第17話 大雨と朝霧ヨーコさん その2

 クロガンスお爺さんが道を急いでくれたおかげで、私達はほどなくしてオトの街へとたどり着きました。


「ど、どうしたんですかクロガンスさん、そんなに慌てて」

 街の入り口にある門の門番をしていたガークスさんが、クロガンスお爺さんに駆け寄っていきます。


 私やテマリコッタちゃんからは見えませんが、クロガンスお爺さんは相当に慌てた顔をしているようです。

 クロガンスお爺さんは、そんなガークスさんへ顔を向けると、

「ガークスよ、ワシの心配はいい。それよりも街のみんなを集会所に集めろ! いますぐだ」

 そう、声をあげました。

 いつもの温厚で優しい声ではありません。

 

 温厚さは感じられますが

 それ以上に焦燥感のこもった声です。


 その声に気圧されたように、ガークスさんは

「わ、わかりました、すぐに集めます」

 と、詳しい理由も聞かないまま、街の中へと駆け出していきました。


 このガークスの行動は

 クロガンスお爺さんが、こんなに慌てた姿を見せることが滅多にないことの裏返しといえます。

 それほどの緊急事態なんだと、ガークスさんに理解させるには十分な程の……


 ガークスさんが街中へ走って行く中

 クロガンスお爺さんは、先ほどまでガークスさんが立っていた場所で何か書類を記入しています。


 馬車からのぞき込んで見ると、その書類には

『街への入場許可申請書』

 と書かれてあります。

「規則は規則じゃからな」

 そう言いながら、その書類を記入し終えると、クロガンスお爺さんは、その書類をガークスさんの机の上に置くと、再び馬車を引き、街の中へと入っていきました。


 やや下っている斜面を降りていくと、街の真ん中あたりと思われる建物の周辺に、すでに数人の人が集まっている姿が見えます。


 その向こうには、

『みんなぁ、すぐに集会所に集まってくれぇ』

 と、声を上げながら走って行くガークスさんの姿も見えます。


 よく見ると、


 右の方ではイゴおじさん

 左の方ではションギおじさん


 2人も、ガークスさんと同様に、声を上げながら走っています。


 ほどなくして

 そう広くない街中すべてに、集会所へ集合との連絡は行き渡り、街のみんながぞろぞろと集まってきます。


 中には、

 ネリメリアお婆さんとネプラナさん

 食堂のラテスさんの姿も見えます


 村人の数は全部で56人


 今は、山仕事のため街にいない8人をのぞいた48人の皆さんと

 私・クロガンスお爺さん・テマリコッタちゃんの3人の、合計51人が集会所に集まっています。


 集会所はとてもこじんまりとしていて、全員一度には入れません。


 そのため、みんなは集会所の脇にある広場へと集まっていきます。

 クロガンスお爺さんは、集会所の中から机と椅子を持って来ました。

 そして、それらを皆の中心に置くと

「ヨーコさん、それを……」

 そう言いながら、私に手を伸ばしてきました。


 一瞬、「え、なんですか?」的な表情になった私ですが

 すぐに、クロガンスお爺さんが、私が持っている、クロガンスお爺さんから預けられている地図のこと言っているんだと理解し、

「は、はい、これですね」

 慌ててそれを差し出しました。


 なんか、妙に緊張しちゃって、肩をつっぱらせながらそれをつきだした私。


 そんな私に、クロガンスお爺さんはニッコリ微笑むと、

「ヨーコさん、そんなに緊張しなくても、ここのみんなはあんたを取って食おうなどとは思ってないぞ」

 そう言いながら、はっはっはと笑いました。

「い、いえ、そんなことは思っていませんわ」

 そう言いながら、思わず顔を赤くする私。

 そんな私に、街の人達から、ドッと笑い声が……


 ……やだ、恥ずかしい。


 私は、思わず両手で顔を覆っていったのですが、


 街の人達の笑い声は、嘲笑めいたそれではなく

 どこか親愛のこもった笑い声でした。


 元の世界で何度も経験しているのでわかります。


 あの、どこか冷淡な

 あの、どこか人を小馬鹿にしたような


 そんな響きなど一切ない


 とても暖かな笑い声。



 そんな中、ネリメリアお婆さんは、苦笑しながら

「でもね、ヨーコさん、そこのイゴとションギあたりは、隙あらば取って食おうと思っているかもしれないから、十分気をつけるんだよ?」

 そう言って、人混みの中のイゴさんとションギさんを指さします。

「そ、そりゃないよネリメリア婆さん」

「俺達ぁ、立派な紳士だぜぇ?」

 そんなネリメリアお婆さんに、イゴさんとションギさんは、困惑しきりと言った表情で、言葉を返していきます。


 そんなやりとりに、また暖かな笑い声が降り注いでいきました。



 私を含めたみんなが落ちついたところで

 クロガンスお爺さんは、机の上に地図を広げました。


 1枚は、30年前の地図

 もう1枚は、私が持って来た地図


「なんです? こりゃあ?」

「オトの街の周辺っぽいけど、なんや、この青いのんは?」

 ガークスさんと、ネプラナさんは、その書類を見ながら眉をしかめています。


 ですが


 ネリメリアお婆さんは、その2枚の書類を見るなり目を見開きました。



 街のみんなを見回してみるとはっきりわかります。


 ガークスさん世代までのみなさんは、この地図の意味がわかっていません。


 ですが

 クロガンスお爺さんや、ネリメリアお婆さんの世代の皆さんは、すでにその意味するところを理解されています。



「……雨がくるのか?」

 ネリメリアお婆さんは、小さい声でそう言い、クロガンスお爺さんを見つめていきました。

 クロガンスお爺さんは、ネリメリアお婆さんの目をまっすぐ見つめ返すと

「うむ、くる」

 そう言い、同時に力強く頷きました。


 しばらく、クロガンスお爺さんを見つめ返していたネリメリアお婆さん。


 その視線を街のみんなへ向けていきます。

「……若い衆は、記憶に薄いかもしれないけどね……

 30年前、このオトの街はね……オトノン川の大氾濫で壊滅したんだよ」

 そう言いながらネリメリアお婆さんは、机上の古い地図を指さします。

「これがその時に水没したあたりを記録した地図の写しだよ……原本を作ったのは、アタシの死んだダーリンだけどね」


 ……真面目な話の最中だったのですが

 なくなられた旦那さんをダーリンと呼ぶネリメリアお婆さんを思わず可愛いと思ってしまった不謹慎な私です。



 さて

 

 ネリメリアお婆さんの話を聞いたところで、街の皆さんがざわつき始めます。


 そんな中

「……じ、じゃあネリメリア婆さん、こっちの古い地図が30年前の氾濫で水没した地域の記録ってことだけど……こっちの真新しい地図が、これから起きる氾濫で水没する地域ってことなのかい?」

 街の若い人が、2枚の地図を交互に指さしながら、ネリメリアお婆さんに問いかけていきます。    

 その言葉に、ネリメリアお婆さんは、大きく頷きます。

「あぁ、そうだ。だからね、みんなで安全な場所まですぐ避難を……」

 ネリメリアお婆さんは、そう言いながらみんなに声をかけていきます。


 ですが


 それを街のみんなのざわめきが飲み込んでいきました。


……いやでもなぁ

……雨なんて降りそうにないし

……ずっと良い天気だもんねぇ

……あのオトノン川が氾濫するのか?


「みんな、話を聞いとくれ!」

 そう、声をあげるネリメリアお婆さん。

「頼むから話を聞かんか、お前ら」

 クロガンスお爺さんも声をあげていきます。


「皆さん、お願いですから……話を、話を聞いてください……」

 私も懸命に声をあげます。


「ちょっとみんな! 真剣に聞いてよ! みんなの事よ」

 テマリコッタちゃんまで、一生懸命みんなの中を駆け回りながら声をかけてくれています。



 でも、それは仕方がない話かもしれません。


 全然雨の降る兆候もない中

 いきなり

「大雨が降って川が氾濫するから逃げてください」

 そう言われても、信じろと言う方が、それは難しいと思います。


 おそらくここで、私が魔女魔法出版の話をしたとしても、全員に信じてはもらえないでしょう。

 つまり

 私の持参した地図が、この1週間の間に街を襲う洪水被害を現していると



 証明する術がないのです。



 話合いはもめにもめました。


 ネリメリアお婆さんやクロガンスお爺さん、そして私の必死の説得もあって、かなりの方々が

「まぁ、あんたらがそこまで言うのなら……」 

 と、高台への避難を承諾してくれたのですが、


 街の3分の1程のみなさんは、最後まで首を縦に振ってもらえませんでした。


 それでも必死に説得にあたった私達。


 それでもその方々の首を縦に振らせることが出来ませんでした。



 夕暮れが近づき

「……そろそろ晩ご飯の準備をしないと……」

 誰かがそう呟いたのが合図となり、集まっていた街の人々が徐々に集まりの輪からはずれ始めました。


「明日、朝から話合いを再開するから、もう一回集まっとくれよ。

 高台への避難の仕方も相談するからね」

 ネリメリアお婆さんの声も、どこまで聞こえているのか、いまいち判断が出来かねます。


 そんな中、どんどん人がいなくなっていく。


 私も、

「明日、もう一度お願いします」

 声を必死に張り上げます。


 そんな私に、

「お疲れさん」

 と、声をかけてくれる街の人もいます。


 ですが


 私の声は、本当に届いているのでしょうか……




 ほどなくして、広場には


 私とクロガンスお爺さんとテマリコッタちゃん

 そして、ネリメリアお婆さんとネプラナさん、ガークスさんと、ラテスさん


 7人しか残っていませんでした。


「……年寄りまで、半信半疑じゃったな」

 クロガンスお爺さんは、ため息をつきながらそう言いました。

 その声に、ネリメリアお婆さんは忌々しそうに舌打ちし

「まったく……あのときもこうして神託があったってのに、誰も信じなかったんだ……

 ……だからこの街は壊滅したんじゃないか……あの村人で溢れてたこの街がねぇ」


「神託?」


 私は、ネリメリアお婆さんの言葉に、思わず首をひねりました。

 そんな私に、ネリメリアお婆さんは言いました。


「この街にはね、言い伝えがあるんだよ。

 街に危険が迫ったときにはね、誰かの元にその知らせが届くとね……それをこの街では「神託」と言ってるんだよ……」

「……あの魔法使いどもが悪いんじゃ……」

 そんなネリメリアお婆さんの言葉に、クロガンスお爺さんが言葉を続けます。

「どこかで、この神託の話を聞きつけたどこかの魔法使いどもが街にやってきたんじゃ……あれは30年と少し前じゃったか……


 魔法使い達はな


「神託です。街を洪水が襲います」

「貴重品を私達が預かります。皆さんは体ひとつで高台にお逃げください」

 そう言って、街の者達を、高台へと誘ったんじゃが……


 洪水はこず

 魔法使い達は街の者達の貴重品を持ったまま二度と戻ってこなかったのじゃ……」



 どこかで聞いたことがある……

 どこの世界にもいるんだ、こんな人達……


 私は、頭の中がグルグルするのを感じながら、話を聞いていました。

 

「……その直後じゃったな、本当の神託が届いたのは」

「あぁ、そうじゃ」

 2人はそう言いながら頷き合います。

「あの時、神託を持って来てくれた女の子もな、ヨーコさんと同じ地図を持って街にやって来たんだよ」



 え? 



「……じゃがな……ワシらはその女の子の言葉を信じなかった……信じることが出来なかったんじゃ……本当に申し訳ない事をしたと思っておる……」

 そう言うと、クロガンスお爺さんとネリメリアお婆さんは、暗く沈んだ顔をでうつむいていきます。



 そんな2人の前で、私は目を見開いています。


 同じ地図?


 同じ魔女魔法出版の地図?


 じゃあ、この街の側には、私以外にも夢の世界でやってきている人がいたの?


 その人は……


「その人は……今は、どうなさっているのですか?」

 私は、思わずそう聞きました。


 そんな私に、ネリメリアお婆さんはすごく辛そうな表情。

 そんなネリメリアお婆さんの肩を、クロガンスお爺さんは優しく抱きしめます。

「……その女の子はな……街のみんなが、信用しないとわかるとな……みんな目の前で姿を消したそうじゃ……

 

 その後、ほどなくして


 大雨が降り


 川が氾濫し


 街は壊滅したんじゃよ……」


「……信じてあげられなくて、ごめんなさい……」

 クロガンスお爺さんに抱かれながら、ネリメリアお婆さんは肩を振るわせています。

「ネリメリアは、あの子と特に仲良くしておったからなぁ……」

 そんなネリメリアお婆さんを、クロガンスお爺さんは、何度も優しく撫でていきます。



 そんな2人を見つめながら、私は思っていました。


 

 うん

 目の前で消えたってことは、おそらく向こうの世界に帰ったんだ……

 きっと無事ね


 心のどこかでホッとした私。



 ですが、私の心の中は、困惑でいっぱいです。


 どうしたらいいの?

 どうしたらいいの?

 どうしたらいいの?


 ……

 ……


 ただただ困惑することしか出来ない私



 そんな私の頭上には、夕焼けに染まった空が綺麗に広がっていました……

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