その25 一度負けたら終わりの「現実」

 

「中隊長!

 あれは──?」


 眼前に現れたドーム状の光の壁。

 葉子たちと同じように、その壁に守られながら──

 雷霆湖周辺に展開された防衛隊はほぼ何も出来ず、状況を見守るしかなかった。


「……遅かったか!」


 完全に崩れたテントから何とか脱出し、現状を確認する中隊長。

 つい先程まで操られていた隊員は、スレイヴらの殲滅と同時に殆どが再び意識不明の状態に陥っていた。それにより、自分たちが悠季に仇成す事態だけは回避したと思っていたが──

 ほぼ戦闘に参加できない自分たちでは、何が起こっているかすら理解出来ない。

 ただ、つい先程入ってきた次元管理官からの連絡により──

 既に神城悠季は救出され、彼らの手によって戦闘は有利に進められている。それだけは分かった。

 倒れた隊員たちの救護を命じながらも、中隊長はただひたすらに見据える。

 眼前に拡がる禍々しい光を。そして、光の向こうに現れた異形を。


「……化け物め」



 *******



 光の壁の向こうに見えたものは、間違いなくケイオスビーストの巨躯。

 だが葉子はそんな状況を目の前にして、不思議と冷静だった。

 状況が極限を超えると、人は逆に冷静になるのかも知れない。いや、パニックを超えて感情のどこかが壊れてしまったのかも知れないが。

 それでも──

 葉子は悠季に呼びかける。HMDを通して悠季と直接会話が出来るのは、先ほどのやりとりで分かっていた。


「悠季。

 悠季、大丈夫ね?」

 《あ……

 あぁ、何とか! ハルマも……》


 ようやく光がやんでくると、怪物と葉子たちの間で──

 よろよろと起き上がってくる、二つの影。勿論、悠季とみなとだ。

 カオスストリームの影響で水は一瞬にして干上がり、水面自体が大きく下がっている。

 膝程度の水深になった湖で、悠季とみなとは互いに背中合わせになって、ケイオスビーストと対峙していた。

 勿論爆光を受けていない部分からの水が流れ込んではいたが、それでも逆に足場は確保しやすくなったと言っていい。

 間髪入れず、葉子は呼びかける。


「最初にカオスストリームをやってきたのなら──

 その後しばらく、発射してくることはないはず。

 その間に攻撃をかけて!」

 《しばらくって、どのぐらいだ》

「えぇと……ゲーム内時間で3分だったから……」


 葉子は咄嗟に、広瀬を振り返る。

 その意図を汲んだのか、彼はすぐに答えた。


「ゲーム内時間で3分なら、現実時間でも同じと考えて構いません」

「分かりました。

 悠季。3分の間に、とにかく攻撃を叩き込んで。

 それから、次に来るのは炎か氷の範囲攻撃だから、みなと君が炎の壁を張れば問題ないはず!」


 葉子の指示が終わるか終わらないかのうちに──

 ビーストの口が大きく開き。

 炎の嵐が、二人に向けてその喉から放射された。


「!」


 しかし直前で葉子の指示が届いたのか。

 激しい炎熱が二人を呑み込むより早く、みなとが咄嗟に同じ色の炎の壁を展開した。

 見事に防がれる、ビーストの炎。同時に自動蘇生術を自分たちに施すみなと。

 即座に葉子は警告を送った。


「気を付けて!

 炎が来たら多分次は、叩きつけが来る!!」


 その言葉通り。

 炎の壁の向こうから、ビーストが大きくその右腕を振り上げる。

 真っ赤に尖った3本の爪が禍々しく光る、太い腕を。


 《サンキュー、葉子!!》


 みなとを抱えこみながら、反射的に空へ跳んでビーストの叩きつけを躱す悠季。

 二人のいた場所を、ミサイルの如き獣の腕が大きく抉る。

 大地から噴出する、大量の泥水。

 それでもみなとを強引に空中へ放り出し、悠季は再び氷河剣を構え、ビーストの懐めがけて飛び込んでいく。

 その刹那、大剣はアイスピックにも似た鋭い切っ先を持つ細身のサーベルに、姿を変えた。



 《氷河剣・改二──

 風闇合成奥義・変幻乱舞!!》



 絶叫と共に出現したものは、何人もの悠季の分身。

 それが何度も何度も、細剣と化した神器で、ビーストの鱗を切り刻んでいく。

 遠目に見るとそのさまはまるで、青く輝く無数の花弁が吹雪と化し、やがて氷矢となって一斉にビーストに襲いかかっているようにも見える。

 闇術の影分身と、時間停止術を重ねて使用し、無数に分身したように見せかけ。

 分身全員が、防御を投げ捨てた神速をもって縦横無尽に敵を切り刻む──

 その技は、葉子もよくイーグルに使わせていた必殺技の一つでもあった。


 そのさまを注視しながら、広瀬はふと呟く。


「ビーストの対処については、どうやら天木さんの方が詳しい模様ですね。

 しかし、忘れないで下さい──

 現実で奴と対戦出来るのは、一度だけだということを」


 分かっている。

 これはゲームではない。現実だ。

 会社ではたった一度のミスが致命傷になるように、今一度でも負ければ、それだけでみんな、終わってしまう。

 ゲームでは1000戦して999回負けても、ただ1回勝てばいい。だけど──


 沙織が葉子の心を代弁するように、苦笑する。


「一度負けたらそれっきりってことか。マジ最悪……

 ゲームでだって、ハルマとイーグルの二人だけでケイオスビースト戦なんて、狂気の縛りプレイもいいトコだったのにねぇ」


 そんな彼女たちの眼前で、痛みによる雄叫びを上げるビースト。

 悠季の攻撃が効いたのか、鱗の隙間からは次々に緑色の体液が噴出している。

 滝のように降り注ぐその緑を全身に浴びながら、それでも悠季は気合を入れるように、掌に一つ唾を吐きながら剣を構えた。

 瞬間、元の巨大剣に早変わりする氷河剣。

 脇に剣を構えたその姿。そして、悠季の足元から桜吹雪の如く舞い踊る術力の光。

 葉子は思わず息を詰めた。

 彼女の吐息に呼応するように、悠季の瞳がカッと見開かれる。

 その瞳孔周囲には、今度は緑から白色に変化した光輪が轟々と燃えていた。

 これは──!!



 《大剣最大奥義──

 氷晶流星雨!!!》



 使用者から生み出された術力の光が、身体の周囲を舞い踊り。

 やがて刃に纏わり、その刃が三日月の如く閃いて敵を斬り抜き。

 同時に膨大な力により生まれた閃光が、硝子の雨のように変化して敵を貫く──

 葉子が最も好きで、何度イーグルに使わせたか分からない、華麗なる大剣技。

 それが今、葉子の前で現実の光景となっていた。



 ──なんて、強いんだろう。

 なんて、美しいんだろう。

 悠季──イーグル。

 私は──貴方に会えて、本当に、幸せ者だ。



 再び両腕を振り上げ暴れ出そうとしていたビーストに、まともに叩きつけられる悠季の技。

 普通の大剣でも発動可能な技ではあったが、神器たる氷河剣でこの技を放った場合──

 膨大な数の氷柱が、一撃と共に天から降りそそぐ。

 勿論今も、悠季がビーストの胴体を横に大きく斬ったと同時に、巨獣の真上からは次々に氷柱が降りそそぎ、さらにビーストを追い込んでいった。



 そして攻撃は、まだ終わらない。

 なおも暴れ出そうとするビーストの背後から、轟いた声は。



「私にだってたまにゃ、いいカッコさせて下さいよ!

 体術最大奥義──

 爆炎翔龍ッ!!」



 それは勿論、いつの間にか悠季の反対側からビーストの後方に回り込んでいた、みなとの声。

 水妖陣で巧みに宙に浮きながら、右拳に全術力をこめ──

 超高速で鉄拳を何度も何度も叩き込む。空気摩擦による熱で生まれる炎が龍のように見えることから、名付けられた技だ。

 みなとの術力も加わってさらに強化されたその拳は、悠季の攻撃の反対側から、業炎となってビーストに襲いかかった。

 悠季の氷の刃と、みなとの炎の拳。

 完全にその挟み撃ちとなったビーストは、激しい血飛沫と雄叫びを上げながら暴れ狂う。


 《へへ。

 これだけ叩きこみゃ、さすがにこのクソデカ野郎でも……》


 そんな悠季の声も、葉子の脳裏に直接響いた。

 ──しかし。



「!

 いけない。避けて、みなと君!!」



 あまりの爆炎と水煙で、一瞬隠されてしまったビーストの図体。

 その向こうから不意に飛び出してきたものは、緋色の鱗に覆われた獣の腕。

 それが、一瞬防御を解いていたみなとの身体を、まんまと掴んだ。


「……!?」


 声を上げることも許されないまま──

 巨獣の拳に囚われたみなとの身体が、容赦なく握りつぶされる。


「み……みなと!!?」


 沙織の絶叫と、メリメリと身体が潰れていく不快な音が、その場に響いた。

 みなとも当然、必死で拳の中で抵抗を試みたが──

 一度凶獣に囚われた身体は、決してその力から抜け出せず。


「あ……

が、がは……っ……!!」


 いつもお喋りなはずのみなとが、ただの一言も発せず、一方的に身体を握りつぶされていく。

 当然悠季もこの事態に、剣を手に飛びかかったが。


「野郎、さっさとハルマを放し……

 ッ!!?」


 みなとを握っているのとは反対側の拳が、悠季より遥かに速く彼を薙ぎ払った。

 ビーストに比してあまりに軽いその身体は、一撃で数百メートル先の岸辺へと叩きつけられてしまう。

 ミサイルでも着弾したかのような衝撃と共に、巻き上がる水柱と土くれ。

 あまりにもその力は強烈で、悠季が叩きつけられたであろう岸壁はそれだけで完全に崩壊してしまっていた。

 当然、葉子に見えている悠季のHPは恐ろしいスピードで0に到達し、さらに──



 グシャッ



 出来れば一生聞きたくない、身体中の骨という骨が粉砕される音と共に。

 完全に力を失ったみなとの首が、後方へがくりと傾いた。

 動かなくなった人形に苛立ちをぶつけるように、みなとをも容赦なく地面へと叩きつけるビースト。


「──こ、この!!

 いい加減にしなさいよ、あんた!!」


 湖へとこだまする、沙織の怒号。

 自動蘇生が働いたのか、悠季もみなとも再び起き上がったのが、ステータス表示からも分かったが──

 それでも悠季の残りLPは、1まで減少していた。


「悠季、大丈夫。

 私の血はまだある。だから、立ち上がって!!」


 湖で暴れ狂う巨獣を凝視しながら。

 葉子は全く迷うことなく、コントローラのボタンを押した。

 自分の血液をそのまま悠季のLPへ変換する、生命のAボタンを。


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