服飾師ルチアはあきらめない ~今日から始める幸服計画~/甘岸久弥

          【嫁ぎの馬車と八年の夢中】



「チーフ、明日、『嫁ぎの馬車』を見に行かない?」


 服飾魔導工房の一室、ルチアは共に仕事をしていた部下から声をかけられた。


「『嫁ぎの馬車』って、私が見に行ってもいいの?」


 嫁ぎの馬車――名称だけは知っている。

 貴族が隣国に嫁ぐ際、王都の東門から馬車で旅立つ。それを親族や友人が見送るというものだ。

 当然、ほとんどが貴族の見送りで、庶民が参加することは少ない。ルチアも今まで見たことはなかった。


「ええ。高等学院時代のクラスメイトが隣国に嫁ぐんだけど、領地にいる親戚の方が多くて、見送りが少ないんですって。だからぜひって。花嫁はドレスを着て馬車に乗るから、チーフは興味があるんじゃないかと思って」

「ええ、すごくっ!」


 勢い込んで答えた自分に、誘ったヘスティアは美しい笑顔でうなずいた。

 貴族の花嫁衣装を拝見する機会は少ない。遠目でもぜひ拝見したいところだ。


「あ、見送る方の礼儀作法ってある?」


 貴族の礼儀作法にうとい自分だ。失礼にはなりたくない。そう思って尋ねると、彼女は首を横に振った。


「それは大丈夫。門の外からは見送りだけで、馬車に近づきすぎなければ平気よ。挨拶の型もないし、お祝いの言葉を叫ぶ人もいるから」


 その説明に安堵する。それならばしっかり観察できそうだ。


「どんな馬車なんですか?」

「花婿と花嫁が屋根のない一台の馬車に乗って、護衛騎士が馬で周囲につくの。その後ろを付き添いの人の馬車や、家具なんかを積んだ馬車が続くわ」

「まあ、一つ先の宿場町で着替えるんだけどな。ドレスもヴェールも傷むと悪いから。馬車を替えたり、馬の飾りを外したり、家具を一度下ろして布で包んだりで大変なんだ」


 同じく部下であるダンテが、詳細を説明してくれる。

 せっかく浪漫に浸っていたのに、現実に引き戻されてしまった。

 しかし、確かに繊細な白絹に太陽光を長く当てるのは避けたい。服飾師として納得する。


「けど、隣国に嫁ぐっていうのは大変だな。家つながりか、お見合いか?」

「いいえ、恋愛結婚よ。隣国からの留学生と高等学院で知り合って、卒業後も長く文通をして。ご家族に反対されてもあきらめないで、八年の想いが実を結んだの。素敵よね……」


 ヘスティアが薄紫の目を夢見るように細めた。

 確かに素敵である。

 そして、八年前の自分を振り返り、ルチアは遠い目になった。

 洋服づくりに夢中だった記憶と、女友達との楽しい思い出はあるが、それ以外は――いや、それはおいておこう。


「交際期間八年か、長いな……」


 しみじみと言ったダンテの肩を、年嵩としかさの服飾師が叩く。


「恋人と離れたら一年が十年に思えるだろ。逆に夢中の八年なんざ、気がつけばすぎてるしな」

「むしろ八年も夢中というのはすごいのでは?」

「俺は始めて三十年以上になるが、いまだ縫い物に夢中だが」


 その服飾師の笑顔に、周囲が伝染したかのように笑った。


 ・・・・・・・


 翌日は快晴だった。

 ルチアは服飾魔導工房の服飾師達と共に、王城の東門、その外にやってきた。

 一目で貴族とわかる者、庶民に見える者――五、六十人ほどが、そわそわと馬車を待っている。

 ヘスティアと同じく、高等学院時代のクラスメイトなのか、若い女性が多かった。


「あ、来たわ!」


 赤い飾り紐のついた馬に乗る護衛騎士達と共に、東門から馬車が出てきた。

 白に銀の縁取りがある屋根のない馬車に、黒い燕尾えんび服の新郎と白いドレスの新婦が座っている。

 新郎の方はスタンダードな燕尾服のようだが、黒は陽光にもムラが見えない。おそらくは二度染めだろう。丁寧に作られたと思える一着だ。

 新婦の方は座っているのでドレスラインが見えないが、袖は短く、少しだけふくらみがある。わずかにのぞいた腕の肌の先、白いレースの長手袋が包んでいる。たっぷりめのドレスの裾は、座っていても優雅だ。

 その彼女が、こちらに向き直り、少しだけ右手を挙げる。その途端、ドレスと手袋のあちこちが、虹を帯びたようにきらきらと光った。


「あの光、魔魚のウロコですよ」


 魔物素材にくわしいダンテが、そっと教えてくれた。

 魔魚のウロコは美しいが、加工はなかなか大変だ。あそこまで細やかな光は、丁寧な加工でどれほどの数を縫い込んだものか――服飾師と縫い子達の本気を見た思いだった。

 そして、馬車が近くを通り過ぎるときにはっとする。花嫁のヴェールは白いレースだが、見事な百合の絵柄が編み込まれていた。


「百合は花嫁を守る意匠なの。あれだけのレースを編むのには、とても時間がかかるから……ご両親は心配しながら、応援もしていたのね」


 ルチアにも少し、両親の気持ちがわかる気がした。

 隣国とはいえ、王都から距離はある。言葉も風習も大きく違う。そこに子供を巣立たせるのは、やはり心配だろう。

 それでも、大切な想いを守り続け、希望も不安もみ込んで、踏み出して――今、頬を染めて新郎と微笑み合う新婦を、本当にきれいだと思った。


 他の者達の声が響く中、他人である自分の声は耳に残らないだろう。

 それでも、ルチアは祈りを込めた声を上げる。


「お幸せに!」


 百合の描かれたヴェールが、大きく風に揺れる。

 隣国へ嫁ぐ花嫁は、青空よりも晴れやかに笑んだ。

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