悪者とお姫様-4
「ここ……」
「覚えてる? よく一緒に遊んだ公園だよ」
畑の一区域を借りて作られた小さな公園。滑り台と半ば干からびた池と、それからタイヤ製のブランコが吊り下がるだけの、ひどく貧相な公園だ。これだけ遊具が少なくても十分すぎるほど遊べたのだから、子供の発想力は目を見張るものがある。
目を
眉根を寄せる私を横目に、サヤちゃんは記憶の中よりも少しだけ小さくなった東屋に入り込む。木組みの座面に腰を掛けて、青葉や木の枝を出店のように並べたテーブルに缶ビールを置く。幼い店主たちが気の毒に思えた。
「ケイ君、お酒飲まないからさ、家で飲むのも申し訳なくて外で飲んでるんだよね。たまにだけど」
「危なくない?」
「田舎だからね」
からりと笑って、サヤちゃんは何でもないように足を組む。田舎は閉鎖的だ。村人の大半が顔見知りだし、防犯の意識は低い。それは平成の世を経ても変わらないようだ。もっともこの村で盗みを働いたところで、得るものは何もないだろうが。
カシュリとプルタブを持ち上げて、サヤちゃんはビールを仰いだ。喉仏のない、白い喉が上下する。張り付いた数本の黒髪が合わせて揺らぐ。
「リナちゃんも。――あ、ビール飲める? 特に気にせず買っちゃったけど」
「う、うん……平気。私も――ほら、ビール買ったし」
「あれ、ホントだ。買い物かぶっちゃったね。好きな方を飲んで」
サヤちゃんの隣に座って、せっかくだからとサヤちゃんが選んでくれたビールを開ける。強く握った指先から心地よい冷気が伝わる。何となくすぐに口をつけるのは忍びなくて、手の中でくるりと回した。
「やっぱり外で飲むビールはいいね。気持ちいい。欲を言えばバーベキューも一緒にやりたいところだけど――そうだ、リナちゃん、いつまでこっちにいるの? 近いうちにやらない?」
「あー、ごめん。明日で帰るんだ。帰省は今日だけなの」
「そっか……」
肩を落としたサヤちゃん。悪いことをしたとは思うが、こればかりは変えられない――変えたくない予定だ。
今回だって、たまには顔を見せろとしつこく言われたから帰省したに過ぎないし、可能であれば来たくなかった。この場所は思い出の場所であり、渋い記憶の残る空間なのだ。
何度目かも分からない沈黙が降りる。虫の音が忌々しいほどに耳に馴染む。鼻腔を通り抜けるツンとした香りにただ意識を向けていると、不意に隣から爆弾が飛んできた。
「彼氏できた?」
思わぬ奇襲にビールを噴き出しそうになる。ツンとする鼻を押さえながら抗議の意を込めて隣を睨んだ。
「な、何、急に。……できたけどさ」
「本当!? よかった~、中学生の頃からずっと欲しがってたもんね。その彼氏さん、見る目があるよ。さすが、都会の男は目が肥えてるって?」
「茶化さないでよ。別に、そんなんじゃないし……」
確かに、最初に声を掛けたのは向こうだ。
たまたまサークルが同じになって、たまたま新入部員歓迎会で席が隣になって、たまたま誰よりも長く話していて。たまたま、彼が私のことを気になっていると風の噂で聞いて。そうして付き合い始めた――ただそれだけなのだ。
私から彼に捧げる好意は微塵も存在しないし、彼の方もどれだけ気持ちが残って居るのか。よくてスペア、悪くて
「サヤちゃんみたいに好き合って恋人になったわけじゃない……」
「私も違うよ」
突如として突き付けられた否定にえ、と顔を持ち上げる。そこには頬杖をついて薄ら笑みを浮かべるサヤちゃんの姿があった。
「ほら、田舎ってさ、結構うるさいじゃん。いつ結婚するのか、いつ孫を見せてくれるのかって。それが鬱陶しくて結婚したんだよね」
「じゃ、じゃあ、サヤちゃんはケイくんのことが好きじゃない……?」
「好きではあるよ? でも、それが恋愛対象としてかと聞かれると微妙かも。……はっきり答えられない時点で好きじゃないのかもね」
ケイくんには悪いけど。そう言って、サヤちゃんはビールを仰いだ。もう最後の一滴らしく、ズッと缶の中の空気
「それ……いいの?」
「ケイくんは理解してくれてるよ」
「そうじゃなくて! もしも――もしも本当に好きな人が現れたら……」
「リナちゃん、かわいいね。ロマンチックで」
かっと顔が熱くなる。馬鹿にされているようにしか思えなかった。まだ運命などという空虚な糸を信じているのか、と。
「びっくりしちゃったかな。そうだよね。周りの声から逃げるために友達を利用したんだもの。そりゃあ、思うところはあるよね」
「…………」
ひやりとした安堵が胸の内に広がる。
(なんだ。私と変わらないじゃないか。)
子を作り、育むために家庭を作る。それは人間が社会を形成する前より脈々と受け継がれてきた、半ば本能に近いものかもしれない。だが今の私たちは本能を凌駕した先にいる。
子孫を残せないのに同性を愛し、同族を殺すのに車両を乗り回し、沈没の危険性があるのに船を出す。生を脅かす危険に、絶えず身を
人間の本能は、好奇心という悪魔の実を
誰かとの子供を残したい――そう思えなくなった私は、果たして異質であろうか。誰もが皆、安心感を得たいがためにテンプレートを遂行しているに過ぎないのではないか。
「それも多様性の一つ、じゃないかな」
目が、己の手から離れない。面を上げることも、サヤちゃんの様子を窺うこともできなかった。
一般論を述べただけなのに、それがひどく滑稽なもののように思えてならない。
お前が言うのか。田舎を捨て、田舎に生きる人々を否定したお前が。
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