悟るの日常

畔藤 

冬木 縁 

第1話 悟るの日々

 昔の夢をみていた。


 あれはまだ俺が小さい頃、登山に連れて行ってもらった時のことだ。

 標高はそこまで高くなく、道のりもハイキングのような物で、退屈を感じていた俺はついつい不平不満を口にしていた。

 今考えてみれば、同行する両親にとってもあまり面白い事ではなかったと思う。

 険悪という程ではないが、微妙な空気の中あまり会話無く登山は続いていた。

 自身の口が招いた事ではあるが。


 頂上への道のりが三分の二程過ぎた頃、休憩を挟むこととなり空気に耐えきれなくなった俺は、両親が目を離した隙を見計らい登山道を外れ鬱蒼うっそうとした木々の中に入って行った。


「オオクワガタでもいないかな……」


 綺麗な景色、風景よりもまだカブトムシやクワガタの方に興味があった俺は、どんどん道を外れ山の深くに入って行く。


 十分程進んだ頃だろうか、急に開けた場所に出た。

 周りは木々に囲まれ、薄暗くなっているがそこの場所だけは日が差し込んでいる。

 心なしか空気も他の場所よりんでいるように感じ、不思議に思い周囲を見渡してみれば……大きな切り株がある。


 そこに腰掛けるようにしてソレはいた。


 背筋が泡立つ。視線はずっとこちらをとらえている。


「うわっ。な、なんだお前?」


 全身に毛が生えた猿人のような生き物。衣服などは身にまとっておらず、自身よりも身長は少し高い。


「……ニンゲンの子供か」


 猿とも人間ともつかない化け物が言葉を発する。恐ろしい。すぐに逃げ出してしまいたいが、その静かな瞳に見つめられるとなぜか足が動かない。また猿の化け物が言葉を発する。


「そんなに恐がらなくても、食べたりはしないしお前に危害は加えない」


 とてもではないが信じられない。


「信じていないようだな。まあ、それでもよい。そんな事より、足下にお前の探し物があるようだぞ」


 思わず下をみれば、見たこともないサイズのクワガタがいた。


「おおっ! すっげぇ」


「役に立てたようで何よりだ」


 これをクラスの友達に自慢したらヒーローになれる! すっかり機嫌が良くなった俺を猿の化け物は微笑ましそうに見ていた。


「カブトムシも、そこの木の裏にいるだろう。見てみなさい」


「ホントか!」


 猿の化け物に促され、大きな昆虫を次々捕まえる事ができた俺は、まだ分別のつかない子供だったこともあり、だんだんこの得体の知れない化け物に気を許していく。


「ありがとな! これで友達に自慢できる!」


「なんの。なんの。それよりお主の両親はひどいのぉ」


 まるで、こちらの心が分かっているかのようにこの化け物は言葉をつむぎ、その口から生み出された音は、相手に自覚させることなく弱った心の隙間すきまにするりと入り、ほんのわずかなその空白を徐々に満たしていく。

 究極の語り上手であり聞き上手。こちらが子供だという事実を差し引いても、控えめに言ってコミュニケーションの達人。まだ遭遇そうぐうして、時間もそれほど経過していないのに、俺は長年の親友のようにこの化け物を信頼し始めていた。


「なぁ。坊主、お前にとっても素晴らしい提案があるのだがの」


「素晴らしいこと? 何だ! 教えてくれ!」



「我と……少しばかり取引せんか?」



 不快な電子音で目が覚める。

 時刻は十時を回ったところ。今日は日曜日。

 最悪の目覚めだ。久しぶりにあの猿の夢を見た。最低だ。


 俺は倉木くらき さとる


 今年で二十四になる。高校を卒業後、ある事情で地元に居られなくなり、単身で東京に移り住む。現在は何でも屋のような事をやって生計を立てている。

 寝起きの習慣になっている目薬を手元にたぐり寄せる。

 左目だけに点眼。右目は意識が覚醒した後もずっと閉じられたままだ。

 目薬をさした後、目覚めの悪さから起き上がる気力も無いままスマホを覗きこんでいると、玄関からカギが開けられドアノブが回る音がした。


「悟くんいる? 入るよー」


 入ってきてから言うなよ。内心突っ込んでいれば垢抜あかぬけた少女が姿を現した。


「悟くんまだ寝てんの? 休みだからってずっとゴロゴロしてると太るよ?」


「結。もう多くは言わない。だからせめて、インターホンだけは押してくれ」


「だって居留守するじゃん。こっちの方が確実だし。何度か泊まってるんだから今さらでしょ」


 ケラケラと笑うこの女は夏木なつき ゆい

 重めのミディアムボブにパーマが入った髪を薄く染めている。今風の高校生だ。もちろん付き合っている訳ではない。ただの少し年の離れた従妹いとこである。


「うわ。食べかけのパンがそのままにしてあるし。ゴキブリ湧くじゃん!  前この部屋で見たんだからね! せっかく格好いいのにモテないのはこういうだらしないトコだよ?」


 うるせー。


 未だに汚いだの、掃除しろだのブツクサ言ってるがとりあえず聞き流す。


 見た目はギャルだが、おかんのような事を言うコイツとは以前からこのような仲だったのでは無い。むしろ数年前までは疎遠そえんであまり話す事も無かった。

 ある事件が切っ掛けで今の関係になったのだが、まぁ正直コイツには頭が上がらない。

 仕事柄付き合いがある人間は多い方だが、俺の事情を知っても離れていかない奇特な奴だ。コイツの明るさに救われたことも何度かある。得難えがたい人というのだろう、感謝している……調子に乗るから面と向かっては言わないが。


「悟くん? 携帯鳴ってるよ?」


 渡されたスマホの表示を確認する。


「所長から? 悪い、結。少し出てくる」



 ベランダに出て通話ボタンを押す。


「悟か? 今大丈夫か?」


「日曜に珍しいですね。どうかしましたか?」


「急な依頼が入った。先方もどうやらギリギリだそうでな。任せられる人間がいない」


 一人の知人の男の姿が思い浮かぶ。


「黒木の奴はどうしたんです?」


「間の悪いことに、地方に旅行に出かけてすぐには戻ってこれないそうだ」


 本当に間の悪い。


「荒事は嫌なんですが」


「なに、今回は人形にんぎょうだそうだから多分大丈夫だ」

 多分って何だよ。ただこの人にはお世話になった恩もある。


「分かりました。すぐに出ます」


「おお。助かる。時間と場所は……」



 通話を切り室内に戻ると、不満気な顔の結がこちらを見ていた。


「仕事?」


 今日は結の買い物に1日付き合う予定だったのだ。


「悪い。断れなくてな。今度埋め合わせするよ」


「前もそんな事言ってたじゃん」


 そうだったかもしれない。しょうがない。


「わかったよ。来週は何かおごるよ」


「んー。奢りかぁ。」


 まだ少し不満そうだな。


「他に俺ができる事はないぞ」


「じゃ、奢りに追加で1つだけお願い聞いてくれる?」


「お願いって何だよ?」


「来週までに考えとく」


 現金な奴だな。ただコイツもあまり変な事を要求してこないだろう。そのぐらいの信頼はある。


「分かったよ。あまり無茶な事はできないからな?」


「やったね!」


 これで機嫌を直してくれるのであれば安い物だろう。


 結を部屋から見送った後、軽く片付けを行い外出の準備を行う。

 シャワーを浴び身支度を整えた後、最後にベランダのカーテンを閉める前に外の景色を見る。



 目覚めてからずっと閉じられたままだった右目を開ける。



 どこかであの猿が笑った気がした。















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る