第49話 縁と鬼札


「来ないでっ」


 ろくに背後を確認する事もせず後ろ手に塩をばら撒く。この一年間で培った知識と経験、悟からもらった清めの塩によりまだ縁はまだ辛うじて生きながらえている。

 きっと昨年までの縁であれば恐怖で立ち竦み既に命は無かったであろう。が、頼みの綱の清めの塩はあと僅か。もはや、縁の命運は尽きようとしていた。


 私は追われている。相手は無貌――――ではない。 


「っ!? こっちにもっ……いったいどれだけいるの!?」


「ギャッ。ギャッ」と奇怪な鳴き声が辺りに響く。

 とてつもなく嫌な視線を感じる。それはこの逃亡劇が始まって今までの間ずっと感じているもの。私の事を敵――などではなく、ただの餌。飢えを満たすための食材として渇望する者の目線だ。


「くっ!? このっ!」


 膝に手をつき呼吸を整えようとしたタイミングで視界の端に影がチラつき反射的に塩を投げる。結果は――外れ。また無駄に塩を減らしてしまった。こんな事をさっきから何度も繰り返している。普通に生活していればまず感じる事のない食べられるかもしれないという文明社会ではありえない死の恐怖。そんなあまりにも大きいプレッシャーに絶え間なく晒される事になり、私は肉体的にも精神的にも限界を迎えつつあった。


 縁を追い詰めているのは腹部だけが異様に膨らんだ身長が一メートルほどの角のない土気色の子鬼。一般的に餓鬼がきと呼ばれる低級の鬼の集団であった。

 餓鬼がき――――生前、様々な罪を犯した人間がと言われる世界。餓鬼界。そこに住まう住人であり鬼。犯した罪によりその性質や餓鬼のサイズも異なるが、ごく一部を除き基本的には決して満たされる事のない飢えと渇きに苛まれる。この鬼は最終的にその苦しみを死ぬまで背負わされ、やがて骨と皮になってしまうと伝えられている哀れな存在であった。

 縁は知らないが人の世界にも度々現れ人間に取り憑き悪さをする妖怪である。そうなった人間は餓鬼憑きと呼ばれ急激な空腹に襲われ歩く事すら困難な状態になってしまうという。

 

 そんな餓鬼が逃げる先から次から次へと現れる。こんな数にいっぺんに取り憑かれてしまえば悲惨な末路を辿る事は想像に難くない。

 不幸中の幸いだったのが相手が極度の空腹を抱えた餓鬼のため動きが遅いこと。怪異が見えない人であれば避けることも出来ずに取り憑かれてしまうが、縁は見える人だ。そして怪異を退ける清めの塩――それらの事が重なって縁は現在までなんとか命を繋いでいた。

 

(でも……やっぱりなってる)

 

 逃げ始めに目撃した鬼は五十センチほどの今よりもさらに小型で、動きも遅く直線的で分かりやすい行動をしていた。

 その小さな鬼は縁のような少女がまく塩を躱す事も出来ず次々に消えて行く。

 「これなら逃げ切れるかも」と希望を抱いた時に現れたのが現在の餓鬼。少し大きくなった彼等の動きは全てが明確に変わった。

 ばら撒く塩は躱され、動きにも知性が見える。私が疲れ足を止めた瞬間に影から襲ってくるのだ。


(もう貰った塩が無い……とにかく逃げないと)


 立ち止まる事はできない。荒くなる息を抑え、前を向く。

 異様に長い――――出口が見当たらない路地裏を縁は走る。助けを呼ぼうにも人っ子一人見当たらない。最初はそれでも声を振り絞り周囲に助けを求めていたが、効果がまるで無く無駄に体力を消耗させるだけなのでもう止めてしまった。

 そんな風にして世界には自分一人しかいなくなってしまったような心細さを抱えながらも縁は独り懸命に戦っていた。だが……


 向かった先にふらりと三匹の鬼が現れる。


(……ああ。アレは無理だ……)


 大きさはさっきまでの大きさの二倍。成人男性よりも大きい。

 名を羅刹餓鬼らせつがき。待ち構えて人間を襲い、取り憑くことはせずに人を狂気に陥れてそのまま。数多くの種類がいる餓鬼の中でも最も凶暴な餓鬼だった。


 慌てて踵を返し来た道を戻ろうとすればそこに、無貌が立ち塞がる。


「……存外粘ったねぇ。ここまで逃げられるとは思わなかったよ。大したものだ」


(……逃げ道を塞がれた……)


 大柄な餓鬼達と無貌の双方に挟まれ、彼等はジリジリと楽しむようにゆっくり距離を詰めてくる。

 退路はもはや存在せず、頼みの綱の塩は残り僅か。背後を振り返り三匹の餓鬼達から滴るヨダレを目にした事で私の逃亡はここで終わる事を本能で理解した。

 無貌は開き直ったのか既に悟の振りをしていない。喋るための口以外のパーツを全て消してのんびり語りかけてくる。


「すまないね? 素人相手に物量の力押しじゃスマートじゃないし私の趣味ではないんだけど……こちらも時間がないしそれ程余裕もなかった。急造のシナリオで申し訳ないが多めにみておくれ……しかし残念だ」


「……何がですか。ここまでしておいて。全部貴方の思い通りじゃないですか?」


「いやね? 失禁でもして自身の不幸を嘆き泣き叫んでくれれば私も楽しめたんだけど……不思議なことに冬木さんはまだ理性を保っているじゃないか。これじゃちょっと期待外れだよ。普通はもっと取り乱すものなんだけど……どうしてだろうね?」


 私は泣きわめきたい内心を押し殺しふざけた事を言う無貌を睨みつける。


(こわい)


 彼の言う事は悔しいが当たっている。そんなもの――――私は半年以上前に経験している。殺されるのが怖くない人間なんていない。それが急な出来事であれば尚更だ。


(……死ぬのは怖い。でも。それよりも……)


 あれから本当に色んな事があった。以前にも見た走馬灯のようにこの一年の様々な光景が頭を過る。辛い事もあった。悲しい事もあった。流した涙も一度だけじゃない。


(けど。それでもっ――――決してじゃなかったっ)


 記憶の中の幼馴染みが笑う。


 たとえこれが私の最後だったとしても。目の前の存在に心まで屈服する訳にはいかない。無知で震える事しか出来なかったあの日から私が全く変わっていないなんて。――――大きく変わってしまったあれからの私の日常をこの怪異にだけは絶対に否定させない。


 無貌が最も欲する恐怖。人間、誰しもに備わった感情。だから――私は何も言わず彼を静かに見据える事で質問に対する答えを返した。歯を食いしばりこの思いだけは殺されないように。気持ちで最後まで抵抗する事を選んだ。

 目の前にいる恐怖を餌とする無貌あいてにせめて心だけは屈しないように。とは違い今回は目だけは閉じなかった。


「つまらないなぁ。なんか。もう、いいや…………さようなら。冬木さん」


 無貌から最後の宣告が下される。

 

 背後の鬼達が醜悪な嗤い声を上げながら一気に距離を詰める。


(なにかっ。きっとまだ、私は――まだ、私はっ)




 諦めない。




「――――大したもんだよぉ。それでこそ……この私が唾をつけた娘だ」


 サァーっと鬼達と私の間に奇妙な風が吹いた。


 最後まで諦めず必死で周囲を窺っていた私には――――それがとてもよく見えた。


 風を伴って飛び込んで来たのは白い


 「……あ……」


 私と餓鬼達の間に一陣の風となって割り込んだのは夕日に照らされた深紅のやいばを持つ白鬼――――そうとしか形容できないほど人間の醜悪な部分を凝縮した嗤いを浮かべるだった。


 ボロボロの白装束から伸びる手足はシワだらけで水気が全く無い干物のよう。長い髪の毛は白一色で完全に元の色を失っており、大きく開いた口から見える黄ばんだ歯は所々抜けている。

 背の曲がった身体は対峙する鬼達とは比べるまでもない。

 しかし…………目が。深く、深く落ち窪んだ眼窩の奥底にあるヌラヌラとした怪しい輝きが。居合わせた者達にこの突然現れた老婆が只者ではないと理解させ、ほんの一瞬だけ足を止めさせていた――――そして、老婆にとってその僅かな時間は事を終えるのに十分過ぎる時間だった。


 散歩でもするようにとても自然な仕草で餓鬼との距離を詰めた老婆がスカスカの歯を剥き出しにしてニコリと笑い、跳躍した。


 沈みかけの太陽に照らされてキラリと手に持った凶器が光る。一閃。太陽光が反射して炎のように眩い煌めきを放つ刃――その正体は限界まで研磨され、それ単体でも異様な銀光を放つ調理道具の出刃包丁。

 棒立ちになっていた大きな餓鬼の一匹は老婆から繰り出されたとは思えないあまりに洗練されたその動作に最後まで何が起きたか分からなかった事だろう。無造作に振るわれた腕とその刃の行く末を不思議そうに目で追いかけて……己の首筋に当てられた包丁に気づいたその瞬間には――何の抵抗も無くその首が飛んでいた。


 この場にいる誰もがまともに反応出来なかった。


 一体どれほどの膂力と切れ味があればそんな事が可能なのだろうか。枯れ枝のような身体から振るわれた予想外の一撃。

 私はあまりに現実離れしたその光景に不謹慎ながら、つい先日家族で祝ったクリスマスの最中にシャンパンのコルクが勢いよく何処かへ飛んでいった事を思い出していた。


 他の羅刹餓鬼も同じだったのだろう。冗談みたいに飛んでいく仲間の首を目で追いながら衝撃で身を硬直させた隣の一匹が、その勢いのまま袈裟切りにされた。

 老婆が大柄の餓鬼を喜々として屠る。馬鹿げた喜劇のようにも見える圧倒的な蹂躙劇。

 ついさっきまで私を苦しめていた餓鬼。その中でも大柄で比べ物にならない強さを持っていると思われる個体がろくに抵抗する事も許されずその数を減らしていく。

 我に返った最後の一匹。中でも一番体格のいい餓鬼が慌てて背を向け逃走を図る。我慢などできない飢えを抱えた餓鬼が私という餌を目前にしてあり得ない行動をとった。餓鬼は本能で理解したに違いない。

 「この老婆には勝てない」と。暴力では勝ち目が無い事を悟ったはずだ。が、全てが遅かった。狂笑を浮かべた老婆にすぐさま追いつかれその場へ押し倒される。


 餓鬼の表情の細かい変化など私には分からない。しかし先ほどまでの食い物を前にした獣のような雰囲気は微塵も感じられず、馬乗りになった老婆から振り上げられた出刃包丁を見上げるその瞳には確かに恐怖の感情が見て取れた。

 常軌を逸した笑顔を浮かべ、無慈悲にも包丁がその恐怖に染まり見開かれた眼球に突き入れられる。


 辺り一帯に餓鬼の断末魔の叫び声と老婆の哄笑が共鳴して響き渡る。


 極限状態で遅延した時間の中で私は鬼を切り裂く鬼を見た。


 この老婆の事を私は誰よりも知っている。


 あれから繰り返し。繰り返し夢に見た。この一年で記憶に残っている悪夢は全てこの老婆によるもの。トラウマだ。忘れられるはずがない。


 私を怪異の世界に引きずり込み、あわよくば喰らおうとした人の鬼。


 彼女は鬼だ。人から鬼になった者――――――――山姥やまうば



「……ありえない……これも運? それともえにしの力? いや、こんな理不尽な事が…………許されていいのか?」 


 いままで呆気に取られていた無貌がようやく声を上げる。その声にゆっくりと山姥が振り返った。

 山姥の濁った光を放つ瞳が新たな獲物を捕らえる。しかし、餓鬼達を仕留めている時に常に浮かべられていた狂った笑みが消えていく。裂けた三日月みたいな口も徐々に閉じられ寸前に漏れ聞こえた嗄れた声は「こりゃあ、駄目だね」と興味を失ったような失望の言葉だった。

 表情を消した山姥は無貌から目線を外す。さっきまでの狂乱はなりを潜め、やれやれと頭を振りながら「どうしようもないね」とつまらなそうに呟いたかと思うと目も向けずに高速でその右腕を振るった。


 一体何が起こったのか。少なくとも私にはまるで反応出来なかった。

 ただ「ヒュン」という風を切る音が目の前を通り過ぎたのでつられて音が向かっていった方角に目を向けただけ。


「うっ」


 咄嗟に口元を覆う。


 無貌の喉元に深々と突き刺さった出刃包丁が見える。

 大口を開けそれ以外の顔がないマネキンのような無貌に刺さった包丁は狂人が作り出した前衛的なオブジェのよう。その悲惨な姿を見てようやく――山姥が手に持っていた包丁を投げたのだと初めて気づいた。

 無貌は呻き声すらあげる事が出来ず膝を突き、背を丸め自身の喉に深く突き刺さる出刃包丁を反射的に引き抜こうと藻掻もがく。だが、傍目から見ても両腕に力が入っていない。素人目にもあれではきっと助からないと分かってしまう。なぜなら包丁の柄の部分まで首元にめり込んでいた。刃の部分は多分裏側へ貫通しているだろう。人間でいえば脊髄がある辺り……人の理から外れている存在の怪異とはいえ恐らく致命傷のはずだ。

 もはや立ち上がる事すらできない無貌は膝立ちで喉元に手を当てながらも顔を上げる。彼自身もその事を理解しての行動だろうか。

 無貌の口しか存在しない顔からはその表情は読み取れない。喉は潰され声を失った彼はもはや喋る事すらできない。だが……それでもその口が大きく動くのが見えて、私の目はその口の動きに釘付けになった。


『ありえない』


 多分彼の口はそのように動いていたのではないか。

 悟から通常の手段で滅ぼす事のできない妖怪だとは聞いていた……だが、致命傷を負っても尚、自分の計画に執着しているその姿を見て得体の知れない不気味さを感じ背筋が寒くなる。

 人の法則から外れた存在のため詳しい事は分からない。だが、痛みが全く無い訳ではないだろう。きっと苦しいはずだ。今も喉に添えられ突き刺さった包丁を何とかしようと忙しなく足掻く手がそれを肯定しているように見える。

 

 だが――――顔が……そのツルっとした何も無い顔だけは……両手で喉元を必死に掻きむしりながらも……ジッと私を見つめるように固定されていた。


(な、なんで……私の事をずっと見てるの? いったい何考えてるの!?)


 答えてくれる人は誰もいない。

 そもそもこの一連の凶行は全て突然現れた山姥によるもの。私自身は最後まで諦めず逃げ惑っていただけだ。

 しかし、無貌はこの状況を作り出した山姥本人ではなく私だけに顔を向け注意を払っている…………結局、彼はついに限界を迎え黒い靄になり消えてしまう最後の瞬間までずっと、私をまるで理解できないような者を見るみたいにその何も無い顔を向けていた。


 疑問は消えないまま無貌が消え去り『カラン』と包丁が地に落ちる。周囲を見渡すと餓鬼の亡骸もいつの間にか消えていた。異常な長寿を経て怪異となった仙狸などの実体を持つ妖怪達とは違い、元から実体のない彼等の最期はこんな風に痕跡すら無くなってしまうものなのかもしれない。

 黙って様子を見守っていた山姥が動き出す。ビクッと震える私を無視して出刃包丁を回収するために老婆はブツブツと独り言を言いながら目の前を横切った。

 

「一つ目……阿用の……も無いし……まぁ、こんなものかねぇ。楽な仕事さ。そもそも……の時も……糞ガキの妨害さえなけりゃ……ご馳走にありつけたものを……あァ、口惜しいィ」 


 しゃがれた声のため完全には聞き取れない。が、私も関係しそうな不穏な事を口走っている事は分かる。山姥は背を丸め出刃包丁を拾う。こちらに背を向けているため表情は分からない。そして拾い上げた包丁を一度だけ汚れを払うように軽く振った。


(っ!)


 のっぺらぼうの無残な最後を思い出し目を反射的に閉じる。

 

 いつまでたっても予想していた衝撃がこないため、恐る恐る目を開けて確認すればそのほんの僅かな時間に老婆の装いは一変しとても見覚えのある美女が目の前に立っていた。

 妖艶な美女が振り返り私を見て微笑む。

 所々めくれ上がっているがボロボロの白装束は小綺麗な白い衣装に変わり、正面から私を見つめるその顔は黄昏の空に紅く照らされとても怜悧で――美しい。

 この姿も私は知っている。この格好は無知な人間を欺くため偽りの姿であって、鬼のような老婆の姿こそが山姥の本質である事を……一度、完膚なきまでに騙された私は知っているのだ。


「私ったら……はしたない」


 めくれ上がった居住まいを正し、とぼけた事を言う山姥に私は精一杯の勇気を振り絞って声を掛けた。


「なんのつもりですか? いったいどうしてあなたが」


「お久しぶりですね? お元気でしたか?」


「っ! 質問に答えて下さいっ」


「あら酷い。困っているようでしたから助けてあげましたのに……なんて言い草なのかしら?」


「そんなの……信じられません」


「ふぅ――――種明かしをすれば貴女のお友だちに頼まれました。酷い話ですよね? 私が山の神に見初められた者の願いは断れないって知っているくせに。まぁ。見返りは約束してもらいましたし。あのガ、童子が慌てる姿も見られたので良しとします」


(……え……とも、だち? ……あっ。ああっ!?。あの時! 悟さんが気まずそうにしてたのってまさかっ!?)


 これこそ悟が用意していた縁を守るための保険――できれば使いたくない鬼札だった。


 山姥の一件は結が仲介する事で悟の元へ持ち込まれた。だから会社を経由する事がなく――無貌は関知していない。

 山姥とは言語で和解しておりただでさえ執着心の強い山姥とゆかりの繋がりは完全には消えていない。悪縁もえんの内。凶悪な山姥に助力を乞うとはゆかり本人ですら思い浮かばなかったのだ。そういう意味でも無貌の不意を突くにはもってこいの妖怪であった。


 衝撃的な種明かしをされ愕然としている私にクスリと笑った後、山姥はチラリと背後を振り返る。つられてそちらに目をやれば珍しく余裕をなくした座敷わらしがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。座敷わらしは山姥と私の間に滑り込ませその小さな体を張って守るように牽制する。


(……そっか。この子が最近ピリピリしていたのは……山姥を警戒しての事だったんだ)


「まったく。あの顔無しよりも私の事を睨んでくるんですよ? 貴女からもなんとか言ってやってくださいな」


「…………お話は分かりました。助けていただいて……ありがとうございます」


「ええ。他ならぬ貴女の事ですもの。必ずお守り致しますわ」


 とても友好的な笑顔を見せる山姥。頼まれてイヤイヤ行動しているようには見えない。とても愛しいものを見つめるようなその瞳に薄ら寒いものを感じた私はたまらずに問いかけた。


「い、いくら悟さんに頼まれたからって……どうしてそこまで私の事を気にするんですか?」

   


「――――知ってました? 私、こう見えて執念深い女なんです」



 そう言って彼女は恥ずかしそうに笑う。事情を知らなければ同性でも見蕩れてしまいそうな妙齢の美女。人の気配がしない幻想的な真っ赤な世界で笑う女は事前知識があったとしても抗う事の難しい魅力を放っていた。しかし、この女性にトラウマを刻みつけられた身としては苦虫をかみつぶしたような顔で押し黙る事しかできない。


「ずっと。ずうっと――――――――見ていてあげますから。安心して下さいね?」


「っ!」


「……」


 怪しく微笑む山姥とそれを威嚇する座敷わらし。両者に挟まれた私は頭痛と目眩を感じこれ以上深く考える事を放棄した。先ほどまでの逃亡劇の疲れもピークに達しており最早完全に限界を超えていた。


 このように縁は自分に結ばれた悪縁の鬼を味方につける事でなんとか無貌の奇襲を撃退する事が出来た。

 もちろん再度の怪の脅威は未だに健在で根本的な問題はまったく解決していない。だが――――それでもこの奇縁が生んだささやかな勝利は無貌の計画にほんの僅かな……しかし確実な楔を打ち込む事に成功したと言える。

 

 なぜなら本日退場するはずだった運とえんを味方につける無貌にとっての不確定要素の塊であるゆかりもまた健在なのだ。

 少女の未来は閉ざされる事なく、明日以降も彼女は続く日常を苦悩しながらも生きていく。




 何事にも動じなかった彼の心は小さく軋む。無貌は自分で気づけない。予定が当初描いたものから微かに歪んでいる事に。元の計画が緻密であればあるほどに少しでも狂った歯車の些細な変化が――後に大きな波紋となって自分にかえってくる事に。既に冷静さを失った無貌は気づいていなかった。





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