第16話 大雨と朝霧ヨーコさん その1

『異世界への転移は緊急事態発令中のため禁止されています』


 この文字の下


 点滅している『▼』マーク。


 なんなの、これ?


 私が困惑しながらそのマークに意識を集中していると、そのマークが一瞬光り、いきなり上にスライドしていった。


 すると

 そこには


『警告』

 の文字とともに、ずらっと文書がならんでいました。


『緊急事態発令中の異世界転移を希望される方は以下の点をご理解ご了承のうえで最後の「承認」を選択してください。


・異世界のあなたが重傷以上の怪我を負った場合、現世界のあなたの体も同程度のダメージを負う場合があります。

 

・緊急事態時のため、通常とは異なり、あなたが「もとの世界へ戻りたい」と願うだけで、異世界から現世界へ移動することが出来ます。

 万が一、命の危険にさらされた場合、即座に元の世界に戻られることを強く推奨いたします。


……』


 これらの文言のあとも、細かな説明がびっしい並んでいます。



 そして、最後に



『・いかなる事態が発生し、いかなる障害が発生しようとも、魔女魔法出版は一切の責任をとりません。


 それでも、異世界に行きますか?

 

 承認 / 非承認』



 私は、そこまで読むと、もう1度その内容を読み返しました。


 そして、おもむろに、「承認」の所に意識を集中します。

 不思議と迷いはありませんでした。


 死ぬかもしれない?


 現世界の私まで?


 それでも

 私は、向こうの世界へ行くことに、まったく迷いがありませんでした。


 ただ、

 心のどこかに

『この非常事態を皆に伝えれば、皆がきっと何か対処してくれるはず』

 と、事態を楽観視している自分がいたことも否定しません。


 そりゃ、やっぱり……死ぬのは嫌ですから……



 私が、承認に意識を集中すると

『本当に承認なさいますか? はい / いいえ』

 再度確認表示が出てきました。


 そこで、『はい』に意識を集中。


『最終確認:本当に承認なさいますか? はい / いいえ』

 もう一回出ました……

 なんていうか、そろそろイライラしてきます。


 それでも、『はい』に意識を集中します。



◇◇


「……あ」

 目を覚ました私……天井は、木製です。

 すぐに手を見ました……白いです。


 来られた!


 私はベッドから飛び起きました。


 手には……ちゃんと地図があります。

 不思議なことに、一緒に持っていたはずの魔女魔法出版からのお手紙はありません。


 でも、そんなことはどうでもいい。

 とりあえずこの地図さえあれば説明は出来るはず。


 私は急いで作業着に着替えると、まず、窓から外を見ました。



 抜けるような青空です。

 今日も暑くなっていきそう……そんな気配を感じさせる雲が漂っています。



 ……こんな天気なのに……ホントに数日後に、大雨が降るの?



 一瞬、私の脳裏を不安がよぎりました。

 でも、すぐに頭を左右に振る私。



 行かなきゃ

 


 私は玄関を開けると森に向かって駆け出しました。



 

 元の世界では動けなかったと思う。

 ……ううん、動かなかったと思う。


 待ってれば、誰かが教えてくれた。

 待ってれば、誰かがなんとかしてくれた。

 避難だって誘導してくれるし

 警報だって、勝手に教えてくれる

 なんでも人任せで大丈夫

 そう思ってたし……実際そうだった……それが現実の世界



 でも、こっちはそうじゃない


 私がやらなきゃ


 私がみんなに教えなきゃ


 でないと……でないと、オトの街が洪水で……



 私は地図を握りしめたまま山に入ると、そのままクロガンスお爺さんの家に向かって走りました。


 村の人に説明するにしても、どうやって説明したらいいのかわかりません。

 ここは、やはりクロガンスお爺さんに、まず相談すべきだと思う。


 私は、そう思いながら必死に走りました。


◇◇


「よ、ヨーコさん、ど、どうしたの!?」

 クロガンスお爺さんの家では、テマリコッタちゃんが家の周りのお花に水をあげているところでした。


 汗だくで、息を切らしている私の姿に、テマリコッタちゃんはびっくりしながら駆け寄って来ます。

「ありがとう、テマリコッタちゃん。私は大丈夫……それよりも、クロガンスお爺さんはいらっしゃるかしら?」

 私は、テマリコッタちゃんに極力心配をかけないように、平静を装いながらそう言いました。


 それでも、山道を休みなく駆けてきた私です。

 やはり疲労具合は各仕切れていなかったようで、テマリコッタちゃんはすごく心配そうな顔をしたまま

「クロガンスお爺様なら家の中にいるわ。すぐ呼んでくるから、ヨーコさんはそこに座ってて! 絶対よ!」

 そう言いながら、家の中へ駆けていきました。


 パタパタと駆けていく足音


「なんじゃ? テマリコッタよ、何事じゃ?」

「クロガンスお爺様、ヨーコさんが大至急お会いしたいって、走ってきているのよ」

「な、なんじゃと!?」

 パタパタ

 パタパタ


 今度は2人分の駆けてくる足音


 私は、深呼吸を繰り返しながら、その足音が近づいてくるのを待っています。


 そんな私の横に、テマリコッタちゃんに連れられてクロガンスお爺さんが姿を現しました。

「おぉ、ヨーコさん。そ、そんなに急いでどうしたんじゃ!? 何かあったのか!?」

 クロガンスお爺さんは、汗だくで、家の前に座り込んでいる私を見つめながら駆け寄って来ます。

 私の右からクロガンスお爺さん

 私の左側にテマリコッタちゃんが座り、

 2人して、私の肩にそっと手を置き、私の顔を心配そうにのぞき込んでいます。 


 あぁ……会えた……会いたかった……


 私は、

 この世界にやって来るときの、あの苦労を思い出して、思わず目に涙をためてしまいました。


 いけないいけない


 すぐ顔を手でぬぐった私

「ヨーコさん、どうかしたの?」

 テマリコッタちゃんが、再び声をかけてくれます。

 すごく心配そうです。


 私は、そんなテマリコッタちゃんに

「大丈夫よ」

 そう言い、ニッコリ微笑むと、今度はクロガンスお爺さんへ視線を向けました。


 言うべき?

 ホントに雨が降るの?


 一瞬だけ躊躇がありました。



 ……あぁ、こんなことになるんだったら、ほっとけばよかった

 現実世界での経験が脳裏をよぎります。



 でも


 私は、顔を一度、左右に振ると、改めてクロガンスお爺さんを見つめました。


「雨です。大雨が降ります……オトの街が危ないんです」

「な、なんじゃと!?」

 私の言葉に、クロガンスお爺さんはびっくりしたような顔を浮かべます。


 そりゃそうでしょう……


 こんなことをいきなり言われて、信じてくださいと言う方が無理だと思います。

 正直、私が言われたとしても、絶対すぐには信じません。


 だから、私は地図を出しました。


「これが……その雨による洪水で水没すると思われる地域の地図です」

 私が握りしめてきた、あの魔女魔法出版から送付されてきた地図を広げると、クロガンスお爺さんは、さらにびっくりした表情になっていきます。


 しばらくそれを眺めていたクロガンスお爺さんは、

「とにかくヨーコさん、一度家にお入りなさい。テマリコッタ、何か飲むものをお出ししなさい」

 そう言って、私を家の中へ入れてくれました。


 立ち上がると……なんていうんでしょう……重力に負けそうな感じがします。

 全身がけだるくて、地面に押し倒されそう……そんな感じ。


 そんな私の様子を察してくれたテマリコッタちゃんが、そっと寄り添ってくれます。


 テマリコッタちゃんって、本当に優しい子……ありがとう、テマリコッタちゃん。


 私とテマリコッタちゃんは、クロガンスお爺さんの家のリビングへ。

「ヨーコさん、そこに座ってね」

 テマリコッタちゃんに、ソファを勧められた私は、そのままゆっくりソファに身を預けました。

 全力疾走でここまでやってきた疲れでしょうか……天井を向いたまま、私は意識が遠くなる感覚を味わっていました。


「ヨーコさん、お茶がはいったわ」


 そうやって、まどろんでいると、テマリコッタちゃんがトレーを抱えて部屋に入ってきました。

 手際よく、私の前にお茶のカップを置くと、テマリコッタちゃんは、一緒に持って来ていたおしぼりをパンパンと開いていき

「どうぞヨーコさん。顔を拭いてくださいな」

 そう言いながら、それを私に差し出してくれます。

「ありがとう、テマリコッタちゃん」

 私は、そのおしぼりを受け取ると、私の事を素敵なレディと思ってくれているテマリコッタちゃんには申し訳ないと思いながらも、顔をゴシゴシ拭かせてもらいました。


 ……ふぅ


 なんでしょう

 すっごい爽快感です


 ……同時に、すごい罪悪感が襲ってきます……ちょっとすぐにはテマリコッタちゃんの顔が見れません……



 すると、そこにクロガンスお爺さんが入って来ました。

 クロガンスお爺さんは、何やら古い紙を何枚も携えています……いったい何なのでしょう?


 私が困惑している中


 クロガンスお爺さんは、私の前のソファに腰掛けると、その古い紙の束を机の上に置きました。


 それは、古い手書きの地図のようです。

 

「実はなヨーコさん、このあたりは30年ほど昔にも一度大雨に襲われた事があってな……」

 クロガンスお爺さんは、そういいながら古い手書きの地図の中から1枚の地図を取り出すと私の前に置きました。

 そして、その横に私が持参した地図を起きます。


 その古い手書きの地図の中には、青い線が書き込まれていたのですが


 その古い地図の青い線で囲まれた範囲と、

 私が持参した地図の水没予定地域の範囲が


 ほとんど重なっています。


「山奥にあるオトノン川はな、普段はおとなしい川なんじゃが、大雨が降ると周囲の山水が一気に集まるもんじゃからあっという間に溢れちまうんじゃ……」

 私とテマリコッタちゃんは、その言葉を聞いて真っ青です。

「クロガンスお爺さん、あの川が溢れるの? いつも川遊びに行っているあの川でしょ?」

 テマリコッタちゃんは身を乗り出しながらクロガンスお爺さんに聞いていきます。

 そんなテマリコッタちゃんに、クロガンスお爺さんはゆっくり頷きました。

「テマリコッタがこの家に来てからはな、まだ一度も氾濫したことがないんじゃが……小さな洪水なら数年に1度くらい起きておる……一応、その度に、オトの街の皆で工事をしておったはずなんじゃが……」

 そう言うと、クロガンスお爺さんはしばし考え込みました。


 私とテマリコッタちゃんも、黙り込んだまま机上の地図を見つめていきます。


 やはり何度見ても


 かつて水没した地域と

 水没すると言われている地域


 2つが重なっているようにしか見えません。


「うむ、ここで考えていても仕方あるまい」

 クロガンスお爺さんは立ち上がると

「すぐオトの街に行こう。皆に相談じゃ。河川の改修状況も聞いておきたいしな」

 そう言いながら家の外へと歩いて行きます。

「あ、クロガンスお爺様、待って、お片付けをしてくるから」

 テマリコッタちゃんは、そういながらテーブルの上のカップや、私が使ったお手ふきを回収しようとします。

「テマリコッタちゃん、私が使ったものは私が持って行きますから、一緒に片付けましょう」

 私がそう言うと、テマリコッタちゃんはうれしそうに

「うん、わかったわ」

 そう言いながら、クロガンスお爺さんと、自分の前に置いていたカップを片付けていきます、

 私は、自分の前に置かれていたカップを手に取ると、お行儀悪いのですがその場で一気に飲み干しました。


 さっきまで、クロガンスお爺さんと緊張した会話が続いていたのですっかり忘れていましたが、私は結構疲労していて、喉がカラカラでした。

 そんな体に、一気飲みしたお茶がじわ~っとしみこんでいきます。

 私は、感動で立ち止まりそうになる体を奮い立たせながら台所へと移動していきました。


 テマリコッタちゃんと2人で洗い物を終えると、私達は外へと駆け出します。


 するとそこには、すでに馬車を片手に持ったクロガンスお爺さんが待ち構えていました。

「さぁ2人とも、乗った乗った」

 クロガンスお爺さんに促され、馬車の操馬台に駆け込む私とテマリコッタちゃん。

 それを肩越しに確認したクロガンスお爺さんは

「ヨーコさん、これを頼む」

 そう言いながら、例の地図の束をを私に手渡します。

「わかりました。お預かりしますわ」

 私は、それをしっかと抱きしめ、コクンと頷きます。

 クロガンスお爺さんも、そんな私を確認すると、一度大きく頷きます。

「よし、オトの街へ出発じゃ」

 そう言うと、馬車は山道を駆け出しました。

 まだ山の中ですので、振動がすごいです。

 でも、そんなことを言っている場合ではありません。



 一刻も早く、オトの街へ。



 私は、クロガンスお爺さんから手渡された地図をぎゅっと抱きしめながら、唇を噛みしめました。


 すると、

 私の隣のテマリコッタちゃんが、すごく不安そうな表情で私を見上げています。

「……ヨーコさん、みんな大丈夫よね?」

 震えるような声で、私に尋ねるテマリコッタちゃん。


 ……ダメですね

 こんな時に、大人の私が自分のことだけ考えてちゃ……


 私は、テマリコッタちゃんの頭を優しく撫でると

「大丈夫、きっと大丈夫だからね」

 そう言いながら、ギュッと抱き寄せました。


 私の腕の中で、テマリコッタちゃんは何度も無言で頷いています。

 私は、そんなテマリコッタちゃんを抱きしめたまま、何度もその頭を撫でていきました。



 私達の馬車は、あっと言う間に森を抜け、右手に私の家が見える所までやって来ました。

 クロガンスお爺さんは、私の家とは逆方向へと向かい、馬車を引っ張っていきます。



 空は、抜けるように青く

 雲がのんびり漂っています。



 そんな中

 私達は、オトの街へと急いでいたのでした。

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