第34話 今日もパンを焼く朝霧ヨーコさん

 終業時間まであと少しです。


 すでに今日の仕事は終わっています。

 事務方である私が残業しなければならなくなる仕事を持ち帰って来そうな営業さんも、今日は全員帰社済みです。


 つ ま り


 私の定時帰宅確定ってことですよ。


 まぁ、ここしばらくは大きな仕事が入って来てないおかげで、会社そのものののんびりムードなんですごく助かっていますけどね。


 男性陣は窓辺で煙草を吸いながら雑談中

 多分、飲みに行く計画でも立てているのでしょうねぇ。


 ウチの会社は今時珍しく、飲みにケーションが割と行われています。


 もっとも、

 40代以上組と、20代組できっちり棲み分けされてて、交わることはないんですけどね、あはは。


 で、私はといいますと、


 第三勢力です。

 はい、ノン飲みにケーション組。


 20代の女性陣が絶対に40代男性陣の飲み会に参加しないもんですから、

「じゃあ、朝霧さんでもいいや、今晩どう?」


 ねぇ


 失礼だと思いません?


 まぁ、言われている本人があんまり失礼と思っていないので、あれなんですけどね? あはは。


 当然断りました。


◇◇


 さて終業。

 私は鞄片手に席を立つと、いつも以上に早足で会社を後にしました。


 えぇ、今日は早く家に帰らないといけないんです。

 時間指定で注文した、アレが届く日なんですから。


 会社を出たのが午後5時

 普通に帰ったら30分

 時間指定は午後7時以降


 うん、完璧


◇◇


……なのに


 なんでもう不在票がはいっているんですか? ねぇ?

 ちょっと宅配業者さん、仕事雑じゃありません?

 今は午後5時30分なんですけど?


 私は、慌てて不在票の携帯番号に電話しました。


『あぁ、すんません、近くまで行ったのでご在宅だったらと思いまして』

 あのですね


 何のための時間指定なのか、考えていたけませんこと?


 と、心の中でブツブツ言いながらも、再配達を依頼しました。

 ま、本来でもまだ到着していない時間ですからね。


 さて


 では、今のうちに、最近日課の家の掃除から始めましょう。


 ここのところ毎日やっているので、自分でいうのもなんですけど家の中がピカピカです。


 今日は蛍光灯まで外して拭きました。

 さすがにここまでは掃除してなかったもんですから、雑巾がすぐに黒くなっていきました。


『ピンポ~ン』


 お?


 宅配さんですかね?

 はいはいただいま~。


 ドアを開けると、予想通り

 そこには宅配のお兄さん。

「朝霧さんで、間違いありませんか?」

「はい、そうです」


 すいませんね

 一応女の一人暮らしなんで表札を出していないもんですから。


 私の返事を確認すると。

「じゃあ荷物を持ってきますね」

 そう言うと、お兄さんは階の端にある階段を降りていきました。


 ……お兄さん、よろしくね


 何しろ今日私が買ったのって、


 業務用強力粉 25kg×4袋


 え~……100kgですね、はい。


 私の在室を確認した宅配業者のお兄さん。

 荷物を持ってきたときは3人がかりでした、はい。


「じゃ、ここに受け取りを……」

 どうもお手数かけました、の言葉とともに、私は判子をぽち。


 帰って行くお兄さん達

 心なしかお疲れモードですね……ごめんなさい

 ……でも、この通販ショップ安かったから、また頼むと思います。


◇◇


 さて

 

 この1袋25kgの強力粉を

「うに~~~~」

 と気合いを入れながらベッドの上に乗せていった私。


 いやはや、ホント

 向こうの世界に行き始めてからの私って、確実に痩せてます。


 何しろ

 晩酌辞めたし

 夜は早く寝てる……のよね? こっちの世界の私は?

 あと、夜食も間食も食べなくなった……でいいのかしら? 向こうで普通に食べてますけど?


 まぁ、実際に体重計申告で3kg落ちたのは事実です。

 おっと、元の体重は聞いちゃあだめですよ。


 さてさて、私は残っていた蛍光灯の掃除を終えますと、掃除道具の後片付け。

 汚れた服と、仕事の服を洗濯機に入れて選択予約。

 明日の朝一で終了するようセットします……明日の朝までこっちにいませんものね。


 さて、シャワーで汗を流した私は、下着にシャツ一枚姿でベッドの上に移動します。


 ふと思い

 枕の中の本を取り出してみました。


 うふふ、あったあった。

 しっかり絵がありました。


 オトの街で、みんなにパンを売っている私の絵

 周囲に集まっているオトの街の皆さんも、とっても笑顔です。


 あらあら、急いでやって来ているラテスらしい人の姿までありますね。


 ふふふ、なんだかいいな、こういうの。

 

 私は本を枕に入れ直すと、早速目を閉じました……


◇◇


……目を開いた私の目の前には、木の天井が広がっています。


 うふふ、今日も無事来ることが出来ましたわ。


 私はベッドから起き上がると、まずは作業着に着替えました。

 そして顔を洗い、歯を磨きます。


 一通り朝のルーティンをこなしたら、さて、パン作り開始です。



 昨日はテマリコッタちゃんとクロガンスお爺さんとお話して一日過ごしましたので、

 今日はオトの街にパンを売りに行く日ですからね。



 今回、オトの街にパンを売りに行くことになって、決めたことがあります。

『自分で手作りしたパンだけ売りに行こう』ってこと。


 現実世界のお店で売ってるパンをいっぱい買ってきて、

 こっちの世界に持って来て

 売りに行けば、それは簡単です。


 でも


 このパンは、そんなんじゃダメだと思うんです。


 オトの街の皆さんと仲良くなるための……そんなパンだからこそ、私は、私が頑張ろう……そう心に決めたわけです。


 ただし、唯一の例外は


「ヨーコさ~ん」

 そうです。

 元気な声が聞こえて来たテマリコッタ

 それとクロガンスお爺さん


 3人で一緒に楽しく作る。

 それが唯一の例外です。


「ヨーコさん、おはよう!」

 今日はまだお日様が昇る前にやってきたテマリコッタちゃん。

 玄関の前で、魔法灯片手に出迎えた私に抱きついてきました。

「おはようテマリコッタちゃん。ちょうど粉を準備していたところよ」

 私がそう言うと

「まかせてヨーコさん、私もいっぱい手伝うわ」

 そう言いながら家の中に駆けていきました。


「じゃ、ワシは窯の準備をしておこうかの」

 クロガンスお爺さんはそう言うと、私に片手をあげながらオープンキッチンの方へ移動していきます。

「じゃあ、準備が出来たらお持ちしますね」

 私は、クロガンスお爺さんにそう言うと家の中へ、テマリコッタちゃんを追いかけていきました。


 すでにパン焼きも3回目

 テマリコッタちゃんは2回目ね

「ヨーコさん、これを捏ねるのね」

 テマリコッタチャンはそう言いながらボールの中に入れた材料をコネコネコネコネしていきます。

 とっても笑顔で

 とっても真剣です


 さぁ、私も負けていられません。


 こねこねこねこね

 こねこねこねこね


 2人で並んで生地を捏ねていきます。


 先日は、すぐになくなってしまったので 

 今回は全開の倍は焼いていきたいと思っています。


 焼き時間の間に最初に焼き上がったパンが冷めてしまいそうですが

 そこで、魔法袋の登場です。


 焼き上がってすぐの食パンの型を、すぐに魔法袋に入れておけば、

 温かいまま保存出来るのです。


 この袋

 ホント、持って帰れないのかしらね、現実世界に。


 そんなことを思いながら

 私とテマリコッタちゃんは、どんどんパン生地を作っていきます。


 合間に、パスタを茹でまして

 みんなの朝ご飯の準備も同時進行します。


 あ、そうだわ


 ここで私は寸胴を手にすると

「テマリコッタちゃん、お外の台所で朝ご飯の準備しよっか?」


 そうです。

 パン焼き窯の横にはオープンキッチンがあるのです。


 そう言えばまだここを使ったことがありません。


 私の言葉に、テマリコッタちゃんは、満面の笑顔で

「ヨーコさん、楽しそう。やろうやろう!」

 そう言いながら、私が持っていたパスタの袋を持って来てくれました。


 窯の準備をしているクロガンスお爺さんの横で、私は寸胴を魔法調理器の上に乗せ、着火のボタンを押しました。


 ……あら?


 かちかち


 ……あらあら?


 なんで? 着火しません。


 するとクロガンスお爺さんが言いました。

「ヨーコさん、確か用心のために着火魔石を家の中に保存してたんじゃなかったかの?」

「あぁ! そうでしたそうでした!」

 私は、あたふたしながら家の中へ

 台所の引き出しの中から着火魔石を取り出すと、慌ててオープンキッチンへと戻りました。


 魔石をセットして……と


 カチ


 ぼっ


 よかった……ちゃんとつきました。

 

 さてさて、これで朝ご飯の準備をしながら

 パン生地の時間もチェックして

 パン焼き型は出してあったかしら……


 あれこれ忙しく考えながらも


 私の顔は満面の笑顔です。


「ヨーコさん、何か手伝うことある?」

 テマリコッタちゃんが、笑顔で駆け寄って来ました。

「そうね……それじゃあ畑からお野菜を収穫してきてくれるかしら?」

「わかったわ、ヨーコさん」

 そう言うと、テマリコッタちゃんは、いつもの場所に駆け寄ってカゴを手に取ると裏の畑に向かって駆けて行きました。


 さぁ、テマリコッタちゃんが戻ってくるまでに、私も作業をすすめておかないと


 私は、オープンキッチンに向き直ると、

 まずは朝食の準備に取りかかっていきました。


 そんな私達を

 やっと山の端から顔をのぞかせた陽光はタレし始めようとしていました。


 今日も良い天気になりそうです。

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