第39話 悟ると狸 結と繋
むすぶ。ゆわえる。一つに、まとめる。
糸へんに吉。その漢字の成り立ちは、糸を組み合わせ引き締める様子を『繋ぎ合わせる』ことに見立てて、いつしかそのような意味をもつ言葉が生まれた。それが……結ぶ。名の由来を調べている時、結という字の意味が生まれた一つの経緯を知りとても嬉しかった。
尊敬している人の名前から生まれたこの名が何よりも誇らしかった。
『爺ちゃんは長生きしないとダメだよ? ただでさえ、たくさん返さなきゃいけない恩があるんだから』
『おいおい、言われるまでもねぇよ。結こそ覚悟しとけ。孫の顔を見るまでは死んでやらんからな? 後になってから早く死ねって言われても死んでやらんぞ?』
『言わないよっ! もうっ。あたしの事なんだと思ってるの!?』
心残りがあった。名が引き寄せてしまった悪縁の結末と彼の最期。全部、終わった後に知らされた事実。騒動の中心にいた当事者でありながら、あたしは何もしていない。
言いたい事が山ほどあった。だけど――なにも伝える事ができなかった。
せめてあの日、あの朝……誰にも知られる事なく消えていった祖父に、たった一言でも気持ちを伝える言葉を交わす事が出来ていれば……
最近また関わる事の多くなった幽霊のせいなのか、ふとした拍子にそんな後悔ばかりが頭をよぎる。
久しぶりに蛇を凝視してしまったためか、保健室で目が覚めて家に帰ってきてからも調子が悪かった。現実と夢、過去と現在の記憶が混ざり合い境界が曖昧になっている感じがする。
(――――あたし、何してたんだっけ。確か、懐かしい音が聞こえてきて慌てて悟くんに連絡を取ろうとしたら圏外で……あれっ? その後はどう、なったんだっけ?)
一体どれくらいこうしていたんだろう。ボンヤリと
(え……っと)
辺りは既に暗くなっており、公園の街灯も灯っている。設置されている時計台に目をやると、遅い時間ではあるが普段であれば人通りもある時間帯。だが、ひとけは全く無かった。
(……これって、もしかしなくてもヤバいよね? スマホは持ってきてないみたいだし……とにかくこの場所から離れないと)
自分が直接、怪奇現象に巻き込まれるのはここ数年まったくなかった。
だが、裏を返せばそれ以前まではありえない
まずは、身の安全の確保。それが済めば悟への連絡だ。
手順を考えながら後ろを振り返る。
「――――――嘘」
現在おかれている状況、これからやろうとしていた手順、その全てがそれを見た瞬間、頭の中から飛んだ。それほどの衝撃を受けた。
いるはずのない、ありえないものを目撃して全身が雷に打たれたかのように硬直する。
遠く離れた街灯の下、暖色系の明かりに照らされて一人の男が立っている。
距離はある。だがその人物を見間違うはずが無い。自分だけは彼を見間違う訳がないのだ。
それは皆からすでに死んだと聞かされた人物。大好きだった人物であり、命の恩人であり、そして――あたしの後悔の象徴。
「……じいちゃん」
数年前のあの朝と、全く同じ格好の繋が以前と全く変わらない笑みを浮かべながらそこに立っている。
あまりにもとっさの事で言葉がでない。
誰よりもよく知っている人物。大好きで尊敬する人。でも、今は……時が経ち疎遠になってしまった人。
言いたい事が本当に沢山あったはずなのに、頭の中には意味を成さない言葉のかけらだけが生まれては――消えていく。自然とその口は固く閉ざされた。
それはまるで、小さい子供が人見知りをしてしまうかのように。
出来上がったのは静寂に支配され、ただ二人、見つめ合うだけのおかしな世界。自分が思い描いていたものとはほど遠い……あまりにも距離が遠い再会。
(…………どうして。こんなっ、はずじゃ……なにか、なにか言わなくちゃ……)
口を開こうとすれば、その度に自分の理想が邪魔をする。
『もし、あの朝をやり直すことが出来るなら次は決して思い残すことの無いように』
それは二度と同じ後悔をしないように自分自身にかけた呪い。今度こそ後悔のない完璧な再会を無意識のうちに頭の中で思い描き、作り上げればあげるほどにその口は鉛のように重くなっていく。思い描いた理想からかけ離れていく。
そもそも、以前の結は繋に対して言葉を事前に準備して会話などしていなかった。自然体。ありのままの思いをそのままぶつけていた彼女にとって、その振る舞いが意図して作ったものである以上、決して正解に辿り着くことの出来ない。それが口を開くことが出来ない理由。
そんな簡単なことにも自分自身で気づけないほど、彼女の心は傷ついていた。
時間だけが無為に過ぎ去っていく。いつまで続くか分からない奇妙な時間は第三者の声によって破られた。ここ数年で聞き慣れた声が耳に届く。
「久しぶりですね。繋さん」
背後を振り返ってみれば、いるはずのない人達。天国の祖父に会う事ができたら真っ先に報告しようと思っていた、最近知り合う事の出来たとても大切な人々の姿があった。
「縁ちゃん。来てくれて、ありがとう」
「――――うん。大切な友達だもん」
「あ、あのねっ。さっき、せっちゃん何か変じゃなかった?」
「え? ううん。私は気づかなかったけど」
(いや、違う。あたしは今、そんな事を言いたいんじゃない)
縁と話ながらも、意識はずっと悟と何事かを話している繋に向けられている。話そうと意識すればするほどに……あたしは大好きな人から逃げてしまう。
それでいて、祖父に関する事はどうしようもなく気になってしまうのだ。
だから本来であれば、見逃してしまう些細なことにも気づいてしまう。
例えば……仙狸が祖父にあった瞬間、なぜか敵意をむき出しにしたこととか。
そしてそれを――まるで、慌てて止めるかのように彼女の手を握り、以後、暴発を防ぐようにずっと手をつなぎっぱなしにしている悟と、そんな悟に対して不思議そうな顔をする仙狸の様子とか……
縁と話ながらもそんな関係のない事ばかりを考えている。少し離れた場所で悟と話す繋を盗み見ながら、あたしの意識はずっと祖父にだけに向けられている。
急に悟が振り返り、あたしに向けて小さく手招きした。
内心の怯えを悟られないように、口を固くむすんで悟たちがいる場所に歩みを進める。
「あのな、結……言いづらいんだが……繋さんかなり無理して姿を見せているみたいで――もう、あまり時間ないらしい」
「っ! ――そんなっ」
意識して逸らしていた目線を、繋に向ける。
彼は再会した時のまま、穏やかな
消える。
消えてしまう。
言いたいことや聞きたい事が山ほどあった。
海よりも深い気持ち、伝えたい思いが胸の中で渦巻いている。
ごめんなさい――違う。
ありがとう――――足りない。
さよなら…………言えない。
だけど、その
今度はお別れを分かった上で、また同じ後悔を重ねようとしている自分があまりにも情けなくて、悔しくて……あたしは唇をかみしめる。
その時、誰かに優しく背中を押された。
小さく一歩だけ、足が前に進みうつむいていた顔が自然と上がる。
「……今度は、私が背中を押す番だね。結ちゃん――――いってらっしゃい」
「縁、ちゃん」
彼女は笑っている。そして、それ以上のことは何も言わない。
だが、その目には力があった。無知の人間が出せる瞳の色ではない。すべてを知りそれでも尚、前に進めと言外にその瞳はつげている。
(…………喋ったな。よりにもよって、一番話しちゃいけない人に。この子、本当に頑固なんだからね。まったく、
鏡が無かったから分からない。
だが、たぶんあの時の自分もきっとこんな目をしていたのだろう。であれば、逃げるわけにはいかなかった。
「――――よしっ」
両手で自分の頬を挟むように軽く張る。
小さく、一人気合いを入れから繋に向き合った。
(……ああ。立場は真逆だけど……あの時、譲くんもきっとこんな気持ちだったのかなぁ)
瞬間、心の中に浮かんだ言葉は本当に伝えたかった気持ち。大好きだった祖父に必ず言っておかなければならない、うそ偽りのない本音。
奇しくもそれはかつて縁の友人が去り際に両親に向けて送った、感謝と……決別の言葉。
自分の中で収まりきらない感情は自然と涙となって頬を伝う。
それでもその思いは自分の中から無限に湧き出て、いつしかその身すら揺らしていた。
この状態で長い言葉を発することは不可能。言葉は伝わらなければ意味が無い。
だから、伝えるのは本当に短いもの。
その一言に、ただ、相手の事だけを考え、全ての思いをのせて……。あたしは思いを伝えた。
「あなたのもとに、生まれてくる事が……出来て、あたし、は……本当に、幸せでした……今まで、ありがとう――――さようなら」
視界は涙でにじみ、声は震え、しゃくりあげながらも必死に振り絞る。
最期の瞬間まで微笑みを浮かべていた彼のように、格好良くはいかない。今の自分はきっと酷い顔をしている。
それでも、ぐしゃぐしゃになった顔で懸命に笑みを作って顔をあげ、正面から見つめる。
お世辞にも美しいとは言えないその姿は、惨めで不格好でありながら――――きっと何よりも尊いもの。
心の底から人が人を思うということ。
それは、同じ人間であるなら決して目を逸らしてはいけない光景……悩んで、苦しんで、下を向いて――それでも、なけなしの勇気を出し前を向く。今を真剣に生きる人の姿。
ずっと囚われていた後悔の呪縛を、自らの意思で進み断ち切る。彼女はそれをその姿と行動で周囲に示した。
……彼は、その様子をとても眩しいもの見るように目を細めて見つめていた。それは長年彼女を見守っているうちに、いつしか彼自身が待ち望んでいた
もう、大丈夫。
彼は満足そうな笑みを浮かべた後、何を口にするわけでもなく、一度だけ大きく頷いて……幻想の人化を解き、仮初めの繋の姿は光の粒になって消えた。
堪えきれず声をあげて泣く。
周りには自分の大切な人たちがいた。後になってから、恥ずかしさできっと後悔することになるだろう。それでもこの溢れる思いをとめる事はできなかった。
どれくらい、そうしていただろう。
感情の波は落ち着いてきて真っ赤になった目元を拭う。
近くで優しく抱きとめ慰めてくれていた縁に礼をいい、顔を上げる。
その目には、しっかりと前に進む光が宿っていた。
優しい空気で満ちた空間に、その時一陣の風が吹いた。
暖かく優しい空間はそのままに……だが、その輪の中にとても懐かしい気配が加わる。
ゴツゴツしたとても大きな手が一度だけあたしの頭を優しく撫でた。枯れたと思っていた涙が再び頬を伝う。
「――――――――爺、ちゃん?」
姿はなく、返事は無い。
懐かしい気配はほんの一瞬、気がつけば夢や幻だったかのようにその気配は消え去っている――――でも。
(今のは絶対、爺ちゃんだった)
確信があった。正面にいた悟にとっさに目線を向ける。
さっきまで、落ち着いた笑みを浮かべていた悟の表情が驚愕に染まり、その右目は見たことも無いほど大きく見開かれている。
そして、その目線はなぜかあたしの背後と足元の間で忙しなくさまよっていた。
「……いや、いやもう……なんなんだ、あの人――――まったく、敵わないな」
悟の表情が驚きから苦笑に変化する。
それは神秘の右目を持ち、すべてを見透かしたような態度の男が見通す事のできなかった結末を意味した。どうやら自分の祖父はこの男の期待を良い意味で裏切ってくれたらしい。
ならば、あたしは。
(…………そか。うん。確認なんてするまでもない。きっと、ずっと、これからも……んじゃ、いつまでもメソメソしてらんないね。胸を張って! 笑えっ。結。だって、あたしはあの人の孫なんだからっ!)
「――っ。あったり前でしょっ! あたしの自慢の爺ちゃんなんだから!」
そう言って、心からの笑顔を大切な人たちに向ける。
そうして、あたしの長い、とても長い、蛇との戦いは今日この日をもって幕を閉じた。
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