その6 ずっと逢いたかったぜ、相棒


「──俺が今ここに生きているのが、その何よりの証拠なんだからな!」


 確固たる自信に裏打ちされた悠季の、力強い声。

 彼の態度に、さすがの先輩もややたじろいだのか。疑り深げに悠季の紫の瞳を覗き込んだ。


「貴方がそうまで言い切れるのは、一体何故です?

 私たちは正直、よほどの根拠がない限り天木さんを信用することは出来ませんが」

 

嘲笑さえ込められた、先輩の言葉。

 他のチームメンバーも、業務をこなしながらも明らかにこちらのやり取りを聞いている。

 でも悠季はそんな状況すら楽しむかの如く、皮肉めいた笑みを先輩に向けた。


「そいつを言えって? 自分の力に驕って、無能と判断したヤツは無視するか甚振るかしか出来ないあんたに?

 どれほど化粧と笑顔で取り繕っても、あんたが他人を見下してるのはとっくに見えてるのさ。

 そんなんだからあんた、見合い相手に30回も逃げられてんだよ。自称サバサバ女のサバ読みおばさん」


 明らかに挑発でしかない、悠季の一言。

 先輩の顔が一瞬青くなり、次の一瞬には信号のように真っ赤に変貌した。

 悠季に向かって、大きく振り上げられる先輩の手。

 まずい。しょっちゅう机を叩いている先輩のビンタは、結構痛いはず。

 趣味でボクシングもやってるとか聞いたこともある。

 さすがに私が食らったことはまだないけれど、ふざけて背を叩かれた田中君が、真面目に痛そうにしていた時もあったはず──


「……あ、あぶな……!!」


 しかし私がそう声に出すより先に、彼女の手はあっさりと宙で止められていた。

 彼女よりよほど反射神経に優れたシーフたる、悠季──「イーグル」の手によって。


「おっとぉ~?

 完全にハッタリのつもりだったんだがなぁ。ビンゴだった?」

「……!!」

「感謝しなよ。俺を叩いていたらあんた、完全にパワハラだったぞ。

 正直、今までの葉子への発言だけでも十分、パワハラは成立すると思うがな」


 そんなタイミングを見透かしたかのように。

 ミーティングが終わったのか、上司たちが少しずつ戻ってきては、この状況に目を見張っていた。

「ど、どうしたの礼野さん?」サブリーダーたる平岡さんが、慌てて先輩に声をかける(上司3人の中で、平岡さんは一番温厚)

 彼女らの前でこれ以上の口論は無謀と判断したか。先輩は咄嗟に踵を返し、席に戻っていった。

「──後ほど報告します。今、やりかけの業務がありますので」

 つっけんどんに、それだけ吐き捨てて。




 *******



 夕方。午後5時、定時。

 他のメンバーには大分業務が残っていたが、私がやるべき仕事はもう何もない。

 田中君へのお詫びメールはとっくに書き終えてしまった。残業規制がある以上、仕事のない私は帰らなければならない。他のメンバーの仕事がどれほど残っていようと。

 私はそそくさと帰り支度をして、自分さえも聞き取れないほどの声でチームメンバーに挨拶すると、廊下に出た。


 大きな窓からの夕陽が紅く差し込む、エレベーターホール。

 その窓際で、悠季は私を待っていた。

 夕陽を背にして、どちらかと言えば華奢なその背筋は、はっきりとしたシルエットを描いて強く私の目に焼きつけられる。


 ──やっぱり、間違いない。

 小柄だが、引き締まった身体の輪郭。特徴的にツンと跳ねた、栗色のくせ毛。

 こちらの人間では持ちえない、大きなアメジストの瞳は。

 私は思い切って、悠季に声をかける。


「神城悠季──

 いいえ。貴方は、『イーグル』ね」


 そんな私に、悠季は静かに振り返った。唇に余裕の笑みを浮かべて。


「いつ気づくかと思ってた。

 ずっと逢いたかったぜ。相棒」



「イーグル」──

 彼は、この世界の人間ではない。実在する人間でもない。

 数年前に流行したRPG、「エンパイア・ストーリーズ」。そのゲーム内に登場するキャラクターだ。

 このゲームはマルチエンディング方式のコマンドバトルRPGで、どんなルートを辿っても、どんなキャラを仲間にしても、最終的にはエンディングまでたどり着ける。

 その自由度ゆえにファンも多く、私もその一人だった。

 もっと言うなら──イーグルこと悠季は、私の推しキャラだった。



 ゲーム内での彼の設定は──

 グロリア国の首都・マイス。その地下水路を根城にして活動しているシーフ。

 ただし、イーグルは決して物語の主人公だったわけではない。

 普通にプレイしていたら、仲間に出来ることに気づかずスルーしてしまうプレイヤーさえいる。それほどの脇役だ。

 そして──ここが結構重要なのだが。

 イーグルは、普通に使っていたら、かなり使いにくいキャラだった。

 シーフらしく素早さだけは高いものの、初めの頃は非力で身体も脆く、戦闘では真っ先に倒れてしまうのが当たり前。

 ストーリーが中盤を過ぎても、他の重装兵や騎士には力で後れを取り、術では魔術師や僧侶に劣り、唯一の取り柄の素早さも、忍者が後半から出てくると目立たなくなってしまう。

 装備可能な武装も少なく、初期では短剣などの弱い武器しか使えない。

 この非力さと、中盤から次々に登場する派手なキャラ達に圧され、イーグルは必然的に仲間から外されてしまうことも多かった。



 私の眼を見据えながら、悠季は懐かしそうに笑った。

「──俺も、プレイヤーの殆どから言われたよな。無能キャラの筆頭だって。

 その上、俺、プレイヤーが何にも知らなかったら普通、死んじまうしさ」



 そう。何も知らないでゲームを進めていると、イーグルは──消えてしまう。

 終盤に出現する、超強力な中ボス・ケイオスビーストの襲撃によって。

 初見プレイで私はこの罠にはまり、イーグルを助けることが出来なかった。

 イベントで他の仲間が必要になり、どうしても仲間を一人外さないといけなくなって。

 ほんの少しのつもりで、私はイーグルを外した。

 イベントが終わり、もう一度彼を仲間にするべくマイスに戻ったら──

 マイスの街ごと、彼は消えてしまっていた。

 ボロボロに朽ち果て、焼き尽くされたマイスの街並みを見て、酷く茫然としてしまったあの時の気持ちは、今でも忘れられない。



 結果的に彼を見捨ててしまった、あの1周目の記憶。

 その思い出をいつの間にか、悠季の──イーグルの前で、私は語り続けていた。

「最初のプレイで、私は貴方を助けられなかった。

 その時思ったの。もう二度と、貴方をこんな悲しい目には遭わせないって。

 だからその次のプレイ以降は──ずっと、貴方と離れなかった。

 最初は、同情から来る感情だったかも知れない。

 だけど、貴方を仲間にして戦っていくうちに、その気持ちは──」



 私の言葉を、じっと聞いている悠季。

 その視線に気づき、頬が一気に熱くなる。

 私、今、ひょっとして──

 推しに、告白してる?



 慌てて言葉を飲みこみながらも、私は早口で続けていた。

「2周目3周目は、まだ貴方の力は弱かった。

 でも、周回を重ねていくうちに気づいたの。プレイを繰り返すたびに、貴方がどんどん強くなっていること」



 そう。あのゲームは何回もエンディングを迎えることにより、キャラが強くなっていく。

 仲間にした回数が多ければ多いほど、一緒にいた時間が長ければ長いほど、そのキャラは強くなる。

 そういうキャラはイーグルに限らなかったが、イーグルはその中でも特に伸びしろが凄かった。

 元々高かった素早さがさらに伸びたのは勿論。

 特に異様だったのは、技ゲージの伸び方だった。

 このゲームの戦闘は、技ゲージが一定量貯まると強力な技や術を使えるシステムだ。戦闘開始時はほんの少ししかないが、時間経過ごとにゲージは増加していく。

 その増加量はイーグルの場合、元から高かったが──

 5周もすると、全キャラ中トップと言ってもいいほど凄まじいレベルになっていた。

 周回を重ねることで、短剣だけでなく刀や槍や両手大剣や銃、果ては高レベルの術まで使えるようになっていた彼は──

 戦闘開始と同時に先手を取って時間停止術を使い敵の動きを封じ込め、仲間たちが最初の行動を起こしている間に二度も三度も大技を叩き込んで、敵に一切何もさせることなく微塵に打ち砕く、などというレベルの無双キャラと化していた。

 身体の倍はある大剣を翻して宙に舞い上がり、このゲームで最も美しいと言われる大剣奥義・氷晶流星雨をラスボスに叩き込んだ瞬間、私は決めたんだ──

 私は生涯、イーグルを推す、って。



「それでも、俺を使いこなすのは至難の業だったと思うぜ。

 体力は相変わらずないも同然だったし、腕力だって兵士どもと比べたらどうしても劣る。

 なのに葉子は、ずっと俺を使い続けてくれた。

 しまいにはあの、封印不可能と言われるケイオスビーストまで倒しちまったもんな」



 ケイオスビーストの魔の手から、イーグルを守り切る方法は二つ。

 一つは勿論、最後までイーグルを外さず、仲間にし続けること。

 もう一つは、マイスが襲われる前までにケイオスビーストを倒すことだ。

 しかし前者はともかく、後者は非常に困難を極める。

 何しろ、ラスボス撃破まで必要なゲーム内時間は平均20日と言われている中で──

 レベル上げの関係上、撃破まで10日はかかるであろう中ボスを2日以内に倒さねばならず。しかも同じように期間制限の課された中ボスが、あと20体はいる。

 問題のケイオスビーストに至ってはラスボスより強いと言われている上、それを10日以内に倒さねばならない。

 いくら周回を重ねて強くなっているとはいえ、ゲーム序盤はまだまだイーグルも他の仲間も弱い。そんな状態では、よほど強いキャラを使わなければケイオスビーストの撃破は不可能と言われていたが──



「それでも、葉子はやり切った。

 俺を絶対に仲間から外さず、何度ぶちのめされても諦めなかったよな」

「なんか……ごめんね。

 何度もふみつけられたり電撃浴びたり触手で叩きのめされたり燃やし尽くされたり、痛いだろうなって思ってやってた。

 こうして改めて貴方と会ってると、それが……

 とてつもなく、申し訳ない気分になる」


 顔を真っ赤にしながら、早口で呟く。

 攻略上仕方がなかったとはいえ、積極的に敵の攻撃に晒しボコボコにしまくった推しと、直接顔を合わせているようなものだ。

 それでも彼は、とても優しく私の肩にそっと手を置いた。


「いいってことよ。あんたの気持ちは十分伝わってたから。

 あんたと一緒に試行錯誤を繰り返すうち──

 弱いままでも使える技や術を駆使して、俺でもボスどもを倒せるって分かってきて。

 マイスの仲間を。俺の仲間を守れるって分かって……嬉しかった」



 まだ弱いままのイーグルが、生命力を振り絞って放った短剣奥義──

 ロッソ・スカルラットの一撃。

 それが遂にケイオスビーストの息の根を止めた時の感動は、今でも鮮明に覚えている。

 あまりに嬉しかったので、実は動画にして配信もしている。

 他のイーグルの活躍(実質一人でラスボスを倒したものとか)も動画にしていたけど、一番反響があったのはその動画だった。



「俺の評価が上向きになったのは、あんたのおかげでもあるんだ。

 本当に感謝してる。

 ケイオスビーストを倒してからも、あんたはずっと俺を手放さなかったよな」

「うん。

 貴方と一緒に旅をするの、本当に楽しかったから」

「しまいには、あんたと二人旅なんてやってたよな」

「本来の主人公を無理矢理戦闘不能にしてね。貴方にとっては実質一人旅だったよね」

「正直あの時はマジ死ぬかと思ったけど、楽しかったぜ」

「ふふ、ごめんなさい」



 夕陽の差し込むエレベーターホールで、私たちはいつしか、自然に笑い合っていた。

 そう。私とイーグルは、ずっと一緒にいるのが当たり前だった。

 だってイーグルは、私の推しなんだから。



「だから俺、思ったんだよ。

 これほどまでに俺を強くしてくれたあんたに、何か出来るなら。

 俺を信じ続けてくれたあんたに、何か出来るならって──

 そう思ってたら、いつの間にかこの世界に来てた。

 あんたの血の匂いを感じて、ここに来たんだ」


 血の匂いと言われて、私は思い出す。最初に異世界PIPを言い渡された時のことを。

 あの時、人事部との面接と同時に、形式的なものと言われて何故か採血された。

 検診かとばかり思っていたけど──

 あれは、異世界からイーグルを、神城悠季として召喚する為の血だったのか。


 どこまでも真摯な、アメジストの瞳で私を見つめながら。

 悠季──イーグルは、はっきりと想いを言葉にして、私に手を差し出した。


「葉子と俺は、ずっと前から一心同体だ。

 あんたが助けを求めるなら、俺はどこまでも力になる。

 あんたがいつも、俺を助けてくれたように」



 私が抱えた問題は、何も解決していない。

 私が落ちこぼれたことも、先輩たちの冷たさも、私自身の無能っぷりも。

 でも、悠季が、イーグルが、そばにいてくれる。

 それだけで、世界の全てが一気に変わる気がした。

 差し出された彼の手を、私は強く握り返す。

 至るところに古傷の見える、イーグルの手。親を知らず、ずっと飢えながら地下で生き抜いてきた為か、瘦せ細って筋肉だけが異様に目立つ手。

 それでも確かに、その手にはぬくもりがあった。



「うん。私も、負けないよ。

 貴方が決して、負けなかったように」

「あぁ。これからもよろしくな、相棒!」




Fin


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