その6 そこに命賭けちゃいけない理由、あるか?


そして私と悠季は、土曜の最終電車にどうにか乗り込むことに成功し──

0時過ぎではあるが、何とか実家に戻ることが出来た。

無能な私を受け入れず、出来損ないの娘を拒む──そう思っていた家に。


帰宅した瞬間、父は私に何度も謝ってくれて。

母は泣きながら、私を抱きしめてくれた。

深夜でありながら母は私と悠季に御馳走を振る舞おうとしてくれたが、さすがにそれは疲れてるから明日にして!と頼みこみ。


──そして私と悠季は気づいた時には、自分の部屋で、二人っきりになっていた。




少し乱雑ではあるけれど、好きな漫画に小説にCDがいっぱいに並んだ本棚。

その隅には、どうしても捨てられなかったゲームソフトも並んでいる。

母が敷いておいてくれた、ふかふかの清潔な布団。

そこに悠季と二人で座り、ゆったりとした空間で落ち着いていると──


解放された。

ようやく少しずつ、その実感が胸の奥から湧いてきた。

しかし同時に頭をよぎるのは、罪悪感。

それはもしかしたら、解放感よりも強かったかもしれない。


「悠季──

やっぱり、私がいけなかったのかな。

礼野先輩も、最初は菩薩みたいな人だったのに、いつの間にか鬼になっちゃった。

毅も……元々は、あんな男じゃなかった。ちょっと我が強いだけの、几帳面で優しい人だって……思ってたのに。

私が無能で駄目な人間だから、私はいつも周りの人を、あんな風にさせちゃうのかな?」


なかなか横になる気になれず、私は両膝に拳を固めて俯いてしまう。

しかしそんな私の手を、悠季は力強く握りしめてきた。

大きく首を横に振り、即座に彼は断言する。


「違う。

あいつらが他人に暴力的になるのは、元々そーいう奴らだったからだよ。

葉子は何も関係ない。その証拠に──

あんたとずっと一緒にいても、俺は、どうにもなってないだろ?」

「え?」

「葉子はそうじゃないかも知れないけど。

俺はゲームの中で、いつでも葉子を感じてた。

葉子の心を。葉子の力を。葉子が俺に賭けた想いを──

あんたと二人で、一体どんだけの難所突破したと思ってるんだ?」

「……そうだね」

「それだけ一緒にいて、俺は変わってないんだ。

だから、大丈夫だって」


怖いものなんてないかのように微笑む、悠季。

それは、私が一番好きだったイーグルの笑顔と、全く同じ。

胸の中で、ようやく安心感が広がっていく。


「そう言ってくれて、嬉しい。

本当にありがとう──悠季」


私が心から礼を言うと、悠季はちょっと照れくさそうに頭を掻いた。


「いや──俺は、あんたの親に状況を知らせただけさ。

おいしいトコは、親父さんに持ってかれた感あるしなー」

「私も、意外だった。

お父さんがあんなに強く誰かに怒るなんて、初めて見たから」

「でも、親御さんたちが話分かる人間で良かったぜ。

あの映像見せつけてもまだ、葉子とあの野郎をくっつけようとするなら──

俺はこの家からも葉子引き剥がして、マイスに一時避難させようかとも思ってたけど」

「え。そ、そんなこと出来るの!?」

「出来ないこたぁないけど、さっき使った転移伝送術よりもよっぽど膨大な手続きが必要になるし、書類全部の承認取れるまで最低1カ月以上はかかるんだ。しかも期間は限定的だし──

ま、そういう手間暇かけずにすんで、ホント良かった」


悠季は笑いながら頭を掻いていたが──

やがて少しだけ顔をしかめ、左腕を軽く押さえながらため息をついた。


「葉子の親父さんには……悪いけどさ。

あいつ多分、またやらかすぜ。また葉子と似たようなターゲット見つけて、同じことを繰り返す。そうして弱い奴らを食い物にしてのし上がっていくんだよ、ああいうの。

そういう輩を、どれだけ見てきたか分かんねぇ」


そんな悠季の予測に、私は思わず震え上がってしまった。

「じゃあ、このままだと別の被害者が出るってこと?

彼が医者になってしまったら……他人の心が理解できない、理解しようとしない医者が生まれるってこと? 私が、あいつと別れたせいで?」


しかし悠季はぶんぶん首を横に振り、そんな私の絶望的想像を否定する。

「葉子。自分だけが犠牲になってれば、なんて考え方はやめるんだ。

俺だって親父さんの言った通り、あいつは本来地の底に封印すべき存在だと思うぜ?

でも、この世界じゃそれは叶わない。あいつを殺っちまえば、こっちが罪に問われる。

だから、葉子がこれ以上何もする必要はねぇよ。てか、何もしちゃいけない。

あんた自身が言った通り、あんたと奴はお互い、近づいちゃ駄目な人間だったんだ。あんたが何をしたって、あいつは変わりっこない。

むしろ、さらに悪い方向に行くだけだ。奴も、葉子も」

「じゃあ……

彼が自分から変わることを、祈るしかないってこと?」

「そういうこったな。

現状に気づいて、このままじゃいけないと思わない限り、絶対に人間は良い方向へは変われない。

他人がいくら変えようと思ったって、無理だ」



はーっと一つ息をつきながら、悠季は堂々と私の布団で大の字になった。

推しが、私の部屋で、私の布団で、気持ちよさそうに横になっている──

よくよく考えてみれば、夢のような状況だったが。


「……ぐ……っ」


少し苦しげに表情を歪めると、悠季は左腕を押さえる。

そこで私は──情けないことに、初めて気づいた。


「悠季。その腕、どうしたの?

さっきからずっと押さえてるけど」

「……何でもない。

ちょっと高度な術使ったから、さすがに疲れただけだって。

ほら、俺、体力ねーからさ」


悠季は笑っていたが、その顔は何故か青ざめ、額には玉のような汗まで見える。

何かおかしい。そう直感した私は、思わず悠季の上から組みついて、その上着に手をかけた。


「駄目。見せて!」

「え。お、おい、葉子!

やめ……っ!!」


軽く抵抗する悠季の手を払いのけるようにして、上着もシャツも左肩から強引にまくってみる。

すると、見えたものは──


「ちょっと……何これ……!?

悠季?!」

「…………」


悠季の華奢な左腕が、肩から二の腕まで、真っ黒に腫れあがっていた。

滑らかな肌を汚すように、その黒は鎖骨のあたりまでをも侵食している。

酷い打撲による内出血か。それに、この腫れ方は──骨までやられているかも知れない。


「まさか……

毅がスマホを踏んだ、あの時に怪我したの?

私が、スマホを落としたせいで……?」


原因はそれしか思い当たらない。

悠季が私のスマホの中に潜んでいたなら、あの容赦ない踏み潰しでどれだけのダメージを受けても不思議ではない。出てきた悠季が血まみれじゃなかったのがおかしいくらいだ。

それでも悠季は痛みに耐えて腕を押さえながら、笑っていた。


「葉子のせいじゃねぇよ。悪いのは全部あいつだ。

むしろ葉子のおかげで、俺、全身打撲せずにすんだんだぜ?」

「え?」

「葉子が死にもの狂いで、あいつの足をどけようとしてくれたから。

俺はこの程度の怪我で、あんたを助けられた。

あの後管理官にも言われたんだけどさ。葉子が何もしなかったら俺、全身複雑骨折の上内臓ぶちまけててもおかしくなかったらしいぜ?」

「……そんな」

「ま、全身スプラッターのゾンビになって出ていった方が、あの野郎ももうちょい脅かせたかも知れないけどさ」


そんな馬鹿なこと言わないでよ、悠季。

──そう言いたかったが、涙がどんどん零れて言葉が喉で詰まってしまう。


「嬉しかったよ。

葉子が恐怖に負けずに、俺を助けようとしてくれて。

あいつが俺を馬鹿にしたこと、本気で怒ってくれて。

俺が踏まれた時、葉子は一瞬も迷わずあいつに飛びついてくれたもんな」


穏やかな言葉と共に、悠季は黒く腫れた左肩に自分の右手を添えた。

暖かな癒しの光が、悠季の肩を包む。悠季の肌を蝕んでいた黒が、光の中で少しずつ消えていく。

その光は──

何故か、私の心まで癒してくれる気がした。


「……ふぅ。やっと、治癒術使えるようになって良かった。

次元超越系の術使ったら、普通の術がしばらく使えねぇんだよ。ごめんな、余計な心配かけて。

葉子が頑張ってくれたから、俺、自分で自分を治せる程度の怪我で済んだ。

だからさ……泣くなよ」


悠季の頬に次々に跳ねる、大粒の涙。

それが自分のものだと、彼に言われて初めて気づいた。

私は──

一体どれほど、悠季に助けられているんだろう。

悠季にこれほどまでして救われる価値が、私にあるのか。


彼の真上で私は、いつの間にか子供みたいに泣きじゃくっていた。

「私、悠季に何もしてないのに。

どうして悠季はそんなに、私を助けてくれるの?」

「何言ってる。

葉子は俺を、何度も何度も助けてくれただろ」

「それは、私がイーグルを助けたかったから! それだけ!

それに、画面上で貴方が何度倒れたって、操作している私には何のダメージもないの。少なくとも物理的には!

今の貴方みたいに、命まで賭けて助けたわけじゃない!」

「とっくに分かってるさ、そんなこと。

でも……

俺だって、葉子を助けたかった。あんたが俺を助けたかったのと、全く同じに。

そこに、命賭けちゃいけない理由、あるか?」

「……」


目の前でじっと私を見つめる、アメジストの瞳。

胸の奥に、熱い波が打ち寄せてくる。

何も言えなかった。悠季の真摯な眼差しに対して、私は何も。

そんな私の頬を、ゆっくりと撫ぜる悠季の左手。

剥き出しになったその華奢な肩から、痣はすっかり消えていた。

そして悠季は白い歯を見せながら、大胆不敵に笑った。いつもの、私の大好きな、イーグルの笑顔で。


「じゃ、葉子。礼がわり、っちゃ何だけどさ。

明日、ゲームやろうぜ。俺たちがいる世界のゲーム、見せてくれよ。

土曜が潰れちまったかわりに、明日、思いきり遊ぼうぜ!!」


愛する推しの前で、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら。

それでも私は笑った。大きく頷きながら、笑うことが出来た。


「──うん!

覚悟してね。明日は一日中、ゲーム三昧だよ!!」



(第2章・Fin)

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