第22話 大雨と朝霧ヨーコさん その7

 私は崖の下で倒れているようです。


 しばらく意識を失っていたようですが幸いなことに現実世界には戻っていませんでした。


 横向きに倒れている私の前には、水浸しの地面があります。

 雑草が生い茂っているため土は見えません。

 ですが、その雑草たちはすべて雨で水浸しになっています。



 ……私、何してたのかしら



 記憶がありませんでした。

 まったく何も思い出せない感じです。


 すると、私の前方

 草むらの中に、何かあるのが見えました。


……あれ?……カート……なんでこんなとこにあるの?

……それに、あのカートにくっついてる大きな荷物って、なんだったかしら……


 

 あ


 思い出したわ!


 そうよ!

 私は、オトの街に向かってたのよ!


 ……えっと、それでどうしたんだったかしら


 そうよ!

 足元が崩れたのよ!


 そうよ

 こんなとこで倒れている場合じゃないのよ、私!


 早く、オトの街に行かなきゃ!

 早く、追加の土嚢袋を届けなきゃ!


 私は、慌てて飛び起きようと、腕を地面についていきます。



 ずきん



 その痛みに、私は思わず目をキツく閉じ、その場に再度倒れ込んでいきます。


 何、これ……左腕がすごく痛い…… 


 立ち上がろうとして腕をついた瞬間

 その痛みが襲ってきました。


 私は、左腕をつかないように、そっと起き上がると、右手で左腕をさわっていきます。


 指

 掌

 

 慎重に腕をさすりながら徐々に上を確認していきます。


 すると、肘を軽く抑えたとき、すさまじい激痛が再度私を襲いました。

 どうやら、左の肘をどうにかしてしまったようです。


 私は、激痛が続いている左肘を、顔をしかめながら見つめます。


……えっと……こ、こういうときはどうするんだったかしら


 痛む肘をそっと押さえながら、私は必死に思い出します。

 こんなとき、無駄に健康優良児で、怪我とは無縁な生活を送ってきた自分のことがすごくイラついてしまいました。

 怪我の1つ、骨折の1つでも経験しておけば、こんなときの対処法だってわかったでしょうに……


 後にして思えば完全に八つ当たりです。


 でも、今の私は、そう思うしかないほどに、精神的に追い詰められていました。



 降り続く雨

 道の下に荷物とともに落下した自分

 そして、自分の左の肘が、多分骨折している……


 道まではだいたい目で見て5mといったところです。

 斜面はかなりの急勾配ですが、絶壁というほどではなく、無理をすれば上がれなくもない感じです。

 斜面には、びっしりツタのような植物が生えています。

 その一部が不自然にえぐれていますが、おそらく、私が荷物と一緒に落下した際に出来た物でしょう。


 周囲を見回してみます。


 ですが、この斜面は左右どちらにも相当長く続いているようで、その端が見えません。


 森の向こう側へ行って見たらどうかしらとも思いますが

 鬱蒼と茂った森林の奥には、光が全く見えません……


 これだけ木が茂っていたら、さすがにそうもなるわよね……


 そう思った時、

 私はハッとなりました。


 あ、そうか!?

 骨折したら木をあてがえって、なんか聞いた気が!


 私は慌てて周囲を見回していきます。

 幸いなことに、木の麓には結構、木の枝が落下しています。

 私は、その何本かを右手で持っては、左腕にあてがい、良さげな枝を探していきます。


「……そうね、これなら」

 12本目に手にした木が、長さといい、固さといい、曲がり具合といい、左腕にちょうどいい感じです。


 私は、カッパの上から枝を左腕にあてがい


 ……そして、ここでまた困惑しました。

「……こ、これをどうやって固定したらいいの?」


 そうです。

 紐なんてありません……紐……


 紐!?


 私は、ハッとなりました。

 私は、土嚢袋へ駆け寄ると、その包みの中から無理矢理数枚引っ張り出します。


 右腕1本でやっていますので、なかなかうまく引き抜けません。

 それでも、どうにかそれを取り出すと、私はその土嚢袋を確認します。


 ナイロン製の本体

 その中に土を入れる仕組みになっていて、その口の部分を、備え付けの紐で縛る仕組みになっています。

 この紐が、引っ張れば抜けるのです。


 高級な土嚢袋ですと、ストッパーがついている商品が多いためそうはいかないのですが

 私が買ってきた土嚢袋は、安くて数が多い物です。

  

 私が紐を引っ張ると、紐は土嚢袋の口の部分からするっとはずれました。

 なんでしょうか、このこみ上げてくる喜びは。


 私は、この紐を使って、再び左腕に木の枝を固定していきます。

 雨で濡れそぼっているカッパのせいで、木がうまく固定できません。


 私は、木の下に移動します。

 少し雨の勢いが弱くなりました。


 作業再開です。

 左腕に木を固定し、土嚢袋の紐で固定していく。

 左手が使えませので、右手と口を使います。


 この紐のおかげで、ようやく私は左腕を固定することが出来ました。

 とはいえ、あくまでも簡易です。

 どこまで持つかはわかったものではありません。


 ですが、ないよりマシです。


 私は、左腕に木を固定した姿でカートの場所にまで戻りました。

 そのカートには、土嚢袋のセットがくくりつけられています。

 先ほど、その隙間から数枚引っこ抜きましたけど、体勢に影響はなさそうです。


 さて、


 これを抱えてどうやって、あの道の上にあがればいいのでしょうか……



 斜面には、びっしりツタ


 私は、このツタを右手で引っ張ってみました。

 ツタはびくともしません。

 

 かるくぶら下がってみます。


 それでも、ツタはびくともしません。


 ……いけるかもしれないわ


 私は、そのツタを何度か引っ張りながら考えました。



 まず、荷物はとりあえずここに置いて行きます。

 私がこの斜面をあがり、オトの街へ走ります。

 そして救援を呼び、ここへ戻り、土嚢袋を回収してもらう。


 うん、これしかない。



 私はこのとき、大事な事を1つ見落としたまま、この計画を実施に移したのです。



 ツタを右手に数本持った私は、斜面の下で大きく息を吐きました。

 行くしかありません。


 そんなに腕力が強い方ではありませんが、もう必死です。

 斜面に足を立て

 手でツタを引っ張り


 私は土砂降りの雨の中、ゆっくりと……ゆっくりと……この斜面を上がっていきます。


 1歩がすごく短く感じます……いえ、実際に少ししか動いていません。


 本当にゆっくりと……ゆっくりと私は斜面を上がっていきます。


……あ、あと少し


 やっと、手が届きそうな場所に見えてきた道の端を見つめながら、私は思わず笑みをこぼしました。


 

 その時です



 私の目の前の道が一気に崩れました。

 私が手に持っているツタの根っこがあるあたりが、まとめて崩壊しています。



 道を走っていた私は、緩くなっていた地盤ごと道の下に落下したんじゃない……


 その道の近くの地盤に根を張っているこのツタ……ツタそのものがいくら丈夫だったとしても、その地場が緩んでいればどうなるのか



 私は、なぜそのことに思い当たらなかったのでしょうか……



 私の体が宙に浮かびます。

 右手には、しっかりとツタが握られています。

 ですが、そのツタを支えていた地盤は、もうありません。



 不思議です。


 何もかもがすごくゆっくりです。


 雨の1粒1粒までが、よく見えます。


 

 

 ヨーコさん!?






 ヨーコさん!? 手を離すんじゃないぞ!




 ……はい?


「それ、ひっぱらんか! 地盤が緩んでおる!早く引き上げんとワシらまで落ちてしまうぞ!」

 クロガンスお爺さん……それに、ガークスさんまで


 えっと、これって、走馬燈?

 なんか、目の前にみんなの姿が見えます。


 あぁ、でも、死んじゃう前に、みんなの顔が見れて、なんかうれしいな……


「何馬鹿なことを言っとるんじゃヨーコさん。ほれ、もう助かるぞい」

「え?」


 クロガンスお爺さんは、みんなで引っ張っていたツタを……私が握っていたツタを一気に引き上げてくれました。

 そのまま、私をギュッと抱きしめます。

「あまりにも来るのが遅いと思って身にきたんじゃが……よかった……間に合ってよかった」



 あとで聞いたのですが


 この時、クロガンスお爺さんは、

 落下していく私を見つけると、私に向かってまっすぐ駆け出したそうです。

 この時、私が右手にツタを持っていることに気がつかなかったら、私を追いかけて一緒に飛び落ちていた……それほどの勢いだったそうです。



 こうして、私はどうにか助かることが出来ました。

 ですが、助かったと思うと、すぐに自分がしなければならないことを思い出しました。

「クロガンスお爺さん、この崖の下に土嚢袋があります。腕を怪我してしまったので今はそのままにしてありますが……」

「この下じゃな? よしわかった」

 クロガンスお爺さんは、私の言葉に頷くと、一緒に来てくれていた人達に合図を送ります。


 よく見ると


 クロガンスお爺さんの後ろには、ガークスさんだけではなく、すごくたくさんの人が続いていました。


 びっくりしている私の横で、ガークスさんがニッコリ微笑みました。

「みんな、ヨーコさんが心配だったんだよ。何しろヨーコさんは街を救ってくれた恩人だからね」

「……あんたが洪水の事を教えてくれなかったら、みんな死んでたかもしれん」

「あの土嚢ってやつのおかげで、応急修理もほぼ出来たしな……これで川も氾濫しないだろう」

「そのあんたが、帰ってこないって聞いてさ……いてもたってもいられなくなって……」

 ガークスさんの言葉に続いて、みんなが私に声をかけてくれました。


 みなさん……こんな土砂降りの中を、私なんかのために


 私は、みんなに向かって深々とお辞儀をしました。

 もう、そうしたくて仕方ありませんでした。



 ほどなくして、どの土嚢袋も引き上げられ、私達は一緒にオトの村へと戻りました。


 クロガンスお爺さんのお話では

 一晩続けた作業のおかげで、崩壊しかけていた箇所はすべて補修出来たそうです。

 昨日持って来ていた土嚢袋がどうにか足りたようです。


 ですが、補修しておいた方がいいだろうという箇所がもう何カ所かあったっため、皆さんは、私の土嚢の到着を待っていたんだそうです。


 なんかもう……本当に申し訳ありません。


 私が謝罪すると

「いやいや、こんな重い物を女性1人に任せちまった俺達のミスだって」

 ションギさんがそう言って励ましてくださいますけど……やはり申し訳ない気持ちがぬぐえません。



 こうして、新たな土嚢袋が到着したことで、街の皆さんは再び作業のためにオトノン川へと向かって行きます。


 私も、その後を追いかけたのですが

「ダメよ、ヨーコさん」

 そんな私を、テマリコッタちゃんが押しとどめました。

 私はテマリコッタの勢いにおされて集会所の中へと連れて行かれました。

「そんな体で、これ以上無理しちゃダメよ。ヨーコさん、はこの街のためにもう十分頑張ってくれたじゃない」

 そう言いながら、テマリコッタちゃんは、泥だらけの私の体を布で拭いてくれています。


 すると


 近くにいた街の女性の皆さんが、手に手に布を持って私の側に近づいてきます。

「ありがとう……」

「本当にありがとうね」

 お年寄りから、若い方まで


 皆さん、私に感謝の言葉をかけながら、私の体を拭いてくれます。


「いえ、あの……自分で出来ますから……」

 そう言っても、皆さん、ずっと私の体を拭いてくださいました。



 私はこの後、集会所の奥にある一室に寝かされました。

 やはり左腕が折れているらしいのですが、街には医者がいないため治療が出来ないそうです。

「雨が上がったら、治療を出来る魔法使いさんを呼んでもらえるそうだから、ヨーコさん、もう少し我慢してね」

 私に付き添ってくれているテマリコッタちゃんが、優しい笑顔でそう言ってくれます。

「……でも、なんか申し訳ないわ……そこまでしてもらうなんて」

 

 着替えをいただき、服を着替えさせてもらい

 体もすっかり拭いて貰った私は、窓の外を見つめてました。


「ヨーコさん、少し止んだらいいわ。私がついているからね」

 テマリコッタちゃんは、笑顔でそう言いながら私の布団を治してくれます。


 これでは、どちらが年上かわかりませんね。


 私は、ゆっくり目を閉じました。

 ……ホントに疲れた……


 そういえば、今何時くらいかしら……そろそろ仕事の


◇◇


 私は、ハッと目を開きました。


 そこには、見慣れた天井があります。

 私が寝ているのは、パイプ製のベッド。



……ど、どうしよう……あのタイミングで私、現実世界に戻ってきちゃった。


 私は、ベッドの上で体育座りをしながら、思わず頭を抱えました。

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