悪者とお姫様-3

 家から近所のコンビニまではおよそ三百メートル。田舎にしては恵まれた場所に実家があると思う。


 だだっ広い駐車場を横切って自動ドアを潜り抜けると、身震いするような冷気が肌を刺した。お気に入りの缶ビールを広い冷蔵庫から取り出して、ついでにいくつかのグミを手に取る。


 明日の朝食用に惣菜でも買って行ってやろうか――隣の列の惣菜コーナーに目を向けたその時、聞き覚えのある声を耳にした。


「相変わらず好きなんだね、グミ」


 黒いパーカー型のワンピースを纏った女性がいた。艶やかな黒髪に口元のホクロ。おっとりと垂れ下がった目尻は、その顔付も相まってダウナーな雰囲気を助長する。


 サヤちゃん――はくりと息が洩れる。


「久し振り、リナちゃん」


「ひさ、しぶり……」


 私の反応が鈍いことに気づいたのか、サヤちゃんは「もしかして忘れた?」と目を細める。忘れるはずがない。慌てて否定すると、幼馴染は頬を緩めた。


「しばらく見なかったけど、どこに行ってたの?」


「え、と、東京に。大学から」


「へえ、東京の大学に行ってたんだ。東大?」


「まさか。ど底辺の私立だよ」


 ちらりちらりと、商品棚に向かう横顔を盗み見ながら応える。キュアホワイトばかりを担当していた強気な少女はすっかり落ち着き、今やどこか気怠げな雰囲気をかもす。


 心臓がやけにうるさい。手慰みにグミを投入する手が震えないよう押し留めながら、気掛かりだったそれを口に出す。


「髪、染めてないんだね」


「リナちゃん、言ってたでしょ。好きって」


「言ったっけ?」


「小さい頃だけどね」


 このくらい、とサヤちゃんは指で三センチくらいの隙間を作る。幼い頃に言ったことを律儀に守らなくてもよいのに。家を出て真っ先に染めた己が惨めに思えて、肩口で巻いた髪に触れる。


「そういうリナちゃんは……」


「染めたよ。もうしばらく染め直してないからプリン状態だけど」


 黒色に戻り始めている頭頂部を撫でると、「面倒臭いらしいね」とサヤちゃんが口角を歪める。


「黒髪じゃないリナちゃん、なんか新鮮だな……」


「あまり見ないでよ、恥ずかしい」


 都会に縋る己とは違う。自分の魅せ方を知り、自分の流れを悟る真なる女性――サヤちゃん。


 見ても面白いものではないだろうに、サヤちゃんはじろじろと私を眺めている。くたびれて余所行きに使えなくなったTシャツとショートパンツ。とても人に見せられる格好ではない。


 どうにかして話題の矛先から逃れたくて、慌ててサヤちゃんの身体に視線を這わせれば、自然と白い肌が目に映る。田舎の住民はほとんどが多少なりとも焼けているものだが、サヤちゃんは実家に咲いたユリのように真っ白だ。


「結婚、したんだっけ」


「うん。覚えているかな、同級生のケイ君」


「ええっ、あの!? うそ、サヤちゃん、あいつを虐めてたじゃん!」


「虐めてたなんて……あれはやり返しただけだよ。突然服の中にミミズを入れられたら、三回金的して靴の中に小石を仕込まないと気が済まないでしょ?」


 ハンムラビ法典が泡を吹いて倒れるような報復論である。


「結婚生活、どう?」


「どうって……普通かな? 漫画みたいな甘々の生活じゃないし」


 恋愛も結婚も、空想上が最も甘いと聞く。現実は小説よりも奇なりとはよく言うが、全てにおいては当て嵌まらない。


「でもよかった。リナちゃんが変わってなくて」


「は?」


「もう五年近くリナちゃんと会ってなかったから。……もしも私のこと忘れてたらって、怖かったの」


 ただでさえ都会は人が多いから。そう言うサヤちゃんは、少し寂しそうに笑った。


「……それは、こっちのセリフだよ」


 異性と出会い、恋をし、結婚をする。“理想的”な女性の生き方を体現したようなその人生に、私など必要なかったと思う。連絡を取らなくなったタイミングで捨てられて然るべきだったはずなのだ。


 一人暮らしのためにEランク大学に進学して、周りに急かされるように恋人を作って。いつの間にか処女だって卒業して。誰か一人に操を立てた訳でもなく、刹那的な生を享受し続けている。


 こんな自分がサヤちゃんの人生を、その一部を担ってよいのだろうか。ただ幼馴染というだけで、友人の一枠を潰してよいものか。


 レジを通して、袋一杯に詰めたグミやらお酒やらを腕から吊り下げる。サヤちゃんも買い物が済んだようで、缶ビールを二本ビニール袋に入れていた。


「ね、よかったら寄り道しない?」


 かさりとビニール袋が振られる。陽が陰って数時間とはいえ、未だに熱がこもる。汗をかいてビニール袋に張り付くビール缶が、ひどく甘い果実のように見えた。思わず喉が鳴る。それを知ってか知らずか、サヤちゃんはにこりと笑うのだった。

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