体育館裏の幽霊

 マズイよー。部外者を校内に入れたなんてバレたら、なんて言われるか。

 だけど先生はそんなあたしの事情なんてお構いなしに、こっちに歩いてくる。


「安藤、昨日提出期限だった課題、お前だけ出してないぞ」

「えっ。そ、そうでした? ごめんなさい、うっかり忘れていました」


 いけない。今日のことで頭がいっぱいで、課題のことなんて忘れてたよ。

 幸い先生は一緒にいる二人が部外者だって気づいていないみたいだけど、いつバレるかとハラハラする。


「月曜には必ず提出しますから、それで勘弁してください」

「絶対だからな。それはそうとお前、休みなのにどうして学校に来てるんだ?」

「ええと、それは……」


 どうしよう。まさか祓い屋さんを案内していますなんて、言えるわけないし。

 けど焦っていたら、不意に葉月さんが大きな声をあげた。


「ええー、梢先輩、課題忘れちゃったの? もう、何やってるんですかー」


 あたし達の会話に割り込んできた葉月さんに、目を丸くする。

 ちょっとちょっと、正体バレちゃいけないのに、なんでわざわざ自分から絡んでくるの!?


 だけど彼女はあっけらかんとした様子で、話を続ける。


「家に帰ったら、急いでやらないといけませんね。けどその前に、一緒にパフェ食べに行く約束だけは、守ってもらいますよ。と言うわけで先生、あたし達急ぎますので。早くしないと、先輩が課題する時間なくなっちゃいますもの」

「あ、ああ。安藤、あんまり後輩を困らせるなよ」


 一気に捲し立てる葉月さんに、先生は苦笑いを浮かべる。

 すごい、怪しまれるどころか、勢いで場を乗りきっちゃった。


 葉月さんは「行こう行こう」と背中を押してきて。あたしと水原さんは先生にペコリとお辞儀をすると、促されるままその場を離れる。


 ふうー、焦ったー。葉月さんが上手くはぐらかしてくれて、助かったよ。


「助かったわ。よく咄嗟に誤魔化せたわね?」

「あれくらいどうってことないよ。ところでさ、あの先生、いったいどういう人なの?」

「えっ、二学期に新しく来た、国語の荒井先生だけど。それまでいた先生が産休に入ったから、変わりにうちに来たの」


 白髪頭のため、こっそり「おじいちゃん」なんて言っている生徒もいる、もうすぐ定年のベテランの先生だけど。それがいったいどうしたの?


 すると、葉月さんだけでなく水原さんも、何やら怪訝な顔をしている。


「葉月くんも感じましたか? あの先生から、微かに霊気が漂っていましたよね」

「うん。けど取りつかれてるって言うほど、強いものじゃなかったし。たまたまなのかな?」


 霊気が漂ってるって、そんなことまでわかるんだ。けどこの口ぶりだと、大した力は感じなかったみたいね。

 それよりも今は、本題に戻らないと。


「また誰かに見つかったら面倒だから、早いとこ行こう。二人とも、付いて来て」


◇◆◇◆


 と言うわけで、体育館の裏までやって来たあたし達。

 周りに人気の無い寂しいその場所には、一本の木が生えていて。そしてその木の下に、古い制服を着た髪の長い女子生徒が一人、うつ向きながら佇んでいた。


「ほら、あの子が問題の子なんだけど、やっぱり幽霊だよね?」

「間違いないよ。そういえば梢先輩は、あの子のことは普通に見えるんだよね」


 うん、ハッキリ見えるよ。

 中途半端な霊感しかないあたしだけど、彼女の姿だけは、なぜかちゃんと見えるんだよね。

 けど、だからこそ気になるの。ここまでしっかり何度も見る幽霊なんて、初めてだから。


「とにかく、まずは話を聞いてみよう。君、ちょっといいかな?」


 葉月さんが声をかけると、彼女は黙ったままゆっくりと顔を上げ、こちらを見る。


「あなた、誰?」

「あたしは、葉月風音って言うんだけど。君の名前を教えてくれない?」

「名前? 名前……分からない」


 長い髪をなびかせながら、ふるふると首を横に振る彼女。さらに。


「それじゃあ君は、どうしてここにいるの? その制服、ひょっとして白雲女子の卒業生?」

「分からない。ずっと真っ暗で狭い所にいたけど、急に胸がざわざわしだして。気がついたらここにいたの」


 うーん、これも分からないか。

 話したら彼女の事が少しはわかるって思っていたけど、どうやらそう上手くはいかないみたいね。

 それにしても、自分の事が分からないって、いったいどんな気持ちなんだろう? 想像つかないや。


 その後も葉月さんがいくつか質問を繰り返して、その間あたしは、水原さんに聞いてみる。


「ねえ、祓い屋って、どんな風に除霊するの? やっぱりお札を貼って、呪文を唱えるとか?」

「お札は使いませんけど、たぶん思っているのと大差はありません。ただ彼女の場合どこの誰かも、どんな未練があってこの世に残っているのか分からないので、すぐに祓うわけにはいかないのです」

「え、そうなの?」

「はい、これが人に危害を加える悪霊なら別ですけど、できるだけ霊の事を知って、未練を無くして安らかに成仏させるのが、私達のやり方なんです。だからもしかしたら今日は調査だけにして、祓うのはもう少し調べた後になるかもしれませんけど、それでいいですか?」


 それはまあ。別にあの子に、迷惑かけられてるわけじゃないし。

 それに正体が分からないまま祓われたんじゃ、あたしもスッキリしなさそう。


 そんな話をしていると、幽霊の女の子に質問していた葉月さんがこっちを振り返って、力なく首を横に振った。


「ダメだ。名無しさん、詳しい事は何も思い出せないって」


 残念、わからなかったか。てか、名無しさんって?

 するとあたしの様子を見て察したように、葉月さんは答える。


「彼女、名前もわからないってのは不便だから、とりあえず『名無しさん』って呼ぶことにしたんだ。本当の名前や素性は、これから祓い屋協会に正式に調査してもらうよ。ここに霊がいるって確認できたんだから、これなら強制捜査することだってできるよ」

「ならいいけど。名無しさんも早く自分のこと分からないと、不安だろうし」

「だね、なるだけ急いで調べてもらうよ。けど名無しさんのことをそんなに心配するだなんて、梢先輩は優しいね」


 葉月さんはそう言って笑ったけど、そんなことない。

 ただ何だか名無しさんを見てると、放っておきたくないって思うんだよね。

 だけど、そんな話をしていたら。


「梢? 今、梢って言った?」


 今まで何を聞いても「分からない」だった名無しさんが、初めて反応を見せた。

 けど、何で梢って名前で反応したの? 


「なに? もしかしてあたしのこと知ってるの? それとも誰か知り合いに、梢って名前の人がいるとか?」

「わか……らない。でも梢、聞いたことはある。とても……とても大切な人の名前だったと思うけど、思い出せない」


 右手で額を押さえながら、フルフルと首を横に振る名無しさん。

 分からないのは相変わらず。だけど初めて起きた変化に、あたし達は顔を見合わせる。

 もしかしたら梢って名前が、記憶を取り戻すヒントになるかも。もっと何か、思い出すようなことがあればいいんだけど……。


「おい、そこでなにをしている?」


 わあっ!?

 急に後ろから大きな声がして、恐る恐るそっちを見ると……げ、荒井先生じゃん!


 そこにはさっき会ったばかりの荒井先生が立っていて、怪訝な顔をしている。


「安藤? お前さっき、どこかに行くって行ってなかったか。何たってこんな、何もない所にいるんだ?」

「え、ええと、それはですねえ……」


 どうしよう、まさか二度も会っちゃうなんて。

 ええーい、ここは葉月さんに任せた。さっきみたいに、ビシッと誤魔化しちゃって!

 だけど話をパスしようとしたその時……。


「あっ……ああっ……ウアアアアアアッ!」


 葉月さんに話をふろうとした瞬間、名無しさんの様子が一転。急に苦しむように声をあげ始めた。

 えっ、ええっ! 突然どうしたの!?


 胸を押さえながら、悲鳴にも似た声を吐き出す名無しさんの表情は、とても苦しそう。

 そんな今までに無い反応を見せた彼女に、すかさず水原さんが駆け寄る。


「名無しさん、どうしたんですか? ひょっとして、何か思い出したんですか?」

「分からない。分らないけど、苦しいっ! アアアアアアァァァァッ!」


 またも絶叫する名無しさん。その様子は見ているこっちまで胸が締め付けるほど、辛そうだった。

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