名無しさんと荒井先生 

 荒井先生のこともどうにかしなきゃいけないのに、名無しさんからも目が放せない。

 そんな戸惑うあたしをよそに、名無しさんは叫び続ける。


「うあああああああアアアアアアアアアアッ!!!!!!」


 それは耳を塞ぎたくなるくらいの絶叫。

 さっきまで静かだったのに、どうして突然こんなになっちゃったの?

 だけど何とかしようにも、今は荒井先生がいるし。下手に声をかけたら怪しまれちゃうから、それもできないよね……。


「落ち着いてください名無しさん。大きく息を吸い込んで、心を沈めるのです」


 いや、水原さんが話しかけてる!

 叫ぶ彼女を落ち着かせるべく、穏やかな態度で接する水原さん。

 だけどやはりと言うかなんと言うか。荒井先生はそんな水原さんを、怪しそうに見つめる。


「なんだ、いったい誰と話してるんだ? 君、クラスと名前は?」

「ふえっ? え、ええと、それは……」


 途端にしどろもどろになる水原さん。やっぱり、こうなっちゃったか。


 しかもこうしている間にも、名無しさんは苦しむように叫んでいるし。

 どうすればいいの? どうすれば……。


「落ち着いて。ここはあたしが、何とかするから」


 あたふたとするあたしの肩をポンと叩いてくれたのは、葉月さんだった。

 あたしや水原っさんと違って、全く動じていない様子の葉月さん。その凛とした態度に、思わず胸がキュンとしてしまった。

 って、年下の女の子相手に、何ときめいてるんだ!?


「トモは名無しさんをお願い。先生はあたしに任せて」


 葉月さんは小声で水原さんに指示を出すと、荒井先生に目を向ける。


「あのー、先生こそどうしてこんな所に来たんですか?」

「あ、ああ。俺はちょっと見回りにな」

「そうなんですか。あたし達、ちょっと調べてる事があって。実はこの木の下に、幽霊が出るって噂があるんですよ」

「は、幽霊?」


 いきなりのカミングアウトに目を丸くする荒井先生。

 だけど驚いたのはあたしも同じ。ちょっと葉月さん、そんな正直に言って大丈夫なの!?


「幽霊って、何をおかしな事を言ってるんだ。そんなのいるわけないだろ」

「ですよねー。あたしもいないって言ったんですけど、信じてる子が多くて」

「幽霊なんてバカバカしい。だいたいそんな話は初耳だぞ。昔から一度だって聞いた事がない。さあ、下らない話をしてないで、さっさと帰るんだ」

「はいはーい。さ、何もいなかったわけだし、もう行こう。トモももういい?」

「待ってください、もう少し」


 目を合わせて、頷きあう二人。

 葉月さんが先生の気を引いている間に水原さんが名無しさんの背中をさすって、今は少し落ち着きを取り戻しているけど。名無しさんは、まだどこか苦しそうな様子。


「仕方ありません。彼女にはしばらくの間、休んでいてもらいましょう。名無しさん、悪いようにはしませんから。少し眠っていてもらえませんか?」

「う、うん……」

「後で必ずアナタを成仏させますから、少しだけ待っていてください。迷う者、荒ぶる魂、鎮まりたまえ――封」


 水原さんが両手を合わせて何かを唱えた瞬間、その手が光った気がした。

 するとそれに合わせるように、名無しさんの姿がふっと消える。


 もしかして、今ので除霊できたの? 

 いや、さっきの水原さんの口ぶりだと、違うっぽいか?


「それじゃあ、あたし達はこれで。先生も、見回りご苦労様です」

「ああ。もう二度とここには、近づくんじゃないぞ」


 名無しさんの事が見えていななった先生には、何が起きたのかなんて分かっていないみたいで。怪訝な目でみられはしたけど、幸い深く追求はされなかった。


 とりあえず、これ以上ここにはいない方がいいよね。

 だけど去ろうとした時、葉月さんが思い出したように言う。


「あ、そうだ先生。『梢』って名前に、聞き覚えはありますか?」

「梢? さあ、分からないなあ。それがどうかしたのか?」

「そうですか、知らないなら良いです。それじゃあ、あたし達はこれで」

「待て、今の名前、いったいどこで聞いて……」

「良いから良いから。じゃあ、さようならー」


 葉月さんはスカートを翻して舞われ右をすると、そのままあたし達の背中を押す。

 後ろからは荒井先生がまだ何か言ってきてるけど、止まりはしない。強引にその場を離れて行いった。


 そして体育館の角を曲がり先生の姿が見えなくなって、あたしは息をつくことができた。


 ふう、危なかったー。部外者を校内に入れたことは、何とかバレずにすんだよ。

 安心したところで二人に、気になった事を聞いてみる。


「ねえ、水原さんが最後に何かしてたけど、あれってなんだったの? 名無しさんは消えちゃったけど、成仏したの?」

「いいえ。実はさっきやったのは、お祓いではなく封印なんです。不安定だった彼女を落ち着かせて、しばらく出てこないよう眠ってもらいました」

「妥当な処置だね。あの子苦しんでいたみたいだし、少しの間休んでいてもらった方がいい。あのままにしてたら下手すると、悪霊になってたかもしれないしね」

「悪霊!?」


 悪霊って、悪さをする危険な幽霊のことだよね。

 大人しくて、無害そうに見えたのに。


「名無しさんって、そんな危険な霊だったの? 全然そんな風には見えなかった」

「そう思うのも無理ありません。元々は名無しさん、害の無い大人しい霊だったんです。ですがさっき話をしている間に、彼女に変化が起きたのですよ」

「どういうこと?」


 すると首をかしげるあたしに、今度は葉月さんが答えてくれる。


「変化があったのは二回。一回目は、梢先輩の名前を聞いた時」


 うん、それはわかる。

 それまで何を聞いても淡白な反応しかなかったのに、あたしの名前を聞いた途端、表情が変わったんだよね。


「どうして反応したのかは分からないけど、もしかしたら梢先輩が彼女の姿をハッキリ見えたことと、何か関係があるのかもしれないね。で、二回目は突然叫び声を上げた時……いや、荒井先生が来た時かな」

「荒井先生?」


 確かに彼女の様子がおかしくなったのは、荒井先生が来てからだったけど。でもなんで?


「これも理由は分からないんだけどね。けどあたしは、荒井先生と彼女は何か関係があるんじゃないかってにらんでる。ねえ、梢先輩が名無しさんを見始めたのって、去年の秋ごろだったよね?」

「うん、そうだけど」

「それじゃあ、荒井先生がこの学校にやって来たのはいつ?」

「ええと、二学期の途中……あっ!」


 葉月さんの言いたいことがわかった。

 あたしが名無しさんを見るようになったのって、荒井先生が赴任したくらいじゃん。

 そして今回、その荒井先生が来た途端彼女の様子が変わった。これって偶然かなあ?


「妙なのはそれだけじゃない。梢先輩も気づいたと思うけど、先生明らかに何か隠してたよね」


 何かを考えるように、目を細める葉月さん。うん、言いたいことは分かるよ。

 あたしも気になっていたんだけど、最後先生に『梢』って名前に聞き覚えがないかって聞いたよね。

 先生は知らないって言っていたけどさ、それっておかしくない?


「あたしだって梢だよ。それが目の前にいたんだからさ、普通ならあたしの事を言うはずだよね。だけど知らないなんて、どう言うこと?」

「不自然だよね。これはあたしの想像なんだけどさ、先生は別の『梢』って子に心当たりがあったんじゃないかな? だけど何らかの理由でそれを知られたくなくて、嘘をついたのかも」


 もしも荒井先生と名無しさんに関係があるのなら、あり得ない話じゃないかも。

『梢』って言うのがどこの誰かはわからないけど、謎を解く鍵になるかもね。


 ん、そういえば。


「今思い出したんだけどさ、荒井先生ってたしか前にも、うちの学校に勤めていたらしいよ」

「マジ? ういえばさっき、幽霊の噂なんて昔から聞いたこと無いって言ってたっけ。新井先生がいたのって、どれくらい前の話?」

「よくはわからないけど、制服が変わる前だったって話してたことがある。もしかしたらその時、名無しさんと交流があったとか?」


 名無しさんと先生に関わりがあるって前提で話してるせいかもしれないけど、考えれば考えるほど、怪しい点が出てくる。


 といっても全部想像で話してるだけなんだから、証拠は何も無いんだけどね。


「ここから先は事務所に報告して、調査チームを派遣してもらうしかないね。あたし達がどうにかできるのも、これまでか」

「え、葉月さん達が調べるんじゃないの?」

「そうしたいのは山々なんだけどさ、あたし達高校生だよ。亡くなった名無しさんの素性や、先生との関係について調べるなんて、できると思う?」


 うーん、難しいかも。

 漫画やドラマだと、高校生が独自の情報網を使って捜査していくなんて展開もあるけど、この口ぶりだと違うっぽい。


「調べるのは、ちゃんと大人に任せた方が良いのですよ。今回の私達の役目は、霊の存在を確認することです。色々と気になる事はありますけど、封印は施しましたし。続きは後任に任せましょう」

「祓い屋って言っても祓うのだけが仕事じゃなくて、どうして化けて出たのか、真相を明らかにするのも仕事なんだ。そのためには、時には自分で解決することに拘らずに、他人に任せることも大事なんだよ。適任者に任せた方が、名無しさんを早く成仏させられるからね」


 そんなものなのか。祓い屋って、仕組みが色々あるんだなあ。

 そういえば二人だって、火村さんから仕事を引き継いだんだっけ。誰かに任せるって、大事なのかも。


「霊を一人成仏させるだけでも、大変なんだねえ」

「まあね。けど迷える霊がいればどこへだって駆けつけるし、いくらでも調べるよ。だってそれがあたし達、祓い屋なんだもの」


 ハッキリと言い切る葉月さん。

 その表情はとても凛々しくて。あたしは不覚にもまた、ドキッとしてしまうのだった。

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