついた拍子に乱れた制服のリボンを直してくれる。

 その時、彼の右手の甲がわずかにあたしの胸に触れた。


「っと……すまん、あ、イヤじゃなかったか?」


「?? リボンを直してくれてありがとう海くん!」


 顔を真っ赤にし、謝罪の言葉を述べる海くん。

 なぜか、海くんはあたしの身体に触れるとバツの悪そうな顔をする。


 小さい時からずっと一緒に育ってきたんだから、今さら気にしなくてもいいのに……何しろ小学生の時は一緒にお風呂に入っていたくらいである。

 さすがに今はしていないけど。


「はぁぁ…………まあいいや」

「今日の”仕事”は午前中だけだから、放課後は部活に顔を出すわ……今日は先生も来るらしいし」


「ん……オッケー!」


 なぜか大きなため息をついた海くんはあたしの1学年上の高校2年生……弱小である我が飛脚部を支えるエースで、市内の荷役……トランスポーターランキングではたまに上位に顔を出している。


「ま、とりあえずG3に上がれるように、お前らも頑張ってくれよ」


 ぽんぽんとあたしの頭を叩く海くん……そう、今年からあたしとめぐみんという、将来有望な一年生が加わったのだ。

 まずはG3へ……最終目標はG1、それにブルーリボンJAPAN!


 東京へ続くであろう青空に向かって、あたしはこぶしを突き上げるのだった。

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