十一話 かくれんぼ

 見えないタイムリミットは刻一刻と迫り、僕の焦燥もまた加速する。


 一度帰宅して、本棚から文庫本を一冊引っ張り出して、すぐにまた家を出た。

 持ち出したのは古今東西のおまじないをざっくりと網羅した一冊だった。

 読み物として楽しんでいたこの本を、まさか実用的な意図を持って紐解く日がくるなんて。


 書物だけじゃなく、webサイトにも叡知 えいちを追い求めた。ブラウザのアドレスバーに『呪い、解き方』と大真面目に打ち込み、命がけの真剣 シリアスを込めて検索 ググる。

 そうしてヒットした方法の中で実践可能なものは、あらかた試した。信憑性の検討や優先順位を付ける いとまさえ惜しんで、とにかく目についたものを片っ端に。


 鹿児島伝来の魔除けの歩法で往来を行けば軽トラにクラクションを鳴らされ、繰り返し唱える東北地方の呪文はすれ違う奥さんの眉をしかめさせた。

 大音声 だいおんじょうの発声を伴うブードゥーの祈祷 きとうは平日の公園に不穏な空気をもたらし、チベットの邪気払い体操は邪気ではなく子連れのお母さんを僕から退散させる。

 その他様々な出自を持つ(あるいは一切出自不明な)蠱物 チャーム迷信 ジンクスの数々が、僕の社会的な生命力 ヒットポイントをガリガリと削っていく。


 だけど、こうなればもうヤケクソだった。

 なりふり構うのは大団円のあとにしろ。


 夕声を取り戻せるなら、警察沙汰 ポリスざただって安いものだ――そう自分に言い聞かせる。




 昨日歩いている時に見かけたバイパス沿いの落花生直売所に足を運んだ。

 殻付きの落花生を一袋手に取り、最短距離の動線を辿ってレジに向かう。


「ありがとござまし――」

「ぶつけてください」


 技能実習生だろうか、東南アジア系とみられる若い店員さんに買ったばかりの落花生を突き出して、有無を言わさぬ口調でお願いした。


「日本では落花生に魔除けの効果があると信じられているんです。二月には節分という行事があって、その日には魔を払う為に豆をぶつけ合うほどです。

 だから、さぁ」


 ぶつけてくださいと、もう一度目を見て頼む。

 時間がありません、さぁ早く。


 それから二分後、涙目になりつつも力いっぱい落花生を投げつけてくれた店員さんに厚くお礼を言って僕は店を出た。


 拾い集めた落花生を食べながら、県道バイパスを南に向かって歩きはじめる。

 昨日見かけたあのお婆さんは、今日も椅子に座って車の流れを見つめていた。







 バイパスを辿って商店街まで歩き、まいんに立ち寄り、それから神社に移動する。

 昨日とまったく同じルートを踏襲していることに気付いて、歩きながら一人ため息をついた。

 さっきから僕はため息ばかりついている。


 一人になりたくて向かった神社には先客があった。それも複数名の。

 背広の男たちが境内のあちこちを指さしながら打ち合わせめいた会話を交わしていたのだ。

 そういえばお祭りが近いとラジオで言っていたから、彼らはその関係者なのかもしれない。


 結局、僕は神社の前を素通りして、路地裏の駐車場に向かった。

 もちろんそこにも先客はいるのだけれど、幸いなことにここの住人たちは言葉を喋らない。一人になりたい僕とも十分に共存が可能だ。

 というか、駐車場の猫たちは僕が現れた瞬間、脱兎よろしく隠れてしまった。


「……やれやれ」


 もう一度ため息をつく。今日の僕はチェーンスモーカーならぬチェーンサイアーだ。



 呪いがどうなったか確認してもらうべく水沼さんを おとなった、それがつい数分前のことだった。

 なんとなくそうだという予感はあったのだけど、案の定、水沼さんは指で小さくバッテンを作った。

 ダメです、まだバッチリかかってます。


 予想はしていたとはいえ、さすがに落胆は大きかった。

 頑張ったんだけどなぁ。いくらかは人として大事なものまでかなぐり捨てて。


 誰が置いたのか、駐車場の隅っこにビール瓶のケースが放置されていた。

 僕はそれをひっくり返して、手で簡単に汚れを払ってから腰を下ろした。


 ……そうした途端に、目を背け続けていた疲れが一挙に襲いかかってきた。


 肉体的な消耗もさることながら、とにかく徒労感が こたえた。

 すべてが無駄だったという事実に脱力し、解決への道筋の見えない課題に対して怒りを抱いた。


 一瞬、諦めへの誘惑がよぎる。

 いっそ諦めてしまえば楽になるんじゃないか、との。


「……冗談じゃない!」


 自分の思考に対して、自分の無意識が声をあげて反論した。

 冗談じゃない。諦めるなんて、投げ出すなんて、どうしてそんなことができる。


 ――僕が諦めてしまったら、誰が夕声を迎えに行くんだ。


「……あ、そうか……」


 その瞬間、正体不明だった己の心理と感情が、唐突に理解された気がした。

 そうか、そういうことだったのか。


「――にゃあ」


 鳴き声に気付いて足下を見ると、マサカドが僕の靴に身体をスリスリしていた。


「……やぁ、こんにちは」


 伝わるわけのない挨拶を口にしながら、子猫を膝に抱きかかえる。

 マサカドはやっぱり抵抗せずにされるままにしていた。人なつっこい猫なのだ。


「夕声に会えなくて、君も寂しいだろう」


 ごめんな、彼女が来ないのは、実は僕のせいなんだ――パステル三毛の背中をなでながら、懺悔するように謝った。

 三色の毛色の中で黒が薄い三毛をパステル三毛と呼ぶのだと教えてくれたのも夕声だった。頭から背中にかけてを攻めると喜ぶ猫の撫で方も。


「だけど、もう少しだけ待っていてほしい。必ず連れ戻すから」


 子猫を相手の決意表明に、僕が必ず迎えに行くから、と言い足す。

 それから、僕は話しはじめる。


「夕声が消えてしまってから、あるいは消えてしまった彼女と再会するための努力をはじめてから、心の中にずっと焦りがあったんだ。残り時間はそう多くはないんだって、だから急がなきゃって。根拠なんかないし、どうしてそんな風に思うのか自分でもわからなかった。

 ……だけどついさっき、ようやくその答えがわかった気がするんだ」


 マサカドにというよりも、マサカドを通して、僕は自分の内面に語りかけている。


「僕と夕声は、今、かくれんぼをやっているんだ。夕声が隠れて、僕が探す。かくれんぼってのはさ、隠れて鬼を出し抜くっていうのももちろん楽しいんだけど、実は見つけてもらうことも楽しいんだ。楽しいし、嬉しいんだ。逆にあまりにも見つけてもらえないままでいると不安になって、不安を通り過ぎると悲しくなってくる」


 子供の頃、そういえば僕は鬼ごっこよりもかくれんぼのほうが好きだった。

 運動神経がそこまで良かったわけじゃないのも理由の一つかもしれないけど、でも一番の要因は、親や友達、大好きな人が自分を見つけてくれるあの瞬間の喜びだろう。

 大好きな人が、自分を迎えに来てくれる、あの瞬間の。


「これがかくれんぼなら、夕声は僕に見つけられる瞬間を待っているはずだ。どこかの物陰で息を潜めて、僕が捕まえに来るそのときを、僕が迎えに来るそのときを、彼女は今も待ち続けている。おそらくは不安で心細い気持ちを抱えて」


 これは自惚 うぬぼれだろうか?

 ……いや、自惚れだろうがなんだろうが知ったことか。


 この役目だけは誰にも渡さない。


「夕声は僕が迎えに行く。日が暮れて夜になってしまうその前に。隠れ疲れた夕声が見つけてもらうのを諦めて、僕の知らないどこか遠くへ帰ってしまう、その前に」


 僕は必ず彼女を見つける。そう宣言した。

 ……言葉の通じない子猫に対して。


「さぁ、その為にも呪いを解かないとだけど……」


 問題はまさにここにあった。


「もはや自分じゃどうにもこうにもできなさそうだし、やっぱり誰かに助けを求めるしかないんだろうか。でも、誰かって誰だよ……」


 文吉親分にすら手に負えず、お祓いは諸々の理由で気が進まない。女化以外の別の神社にお願いするにしても、準備に時間がかかるのは多分変わらないだろう。


「あとは動物の備えた力に頼るとか……たとえば一番鶏の喚(おめ)き声には魔を払う効果があるとか……今から雄鶏を調達したら明日の朝には間に合うかもしれないけど、鶏ってどこで買えるんだ? というか買ったとしてその後どうするんだ? 扶養家族として養い続けるのか? それとも食っちゃうのか?」


 ブツブツ、ブツブツ。


「それじゃ犬……いや犬はダメだ。狐嫁の話の中で犬が登場したら間違いなくそいつは元凶だ。狐嫁の正体を暴いて追い立てる戦犯だ。今回の場合、犬は縁起が悪すぎる」


 ブツブツ、ブツブツ、ブツブツブツブツ。


「あとは……猫?」


 と、僕は膝の上のマサカドを見つめる。

 そういえば、猫も人間の為に魔を払ってくれる存在だったはず。化け猫が人間を食い殺す話も数あれど、飼い猫が主を守る話もたくさんある。

 猫は霊的に強い動物なのだ。


 とはいえ、マサカドはちと若すぎる。二十年生きて猫又だとしたら彼にはあと十九年以上熟成期間が必要だ。

 というか夕声が言ってたっけ、そもそも猫又はいないって。


「でもまぁ、ダメ元で……ねえマサカド、僕の呪いを解いてくれるかい?」

「やってあげてもいいけどなにくれるにゃん?」

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