その5 ライン越えのスカポンタン

 

 目の前の画像が信じられず、呆然と口を半開きにするしかない私たちの前で。

 岩尾君は、嬉々として語り続ける。


「いや~、あの日はホント、色々な意味で運命の日でした。

 僕、実家が雷霆らいてい湖付近なんですが、家族が心配であの日、実家に帰ってたんですよ。

 その日たまたま自転車で通勤してたんで、ラッキーでした。自転車なら、大渋滞に巻き込まれることもあまりなかったですし。

 でも、家族の無事が確認出来たはいいんですが、そこへ避難指示が出ましてね。

 雷霆湖に異世界からの異形が出現してるらしいと」


 何とか平静を保ちながら、悠季が尋ねる。

「……それで?」


「家族は避難しましたけど、僕、個人的にはどうしても、異世界から来た怪物っていうの、この目で見てみたかったんです。

 だから、防衛隊の目を何とかかいくぐりながら、湖の近くまで行ってみたんですよ」


 命知らずにも程がある。


「実家にいた頃は毎日のように自転車であの辺り乗り回してたから、庭みたいなもんです。

 それで、湖をカメラで観察してたら……

 いたんですよ。この、運命の美少女が!!」


 美少女を強調しながら、スマホで動画の再生を始める岩尾君。

 しかしそこに映し出されているのは、間違いなく、私のよく知る悠季だ。

 何度も何度も、私が繰り返し動画で見た、悠季の滅茶苦茶カッコイイ姿。

 細い身体を力の限りしならせて大空へ跳躍し、空中で一回転しながらスレイヴたちの喉元にその刃を叩きこむ――悠季ことイーグルの必殺技、ロッソ・スカルラット。

 その動画は震災直後、各SNSで非常に話題になり、1000万再生を超えた。


「どうです!?

 可愛いですよね。カッコイイですよね! 滅茶苦茶尊いですよね!!

 彼女、こんな風にたった一人で怪物たちと戦ってたんですよ。

 僕が見る限り、防衛隊の火力もほぼ通用しなかったマントの怪物たちに、彼女は一人で立ち向かっていたんです。

 服もボロボロで傷だらけで、すごく可哀想でしたけど……

 それでも彼女は魂を賭けるように、何度切り裂かれても立ち上がり、湖を駆け抜けて奴らと戦っていた!

 異世界人って神城さんや仁志さんみたいに目立たない人ばかりかと思ってたけど、やっぱり異世界、こんなにカッコイイ戦乙女もいるんですねぇ!!」


 興奮のあまり、熱くまくしたてる岩尾君。

 さっきまでのしょげ返りっぷりが嘘のようだ。

 本人、目の前なんだけど。


「そのあまりに健気な姿に、僕は思わずカメラを動かしてました。

 僕だけじゃありません。僕と一緒に、こっそりあの付近に忍び込んできた奴ら、みんなそうしてましたよ!

 少ししたら防衛隊が来て、強制的に避難させられちゃいましたけど」


 なるほど。悠季のこの姿が何故か動画になって拡散されたのは、そういう理由か。

 でも岩尾君。一つだけ間違っていることがあるの。


「ねぇ、岩尾君。

 その動画の彼女って……男か女か、意見が分かれてたよね?

 私……多分だけど、その人、男だと思うなぁ?」

「いやいやいやいや!」


 両拳を固めて、自信満々に私の意見を否定する岩尾君。その自信が一体どこから来るのか分からない。


「確かに色々意見ありますけど、この子は絶対ショートカットの美少女です!

 見て下さいよ、この細い腰に、ちらっと覗く引き締まった太もも!!」

「スーツ着てるように見えるけど……」

「いやいや、これは学校の制服ですって。

 ちょっと調べましたけど、都内の女子高に似たようなブレザーの制服あったんです。

 そこの出身だろうって、僕のSNS仲間は話題にしてるんですよ~

 僕らの意見としては、そこの教師で異世界PIPの対象者がいて、異世界から来た相方が女子高生の姿になって潜り込んでるんじゃないかと。

 直接問い合わせをした奴もいましてね」


 全く関係ないところにかなりのご迷惑をおかけしているようだ。

 というか、学校にも異世界PIPってあるんだろうか。私立だったらありえないこともないけど。


「でも……この人、ちゃんとズボン履いてるよね? スカートじゃないよね?」

「いやいやいや、ボロボロだから分かりにくいかもですが、これはスカートですよ!」

「胸も、全然ないように見えるけど?」

「僕、貧乳キャラも滅茶苦茶好きなんですよね~!

 カッコイイ美少女であればそれでいいんです。その点、彼女は僕の理想なんですよ!」


 悠季の擬態術は普段なら非常に便利で、私以外の女子社員に悠季が目をつけられることはほぼ皆無。

 私には分からないが、恐らく悠季は他の社員には非常に地味で目立たない、一言で言えば村人A的な存在に見えているのだろう。当然、岩尾君にも。

 しかしケイオスビーストの事件時、その擬態術は強制的に解除され、結果、世界中にこうして悠季本来の姿が晒されてしまった。

 ――そのおかげで、こんなおかしな事態が発生するとは。


 恐る恐る悠季の方を見ると――

 案の定。


「………………」


 すっかり静かになったと思ったら、悠季はテーブルに突っ伏していた。

 栗色の髪がモップみたいにしんなりして、力なくテーブルを拭いている。

 そんな悠季にさえ、岩尾君は全く構わず声をかけた。


「神城さんだったらこの娘のこと、何か知ってるんじゃないかって思ったんです。

 今日神城さんとお話したかったの、それもあるんですよ。

 もしかしたらお知り合いとかじゃありませんか? ねぇ、神城さん……

 神城さんってば!」


 しつこく呼びかけてくる岩尾君に、ようやく悠季は頭を上げる。

 髪がいつも以上にボッサボサ。目の下にはいつの間にかクマが見える――ような気がする。

 おでこについたテーブルの跡が赤い。


 メンタルフルボッコであろう悠季に、無邪気に容赦なく畳みかける岩尾君。


「それに、あの時出てきた怪物。

 アレ、エンパイア・ストーリーズの中ボスでしたよね?」

「え?」


 思わぬ所で思わぬ言葉を聞かされ、悠季より先に私が反応してしまった。

 社内の人間とゲームの話をするなんて、沙織さん以外とじゃありえなかった。


「岩尾君、知ってるの? あのゲーム」

「ええ、昔めっちゃハマってたんですよぉ~!

 あの紅い奴ら、確かスレイヴって言いましたっけ。かなり苦戦させられたの、覚えてます。

 もしかしたらあの娘も、あの世界から来たんじゃないかって僕、思ってて」


 そこまで推測出来ていて、何故イーグルが男だと分からないのか。


「僕、あのゲームではシーフのアガタちゃんって娘、大好きで!

 でも、今探してる娘は多分彼女じゃないんですよね。彼女と同じかそれ以上に敏捷で、ナイフ捌きも凄かったけど……」


 あぁ。悠季がさらに髪をぐっしゃぐしゃに掻きむしりながら頭を抱えている。

 私だけに聞こえるように呟かれた、呻きの言葉は。


「なぁ、葉子……

 俺、褒められてんの? 貶されてんの?」


 うん、両方だと思うよ。

 そんな悠季の気も知らず、ニコニコと一方的に話を続ける岩尾君。


「あんな綺麗な栗色の髪の子いたかなって思ったんですけど、思い出せないんですよねぇ。

 全部の主人公のルート、ひと通りやったはずなんですけど。どこに隠れてたんですかねあんな美少女……

 ただでさえあのゲーム、プレイアブルキャラ多かったですし。

 モブに近いキャラまで仲間に出来るのはビックリでしたよ」


 モブに近いキャラ……ねぇ。ふぅん。

 多少イラついた私は、ちょっと試してみることにした。


「ねぇ、岩尾君。

 そのゲーム、マイスって街、あったよね」

「え?

 はい、ありましたねぇ~。後半に確か壊滅しちゃうんですよねー」

「じゃあ、マイスに出現したケイオスビースト、やっつけたことある?」


 満面の笑顔を保ちながら、私は尋ねる。

 すると、同じように満面の笑顔の岩尾君から返ってきた答えは。


「あー、もしかして天木さんもやってました?!

 あれ、やっつけるの難しいですよねぇ。

 噂じゃマイスがやられる前に何とか出来るらしいですけど、そりゃ完全に狂人か廃人ですよ~」


 ……うん、落ち着こう私。

 まだ、彼がイーグルを見捨てたと決まったわけじゃない。

 マイス崩壊前にイーグルを仲間にしていた可能性だって僅かに残されている。落ち着け、確かめるんだ。


「……ふぅん。

 じゃあ、イーグルを仲間にしたことは?」


 笑顔を貼り付けたまま、私が発したこの質問に。

 岩尾君はきょとんとして首を傾げた。



「へ? 誰ですそれ。

 そんなキャラ、いましたっけ」



 はいアウト。ライン越え。

 私は全く躊躇することなく、悠季の腕を掴んで立ち上がった。


「帰ろう、悠季」

「はい!? あ、天木さん!?」

「お、おい、葉子!」


 勢いよく立ち上がった私に、悠季までが慌てている。

 しかし構うものか。河澄さんを酷い目に遭わせた上、当然のようにイーグルを見捨て、挙句の果てにそのイーグルを女と勘違いして彼女にしたいとか言い出すスカポンタンに、これ以上付き合う義理がどこにある。


 しかしその場を去りかけた私を、何とか縋りつくようにして止めたのは悠季だった。


「落ち着け、葉子。気持ちは分かるけど!」


 ――悠季。貴方はお人よしすぎないか。

 眼球いっぱいにそんな怒りをたぎらせて悠季を睨んだ私を、彼は必死で諭してくる。


「落ち着けって。

 こいつはそこまで悪い奴じゃねぇ!」


 うん、分かってる。

 でもね。貴方をモブ扱いして見捨てた上ろくにキャラとして認識していない時点で、いい悪い関係なく私にとっては最早絶許の存在なの。

 しかしそう言いたげな私を遮るように首を振り、悠季は――

 とんでもないことを口にした。


「俺に考えがある。

 俺……岩尾に、会わせてやろうと思うんだ。

 こいつの憧れの、『俺』を」



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